それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 積乱雲、こわい。


071. 忘れ得ぬ海

 「どどどどどうしよう、中尉っ。つつつ通信が、通信がっ。そ、そうだ、こういう時はっ」

 目をぐるぐるにした時雨が通信機をガンガン叩き始めた。

 

 古典的な方法だが、その昔、特に真空管を精密機器に用いていた時代は接続用のコネクターソケットでの接触不良が多発し、叩くなどのショックを与えると治る事があったらしいが、現代の機器では余計に事態が悪化しかねない。それに障害が起きてるのは現場の方である。他の艦娘達も右往左往し、いよいよ作戦司令室は混乱の度合いが深まってゆく。だが(レディ)が恐々と両手でお臍のあたりを隠しながら、意外と的確な分析を見せ、ほぉ~っと周囲がどよめく。

 「機械が原因なら、もうしょうがないわよ。でも、回線の障害なら…雷様が通り過ぎれば…機嫌直してくれるんじゃないかしら」

 

 ふむ、という表情で頷いた日南中尉は、情報の供給が絶たれたC4ISTARに見切りをつけ、更新された統合気象システム(JSW-2)のデータをオーバーラップさせた海図を印刷し、机の上に広げる。わぁっと机の周りに艦娘たちが集まる中、中尉は手にしたペンで最後に確認した艦隊の位置を書き入れ、再び考え込む。

 

 「雷雲との位置関係から見て、扶桑たち前衛艦隊の電探や通信機器は使い物にならないと思った方が良さそうだ。後衛の赤城はおそらく回線の障害だけかな、時間が解決してくれるだろう。この先は…扶桑がどう動くかに掛かってるね」

 

 「それって…選択肢があるってこと~?」

 ツインテールを揺らしながら村雨が疑問を口にし、多くの艦娘がうんうんと頷く。

 

 「敵の航空攻撃は失敗、そして進行方向を塞ぐように積乱雲(Cb)は北北西に動いている。敵艦隊が西に進めばかなりの大回りになり、東なら大回頭して引き返す形で、どちらにしても大幅な時間のロス、自分たちには追いつけないよ…撤退を選ぶなら」

 

 そこで一旦言葉を切った日南中尉は、きゅうっと音を立て海図に直線を描き、ペンの先がたどり着いた先にある島を丸で囲む。

 

 「動きから見て、しばらく我慢すれば扶桑たちは暴風雨域を抜けてGポイントまで直進できそうだ。その頃にはもう日は暮れているだろう、帰投する敵艦隊を待ち伏せして夜戦に持ち込むことも計算上は可能だね」

 

 おおぉ~っと作戦司令室が歓声に包まれる。ただ、事態は指揮の及ばない状況で動いている。分断された扶桑と赤城の判断が違えば、艦隊は甚大な被害をうけかねない。かたり、とペンを置いた日南中尉は背筋を伸ばすと窓から外を眺め、息苦しそうに顔を顰めながら言葉を繋ぐ。

 

 「自分としては―――」

 

 それは指揮官としてか個人としてか、続く言葉は誰にも明かされないまま、作戦司令室は赤城との通信状況が回復するのをじりじりと待ち続ける時間を過ごしている。

 

 

 

 東部オリョール海最奥部―――。

 

 積乱雲は絶え間ない雷を撒き散らし、その形をどんどん変えながら北北西へと向かい青い空を飲み込んでゆく。扶桑率いる前衛艦隊は、激しく吹き荒れる風と足元を攫うように暴れる波に耐えながら進撃を続けている。

 

 「おぉぉうっ! これじゃぁまともに走れないよ…」

 黒いウサミミとロングの金髪はすでに雨でぐっしょりと濡れ、さらに自慢の“足”をこの荒れる海面では発揮できず困惑する島風。

 「これ以上…どうしろと言うのですか…」

 空を見上げて少しずつ降り始めた雨に顔を濡らしながら、TPOを考えればこれ以上ないセリフを零す妙高。

 

 主機を限界すれすれまで上げ第三戦速で突き進んできた扶桑は行き脚を落とし、繰り返し日南中尉と連絡を取ろうと試みていたが果たせずにいた。はあっと大きなため息を零し肩を落とすが、言葉ほどに表情は曇っていない。

 

 「あのー…聞こえないのかしら……? 日南中尉? 中尉ー?…やっぱり通信機、ダメかしら…そんなの、分かってたけど…」

 

 扶桑は特徴とも言える巨大な砲塔を背後に動かし、左腕に装備した後部甲板をやや下げ気味に前に差し出し、瑞雲の発艦準備に取り掛かる。天候は大荒れ、甲板を構える扶桑の足元も大きく波に揺らされ体勢が安定せず、航空隊の妖精さんが発艦の中止を扶桑に訴えるため、長い黒髪にしがみ付きながら耳元で語り掛けている。開いた右手の掌に妖精さんを載せた扶桑はにっこりと微笑みかける。

 

 「発艦、準備…急いでくださいね。え? 風が強すぎる? そう…この後は、今より厳しい状況での発艦になるけど…いいの?」

 

 声のトーンとは裏腹にNOを認めない言葉。往時の艦隊勤務者にとって、訓練の厳しさと制裁の凄まじさで『鬼の扶桑か蛇の伊勢か、回れ回れの声がする』と知られた扶桑姉様である。航空隊の妖精さん達はだらだら冷や汗をかきながらびしっと敬礼をすると、瑞雲を必死に操り、柔らかい微笑みに見送られながら次々と荒天を裂くように空へ翔け上がっていった。

 

 「そうそう、しっかり飛んでくださいね。さぁ、次は私達です、行きますよ」

 

 

 

 「みんな…ご苦労様でした。それにしても…」

 

 頭や肩に乗る航空隊の妖精さんに話しかけながら、赤城は被害の大きさに唖然とした。軽量化を追求する海軍機は機体強度に余裕がなく、激しい荒天下の飛行でフレームの歪みや機体表面に皺が寄るなど要修理の機体が続出、再出撃可能なのは全体の半数強まで減ってしまった。それでも戦力として計算は立つが、どうするにせよ前衛艦隊と宿毛湾の日南中尉と連携が必要なのには変わらない。通信状態は依然として劣悪で、お互いの話の二割も理解できない状態だが、辛うじて分かったのは日南中尉も赤城も前衛艦隊と連絡が取れないこと。先行する扶桑の状況を把握しなければ赤城も動きようがない。

 

 「日南中尉、中尉っ!?…また断音…酷い状態ね…」

 

 呆れ顔で空を見上げていた赤城だが、どうせ聞こえてないのだ、と思うとふと悪戯心がもたげてきた。

 

 「中尉…無事帰投したら、間宮さんのバケツチャレンジに連れて行ってくださいね。…ふ、二人きりで、ですよ? って、どうせ聞こえてないですよね」

 

 ちなみにバケツチャレンジとは修復バケツ一杯のパフェを制限時間内に食べきるチャレンジである。冷めない熱い頬を持てあましぱたぱたと手で扇いていた赤城は、膝に手を当て二、三度屈伸、次の行動に移ろうとして、気がついた。浜風の様子がおかしい。明らかに不安を隠せないような表情になっている。胸の前で祈るように手を組む浜風は、縋るように赤城に問いかける。

 

 「…赤城さんは、不安では…怖くはないのですか? 命令を受けずに、自分で自分の行動を決める…そんな…ことが…」

 

 機械のような艦娘を指向した技本により施された改装の目的には、命令への追従性を向上させる事も含まれる。どんな命令でも従う事は自分で判断を行わない事と同義である。無理な改装の後遺症と言えるかも知れないが、不可抗力とはいえ指揮官と連絡が取れない、すなわち命令を受けられない状態で、浜風はある種のパニック状態に陥りかかっていた。不安に震える浜風を励ますように、赤城は力強く手を伸ばす。

 

 「中尉の戦いは私の戦い、目指す先は必ず同じだと、私は確信しています。それに…大切な言葉は、もうもらっていますから、私は揺るがずに前に進めます。だから…あなたの戦う意味を…どんなに怖くても、前に進んで新しく手に入れてください」

 

 伸ばした手が、恐る恐る、それでいて力強く握られたのを見て、赤城は満足そうに浜風の頭をぽんぽんとして優しく微笑む。そして目の端で瞬く何かに気が付いた。荒れる空、吹き荒れる風に乗って遠くから聞こえてくる発動機の音と、一定の法則で明滅する光。

 

 「瑞雲の発動機(金星五四型)の音…扶桑さんっ!」

 

 発光信号のモールスが、前衛艦隊の現在位置と航路、速度を繰り返し赤城に伝える。赤城はすうっと目を細めると頭を振り、くるりとターンすると、流れるような所作で弓を引き絞り、強風に向かい発艦準備を整えると一気に矢を放つ。

 

 

 「それが貴方の選択…ならっ! 稼働機全機発艦、薄暮攻撃を敢行しますっ! 浜風さん、最大戦速で前進、扶桑さんに合流してくださいっ!」

 

 

 

 積乱雲は荒れ狂う大自然の猛威だが、発生条件にもよるがその寿命は案外短く、早ければ一時間程度、長くても数時間で減衰してゆく。雷雲の東縁に沿うように、雷と雨、突風に翻弄されながらも前進を止めない扶桑たち前衛艦隊の目の前が急に開ける。

 

 「わぁ…奇麗…」

 海など見飽きたはずの島風が、それでも思わず歓声を上げるほど、嵐の後の東部オリョール海は美しい。時刻はすでに夕暮れ、空の全てが夕日に変わり始め、繰り返し足元を揺さぶりながら砕ける波の白に反射し海も同じようにオレンジ色に輝いている。だがこれはロマンチックなオリョールクルーズではない、すでに扶桑の展開した開度二〇の六線一段の索敵線は敵艦を捕捉していた―軽巡へ級一体を護衛につれた空母ヲ級が東方に向かい第二戦速で移動中。

 

 「そうですね、本当に奇麗…」

 

 右手を庇にして眩しそうに空を見上げる扶桑の目に映るのは、輝く銀翼を連ねて翔け抜けてゆく九七艦攻と直掩の零戦二一型の編隊。薄暮攻撃を決断した赤城が発艦させた攻撃隊である。前衛艦隊を労わるように、先頭を行く隊長機が上空で二度三度翼をバンクさせる。ここから先は、瑞雲が先導機(パスファインダー)として攻撃隊を誘導する。

 

 艦載機の通信機は生きているが出力の関係で宿毛湾まで状況を中継することはできず、扶桑の瑞雲は哨戒索敵、連絡、先導…と、無線通信手段を失い分断された艦隊にとってこれ以上ないほど重要な働きを担った。そして今、夜間発着艦能力を持たない赤城にとって、この戦いにおける最後の攻撃が始まる。敵が自分たちと同じことをしない保証はどこにもない、一刻も早く敵空母を叩き、夜戦を決断した扶桑達を守り切る。

 

 

 

 日はすでに沈み夜の帳が下り切った東部オリョール海最奥部、夜でも生温かい潮風がそよぎ、海は星明りに照らされる。

 

 小さく肩を竦めると、口元を隠すようにして柔らかく微笑む扶桑。赤い瞳に妖しげな色を乗せて輝かせる様は艶然とした雰囲気を纏う。

 

 赤城の放った薄暮攻撃は見事に成功し、空母ヲ級と軽巡へ級を撃沈した。これで戦力は四対四、さらにこちらには応援の浜風が急行中。それでも依然戦艦二を擁する敵艦隊の火力は脅威だが、自分たちはすでに配置につき待ち伏せし先制を狙う。

 

 「生も死も一睡の夢…。ならば私は…燃やし尽くすだけ…」

 

 有利な要素と不利な要素が入り混じる綱渡りの夜戦を前に、今度は唇の端を持ち上げ、にやりと扶桑は微笑む。生と死が等価だったスリガオ海峡(あの海)を超える海などない。どんな海でも、どんな相手でも同じ。生への渇望と死への絶望が彩る(ひかり)は、ただ美しい。

 

 「私たちの本当の力…見せてあげましょう?」

 

 長い袂を揺らし、扶桑の右腕がゆったりと前に差し出される。前陣に配された妙高がちらりと後ろを振り返り、背後から姿を現した磯風と島風が静かに前進を始める。

 

 「主砲、副砲、撃てえっ!」

 

 発砲炎が夜を白く照らし、轟音が水面を駆け抜ける。胸を張り叫ぶ扶桑の一斉射撃を合図に三人が風を巻いて突撃を始め、第二ラウンドの火蓋が切られた。


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