それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 レイテに行きたガール、嵐のオリョール驀進。


072. ディストーション

 轟音とともに一瞬だけ夜明けが訪れたように照らされた暗い海面に浮かぶ白い影は、すぐに辺り一面を覆う黒煙に紛れ姿を隠す。

 

 一斉射撃から即座に主機を全開に上げ第三戦速まで増速し、前方に流れる黒煙を抜け再び姿を現した扶桑。長い黒髪と両腕を飾る長い袂を風に躍らせながら一瞬だけ背後に視線をちらりと送る。元居た場所の周辺に次々と巨大な水柱が立ち上がるのを見て、唇の端だけを上げにやりと笑うと、赤い瞳は再び遥か前方で炎上する敵艦に向けられる。

 

 「…炎上が一体、至近弾は与えたみたい…いけるかしら…」

 

 待ち伏せは見事に成功した。敵艦隊は、おそらく空母ヲ級と軽巡ヘ級と合流しGポイントへ帰投するつもりなのだろう、盛んに発光信号を明滅させ、すでに赤城の薄暮攻撃で沈められた仲間に呼びかけている。これ以上ない目標を示された扶桑は冷静に照準を定め一斉射撃、先を行く妙高、磯風、島風を追いかけ突撃を開始した。

 

 戦艦ル級二体、重巡リ級、軽巡ヘ級の敵艦隊、いずれかに損害を与えたのは間違いない。だが夜戦の砲撃は砲炎により自分の位置を晒す行為でもあり、間髪入れず応射されるため同じ位置に留まるのは自殺行為となる。夜間偵察機はなく、無線通信も昼間の間断ない雷で十分に機能しない。この状況で確実に敵を倒すには、手の届きそうな距離まで近づけばいい。()()()のように、ひたすら前へ―――。

 

 「…私を止めたいんですよね…? 扶桑はここですよ…」

 

 唸りを上げる主機や間断なく続く砲撃に混じり、扶桑の甲高い哄笑が夜の闇に響く。大小八〇以上の艦隊で米軍が待ち構えるスリガオ海峡に突撃した西村艦隊七名-かつての記憶は、艦娘として現界した西村艦隊の所属員に、程度の差はあるが今も様々な形で影響を与えていると見ていい。

 

 唯一生還した時雨が生存者の罪悪感(サバイバーズ・ギルト)を抱えたように、勝利も生還も見込めない戦いに送り込まれ沈んだ扶桑は、艦娘として現界した今も、生の実感が薄く望んで死地へ向かうような危うさがあった。着任以来扶桑の言動にある種の危うさを感じていた日南中尉の懸念は、図らずも現実のものとなってしまった。

 

 有視界に敵を捉えた扶桑は右足を大きく外に踏み出す。同時に左膝を深く折り曲げ深く腰を落とし、右腕でバランスを取りながら急旋回で方向を変えると、風と水の抵抗で一気に速度が落ち長い髪が横に流れる。その間にも三五.六cm砲が敵を求め動き出し、長い砲身の延長線上に敵を捉える。

 

 「見えてきたわ…。そう、通常級に至近弾だったのね…負けたく…ないの!」

 

 目標地点にいる敵艦もすでに扶桑の接近に気付き、お互いを有効砲戦距離に捉えている。暗闇に溶け込むような黒い装束の戦艦ル級が二体、至近弾により生じた損傷で火災が生じた通常級だが程度としては小破。さらに赤いオーラを纏う旗艦のエリート級は無傷。二体の戦艦の砲塔や両前腕に装備した巨大な艤装が方向を変え、夜を叩き起こす轟音とともに一斉に火を噴き、夜空を切り裂く主砲弾を追いかけるように軽巡ヘ級が迎撃に向かってくる。

 

 「それとも、逝くのは私の方かしら…。さぁ、主砲、砲撃開始っ!!」

 

 迫りくる砲弾と敵艦を意に介さず砲撃態勢を整え終えた扶桑は、再び全門斉射の咆哮を夜の海に響き渡らせる。

 

 

 

 「どうだい、時雨?」

 「…ダメだよ日南中尉、たまーーーに一瞬だけ声が拾える、って感じかな」

 

 宿毛湾の作戦司令室では、日南中尉の問いに肩を竦めた時雨が首を横に振り溜息を零す。日が落ち切る前にEポイントまで退避した赤城からの通信により戦況はようやく把握できた。

 

 薄暮攻撃の成功、浜風の前進、そして扶桑たち打撃部隊の夜戦。

 

 選んで欲しくなかったが、扶桑なら選ぶかも知れないと思っていた選択に、日南中尉の顔が一瞬曇る。赤城なら抑えが利くかと思い副旗艦に付けたが、予期せぬ積乱雲で部隊は分断されてしまった。回線に一時的な障害が出ただけの赤城と浜風とは通信が復活しているが、現在戦闘中の部隊とは依然として直接連絡が取れない。こちらはより雷雲に近い位置にいたため、通信機器に物理的な障害が出ているとみられる。ただ完全に断音している訳ではないので、ひょっとしたらの希望のもと、日南中尉は秘書艦の時雨に交信を続けさせている。

 

 扶桑と連絡が取れず唇を噛み俯く時雨の肩に、ぽん、と手が載せられる。振り返ると日南中尉の顔。見上げた先にいる、必ず帰ってきてほしいと、本心から言い切る甘さの抜けない指揮官。でもその甘さに自分は、自分だけでなく艦隊の艦娘はどれだけ救われているか。だからこそ時雨は、やはり扶桑の事を考えてしまう。

 

 -扶桑、君は今でも、一人でスリガオ(あの夜)を戦っているの…? 僕たちに帰る場所はあるんだよ。僕は、そう中尉に教わったんだ…。

 

 

 

 「重巡、妙高。推して参ります! この好機、逃しませんっ」

 「この磯風に柔らかい横っ腹を見せるとどうなるか、教えてやろう」

 

 奇襲を受けた敵艦隊は慌ただしく動き、夜の東部オリョール海最奥部を照らす篝火はすでに二つに増え、それぞれの相手を次の行動へと導いている。

 

 一つ目の篝火は扶桑の斉射で小破し炎上した戦艦ル級の通常型で、扶桑に応射した後態勢を立て直すため、重巡リ級を護衛に伴い一旦戦線を離れ回避運動に徹している。こちらには妙高が磯風を伴い猛烈な勢いで迫っている。

 

 そして二つ目の篝火は―――扶桑。戦艦二体からの応射、さらに速射性能で上回るル級エリートの砲撃に耐え砲戦を続けていたが、何斉射目かで直撃弾を右肩に受け第一主砲塔は吹き飛ばされ炎上、加えて複数の至近弾、とりわけ右脚近辺へのものは被害が大きく、主機がやられ行き脚が止まってしまった。さらに至近距離まで接近を許した軽巡へ級から斉射を受け、扶桑は左のわき腹を抑え大きく体を傾けながら海面に片膝をつく。

 

 強大な攻撃力の代償に全体の六割にも及ぶ被弾危険個所があった往時と同様に、扶桑は打たれ強いとは言えない。勝ちを確信したように、ル級エリートは妙高を挟撃するため方向を変える。項垂れ動かなくなった扶桑を軽巡へ級に任せたようだ。深海魚の口に黒いボロ布を纏った人間が収まったような姿のへ級は、頭部を覆う仮面のような装甲越しに扶桑の状態を値踏みするように観察している。

 

 -雷撃で沈める気ね…。あの時よりは、長く戦えたかしら…。

 

 扶桑は何とも言えない笑みを浮かべたと思うと、ここではないどこかを見るような視線を彷徨わせる。

 

 

 「主機全開、最大戦速でいっきまーす!」

 

 

 その声にぴくり、と扶桑の肩が揺れ現実に引き戻される。力の入らない右脚を無理に動かし、ゆらり、とふらつきながら扶桑は立ち上がり、その声の主を探す。夜目にも鮮やかな赤い二つの瞳が見たものは―――。

 

 

 鮮やかな長い金髪が海面と水平になるほどの速度で疾走する島風の姿。

 

 日南中尉の言葉-必ず自分の元に帰ってきてほしい-に応えるため、誰も欠けることなく宿毛湾に帰るため、島風は扶桑の援護に突入してきた。炎上する扶桑の艤装を目印に、主機を全開に上げタービンを目いっぱい回す。四〇ノットの高速は景色をあっという間に置き去りにし、暗闇に浮かぶ敵の姿を把握する時間を一瞬しか与えてくれないが、それで十分。

 

 連装砲ちゃんたちは縦横に走り回りながら砲撃を加え、突如現れた襲撃者の巧みな攻撃の前に予期せぬ損害を受けたへ級は逃走を始める。その進路を阻むようにゆらりと立つ扶桑を、すでに無力化したものと決めつけへ級は脇を通り抜けようとして―――。

 

 「どこに行くのかしら…扶桑型を…舐めない、で…」

 

 不意に伸びてきた扶桑の左手に顔面を鷲掴みにされた軽巡ヘ級は、そのまま頭を握り潰され、ビクンと体を大きく震わせて沈黙。さらにトドメの零距離砲撃で爆沈した。

 

 

 そして。

 

 「天龍ちゃんが言ってたように、がーっと行ってぐぐって堪えて…五連装酸素魚雷、いっちゃってーっ!!」

 

 背負い式の魚雷格納筐を回転させ横撃ちする島風は、雷撃態勢に入るためどうしても姿勢を変えて速度を落とす必要があった。これまでも大湊艦隊との演習でその弱点を狙い撃ちされ、天龍との鬼ごっこでも中低域での加速に優れる天龍を逃がしてしまった。経験を通して学んだのは―――予備動作と加減速のタイムラグを最小限にすること。

 

 砲塔の可動範囲の死角から速度を落とさず一気に接近してくる島風に、扶桑との撃ち合いでダメージを受け速度が低下したル級エリートが白い顔貌を歪ませる。逃げ切れないなら、と横転すれすれの大回頭で距離をとって砲撃態勢に入ろうとする。もちろん島風がそれを許すはずもなく、最小限度の体重移動で速度を殺さずすれ違いざまに雷撃態勢を整える。スレンダーな体をしならせお尻を突き出す姿勢は変わらないが、以前より予備動作が小さくなり、動きも格段に速くなった。

 

 「島風からは、逃げられないって!」

 

 島風は、首を僅かに動かし後方の射界を確認する。左斜め後方に向け格納筐から一斉に放たれた五連装酸素魚雷は、五〇ノットを超える速度で回頭中のル級エリートに襲い掛かり、直撃した。爆煙と激しい炎、そして巨大な水柱が水滴となって海に戻る頃には、ル級エリートも水底の住人へと還っていった。

 

 

 

 戦艦ル級通常型の損傷は小破程度、火災が収まった今その戦闘力は健在で、この敵を自由にさせてしまうと艦隊は蹂躙されかねない。妙高と磯風は連携して難敵を葬ろうとしていたが、随伴の重巡リ級が巧みな位置取りで二人の連携を阻み続けていた。このままでは埒が明かない、と判断した妙高は意を決して飛び込む。

 

 「この戦い、退くわけには参りませんわ!」

 妙高は一気に主機を全開にすると接近戦を挑み、之の字を海面に描きながら背面航行で距離を取る重巡リ級に追いすがる。両腕を顔の前で交差させ防御、被弾しながらも果敢にリ級の懐に入り込む。ほとんど海面にしゃがみ込んで体を大きく屈め、伸び上がるのと同時に放った右フック(ガゼルパンチ)は、フックとアッパーの中間の軌道でリ級の腹部に突き刺さる。

 

 堪らず前屈みになったリ級に集中砲撃を加えようとした妙高だが、ル級からの砲撃を回避するのに距離を取らざるを得ず、回避運動に専念している間に、中破状態のリ級は脇目も振らず逃走を始めた。慌てて主砲を構え直し砲撃を加えた妙高だが命中弾は得られず、リ級はその姿を暗闇へと溶かし込んで消えた。それよりも、今倒すべきは、目の前の戦艦ル級(黒い殺戮者)だ。

 

 砲戦での正面火力を比べれば、いくら重巡といえども戦艦には及ばず、まして駆逐艦はお察しである。だが、夜は全てを変える。夜の闇に紛れて接近し、至近距離から叩き込むカットイン(砲雷同時)攻撃は、決まれば相手が戦艦といえども一撃で轟沈させることができる。

 

 「第一・第二主砲、斉射、始めます!」

 「今の磯風の力、嘗めないでもらおう」

 

 連続カットイン攻撃でル級を文字通り一片も残らず消し去った二人は、海域から脅威はすべて排除したと判断し、後方の島風と発光信号で状況を知らせ合う。旗艦扶桑は大破したものの、中破で逃走した重巡リ級を除き敵艦隊は殲滅。S勝利とはいかなかったが、今回の戦況でA勝利なら文句があるはずがない。満足気に微笑む妙高とドヤ顔の磯風は、扶桑と島風との合流を急ぐ。


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