それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

73 / 120
 前回のあらすじ。
 奇襲からのフルボッコ…しそこなった。


073. 雨の止んだ朝

 重巡リ級は、青い瞳にオーラを浮かべる。

 

 深海棲艦に感情があるなら、それは確かにニヤリと笑った。そしてすぐさま痛みに顔をしかめる。逃走に見せかけ一気に距離を取ったのは何とか成功した。両前腕全体を覆う攻防一体型の艤装もあちこち損傷を受け、さらに水着にしか見えないビキニアーマーで守る真っ白な体は傷や火傷で彩られた。とりわけ左脇腹一帯は暗紫色である。正面から見れば明らかに左右で胸郭の形が違い、左胸郭下部がべこりと内側、つまり体の内側に押し込まれている。左肋骨は下半部持っていかれ、内臓もやられているだろう。予期せぬ妙高のCQB(近接戦闘術)に対応できず、ロングフックをまともに喰らってしまった。息をするだけで激痛が走るが、それでも笑いたくなった。

 

 

 教導艦隊(敵艦隊)が自ら手招きしている。

 

 

 敵が自分たちと同じことをしない保証はどこにもない、とは薄暮攻撃を行った際の赤城の言葉。敵がいないことを前提として発光信号を明滅させた深海棲艦の艦隊は、教導艦隊の格好の目標となり待ち伏せの成功を許した。そして今、敵艦隊は壊滅、重巡リ級は逃走、と判断した教導艦隊は発光信号を送り合い集合を急いでいる。

 

 

 重巡リ級がゆらりと動き出す。道連れは誰がいいだろうか?

 

 

 ―――戦いはまだ終わっていない。

 

 

 

 「ひなみん、明石さんから連絡。何か困ってるみたいだよ」

 

 鳴り続ける日南中尉の執務机の上の固定電話。取り敢えず受話器を持ち上げて応対した村雨は、沢山あるファンクションボタンの上で指先を迷わせた結果、通話口を手で塞ぎながら日南中尉に呼びかける。各人に軍用規格(ミルスペック)のスマホが付与され連絡はL●NEかSKY●Eが多い教導艦隊では、固定電話の使い方をよく分かっていない艦娘が大多数だったりする。ちなみに電話をかけてきた明石はVoIPのセキュリティは信用できませんとか言い、頑として固定回線派、工廠にあるのはじーこじーことダイアルを回す黒電話である(中身はデジタル対応)。受話器を受け取った日南中尉は明石の話を聞き、しまった、という表情を浮かべている。

 

 「あーよかったぁ、やっと繋がりました。建造で現界した子、お迎えがないのですっかりスネちゃって、何を聞いても『不幸だわ…』しか言わなくなっちゃいましたよ。作戦指揮中なのは分かってますけど、早く何とかしてくださいねー」

 

 確かに建造指示を出していたが、丸一日放置したことになる。現在進行中なのは言うまでもなく東部オリョール海(2-3)だが、同様に、いやそれ以上に部隊の練度平準化と資源の調達のため、建造や開発、出撃などのデイリー任務消化や遠征も重要となる。その後作戦が辿った想定外の推移、分断された艦隊の状況把握など慌ただしく立ち働いてるうちに、すっかりデイリー任務の結果確認を怠っていた。

 

 本来なら自ら出向いて、待たせてしまったことを詫びるべきだが、明石の話からすれば現界したのは―――ふむ…としばらく考え込んでいた日南中尉は、時雨と、もう一人を呼んで工廠へ向かうように指示を出す。

 

 「作戦の状況もはっきりしていないのに…秘書艦の僕が席を外しても、いいのかな…?」

 「新しい艦が出来たって? 自分で見ればいいじゃない。ったく、私、なんでこんな部隊に配属されたのかしら」

 

 作戦遂行中なのに秘書艦が迎えに行くことに意味があるんだ、と言われた時雨は分ったような分からないような顔をして、つい最近邂逅(ドロップ)した、奇麗な茶髪をお団子付きのツインテールにした駆逐艦娘を促し、連れ立って工廠へと向かっていった。

 

 

 

 東部オリョール海最奥部―――。

 

 「生き残った、のね………。そういえば、私、旗艦でしたね。なら…是非も無し…」

 紙一重で敵旗艦と軽巡を撃沈した後、扶桑は完全に力が抜けたように海面にへたり込んでしまった。そこに島風が駆け戻ろうとして…転ぶ。被弾は僅かだが、全力過負荷状態での戦闘機動が続き、足が思うように動かない。それでも出せる全速力で戻ってきた島風は、どーんと体当たりするに扶桑の懐に飛び込む。しばらく黙っていたが、やがて肩を震わせ扶桑の胸をぽかすか叩き始めた。

 

 「………どうして、あなたが泣くの、島風? それに、ぽかすかされると、ちょっと…痛いかも」

 「だって、だって扶桑は…なんであんな無茶するのよっ!! 死んじゃったらどうするのっ!!」

 

 「だって…戦船ですもの…戦って沈むのは―――「ひなみんがっ!!」」

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした島風の叫びが、扶桑の声を遮って海に響く。

 

 「ひなみんが言ってたじゃないっ!! 『必ず帰ってきてほしい』って! 扶桑だってそうだよっ!」

 

 

 その声に応えるように拒むように、どん、と左手一本で扶桑は島風を突き飛ばす。

 

 

 大きく目を見開き驚きながら宙を舞う島風は、自分がいた場所と扶桑が、次々と立ち上がる水柱に飲まれるのを目にしながら海面に落ち、自らも水柱を作る。青いオーラを纏った重巡リ級の突進は、旗艦の扶桑に狙いを定めて敢行された。慌てて増速しこちらに駆け付ける妙高と磯風だが彼我の位置関係が悪い。砲雷撃の射界にリ級と島風、扶桑が入ってしまい撃つに撃てず、態勢を立て直すほどの時間の猶予もない。

 

 「ぶはぁっ!! 砲撃っ!?」

 

 すぐさま海面に顔を出した島風が見たのは、月明かりを背に巨大な艤装を背負った黒い影。島風を庇うように立ち上がった扶桑は、振り向きもせず島風に声をかけると、ゆるゆると前進を始めようとする。

 

 「そうね…島風、()()()()あの若き指揮官の元へ必ず帰りなさい。私は―――」

 

 重巡リ級が波を蹴立てて接近を続け、青いオーラがひときわ強く輝き、攻撃態勢に入る。持てる全火力での攻撃が今にも始まろうとしている―――。

 

 

 「届いて…くださいーっ!」

 

 

 最大戦速で一直線に戦闘海域を目指していた浜風が、ついに追いついた。滑り込むようして扶桑と重巡リ級の間に割り込むと、即座に攻撃態勢を整える。現れた乱入者に対し、正面の相手だけに照準を合わせていたリ級は反応が遅れ、中破状態の体では急回避も間に合わない。浜風は右手と背中の艤装に装備した一二.七7cm連装砲の照準を合わせる。同時にがこん、と音を立て両方の太腿外側に装備した四連装魚雷格納筐が九〇度回転し前方を向く。

 

 「守り抜きます!」

 

 二二号対水上電探で敵位置は測距済み、左手の25mm連装機銃を指揮刀のように払い、全門斉射。その威力は凄まじく、潮風が発砲の黒煙を払った時、海面に立っていたのは浜風だけだった。

 

 肩で大きく息をする浜風は、安堵の表情を浮かべ扶桑達を振り返り、宿毛湾の司令部に通信をつなぐ。

 

 「こちら浜風です。何とか…間に合いました。旗艦大破ながら敵艦隊を殲滅、私達の…勝利です! これより、無事に宿毛湾に戻るまで、守ります」

 

 

 教導艦隊、東部オリョール海海域、解放達成―――。

 

 艦隊はEポイントまで撤退し赤城と合流、宿毛湾を目指し帰投を始める。大破の扶桑を守りながらの輪形陣、帰投予定時刻はおそらく明日の払暁になるだろう。

 

 

 

 想定外の状況、二転三転する戦況、それでもなんとか勝った…浜風からの報告に、宿毛湾の司令部はやっと安堵の空気に包まれ、ざわざわと賑やかな雰囲気に変わり始める。

 

 「中尉、戻ったよ…。新しい子も無事着任したかな。かなりご機嫌斜めだったけど…何とか、なったか、な…」

 時雨が工廠から帰ってきたが、その声は何かをこらえる様に語尾が震えている。背後には赤いミニスカートに白い巫女服様の装束を合わせた、黒髪ボブカットの艦娘が寄り添い、同行した満潮は目の縁を赤くしている。

 

 バツが悪そうな表情のまま時雨に近づいた日南中尉は、時雨の肩にそっと手を置く。無言のまま、肩に置かれた中尉の手に時雨はそっと手を重ね、必死に言葉を探そうとしている。ようやく口を開こうとした時、作戦司令室のドアがノックと同時に開かれる。

 

 「中尉、鎮守府近海航路(1-6)から帰ったぞ。喜べ、君の狙いは達成できた…のだが、邪魔をしたかな…。出直そうか?」

 

 二人の様子を見た日向は、歯切れ悪く「あー…」という表情に変わる。少し前から中尉は1-6に拘っていたようで、航空戦艦という特性上日向が同海域に駆り出されることが多かった。最初は本隊から貸与を受けた速吸の育成、あるいは資源や経験値の獲得…そう思っていたが、途中からどうやらそれだけではないな、と気づいた。そして今日、ついにその目的は達せられた。

 

 時雨が不思議そうな表情で小さく首を傾げ、仕草だけで中尉に問いかける。目を逸らしながら、本当に決まり悪そうな表情を隠すように、中尉は制帽を目深に被り直して淡々と答える。

 

 「時雨には…いや、扶桑にも必要だと前々から思っていたんだ。1-6で邂逅可能という情報はあったけど、確率は決して高くなかったから…ぬか喜びはさせたくなくて、言ってなかったんだ。ごめん」

 

 日向の背中から顔を覗かせた、栗色の長い髪を水色と白のツートンカラーのリボンでツインテールにまとめた艦娘が、事態が把握できず首を傾げる時雨に向かって歩いてくる。その顔を見た時雨は堪え切れなくなった。

 

 

 「君は…どうしても僕を泣かせたいんだね。一生懸命…我慢してたのに…」

 

 

 

 「結局…朝になってしまったのね…」

 

 輪形陣の中央、扶桑は徐々に明け始めた空を気怠そうに見上げる。もとより低速艦であり、さらに受けた被害は一番大きく、出せる速度は第二戦速が精一杯。宿毛湾への航海は遅々として進まなかったが、それでもここまで来た。宿毛湾の港湾管理線を越え、ようやく帰ってきた実感が湧いてくるのか、島風がきゃいきゃいとはしゃぎはじめるが、扶桑の気持ちは依然として晴れないままだった。

 

 -必ず帰ってきてほしい。

 

 島風は若き指揮官の言葉を拠り所にしている。聞けば教導艦隊設立時から時雨とともに彼を支えてきたようだ。扶桑自身も、日南中尉の指揮や作戦立案には一目置いている。だが、死線を越え帰るべき場所として彼を心に置いているか、と問われると…。波がきらきらと朝日を反射して白く輝く水面に目を細めると、視線の先に出迎えの一群と思われる艦娘達が立っている。え…嘘…あれって…。思わず口を両手で押さえてしまった。扶桑の様子に気付いた赤城が、少しだけ意地悪そうな色を目の端に載せながら、すうっと近づいてくる。

 

 「連絡は頂いていましたが…オシオキでわざとお知らせしませんでした。中尉は…貴女や時雨さんを心配して、以前から力になりたいと思っていたようですよ。これでも貴女は…一人で戦い続けるのですか? 貴女が教導艦隊の一員だと、西()()()()を大切に思っていると、胸を張って言えるなら、私達の母港に…帰りましょう」

 

 驚いて見渡せば、どや顔でサムズアップする磯風、優し気に頷く浜風と妙高、えへへーと屈託のない笑顔の島風…みんな知っていたのね。大きく深呼吸をして、ゆっくりと、一歩ずつ前に進むたびに鼓動が激しくなる。

 

 山城に満潮…着任していたのね、叫ばなくても聞こえるわ。最上はオリョール攻略中に邂逅したって…。それに朝雲まで…。そして―――。

 

 

 「おかえり、扶桑…」

 

 時雨、そんなに泣かないで。

 

 

 私の帰る場所は―――。

 

 

 差し出された手を強く握り締め、精一杯微笑んで見せた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。