それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 大人路線への挑戦


087. ラストダンスは私に

 「貴女が手を回したのだな、Ladyよ」

 「貴女が私の元まで足を運ぶと聞きましたからね、ネルソン…」

 

 満足そうな表情でネルソンが手にしたグラスを口元に運び豪快に飲み干すと、傍にある瓶を取り上げて再びグラスを満たす。ネルソンの隣に立つのは、同じようにグラスを手に持つウォースパイト。長い睫毛を伏せながら僅かに口角を上げ、仕草だけで問いを婉曲に肯定する。

 

 武人らしい逞しさと女性らしい曲線を軍服様の制服に同居させるネルソンと、美しいデコルテと肩を露わにしたアイボリーのローブドレスをその身に纏う華やかなウォースパイト。会話をしながらも視線を合わせない二人は、壁に凭れながらなんとなくパーティ会場を見渡している。

 

 ネルソンが懐かしそうに、それでいて惜しげもなく味わっているのは、王立海軍(RN)に籍を置いた者なら特別な感傷を抱かずにいられない、BRNIと呼ばれるラム酒。一六五五年から三一五年に渡り英国王室艦船乗組員に配られ、一九七〇年時点で残っていた六一八本は、英国のとある企業が買い占め秘蔵している。以来王室ゆかりのイベントでしかお目に掛かれなくなり、手に入る場合でも最低で一本三六万円以上するのだが、なぜか遠く離れた日本の、それも一地方拠点の宿毛湾に一ダース唐突に入荷されてきた。

 

 「BRNIが饗されるなら、これは王室行事ということなるのか?」

 「さぁ…どうでしょう。私はそのような立場ではありませんから」

 「王権の象徴(レガリア)がよく言う…。おお、そういえば、国元から無事許可を得てな。此度の遠征、貴女が残していったのを持参したぞ」

 「そう…それで聖櫃(アーク)をあの娘が抱えていたのね…」

 「アークロイヤルに任せたのは余の不明だった。厳重に保管せよと命じたら、在ろう事か蓋を溶接しおった。取り出せと言ったら、今度はソードフィッシュの爆撃でこじ開けようとしたのでな、ここの工廠に開封を頼んでおる」

 

 溜息と共に頭を抱えたウォースパイトを余所に、グラスを再び呷りごくりと喉をならすと、ネルソンは殊更気軽そうな口ぶりで核心へと切り込み始めた。レガリアとは、その所有により持ち主の王権の正統性を象徴する物品で、英国の場合は王冠・王笏・宝珠の三つを言う。その三つを備え現界した英国初の艦娘ウォースパイトは、特別な存在として多くの者から『女王陛下』と呼ばれている。しかし、この初秋にネルソンが現界した時には、レガリアを国に残してウォースパイトは既に英国を後にしていた。その理由がどうしても分からない。

 

 黙秘を貫くようにウォースパイトはラム酒のグラスを口元に運び、ネルソンもまた答を待たずに話を続ける。

 

 「Ladyよ、英国総旗艦の座は空けてある、帰還せぬか? 世界は以前と変わらず…いや、以前に増して激しい戦乱の最中にある。艦娘という新たな兵器として甦った我等は王立海軍の『力』の象徴なのだ。特に余はビッグセブンの一角、余がおれば絶対不敗と民は熱狂しておる。だがなウォースパイト…レガリヤとともに現れた貴女は違う、海における王権の代行者なのだ。…なぜだ? 貴女の現界から今に至るまで、何があったのじゃ?」

 

 ネルソンとウォースパイトの会話はいったん途切れ、二人もまた喧騒に満ちた歓迎会の一部となる。二人の視線の先には、杖を突きながらゆっくりと会場を歩く桜井中将のそばを離れない翔鶴と、入れ代わり立ち代わり艦娘達に迫られ距離を詰められる日南大尉の姿。再びグラスを空けたネルソンは唇を歪める。

 

 「日本の艦娘はとても兵器とは思えん、これではまるでSchool Promではないか。さしずめあの日南大尉(青二才)がProm kingか、入れあげておる娘が随分とおるようじゃな」

 

 「口を慎みなさい」

 

 皮肉交じりに言い募ろうとしたネルソンだが、ウォースパイトの峻厳な口調に遮られ、ぐぬぅと口を閉じるしかなかった。ちらりとウォースパイトを覗き見れば、その視線の先には―――。怪訝な表情に変わったネルソンを諭すように、あるいは自らの感情を整理するようかのように、ウォースパイトは静かに語りだす。

 

 「私は史上最高の武勲艦であり王権の代行者。ですが、艦娘として現界した私は、過去の記憶と、自らの意志と…この柔らかい体の齎らす感情にずっと戸惑っていました」

 

 こくり、と先ほどより多めのラム酒を口に含んだウォースパイトの目の周りはほんのりと赤みを帯びてくる。

 

 「あの日…キールでの戦い…元より不調を(かこ)つこの身の損傷に、彼は激しく動揺しました。兵器を大切に扱うのではなく、私を私として…まるで人のように扱われた私もまた動揺し、自分が何者か考えさせられました」

 

 ウォースパイトは初めてネルソンの方を見た。ネルソンも腕組みをしながら、ウォースパイトの真剣な眼差しから目を逸らさない。そして話の続きを聞き終えると、ネルソンはやれやれといった具合に肩を竦め頭を振る。

 

 「だから私は彼を理解し、自分を理解しようと試みた。深海棲艦により家族を失った彼が、復讐でも栄光でもなく、戦いを終わらせるため提督を目指す…そのためなら、私は彼の剣となる。英国は…すでに完成された王国。過去の栄光の象徴たるよりも、私は新たな王道を、心優しき若き力と共に歩むと決めたのです」

 

 「思い入れが過ぎるのではないか? 今の貴女はまるで…いや、何でもない。まぁ、酔いのせい、という事にしておこうか。これ以上今は言うまいよ。仕方あるまい、古き良き英国の栄光は余が担うとするか」

 まるで恋する少女のようではないか、との言葉を何杯目かのラム酒と一緒に飲み込んだネルソンは、軽く反動をつけて壁から背を離すと歩き出す。

 

 「余はナガートに会ってくる。ビッグセブン同士、積もる話もあるのでな。余の必殺技、ネルソンタッチを自慢してやらないとな」

 

 数歩歩いたところで立ち止まったネルソンは、ウォースパイトに問いかける。

 「自分が何者かを考えた、そう言ったな? …答えは、見つかったのか?」

 

 一瞬きょとんとしたウォースパイトだが、女王の華やかさと少女の屈託のなさが同居する、眩しいばかりの笑顔でネルソンにウインクをしながらハッキリと答えた。

 

 

 「いいえ、その答えを見つけるために私は生きているのです」

 

 

 

 「喜べネルソン、箱の中身を女王陛下にお届けに上がったぞ。ここの明石は大したものだな、あっさり開けてくれた。念のためと思ってソードフィッシュを展開していたのだが無駄に終わったな」

 金属の箱を載せた台車をごろごろと押しながら、赤い髪を揺らしながらアークロイヤルが姿を現した。きょろきょろしながらウォースパイトを探してるが、発言内容にみるみるネルソンの顔が険しくなる。

 「待て待て待て! すると何か、貴様は寄港先の工廠を攻撃隊で取り囲んでいたというのか!?」

 「ふっ…女王陛下のためだ、万全を期さねばな。そんなことよりも女王陛下は?」

 「Ladyは…それよりもアーク、その箱だが英国に持ち帰ることになった。()()()工廠にUターンだ、念入りに封印してもらえ。ああそれと、今度はソードフィッシュを出すんじゃないぞ」

 

 しょんぼりしながらごろごろと台車を転がして立ち去るアークロイヤルの背中を見送ると、ネルソンは手際よく片づけられあっという間にダンスフロアへと変わり始めたパーティ会場を見つめてる。照明は落とされBGMもスローな曲に変わり、いわゆるいい雰囲気というやつに変わっている。そしてこのムーディな僅かな時間を最後に、歓迎会の幕が下りる。

 

 「さて、と…女王陛下はダンスに夢中なようだし、余はもう少し懐かしい味のラム酒を味わうとするか」

 

 

 

 「Ciao、楽しんでる? イタリアのワインも充実してたわね」

 「そうね…島国のパーティにしては悪くないと思うわ」

 休憩用に設けられたラウンジでビスマルクが寛いでいると、ワイングラス片手にイタリアとローマがやってきた。頬杖を突きながら生返事を返す独逸娘と、気にすることなくワインの評論を始める伊太利娘だが、すぐに話題も尽き沈黙が訪れる。ダンスホールに変わった会場で、寄り添うようにゆったりと踊る一組のペアをぼんやりと眺めていた三人だが、ぽつりぽつりと、誰からともなく短く言葉を発する。

 

 「fratelloだと思ってたけど…立派になったね」

 「まあまあってとこね。リードがまだぎこちない」

 

 「そっちちょうだい。ん、やっぱりドイツワインは甘いね。…そういえばプリンツのこと、よかったね」

 

 返事を待たずにグラスを引き寄せ、テイスティングの域を大幅に超えて味わっていたイタリアからプリンツの名前が出た瞬間、ビスマルクが決然と言い切る。

 

 「せっかく回復の兆しが見えたのよ、宿毛湾(ここ)に置いてゆくわ。技本がどうとかキッカワとかいう佐官がさんざん文句を言ってたけど関係ない。政治回りの調整はサクライの仕事、プリンツのことはヒナーミの仕事だけど、まぁ……任せられる程度には成長したわね」

 

 酔いも手伝い、少し気怠そうに長い金髪を揺らしたビスマルクは、柔らかく緩めたに表情に僅かな寂しさを加え、ワイングラスを揺らす。

 「Viel Glück, meine schwester」

 

 

 

 「あのアークロイヤルさん、マイペース過ぎるっぽい」

 「やっと戻ってこれたと思ったら…。でも今日は、女王様の日かな」

 「私達こういうの慣れてないもんね。…今日のひなみん、優しそう…」

 

 工廠にUターンしたアークロイヤルの付き添い(監視役)に駆り出されていた白露型シスターズ。隙あらばソーフィッ、シューしようとするアークを苦労しながら押さえ込み、明石への依頼が終わるのを待って会場に戻って来てみると、パーティ会場の雰囲気は一変し大人のムード溢れる空間へと変わっていた。ホールで踊るのは、ただゆったりと曲に合わせて身体を寄せ合って漂う一組のペア。いつもならゴゴゴ…となる光景だが、組み合わせと洗練された動きを見ていると、夕立も村雨も、時雨でさえも憧れの目で見とれてしまった。

 

 

 やがて曲も終わりを迎える頃、無駄のない細さと女性としての柔らかさが美しいデコルテと華奢な肩が前に動き、自らを支えるパートナーにいっそう密着する。頬を寄せ合うような姿勢になると、セミロングの金髪を揺らしながら、アイボリーのローブドレスを着た艦娘が歌うように囁く。

 

 「無理に連れ出してしまいましたね。ですが安心できるリードでした。…ヒナミ、貴方はadmiralの前にgentlemanであるべきです。貴方をじーっと見ている娘達が待っていますよ」

 

 体を離す瞬間、ほんの一瞬だけ唇の触れる柔らかい感触を日南大尉の頬に残し、ウォースパイトはホールを後にした。ゆったりとラウンジへと歩みを進めながら、再びネルソンとのやり取りが頭をよぎり、口角を僅かに上げる。

 

 ー自分が何者かを考えた、そう言ったな? …答えは、見つかったのか?

 

 ホールでは教導艦隊の艦娘達と手を取り合い踊る日南大尉。嬉し恥ずかしできゃーきゃー騒ぐ教導艦隊の艦娘達は、どこまでも自然体の彼女達らしい。見守る様にしばらく足を止めていた女王陛下は、届かないのを承知で小さな呟きを日南大尉に向けて零すと、歓迎会の会場を後にした。

 

 -You make me feel like a natural woman.


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