ラッキーガール
気が付けば日が暮れる時間も早くなり始めた秋の日、港に立つ日南大尉は潮風に吹かれながら、大きく海に向かって開けた宿毛湾の湾口を眺めている。ふよふよ肩の周りを飛び回る工廠の妖精さんたちと共に、心配そうな視線を遠く水平線に向けながら艦隊の帰投を待ち続ける。
既に始まった
教導艦隊は北ルートと南ルートの両方から2-5の海域最奥部を目指している。所属各艦娘の練度を考慮すると、南北いずれかのルートに絞っての攻略よりは、二戦ずつ南北両方のルートで臨むのが大尉の判断だった。
第一戦(北ルート):日向、伊勢、羽黒、妙高、鈴谷、熊野
第二戦(南ルート):千歳、千代田、由良、磯風、浜風、綾波
第三戦(北ルート):扶桑、古鷹、加古、プリンツ・オイゲン、利根、筑摩
重巡航巡に航空戦艦を加えた北ルート攻略部隊、軽空母に水雷戦隊を加えた南ルート攻略部隊、いずれも前回の2-4同様、道中は徹底して損耗を避け戦力を温存し海域最奥部に突入するのをセオリーとしている。戦艦ル級フラッグシップ三体を擁する強力な水上打撃部隊を相手に、三戦全て夜戦までもつれ込みながらS勝利を収めたものの、参加艦娘のほとんどが大破、よくても中破で帰投する厳しい戦い。
ボス戦の昼戦で中破した艦娘は、戦船としての矜持をかなぐり捨て必死に逃げ回る。昼戦で大破状態になった艦娘が夜戦に参加して、万が一装甲を貫かれれば轟沈が待っている。当然それを理解する日南大尉は、昼戦で大破艦が出れば自らの進路に関わりなく迷わず撤退を命じる、それが自分たちの指揮官だと皆理解している。だから艦娘達は、命令に違反しないスレスレの線で絶対に引き下がろうとせず、夜戦に全てを賭けぎりぎりの戦いを続けている。
◇
「2-5、三戦三勝とはやるじゃねーの。正直見直したぜ」
揶揄うような口ぶりで掛けられた言葉に日南大尉は振り返り、すぐさま敬礼の姿勢を取る。
「俺らしかいねーんだ、堅苦しいのは抜きでいこうや、な?」
パンツのポケットに両手を突っ込んで、唇を少し歪めて笑いながら現れたのは参謀本部の橘川特務少佐。細く整えられた顎髭、戦闘用ではないが鍛えられた筋肉質の体躯…民間企業から軍へ出向中という異色の経歴が示す通り、明らかに生粋の軍人とは違う空気を纏う。元の性質か習い性かは別として、ある意味で優秀な実務家の特徴でもあるドライさや計算高さを隠すため、橘川特佐は意図してオラつき気味の態度や砕けた口調を装っている。そんな特佐に水を向けられても、日南大尉は上官相手として敬礼を続けている。
「だから気軽にって…えーっと…直れ。ったく、いいんちょ気質だねぇ、日南は」
直れの言葉でようやく姿勢を戻した日南大尉は思わず苦笑いを浮かべるが、ふと嬉しくなった。
「艦隊の出迎えに来ていただけるとは思っていませんでした。ありがとうございます」
よせよ、と言わんばかりに手を二度三度振った橘川特佐もにやりと笑い、大尉の反応を伺うため、率直さを装った口調で話を切り出し観察を始めた。
「欧州連合艦隊歓迎イベント、教導課程の視察…随分長く宿毛湾に居ると思ってるだろ? だがほんとの仕事がまだなんだ。お前さんのそばには必ず艦娘がいるからよ、捕まえてサシで話す時間が案外無くてな」
◇
潮風に吹かれる男二人、困惑をはっきり表情に浮かべる日南大尉と、余裕の表情を崩さない橘川特佐。徐々に落ち始めた夕陽が、少しずつオレンジ色を濃くし始める。
「大した指揮ぶりだと思うぜ、実際。このまま2-5突破しちゃうんじゃね?」
「万が一の状況になれば即撤退を命じるつもりでしたが…幸いそうせずに済んでいます。皆が全力で戦い、掴んでくれた勝利です。次は最終戦、南ルートからの攻略に当たる彼女達に…自分の進路を委ねます」
あと一戦、次をS勝利でクリアすれば日南大尉は宿毛湾泊地司令部候補生教導課程の修了が確定する。その正真正銘の最終戦に投入される予定の艦娘を聞き、橘川特佐は肩をぴくりと揺らす。個々の要素ならより上をゆく艦娘もいて、教導艦隊の最強メンバーなら別の組み合わせもあり得るだろう。だが、安定感という意味では名前の上がった六名が最良の布陣といえる。
「お前さん的には切り札って訳か。負ければ新課程行きだが…?」
「彼女達は負けません。もし負けるなら自分の指揮の問題です」
自信か決意か、あるいは両方か、静かだが揺るがない表情で言い切る日南大尉に、顎髭を撫でながら仕草だけで応える橘川特佐。頭の中では猛烈な速さで思考を巡らせ、方針を決める。
横須賀新課程…教導課程のような名称だがその実態は、例の第三世代艦娘だけで構成された部隊である。2-3攻略で磯風や浜風を参戦させ戦果を挙げた日南大尉は、第三世代艦娘の実用性をアピールする格好の
宿毛湾から大尉を横取りするため技本が裏で糸を引いた結果、それが二海域解放を六戦以内という命令の正体。
それでも、薄氷を渡るような危うさながら難題をクリアし続ける教導艦隊の戦況に技本側は慌てだした。このまま命令を達成されては元も子もないが、今更邪魔もできない。それに日南大尉の戦果を見ればますます新課程の指揮官として欲しくなった。もし攻略結果に関わらず日南大尉の意志で転属が行われるなら―――説得、動機づけ、あるいは弱みを握る、橘川特佐が宿毛湾に派遣された真の理由はそこにある。
「なるほどね。けどな…勝っても新課程に来ねえか? お前さんの勧誘が俺の仕事なんだわ。かなーり好待遇っぽいぞ? お前が横須賀に来れば、プリンツの件で技本の協力が得られんじゃねーかな。あーゆーの得意そうな奴を知ってるぜ? それに…いや、何でもない。…また、後でな」
日南大尉の反応を見るのに軽くジャブを放った橘川特佐だが、帰投する艦隊を出迎えるため続々と艦娘達が集まり始め、今はこれ以上の会話を続けられないと判断した。近づいてくる大勢の艦娘の中に雪風の姿を認めた橘川特佐は、泣くような笑うような表情を浮かべ視線を逸らさない。脳裏を過ぎる記憶の欠片に、思わず顔を顰めてしまう。
-へえ、雪風って言うのか、よろしくな。
呉で開催され、いわゆる第三世代艦娘のアピールのはずが問題点を暴露することになった技術展示会で知り合った。
-俺ら人間の仇だ、深海のクソヤロー共を皆殺しにしてくれよ。
現用兵器が通用しない深海棲艦相手と互角に戦える唯一の存在、それが艦娘。見た目がどれだけ可愛かろうが、こいつらは兵器…なんだよ、な?
-俺の娘もお前と同じ位の年だぜ…生きていたら、だけどな。
激化する空襲を避けるため妻子の疎開を決めた。もう数日早ければ、少なくとも焼き払われた自宅で娘を失う事はなかった。
-雪風、俺が
-よく分かりませんが、お安い御用ですっ!
展示会の技術サンプルとして技本が用意した艦娘の一人。準備期間を含めても、せいぜい一週間一緒にいただけの関係。たまたま自分の娘と似たような名前。ふとした表情がどことなく娘と似ていた。
-改装されてから今に至るまでの記憶も失われます。
無茶な改装を施されていた雪風を助けるには、全てをリセットするしかなかった。疑似的な高練度も、爆発的な高出力も………僅かな思い出も、全て。
それだけ、ただそれだけのはずだった。なのに―――。
近づいてくる雪風に向け、抱きしめるように橘川特佐の両腕が僅かに動きかけ―――すれ違う。雪風は橘川特佐をスルーして日南大尉の前まで進んでゆく。
「大尉、お疲れ様ですっ! 雪風、扶桑さん達のお出迎えにやってきましたっ!」
雪風はびしっとした敬礼で挨拶し、すぐににぱぁっと満開の笑顔を浮かべる。うっすらと苦い微笑みを浮かべた橘川特佐の両手はポケットに仕舞われる。懐かしそうな視線がちらりと雪風に、そして奥底に本音を忍ばせた瞳が日南大尉に向けられる。
-
◇
「今度は何を企んでるんですか? 雪風ちゃんの引き抜きですか?」
「よぉ…引き抜き? 雪風を? 俺は指揮官じゃねーっつーの」
胸のあたりで腕を組み、不審気な表情を隠さない明石が橘川特佐に話しかける。声ですぐに気が付いた特佐は、くるりと表情を切り替え、ビジネス用のそれとは違う、自然な表情を浮かべ軽口を叩く。
この二人は微妙な関係で、明石からすれば橘川特佐は無理な改装を艦娘に施した技本の宣伝役、橘川特佐からすれば明石はプロジェクトの問題点を明るみに出すきっかけを作った艦娘となる。ただ、橘川特佐が雪風に寄せる複雑な感情を目の当たりにした明石は、不思議と特佐を根っからの悪人とは思えなかった。特佐にとっても雪風を正常な状態に回復してくれた明石には、ビジネス抜きである程度心を開いている部分もある。なので今回の宿毛湾への出張で、橘川特佐は工廠に入り浸り明石とツルむことが多かった。
「He-y榛名ぁ…あの二人の雰囲気、どう思いマスかぁ?」
「いつも一緒にいますね。ひょっとして明石さん、あの参謀本部の人にホの字とかっ!?」
その表現は
「「はぁぁぁっ!?」」
顔を見合わせ、お互いを指さしていた明石と橘川特佐が同時に叫び、慌てて距離を空ける。
何を騒いでるんだか…と振り返ってきょとんとした表情になった日南大尉だが、すぐに帰投した艦隊に向き直ると、一人一人と固く握手を交わし、目を伏せながら勝利をねぎらい入渠を指示する。一番最後に、旗艦の扶桑が目の前に立ち背筋を伸ばし敬礼をし、そのままボス戦の概要を報告し始めたが、流石に大尉も目のやり場に困ってしまった。
「その…扶桑、報告は入渠を済ませてからで…」
「あら…その方がよければそうしますけど…」
帰投した艦隊は、一戦目二戦目同様、大破艦が多かった。それはそのまま、制服の布面積が大幅に減少していることを意味し、特に扶桑は上半身の半分ほどが剥き出しで、超弩級戦艦の名に恥じない持ち物が露わになっている。
「気になるのでしたら、こうすれば…ほら、もう見えませんよね?」
大尉の首に両腕を回し、そのままぎゅっとしがみつく扶桑。確かに密着すれば見えなくなるが…。一瞬の沈黙の後、ぎゃーぎゃーと一気に騒がしくなる港。何を騒いでんだか…と呆れていた橘川特佐は、くるくると豊かに表情を変え感情を表に出す艦娘達、中でも自然な笑顔で仲間の輪に溶け込む雪風を複雑な表情で眺めた後、携帯を片手に港を後にする。
「橘川だ。教導艦隊は、日南大尉を中心によくまとまってると思うぜ? 口説き落とすのは無理…いや、ちゃんとやるって。…なぁ、