特異種。
夜戦----時間と場所をわきまえると異なる意味になる場合もあるが、2-5最奥部で激闘を続ける教導艦隊にとっては文字通り敵中枢艦隊との最終戦。
昼戦を終え双方一旦距離を取り態勢を立て直して次の展開に入るのだが、これまでの戦闘で、神通率いる水雷戦隊と赤城の航空隊による連携攻撃をもってしても、守勢に徹した敵に十分なダメージを与えきることができなかった。二体の駆逐ロ級後期型のうち一体は撃沈し残り一体は中破、軽巡ヘ級フラッグシップも中破止まり、さらに肝心の二体の戦艦ル級フラッグシップはともに小破で健在。
対する教導艦隊は----。
大破:涼月、赤城、中破:雪風、神通、小破:時雨、瑞鳳
大破艦を抱えた状況で夜戦突入の可否を決断する-日南大尉が最も避けたかった状況であり、彼と教導艦隊に課された制約を考えると、完全に追い込まれたと言っていい。さらに、特異種と疑われる敵の動向はやはり異質だった。夜戦に際し、どの戦場でも深海棲艦側は受動的に反応--撤退か交戦かを選択する艦娘側の動きに対応していた。だが、2-5の海域最奥部に陣取る敵の中枢艦隊はここに来て前進を開始、自ら夜戦に臨んでいるのが明らかになった。
作戦指令室に満ちていた騒然とした雰囲気は既に過ぎ去り、部屋中を重苦しい空気が支配する中、C4ISTARのモニターを凍てついた表情で見つめる日南大尉に全ての視線が集中する。
◇
「…ここで『特異種』とは、ね。橘川君、これも
桜井中将は冷静な口調で問いかけながら、横に立つ橘川特佐を鋭い視線で正面から見据えた。橘川特佐は内心の動揺をひた隠し、何とか切り抜けようと得意の口車を走らせようとしたが、中将が間髪入れずに放った二の矢で逃げ道を塞がれた。
「答えなくても構わないよ。翔鶴が認め、香取や鹿島が育てた
全て発見された挙句に『繋がり』まで掴まれた--桜井中将は戦争初期に活躍した将官だが、所詮キャリアの過半は教育畑…と侮っていたしっぺ返しの苛烈さに特佐は震え上がった。それでも知ってる事をゲロる訳にもいかない。特佐は曖昧なトークの中で、何とか中将が矛を収めてくれるのを願うしかなかった。
「…中将の
「君には色々聞きたい事も多いが、日南君の方は猶予ならないからね。……私だ、特異種を相手にすることになりそうだが、構わないかね?」
『特異種、ねぇ…俺様の子猫ちゃん達に相応しい相手だといいんだが。…ブイン基地特務艦隊、突入!』
聞き覚えのある声に、日南大尉の表情が驚愕に彩られる。
「不破先輩っ!?…これは一体…? まさか友軍艦隊? いやでも…通常海域では許可されない特別編成部隊のはずでは…!?」
つい先日終了が宣言された
「偶然だよ偶然。そっか日南の部隊だったんだー、シラナカッタナー。まぁでもせっかくの機会だ、このハンサムな先輩様の華麗な指揮、目に焼き付けちゃいなよ……濡れるぜ?」
相変わらずのテキトーな感じの受け答えで韜晦する不破少佐だが、言葉通りの意味に受け取れるはずがない。日南大尉はさらに怪訝な表情で問いをぶつけるしかできずにいた。
「でも、どうして……」
「俺らみたいな次世代エースの邪魔する阿呆共に一泡吹かせんの気持ちいーじゃん? ま、礼なら中将に言っときな…って言うなって言われてたんだっけ」
慌てて振り返った大尉の視線の先、壁に寄り掛かる桜井中将と目が合う。一瞬だけ眩しそうに目を細めてほほ笑んだ中将は、誤魔化すように唇を尖らせて口笛を吹く真似なんかをしている。
「中将…、そして先輩…」
それ以上言葉にならず、制帽を目深に被り直しグッと唇を噛んだ日南大尉は感に堪えない様子で動けずにいる。
ブイン基地特務艦隊--旗艦大和を筆頭に、武蔵改二、長門改二、アイオワ、愛宕、高雄から成る部隊。高速化され、三〇ノットの艦隊速度で突入してくる超重量編成の打撃部隊に精密で濃密な大火力を叩きこまれては、さすがの戦艦ル級もただでは済まない。敵中枢艦隊は出鼻を挫かれ、その間に教導艦隊は態勢を立て直すことに成功した。
「日南、腹括って残りの連中をさっさとぶっ殺してこいっ!!」
背中を押すというより蹴飛ばす勢いの不破少佐の檄を受け、キッと眦を決し背筋を伸ばした日南大尉だが、改めて指揮を執ろうとした矢先に入ったダメ押しのダメージは大きかった模様。主に財政面で。
「あぁそうだ、この出撃の全費用お前に
ブイン特務艦隊のお陰で、戦況は盛り返したが危機には違いない。望まないシナリオだとしても、いや、望まないからこそ何度もシミュレーションを重ねた策の一つ、使わずに済めばいいと秘めていた崖っぷちの策を日南大尉が部隊に告げる。作戦指令室に詰める艦娘達が固唾を飲む中、大きく深呼吸をした大尉は、大きく右手を前に振り出し、決然と号令を下す。
「教導艦隊、前進開始っ!!
◇
トレードマークの銀髪と白いペンネントは至る所が出血で黒く変色…頭部に負った損傷の深刻さを物語る涼月がこの海戦で最後の動きを見せる。
「今の涼月にはこれが精一杯…けれど、大尉のご命令…この身に代えてでも…!」
連装砲ちゃんを自律稼働させ、艦隊から大きく離れた位置で牽制砲撃を開始する。夜の海に唐突に咲いた白い発砲炎の花と甲高い射撃音に対し、敵艦隊は猛然と応射を加え、漆黒の海の一か所が瞬間だけ激しく照らされる。ブイン艦隊から齎された射撃管制用データに加え、目視でも敵艦隊の位置は完全に特定した。
敵が見当違いの方向に砲撃を加えている間に、涼月・赤城・瑞鳳は全力で退避し、同時に時雨と雪風、そして神通が長射程雷撃を敢行しつつ突撃を始める。味方は中破二に小破一、ブイン特務艦隊の猛攻を受けた敵は、残存の駆逐ロ級後期型一が撃沈、軽巡ヘ級フラッグシップが大破、戦艦ル級フラッグシップは中破二にまで勢力を減じていた。
高速長射程が自慢の酸素魚雷だが、往時の実戦での長射程戦術の命中度は海軍の期待値を大きく下回っていたらしい。日南大尉もそれは十分に理解していて、この一斉雷撃での決着は端から期待していない。それよりも扇状に広がる酸素魚雷が敵艦隊の行動に掣肘を加えることで----。
「流石大尉…これなら今の雪風の脚でも!」
雪風がにぱっと微笑む。同時に大きく前後に両脚をスライドさせ、ふらりと海面に横倒しになったのかと錯覚するほどの急回頭を見せる。視線の先には、酸素魚雷の接近に気づいて慌てて方向転換中の軽巡ヘ級。大きく円を描きながら逃げるヘ級に対し、ほとんどUターンで方向を変えた雪風。両者の距離は一気に縮まった。
「不沈艦の名は…伊達じゃないのです!」
拳で膝をがんがんと叩いて無理やり言う事を聞かせながら中破の主機を増速、両手持ちした肩掛け式の主砲を連射して突撃。例え相手が大破していても、教導艦隊の勝利条件を知る雪風には手心を加える選択肢はない。敵に手が届くような距離まで迫ると、背負式の魚雷格納筐を九〇度回転させ五連装酸素魚雷の斉射。全駆逐艦中最強の一角を譲らない雪風の攻撃をまともに受けたヘ級、艤装の残骸だけを残して轟沈---。
同じ中破でも神通の損傷は上半身に集中していた。昼戦で左肩や頭部に決して軽いとは言えないケガを負い、左側の視界が薄ぼんやりしか見えないが主機の出力に異常はない、神通は時雨の前に出て突き進む。左側の視界は後方の時雨がフォローしてくれているが、それもそろそろおしまい。時雨にはこれから重要な役目を果たしてもらわないと。前方には長射程で放たれた初撃の酸素魚雷を躱すために回避運動中の戦艦ル級が二体。
「左の…敵の旗艦を…お願い。右は…私が引き受けます」
突入を続ける二人の航路が分かれる。軽巡の自分が敵戦艦の装甲を貫くには、懐深くまで潜り込んでの零距離砲撃、動きを止めてから止めの雷撃。ぎりっと唇を噛み締めた神通は、速度を殺さずに大きくスラロームしながら敵の砲撃を躱し前へ前へと低い姿勢で突進する。右手を前に差し向け砲撃態勢に入ろうとした所で、左側から頭をもぎ取られるような衝撃を受け、吹っ飛ばされた。
「あ……あぁ………」
戦艦級の力で振るわれた破壊の暴力、艤装をそのまま武器にしたル級に殴り倒された神通は、途切れ途切れの声しか出せず、何とか立ち上がろうとするが思い通りに体が動かない。勝利を確信したル級は、そのまま神通を見下ろす位置に立つと、両腕の前腕に装備する主砲の狙いを構え、長い砲身が頭部と心臓部に狙いを定めている。夜の闇に浮かぶ白い顔がニヤリと嫌な笑みを浮かべ----。
「油断しましたね」
辛うじて動く左手で、神通が自らの太ももを弄るとガシャンと音がする。照射面保護のシャッターが解放された探照灯が黒い夜空に光の柱を立ち上げる。こんな至近距離でまともに探照灯の強烈な灯りを直視し目を焼かれたル級、悲鳴とも咆哮ともつかない声を上げ、苦しそうに体を捩る。その間に立ち上がった神通は、無言のまま右手の指先を束ねると、ル級の喉元に全力の貫手を送り込む。連続して聞こえる三つの水音、一つは水面に倒れ込むル級の胴体、もう一つは水面に落ちるル級の頭部、そして再び海面に倒れ込む神通。夜天を見上げながら、動けない体をそのままに、それでも満足そうに神通は微笑む。
◇
「日南大尉…僕は、僕たちはやっとここまで来たんだね」
作戦指令室に淡々と語る時雨の声が響く。静かな、それでいて戦場の颶風に負けない凛とした声。
「ねぇ…君の目指す夢が叶う頃には、この世界はどうなってるかな? えっと、そんな大きな話じゃなくてもいいんだ。何が言いたいかっていうと--」
一旦声が途切れる。恐らくは回避運動に集中しているのだろう、しばらくの間スピーカーからは砲撃音だけが途切れる事無く続いている。ごくりと喉を鳴らし唾を飲み込んだ日南大尉は、時雨の言葉の続きを待つ。
「きっと遠い未来に、今を振り返った時、胸を張って言えると…思うんだ。この勝利が…僕たちの大きな一歩になるって。だから僕は…これからも、そばにいて……いいんだよね?」
「ああ、勿論だ。だから時雨、絶対に…帰ってくるんだ」
「帰る場所があるのって、嬉しいな…うん。待っててね」
指揮官との絆が強ければ強いほど、想いを力に変え強くなる。それが艦娘の成長だとすれば、紆余曲折を経ながらも、時雨は確実に成長を遂げた。降り注ぐ敵の砲撃を華麗なステップで躱し続け、届いた先--忌々しそうな表情で時雨の接近を拒もうとする戦艦ル級フラグシップの内懐。
「時雨、いくよ」
自らの砲身の内側、手を伸ばせば届くような距離まで時雨の接近を許したル級は、前腕の艤装を振り回し時雨を追い払おうとするが、大振りの隙を突かれ柔らかい脇腹に零距離射撃を受け、体を大きく仰け反らせる。その隙に海面すれすれを這うようにしてするりと体を入れ替えた時雨は、太ももに装備した四連装酸素魚雷筐を九〇度回転させ態勢を整えると、必中距離で雷撃敢行。
◇
宿毛湾泊地の作戦指令室には、スピーカー越しに激しい砲撃音とル級の咆哮、そして海を震わせる轟音が木霊していた。音声だけではどちらが何をしたのか判然とせず、誰もが重苦しい沈黙を肩に背負いながら待っていた。そして----。
「…至近距離でやりすぎちゃったかな、うん…」
呑気な時雨の声が聞こえた瞬間、大歓声が作戦指令室を揺らす。
教導艦隊、2-5解放。
無言のまま天井を見上げ両手でガッツポーズを作る日南大尉には、次々と艦娘達が喜びを分かち合おうと集まっている。満足そうな表情で温かくそんな光景を見守っていた桜井中将が、思い出したように橘川特佐に水を向ける。
「そういえば君は、『日南君はパンドラの箱を開けた』って言っていたね。その通りだと思うよ。パンドラの箱に最後に残っていたのは…希望だからね」