それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 総力戦。


Intermission 8
098. トナリアウ


 「着任当初のぎくしゃくぶりを思い出せば、よくここまでの絆を結んだものだ」

 「はい…自分の将来を預ける指揮官と、戦船としての誇りを賭ける艦娘と…。お互いの大切なものを躊躇いなく賭ける、間違いなく良い部隊へと成長しました」

 

 宿毛湾泊地の本部棟内に設けられた桜井中将の私室。サイドアームが左右についた革張りのフェザークッションを備えたソファに深く腰掛け、脚をオットマンに載せる中将は、再びグラスを口に運ぶと喉をごくりと鳴らす。からん、とグラスの中で溶けた氷が形を変え、ダークアンバーのラム酒の中を一頻り泳ぐ。ヒナミは飲みませんので、残念ですが…と、ウォースパイトから譲り受けた秘蔵のラム酒に、中将は上機嫌である。グラスを口に運ぶ桜井中将の横には、ジト目で中将を眺める翔鶴の姿。

 

 二人の話題が2-5攻略を完遂、つまり教導課程の全てを修了した日南大尉と教導艦隊なのは言うまでもない。彼らが攻略を終えてから早数日、参謀本部からは節分関連の(期間限定)任務群が発令されているが、任地を持たない日南大尉が参加できる任務も限定されており、遠征を中心に開発や建造、あるいは演習などで日々をゆるゆると過ごしている。これには2-5最終戦で友軍艦隊(通りすがり)のブイン艦隊-超重量編成水上打撃部隊-の出撃経費をチャージされ、思わぬ形で資源にダメージを負った事も影響している。

 

 「そうだね。教導課程を修了し、第二次進路調査も事実上終了している。あとは大海営に彼の昇進と拠点長就任を上申し任地を確定させる。まぁ…一連の事を考えると、これが一番大仕事かも知れないね。ただ…」

 

 上体を起こした中将は、いったんグラスをテーブルに置き、口直しにドライクランベリーに手を伸ばす。甘酸っぱさが濃厚なラムの香りを流し口をすっきりさせる。もごもご口を動かしていた中将が話を再開する。

 

 「戦力差のある相手…しかも試行回数の制限まで加えられた戦い、特殊装備を積むのも選択肢だったがね。彼の艦隊司令部練度では入手数も多くなかったのは確かだが、それ以上に彼の性質からしてそこまで割り切れなかったようだが」

 

 中将に隣り合う翔鶴がぴたりと動きを止め、何とも言えない表情のまま中将にじぃっと視線を送る。言葉に出さない翔鶴の言葉を十二分に理解している中将は、ゆったりとした微笑みを浮かべている。

 

 応急修理(ダメコン)-配備数が限られるこの特殊装備を積んだ艦娘は、一度きりだが轟沈状態からでもサルベージされる。人間(生物)艦娘(生体)の違いはいくつもあるが、死の無効化はその最たるもの。艦娘の魂と肉体を強制的に現界に留める謎技術の結晶にして極地。それは絆を永遠につなぐ妖精さんの祈り、あるいは死して尚戦えというヒトの呪い。

 

 いずれであっても艦娘側から見た時、この装備が起動する条件として、戻れると分かっていても()()一度死ななければならない。海軍が公式に配備した装備である以上、ダメコンの使用に良いも悪いもない。ただ桜井中将は、ダメコンを使わずに済むならそれに越したことは無いと考えるタイプである。そんな彼も昔一度だけ、使う前提で翔鶴を含む当時の部下達にダメコンを積み戦いに送り出したことがある。

 

 「艦娘を失わずに済む以上積極的に使うべき…当然の事で、日南君がダメコンを使う選択をしたならそれは勿論合理的と評価した。けどね…彼がそうしなかったことが嬉しくもあるんだ」

 

 中将はそう言うと顔の前で両手を合わせて翔鶴にお願いする。はぁ…と溜息とともに遠ざけたグラスを中将に差し出した翔鶴は、むぅっとした表情で宣言する。

 

 「今日はこの一杯でおしまいです。真剣にお体の事、考えてください。それに…お酒臭いキスは…」

 

 その言葉を聞いた中将は無言のまま立ち上がり、ゆっくりとした足取りで洗面台へと向かって行った。しゃこしゃこ一生懸命歯を磨く音をBGMに聞きながら、両手でグラスを持った翔鶴は恐る恐るラム酒を舐めてみる。秀麗な顔を><に歪めてペーッと舌を出した翔鶴だが、心の底から嬉しそうな表情で小さく呟く。

 

 「~~~っ! …今目の前にいる私達の生を共に喜び、死を恐れてくださるあなたのように…きっと日南大尉も育ってくれるはずですよ」

 

 

 

 予定通りなら2-4クリアで教導課程を無事終了していた。なのに課せられた、2-4と2-5を合わせて六回で攻略、失敗すれば日南大尉は横須賀の新課程へ転属という理不尽な横槍。だがそれも薄氷を渡る勝利とはいえ見事にクリア。さぞ教導艦隊も盛り上がり、まずは宴だーっ!…と思いきや、意外なほどの静けさの中で日々を過ごしている。

 

 「…宿毛湾(ここ)でもこの季節は冷えるね、大丈夫?」

 「寒くない訳じゃないけど…十分に温かいよ」

 

 宿毛湾泊地の演習海域を見下ろす防空兼演習指揮塔。五階建ほどの高さのこの棟の屋上、対空電探の支柱に寄り掛かりながら、訥々と言葉を夜空に溶かしているのは時雨と日南大尉。南国とはいえ朝晩は一桁前半、低ければ〇度に近い温度まで気温は下がる。風が無いのが幸いだが、ぺたんと屋上に座り、一枚の厚手の毛布に包まりながら肩を寄せ合う二人の吐息は白く、今夜の冷え込みを物語る。

 

 「もう一杯、飲む?」

 もぞもぞと毛布の中で動いていた時雨は、ごめんね、と言いながら首元まで覆っていた毛布を緩めると、右手で魔法瓶の蓋兼カップを差し出す。頬のそばに湯気の上がるカップを差し出された日南大尉は、ぴったりとくっついた右腕を動かせず遠回りになるが左腕を伸ばして受け取ると、そのまま口元に運ぶ。

 

 「ああ、ありがとう。…ホットワインは、懐かしいよ。ドイツ留学中に飲んだ事もあるけど、今が一番…美味しいと思う」

 「そう? 鳳翔さんに温かい飲み物を、ってお願いしたらこれをくれたんだ」

 「そうなんだ、どうりで…。時雨も?」

 

 大尉が二口ほど味わったホットワインはカップの半分ほど残っている。日南大尉の左腕がそのまま少し伸び、カップが時雨の顔の前までやってくる。

 

 「わ…う、うん。僕も…もらおうかな…」

 

 右手で受け取った時雨の白い吐息といまだ温かさの残るホットワインのカップの湯気が溶け合い、時雨の顔のあたりが白く煙る。その向こうに見える赤らんだ頬は、冷たい夜風のせいだけではなさそうだ。ず…と啜る小さな音がし、時雨の喉がこくりと動く。

 

 

 それきり二人とも何も言わず、冴えた光を纏う星達が照らす午前〇時。

 

 

 「…ねえ、どうして来てくれたのかな?」

 「うん? なら、どうして呼び出したんだい?」

 

 時雨からの二人だけで話をしたい、とL●NEを受け取った日南大尉は、理由を聞くこともなく承諾した。即リプにむしろ時雨の方が戸惑ったほどだった。

 

 「もう…質問に質問で返すのは、どうかと思うよ」

 「そっか、ごめんよ。そうだね…ここの所ずーっと忙しかったせいもあって、時雨と作戦以外の話ができてなかったな、と思ってね。どんな用件かは分からなかったけど、ちょうどいい機会だと思ってね」

 「そっか…そうなんだ…。うん、そうだね……僕も…おんなじこと…思ってたんだ……」

 

 続く言葉の代わりに、触れ合った肩に力が入り、時雨は左腕を大尉の右腕に絡ませる。夕立や村雨(妹達)ほどではないにせよ、十分なボリュームのやわらか胸部装甲が押し付けられる。普段なら距離を取る大尉も、寒さのせいか、あるいは違う理由があるのか、珍しく時雨のさせたいようにさせている。

 

 

 再び二人とも何も言わず、銀の糸のような光を放つ月が見守る午前一時。

 

 

 「…ずっと、不安だったんだ。僕は君のために何ができるのか、何ができているのか、って…」

 こてん、と時雨の頭が日南大尉の肩に凭れ掛かる。ふわふわした黒い髪に頬をくすぐられるが、大尉はそのままにして話の続きを待っている。

 

 「ウォースパイトさんや赤城さん、それに扶桑みたいな決戦戦力って訳じゃないし、鹿島教官みたいに計数管理は得意じゃないし、村雨みたいにすんごくないし。…それに…」

 ずいっと上目遣いのジト目で見上げる時雨。何やら雲行きが怪しくなってきた。

 

 「…それに僕、銀髪じゃないし…」

 

 やれやれ…といった表情で、空いた左手を伸ばして赤い頬をぽりぽりと掻く大尉に対し、時雨は赤らんだ頬をぷうっと膨らませて言い募る。

 

 「君の事は…あの時から…。だから君が司令部候補生になって宿毛湾に来るって聞いて…絶対に秘書艦になるって…。なったのに…ああもう、こんなことが言いたいんじゃないのにっ」

 

 

 その年に発生した集中豪雨に齎された大規模な土石流でほとんど壊滅した町での救援任務。先遣隊として派遣された日南大尉を含む兵学校からの部隊と、海上警備に派遣された時雨は、その時に僅かだが印象深い邂逅を遂げていた。ただ、残念ながら時雨の方しか覚えていないと時雨は思っていた。

 

 

 「……自分は」

 

 唐突に日南大尉が口を開く。時雨に答えるというよりは、自分自身に語り掛けるような、どこか熱に浮かされたような、そんな口調。

 

 「ようやくここまで辿り着いた。けれど…過去を背負い今を戦う君達と、共に歩み未来へと進みたい…そう自分は言ったけど、本当にそう出来ているのだろうか。いや…だからこそ、自分と共に迷いながらでも前に進んでくれる時雨が秘書艦で…」

 

 一旦言葉を切って大尉が大きく深呼吸した拍子に時雨の頭が動く。うん…と返事とも吐息とつかない切ない声を漏らすと、時雨はぎゅっと絡ませた左手に力を籠る。その声にどきっとさせられた大尉は、肩越しに時雨を覗き込むと……規則正しい小さな寝息が聞こえてきた。

 

 「……って寝てる?」

 

 拍子抜けしたような表情になった日南大尉だが、時雨を起こさないように慎重に体勢を整えると、軽くため息を零しながら、最後に一言だけひとり呟くと、吸い込まれるように眠りに落ちていった。

 

 「あの時、か…。あの時の時雨は変装のつもりだったのかな? 三つ編をほどいて伊達眼鏡をかけてたよね。忘れるわけが…ない、だろう…」

 

 ホットワイン-温めたワインに砂糖、レモン果汁、シナモンスティック、クローブで香り付けしたドイツを中心とする地域の伝統的な飲料で、寒い欧州の冬には欠かせない飲み物。砂糖で甘さと濃厚さを加えているので飲みやすいが、どう言ってもワインである。しかも名高い鳳翔が仕込んだものである以上、必要以上にアルコール分を飛ばすはずもない。口当たりの良さに釣られてくいくい飲んだお酒に弱い二人は、知らぬ間に酔っ払いお互い本音を吐露しそうになり、寸前で寝落ちに至った午前一時半。

 

 

 

 翌朝----。

 

 「くしゅんっ」

 「はくしょんっ」

 

 いくら厚手の毛布に包まり二人で肩を寄せ合っていたとはいえ、寒いものは寒い。ほどなくして目を覚ました日南大尉と時雨は、自分たちがどういう状況かすぐに理解し、二人して真っ赤な顔であうあうしながらぎこちなく、足早に防空兼演習指揮塔を後にした。そして何事もなかったように今日の執務に当たったのだが--。

 

 「二人揃ってくしゃみ? 風邪っぽい?」

 「あやし~い。風邪が移るようなことでもしたぁ?」

 

 遠征や演習の予定がない夕立と村雨は、初雪と島風と共に炬燵に浸かりながら、苦笑いを浮かべながら視線を絡ませている指揮官と秘書艦をジト目で疑りまくっていた。


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