――薄暗い部屋に、私の絞るような嬌声が響き渡る。
お腹の裏を突かれるような感覚。柔らかい肉同士の衝突する音があがる度に、脳髄を焼き尽くさんばかりの快感が全身に襲い掛かる。か細い呼吸がわずかに漏れるが、私は必死に彼の唇を貪っていく。
まるで、ぽっかりと空いた心の穴をキスによって埋めるかのように。
「マリア……さっ……」
「藤、たかさ……さく、やっ! さくや! 朔也!」
何度も、何度も。
いけないと分かってはいながらも、彼の名前を呼び続ける。それが決して手に入らないと分かっているにも関わらず、微かな繋がりに必死で食らいつくように、喉が枯れるのも構わず私は叫び続けた。そうすることで、今この場だけでも彼が私だけを見てくれていると思っていたから。
それがどれだけ悲しくて、どれだけ虚しい事か。子供のように目を逸らしながら。
「朔也っ、朔也っ」
「っ……」
「大好き……朔也、愛してる……!」
無言で行為に耽る彼の背中に手を回し、直接鼓動を感じながら名前を、そして愛を叫び続ける。
――彼は、どういう気持ちでいるのだろうか。
私の誘いを断らないのは、藤尭さんが私に罪悪感を抱えているからだろう。それはある意味で切歌に対するモノ以上に、歪で複雑な束縛の鎖。心優しい彼を傷つける、何よりも残酷な手錠。妹分への気遣いよりも、愛する人の優しさよりも。私はただ自分の欲望を優先してすべてを傷つけてしまっている。……本当に、どうしようもない女だ。
それでも私は彼の上で踊り続ける。それだけが彼をこの場に留める唯一の方法だと、自分自身に言い聞かせながら。
☆
「あうー……腰痛い」
「慣れないくせに無理して大人ぶるからよ。馬鹿ねぇ」
「売れ残りのあおいに言われたくないわ……」
「追い出すわよ」
「ごめんなさい」
笑顔のまま、それでいて額に青筋を浮かべて拳を握り込む特機部二メインオペレーター友里あおい。彼女が纏う見た目以上の迫力に言い知れない恐怖を覚えた私は、ベッドにうつ伏せになったまま素直に謝罪の意を表明する。怒った時の彼女は、ある意味二課の中でも最強クラスに恐ろしいのだ。
年甲斐もなく枕元に置かれていたキツネのぬいぐるみをぎゅっと抱き締める。ジトッとした目つきから「藤尭さんに似ている」と指摘したら鬼のようにドヤされ、それからは私の所有物となっていた。なんでも、「傷心している歌姫に恩を着せたかったから」とかなんとか。情緒もへったくれもない発言ではあるけれども、彼女なりに私の事を気遣ってくれているのは重々承知している為、それだけで嬉しい。
例の事件の後、私は家に帰る気にもなれず、こうしてあおいの家に居候する様になっていた。二課に赴く用事があるときはここから出かけている。携帯端末には切歌や調から大量の着信、メールが届いているものの、最低限度の生存確認を除いて返信はほとんどしていない。……そんな気には、なれなかった。
未来から聞いた限りでは切歌と藤尭さんは既に和解を済ませているらしく、まだぎこちなさは残るものの今では二人で遊びに行ったりするようにもなったそうな。未来と響、クリスを初めとした装者達のサポートがあってこそだろう。
だけど、その中に私はいない。
というか、いったいどういう顔で彼女達に会えばいいと言うのだろうか。妹分を裏切り、状況を引っ掻き回しただけの私が。訓練でさえ司令と翼に無理を言って時間をずらしてもらっているというのに、自分から彼女達に会いに行くなんてできる訳がない。
「貴方、意外とメンタル弱いわよね」
「私はそもそも打たれ弱いのよ……いつもは虚勢を張っているだけ」
「虚勢ねぇ。でもま、それくらいギャップがあった方が男ウケはいいんじゃない? ほら、藤尭くんなんてそういうのあからさまに好きそうでしょ」
「そうかしら……」
制服に着替えながらどうでも良さそうに言ってくるあおい。彼の名前が出た途端、明らかに心臓が高鳴ってしまう。今は無理矢理関係を迫っているだけのくせに、「もし彼と結ばれたら」なんて有り得ないことを考える。もう、マトモな関係になれるわけがないのに。
「じゃあ私は出勤するから。貴女も訓練サボらずにちゃんと二課に行くのよ」
「分かってる……」
「鍵はいつものように郵便受けに入れておいてね。夜に私が帰ってなかったら……まぁ、晩御飯はお好きに」
「……面倒かけてごめんなさい、あおい」
「今更。こういうの慣れてるし問題ないわよ」
そう言って笑みを浮かべると、あおいはそのまま家を出ていく。残された私は特に何をするでもなく、ただ狐の人形を抱き締めながらぼぅっと天井を見つめていた。呆けた先に脳裏に浮かぶは、今朝方まで身体を重ねていた愛しい彼の姿。
「……朔也」
ポツリ、と呟くと、反応したように火照ってくる身体。下着とTシャツ一枚の状態であるせいか、手を伸ばすと何の苦労もなく秘所に触れられる。人差し指を動かせば、ぴくっと震える私の身体。
そのままシャツの裾をまくるように胸を揉むと、脳を貫くような快感が走った。昨晩の興奮が一気に蘇り、気が付くと夢中で自身の身体を慰めている。
「朔也っ……朔也っ……!」
他人のベッドであることも忘れ、声を荒げる。ブリッジのように徐々に腰を浮かせると、けたたましい水音が部屋中に響き渡った。下手したら隣の部屋まで届いているのではないかという程に漏れる嬌声。
彼に会いたい。彼と繋がりたい。彼と結ばれたい。
絶対に叶わないはずの想いだけが延々と募り始める。無理だと分かっているのに、どうしても諦めきれない自分がいた。
引っ掻くように、抓るように……足りない何かを埋める様にして全身を貪ると、一際大きな波が私の意識を呑み込んでいく。
「っ――――!」
身体が折れそうな程に仰け反り、限界まで息を吐き出す。呼吸困難になるんじゃないかってくらいに二酸化炭素を排出すると、頭の奥がチカチカと火花を出し始めていた。痺れるような快感に、思考回路が鈍重化する。
いつまでそうしていただろう。すっかり汗だくで布一枚纏っていない姿の私がそこにはいた。全身が快感の余韻に浸り痙攣を続けている。今や、呼吸をするだけでも体力を使う勢いだ。ぼんやりと霞む視界に映るのは、汗と液でぐっしょり濡れてしまった彼女のベッド。
「何やってるんだろ、私……」
突如として襲い掛かってきた鬱屈とした感情に、私は涙一つ見せぬまま呆けたように寝そべっていた。
☆
「大丈夫かマリア?」
「えぇ、ごめんなさい……少し調子が悪いみたいで」
「いや、それは見れば分かるが……訓練中も上の空だったようだし、今日はこのあたりで止めておこう。今のお前じゃ、足を捻るくらいじゃ済まない」
「そうね……」
変身を解除すると、優しく私の手を取って立つのを手伝ってくれる翼。対して私は集中不足が祟った結果、訓練中に右足首を捻って行動不能とかいうお笑い草にも程がある負傷をしていた。自分一人では立つこともままならず、彼女の助けを借りてようやく端の椅子に座る。
万一の為に備え付けられていた松葉杖を私に手渡すと、不安げな表情を浮かべる翼が口を開いた。
「やはり、藤尭さんと暁のことか」
「……それ、は」
「今更隠すこともない。私とマリアの仲だろう。共に戦場を駆け抜けた者同士、お前の気持ちを肩代わりさせてはくれないだろうか」
「……えぇ、そうね。でも大丈夫。もう少し駄目になったら頼らせてもらうから」
「マリア……今の貴女は、触れると折れてしまいそうだ」
「そこまでヤワじゃないわよ、私はね」
翼が普段の彼女らしくない心配そうな顔で私を気遣ってくれている。自分のことにはてんで鈍感なくせに、どうしてここのメンバー達は他人の機微には聡いのだろうか。おちおち沈んでもいられない。
これ以上心配をかけまいとまた一つ虚勢をつく。松葉杖を手に取り、そのままトレーニングルームを後にした。これ以上彼女といると、翼の優しさに甘えてしまいそうになるだろうから。
――しかし、私を阻む壁は、どうやらまだ続くらしい。
部屋を出た通路の先。地上へと繋がるエレベーターへの道の奥に、見覚えのある二人組がこちらを向いて立っていた。一人は黒髪、もう一人は金髪。幼い雰囲気を纏う彼女達を私が見間違うはずがない。一瞬喉が干上がったような錯覚に陥るが、何とか内面に留めると再び彼女達に視線を向ける。
金髪の少女が、今にも泣きそうな顔で私の名を呼んだ。
「マリア……」
「……切歌」
「心配、していたんデスよ。電話にも出ないし、家にも帰ってこないし……」
「……ごめんなさい」
「あの時の事なら、もう気にしていませんから。だから……帰ってきてほしいデス、マリア……」
「……ごめんね、切歌」
謝罪の言葉、ただそれだけを口にして彼女達の傍を通り過ぎる。
これは、チャンスだったのだろう。自分の非を認め、元の鞘に収まる為の。一度犯した過ちを償う為の、千載一遇のチャンスだったのかもしれない。
だけど、私にはできなかった。大人の対応で元の関係に戻る手段を、選択することができなかった。
だって、そうしてしまうと。
藤尭さんへの想いに、嘘をついてしまうことになると思ったから。
二人の横を通るべく杖を進めると、わずかに服が引っ張られる感触。流し目で見れば、目の端に涙を浮かべた切歌が私の服の裾を掴んでいた。彼女の泣き顔に心臓が握り潰されるような激痛が走る。どうして、どうして何も悪くない彼女がこんなに辛そうな顔をしなければならない。
「お願いデス……また、昔みたいに一緒に暮らしましょう……」
「……私にはもう、貴方達の保護者を名乗る資格はないわ」
「そんな、そんなこと……」
「――それに、こんな状態でいたら、間違いなく貴女を傷つけてしまう。だから……ごめんなさい」
「マリア――!」
悲痛な彼女の叫び声を最後に、小さな手を振り払うとエレベーターに乗り込み地上へと向かう。視線を向けることはない。これ以上彼女を見ていると、自分自身が崩れ落ちてしまいそうだったから。マリア・カデンツァヴナ・イヴという人間が、跡形もなく消え去ってしまいそうだったから。
……でも、何故だろう。
「っぁ……! ごめん、なさい……! 許して、切歌……! ごめん、なさい……!」
こんなにも涙と嗚咽が止まらないのは、どうしてなんだろう。