「しいな、お前だけちょっと来い」
「!?」
ライブ直前の舞台袖、プロデューサーに手招きされ、しいなは階段を降りる
「ここに入れ」
そこには透明なアクリルボックス
蝶番が嵌められたその一面が開かれ、しいなは中に入る様に促された
「???」
「もう直ぐステージだぞ!? 早くしろ!!」
プロデューサーの罵声に背中を押される形で、しいなはその透明な箱に収まった
「よし、除菌、消臭、消毒開始!」
プロデューサーの掛け声と共に、頭上から何かが勢い良く噴霧された
忽ち白い霞が狭いボックスに立ち込める
同時に強烈な刺激臭が鼻腔を突く
「きゃぁっ!? プ、プロデューサー!? だ、出して! 助けて下さい!!」
パニックに陥ったしいなは悲鳴を上げる
「ダメだ! しいな、最近のお前の体臭は異常だぞ! れいなとみいなからも苦情が出てる!」
「えっ!?」
「 恐らく脇の下の雑菌の繁殖が原因だ 本番前に徹底的に肉体洗浄する」
信じられない、といった瞳を向けるしいな
その漆黒には既に涙に潤んでいた
「信じられないのはこっちだぞ、しいな! いったい何を食ったらあんなにも臭うんだ!? お前はアイドルだろ? アイドルを何だとおもってるんだ!?」
プロデューサーは吐き捨てると、洗浄ガスの流量をマックス8にする
「ゴホッ! エボッ!? く、苦しい! 助けて! だ、出して欲しいです…!」
ガス濃度が急増するボックス内で、肺の痙攣が始まったしいなが、狂った様にアクリルの壁を掻きむしる
「苦しいか、しいな!?」
プロデューサーの声にしいなは何度も頭を振る
「その苦しみがれいななとみいなの苦しみだ! あいつらの苦しみを少しは理解できたか!?」
「………………」
しいなは力無くその場に崩れ落ちた
良家に生まれ、幼少の頃からお嬢様と呼ばれ傅かれ、長じてはアイドルとなり、どうしても無意識に自分を特別な存在と意識する様になった
深い森の奥に咲く一輪の白百合…
時節に流されず、何物にも染まらず、気高き気品を何時までも漂わせる白百合…
屡々そんなイメージを己に重ね、そして憧れていた
そんな彼女にとって、"何だか知らないがとても臭い女"という誹謗は耐えられないものであった
苦しい… 助かりたい…
だが、助かったとしてどうするのだ?
これからどんな顔をれいなやみいなに見せればよいのだ?
もう逸そ、死んでしまいたい…
そう心に呟いた瞬間、死神が嘲たかの様にガスの散布が終わり、アクリルの扉は開かれた
「くんくん… 少しはマシになったか…? ライブ中はあんまり汗をかくなよ! …よし、行け!」
非情なプロデューサーの声
しいなは幽鬼の様に立ち上がると、そのまま控え室に向けて歩み出す
「……よし、じゃんピンガールズしいな、強烈なワキガを苦にして引退… な? マスコミに広報するぞ 弟さんは明日も普段通り学校に通えるかな?」
「……………………」
暫く立ち尽くしたしいなは、諦観した様に面を上げると踵を返し、ゆっくりと舞台へ続く階段を登って行った
「……それでは聞いて下さい! 私達のテーマ曲! JUMP!」