「それでは会場のお二人、お願いしま~す!」
イヤホンにスタジオ司会の声が飛ぶ
キューが出されて、いよいよしいなの緊張はクライマックス8
「こ、こ… こんばんは! み、皆さん… 皆様、こんばんは! こ、ここは… 今日、ここは…!」
緊張すまい、と思えば思う程、頭の中が白濁していく
激しい喉の渇きを覚える
(しいなちゃん、落ち着いて…!)
中継班のディレクターがカメラの横で胸を叩き、そんなサインを送ってくる
それは読み取れるが、肉体と精神が承諾しないのだ
無理もない
今宵この瞬間、しいなは初めて全国ネットの、それもゴールデンタイムの生中継に登場したのだ
正解に言えば、じゃんピンガールズの面々がリポーターとなり、それぞれ各地の夏祭り会場からリポートしているのだ
「いやぁ~ こっちも凄く盛り上がってまよ~ さっきは花火も上がってね~」
まさに助け船
しどろもどろのしいなに代わり、彼女の傍らに佇む長身の優男が、さらりと現場の雰囲気を伝えた
今ブレイク中のイケメン俳優、小栗蒼汰…
当然、未だ無名のアイドルユニットが、ゴールデンタイムの特番でメインを張れる筈は無い
如何に枕を重ねても、それは流石に無理である
この特番の主旨は、今をときめくイケメン俳優三人が、日本各地の夏祭りをリポートするという物で、じゃんピンガールズは謂わばそのお供、お相手、画面の彩り、お口直し、刺身のツマ… といった、若くて器量良しなら別に誰でも構わないと言う、そんなありがちな役回りであった
それでも初の全国ネット生中継、じゃんピンガールズの面々は、大いに気合いを入れて望んでいた
「…あっちに行ってみようか、しいなちゃん」
「は、は、は… はいっ!」
台本でそれはしいなの役目だった
だが、しいなのカチコチを感じ取ったイケメンは、余りに自然な体で進行役を代行する
(……こ、こ、これでは… ま、まるで… デ、デ、デ、デート… デート… し、しているみたいです……)
……しいなの極度なカチコチ、その原因は全国ネットの生中継だけが原因ではなかった
もう1つの大きな要因…
そう、それは今、彼女の腰に手を添え、然り気無くも完璧なエスコートをして見せるイケメン… 小栗蒼汰の存在である
はっきり言って、好みのタイプ… と言うか、ど真ん中のストライクである
最早、赤面して顔さえ直視できない程のその存分が、緊張する自分を労り、気を回してくれているのである
あの小栗蒼汰が、自分に優しさをくれるのである
もうしいなは半分想像妊娠し掛かっていた
(……しいな! 汗! 汗…!)
今度のブロックサインは麻美である
じゃんピンガールズの中で最も心許ないと判断したプロデューサーにより、マネージャーの彼女がしいなに付き添っていたのだ
その彼女がしいなに汗を抑える様に促す
日が落ちたとは言え、熱帯夜確実な真夏の夜
加えて夏祭りの人熱れ、屋台の熱気、ライトの照射、そしてイケメンの労り…
浴衣姿にも関わらず、しいなの体感温度は50度に達しようとしていた
「……ふぅ~」
カメラを気にしがら、浴衣の袖を団扇代わりにして扇ぐ
(!!)
麻美が露骨に顔を歪める
懸念されていた事態の発生
発汗は化粧の崩れとテカりを生み、カメラ映りを著しく劣化させる為、女優、アイドルにとってはNGなのだが、しいなには他に重大な問題を生じさせる恐れがあり、それこそがプロデューサーにより麻美が付けられた理由でもあった
「……しいな、結構出ちゃってる」
CMに突入すると、透かさず麻美がしいなの浴衣の袖に手を突っ込み、デオドラントスプレーを噴射する
(う、う、うわぁぁぁぁぁ…………)
しいなは耳朶までも真紅に染める
幸い蒼汰はディレクターと打ち合わせをしており、此方に視線を向けてはいないが、ほぼ間違い無くしいなの強烈な体臭に気が付いた筈である
寧ろ、だからこそ敢えて視線を合わせない様にしている、そんな思い遣りとも感じられた
(あの天下のイケメンに、自分の恥ずかしい臭いを…!)
全身から火を噴くような恥辱を思い知る
それが更なる発汗を誘う
「ダメ、しいな! 涼しい事を考えて!」
1本を丸々使い切り、2本目のスプレーを噴射しながら麻美は叱咤する
「CM明けます、5秒前… 4… 3……」
「参ったな~……」
麻美は為す術無し、と言った苦々しい表情を浮かべてカメラフレームの外に出る
「……そ、蒼汰… さん! か、か、か、かき氷…! かき氷… 食べみゃ… 食べましょう!」
何とかギリギリ台詞を発せれた
台本ではここで、現地名物の天然氷のかき氷を食するのだ
しいなは麻美の先刻の言葉を思い出し、冷たいかき氷を想像して、何とか身体の火照りを治めようと努力する
「へぇ~ 美味しそうだな~」
冬に出来た天然氷を地下深くに納め、夏の今に掘り返してかき氷にする、贅沢な一品
『しいなちゃん、クイズ行って!』
ディレクターの掲げるフリップ
「あっ! そ、そうでした! 忘れていました、すみません! ク、クイズ! クイズです!」
これは地元ヨイショも兼ねた、良くあるベタなイベントのそれである
天然氷のかき氷に用いられるシロップを、目隠しした俳優に当てて貰う
この地は果物の産地でもあり、それらを用いたシロップも名物なのである
早速、ADが蒼汰に目隠しを施す
そして運び込まれる黄色いシロップのかき氷
カメラの向こうの世の蒼汰ファンから、猛烈な嫉妬と憎悪を向けられながら、それをスプーンで彼の口に運ぶのが、しいなの役目である
そのしいなの手元も、大きくカタカタと震えていた
殆ど放送事故寸前である
(……こ、こんな… まるで… カ、カ、カ、カップルさん… みたいな……)
そもそもそう言うシチュエーションである
あの憧れの小栗蒼汰さんに、私が"あ~ん"して差し上げている…
それを考えただけで、しいなの全身が強ばり、大量の汗が吹き出る
(しいな! ダメ! 涼しい事! 南極で真っ裸でかき氷!)
麻美が間抜けなオーバーアクションで、しいなに緊急非常冷却を行う様に促す
それ程差し迫った危機と言えたのだ
(…神様! …お願い! ……はいっ!)
一方のしいなは、そんな外野のサインに気付く余裕など皆目無かった
震える手に精一杯の力と祈りを込め、何とかスプーンを蒼汰の口に差し入れる
万が一でも手元が狂い、美しいその尊顔を傷つける事があれば、しいなは最早生きてはいられない
たとえ生きたくとも、熱狂的ファンに八つ裂きにされるのは間違いない
その最悪の事態だけは避けられた
「……さ、さ、さぁ… 蒼汰さん… こ、この… このフレーバーは……?」
何とか事が上手く運び、少しだけ落ち着きを取り戻したしいなは、台本に沿って彼にアンサーを求める
尤も、答えなど誰も求めてはいない
この地の名物が蜜柑である事は、番組視聴者の大半が認識しており、そしてかき氷を染めるシロップは黄色なのである
全ては予定調和
今をときめくイケメン俳優の口から、ご当地の名産の名をを響かせる事が、この企画の目的である
「……ん~~………?」
それでも一応、テレビ慣れした蒼汰は小首を傾げる
この辺りが、新人凡百のしいなとの違いでもある
視聴者を少しでも楽しませる事を、常に忘れないのだ
「…………えぇ? ……まさか… でしょ?」
だが、その人気絶頂イケメン俳優の口を突いて出たのは、番組視聴者の予想の遥か先を行く物だった
「……鯖の… 味噌煮?」
スタジオも固まった
(ウケ狙い……?)
だが、これでは余りにおバカキャラが過ぎる
小栗蒼汰には不必要な要素である
その微妙な空気を機敏に読んだのか、蒼汰は間を置かず続ける
「ちょ、ちょっとまって…… これ… アジの干物…… かな?」
かき氷のシロップに鯖味噌や干物などある訳が無い
イケメンらしからぬ、ダダ滑りのギャグである
「えっ… 違うの? えっと…… 納豆? 腐りかけの納豆?」
最早、意味が分からない
「……えぇ? なんだよ? 違うの? ……それじゃ、靴下だ! オッサンが3日履き続けた靴下!」
凍りつくお茶の間
あの小栗蒼汰が完全に壊れている
「あぁ、分かんないよ!? 何だコレ? ……ウンコ? ウンコなのっ!?」
「おいっ! カメラ止めろっ!!」
怒号が割り込み、テレビモニターには綺麗なお花畑の静止画が映された
しいなと麻美は、徒歩で中継先である夏祭りの会場を後にした
どうしてもロケバスに乗る勇気が無かったのだ
「……しいな」
ずっと啜り泣きを続けるしいなに、麻美は掛ける言葉を見つけられなかった
家に送り届けるまで実に7回、しいなは道路を疾走する車の前に飛び出そうとし、その都度麻美によって制止された
結局、色んな意味でとても1人にはして置けないとの配慮から、しいなは事務所で密閉したアクリルケースの中に収納され、その中で一晩を過ごす事になったのだった