雷鳴轟く嵐の夕刻、業務も終わり、ようやく腰を椅子から上げた近右衛門だったが、その矢先、無慈悲な着信音が学園長室に響き渡った。老人の持つ携帯電話には、自身の娘の名が表示されていた。すでに中学生になる子供がいる年齢だが、親にとってはいつまでも可愛い娘である。仕事の疲れもいくらか和らぎ、穏やかな気持ちで電話に出た近右衛門であったが……。
「何じゃと……!?」
その良い気分は一瞬にして吹き飛び、窓の外の嵐のような暗雲が老人の心に立ち込める。
「落ち着くのじゃ、落ち着いて一から説明せい……!」
嗚咽交じりに言葉を紡ぐ娘に一喝を入れる。その内容は親子の間だけで片付けられる問題ではないのだ。この日本で2つに別れた陰と陽、そのバランスが崩れるかもしれない重大な問題である。聡明な老人はそれを瞬時に察し、娘に厳しい言葉を投げかけた。
「そうか……、分かった。とにかくお前は彼の傍にいてあげなさい」
娘に伴侶としての務めを諭し、近右衛門は電話を切った。
「何ということじゃ……」
実の娘の口から語られた悲報、それは彼女の夫であり、近右衛門の義理の息子である男が賊に敗北し、意識不明の重態だというものであった。
近衛詠春――かつて魔法世界で起きた戦争を止めた英雄の一人で、名実共に最高クラスの剣士である。そして今は近右衛門が理事を務める関東魔法協会と対立状態にある関西呪術協会の長でもある。
その彼が敗れたということにより、2つの重大な問題が浮上する。1つは彼を打ち破るほどの腕を持つ者が少なくとも現在この日本にいるであろうということ。そもそも英雄と呼ばれる彼を超える者など極僅かしかいない。その者が日本にいようがいまいが脅威であろう。
もう1つの問題は関東魔法協会、関西呪術協会の対立状態の悪化である。東にとってはこれ幸いと攻勢に出ようとする者が現れることが予想される上、その賊が東の者だと疑う西の者も現れるだろう。
(はてさてどうしたものかの……)
2つの組織の和平を望む近右衛門としてはこの情報をそのまま味方に報告させるわけにはいかない。少なくとも賊の身元のおおよそが判らなければ、身動きがとりずらい状況である。だが、先程の話では賊の顔すら分からないという。
(まさか)
近右衛門の頭の中をある秘密組織の名がよぎる。かつて世界を破滅に向かわせようとした組織である。
(奴らならば詠春殿を負かすこともできなくもないじゃろうが……)
それにしては手口が大雑把すぎる、彼らではないと近右衛門は結論付けた。
(今はそれよりもこちらの警備を強めることの方が重要かの)
その賊がこちらを狙ってこないという保証もない上、西の暴走も危惧しなければならない。
しかも今は3月の末、もうすぐ新入生としてこの学園都市の門をくぐる者が大勢いる。彼らに危害が加わることは決して許してはならない。
老人はそう決意を固めた。その決意、考えが結果的に自身の首を絞めることになるとも知らず……。