(何だったんだ……、あの男は……)
深夜の女子寮、自室のベッドから起き上がりながら、少女――桜咲刹那は考える。内容は昼間見たとある少年についてである。
彼女は自身の希望と恩人の頼みにより、ある少女の護衛の任に就いている。といっても時間の空いているときに影から見守るだけ、というささやかなものではあるが。
(奴は、おそらく裏の者だろう。木乃香お嬢様を狙っているのか……?)
ある少女とは近衛木乃香のことであり、奴とはつまり、アカギのことである。刹那は昼間木乃香とアカギの接触を見ていた。最も見た限り、聞いた限りでは取るに足らないような、特に問題ない接触であった。
だが、刹那はアカギに言い知れぬ危険の匂いを感じていた。
(やはり学園長に相談すべきか……)
刹那は自身の評価として、実力はまだ未熟であるが、出自がやや複雑であることにより、人物や状況に対する洞察力、判断力はそこそこ優れていると考えている。またそれが優れていなければ話にならないとして、日々剣術の鍛錬と共に、そういったスキルを磨くことも怠ってはいない。
木乃香の持つ力は強大であり、とても魅力的なものだ。力尽くで利用しようとする者もいれば、懐柔や心の隙間に取り入る形で利用しようとする狡猾な者もいるだろう。そういった者達を退けるためにも、力以外の技術が必要となる。
本来ならば、木乃香のもっと近くでその任を全うできればいいのだが、彼女はその選択肢をとりたいと思いつつも、ある事情から踏み出せないでいる。
(私に分からないことでもあの人ならば見抜いてくれるだろう)
刹那はそれでも、アカギの全体像や実力を測れないでいた。自身の実力でどうにもならないのならば、昼間の内に近右衛門に相談していただろう。自身の実力でどうにかなりそうならば、警戒を強めるだけだ。
だが、分からないのだ。まるで靄がかかったかのように。裏の者特有の匂いは感じ取れなかったが、アカギが普通ではない、それこそ異端であるということは纏う気配から察すことができた。余事象的な考え。だからこそ、気持ちの悪い不安だけが残ってしまう。
(いけないな。そろそろこちらの方に意識を集中しなければ)
刹那は自身の愛刀を見つめる。これから彼女は学園の警備に回らなければならない。本来ならば生徒である者が警備をしなければならないということはないのだが、人手不足と経験を積むということで有志で参加を許されている。
京都からこの麻帆良に来てまだ1年しか経っていない刹那だが、以前はここまで警備に気合を入れて行くということはなかった。というのも、以前は本当に巡回をするというだけで、敵である妖の類はほとんど手練れの教師陣が相手をしていたからだ。
だが、最近になって状況が急変した。麻帆良に現れる敵の数が急激に増えたのである。そのほとんどが召喚された下級の妖怪である。そのため、生徒たちにも戦うことが求められる状況になってしまった。
麻帆良の外からでもある程度コントロールできる下級の妖怪を召喚している周到さや、それらが東洋の妖怪であることから、十中八九関西呪術協会の刺客だと考えられているが、確たる証拠がない以上こちらからあまり大きなアプローチはできない。
「龍宮、そろそろ行くぞ」
狸寝入りをしている同居人に声をかけ、刹那は愛刀を握りしめ立ち上がった。
「ん?」
男子寮の一室、入居者が奇数であったため、運よく1人部屋を引いたアカギは、外、遠くからある匂いを感じ取った。
「この学園は夜になるとドンパチ騒ぎでもやんのか……?」
そう、戦いの匂いである。常人には理解できない感覚。ほとんどの者が一生を懸けても得難い感覚を、この若さでアカギはすでにその身に宿していた。
「まぁ、俺には関係ねぇな」
否、関係も何もこの事態のほとんどがアカギの責任と言えるだろう。だが、表の世界の情勢にも、裏の世界の情勢にも興味のないアカギには全く知りえないことである。いかにアカギといえど、興味のない、判断材料のないものにはその才気を見せることはなかった。
「学園長、少しお話があるのですが」
「おお、刹那君か。どうしたのじゃ?」
まだ陽が昇るには早い頃、麻帆良の象徴ともいえる神木・蟠桃――通称、世界樹の麓で警備の指揮を執る近右衛門に刹那は話しかける。
人手不足であり、有志で募ったとは言え、生徒を陽が昇るまで警備に遣う訳にはいかない。生徒の仕事はここで終わりである。
刹那ら生徒や他の教師陣と違い、この老人は毎日警備の指揮を執っている。本来なら睡眠等大丈夫かと心配するところだが、仙人あるいは妖怪のようなこの老人には無用なものだ。
「木乃香お嬢様のことなのですが」
「何じゃと? 言うてみい」
いつもならまた刹那の過保護かと、飄々とした態度で向き合うのだが、今回の近右衛門は違う。詠春の一件もあってか、少々ピリピリしている。
老人の様子に少し違和感を覚えた刹那だが、それも些細なことであり、本題へと話を進める。
「昨日の昼間、女子中等部校舎の前で、どうやら裏の者と思しき男が木乃香お嬢様と接触したのを目撃しました」
自分たちの関係者ではないか、と一瞬考えた近右衛門だったが、すぐにそれを捨てる。刹那は既に味方の顔は把握しているはず、そうなるとやはり不透明な人物なのだろう。
「なるほど、詳しく話してみせい」
「は。名前はアカギ、どうやら男子中等部の新入生のようです。風貌の特徴としてはその頭髪の色でしょうか」
少し表情の曇った様子の刹那だが、その理由は近右衛門には分からない。
「白でした。色の抜けおちたような真っ白な髪……」
「ほぉ……」
自分の髭を撫でながら考える近右衛門だったが、すぐにあることを思い出す。
「待て。白髪じゃと!? それは真か!?」
老人は狼狽する。そう、この老人はつい最近白髪という特徴の者についての重要な情報を手に入れている。それを知らぬ刹那には近右衛門の狼狽が不思議でならなかった。
「な、何か重要な人物だったのですか……?」
刹那は恐る恐るといった様子で近右衛門に尋ねる。いつも飄々としているこの老人がここまで動揺するということは、それこそ、かなりの危険人物だったのではないか。刹那の顔から徐々に血の気が引いて行く。
「い、いや何でもない。おそらく問題はないじゃろうて。刹那君が心配するようなことは何もありゃせん。後は儂らに任せておくのじゃ。さぁ、今日はもう帰って寝なさい」
不安がる刹那を宥めるように近右衛門は言う。
「わかりました。では失礼します」
だが、刹那の不安は消えない。普通ならば、近右衛門ほどの人物にあそこまで言われてしまえば、大抵の人間は安心するだろう。しかしそれが問題なのだ。あの老人がああも人を安心させる言葉を並べ立てる、それがかえって刹那の心に暗雲が立ち込める原因となっていた。
自分が考えても分からぬと思いながらも、刹那は悩む。今夜は眠れないだろうと思いつつ、寮への帰り道を刹那は憂鬱な気持ちで歩き始めた。
刹那が立ち去った後、近右衛門は1人、ある可能性について考えていた。
(まさか、同一人物か……?)
詠春を打ち破った賊、それと先程刹那が話した男が同一人物ではないかという可能性である。本来ならば、紙ほど薄く、毛ほどに細い可能性。だが、この老人はその可能性にどこか確信めいたものを持っていた。
理屈ではない。ただの勘だ。しかしそれは長年磨き続けた、信頼に値するものだと近右衛門は自負していた。
(とにかく、調べてみるしかあるまい)
この麻帆良は、言うなれば近右衛門にとっては庭のようなものである。生徒1人に関して調べるなど簡単だ。
だが、すでに近右衛門はその先のことについて考えていた。もしあの賊が麻帆良の生徒だと知られたら非常にまずいことになる。それこそ爆弾を抱えているようなものである。
(もしもの時は……)
選択肢としては2つ。1つはこのまま賊の正体を暴かず隠し通すこと。詠春さえ目を覚ませば、あとは交渉で今の状況をどうにかできると近右衛門は考えている。そしてもう1つは……
(賊の首を、差し出すか……)