「ここで待っていろ」
『別荘』の一室をアカギに与え、エヴァンジェリンは再び歩き出す。
(たいした小僧だ……)
考えるのはアカギのこと。彼の持つ異常性。彼女はそれを己の経験で量ろうとしていた。
(奴は、おそらく無意味に死ねる……。生にも死にも、意味や理由を求めない人間)
大切な何かのために死ねる者はいても、何の意味も理由もなく、自分の死を受け入れられる者は少ない。
(それでいて、決して自分の舵取りを怠らない)
自分という船。それを制御する舵から絶対に手を離さない。どんな脅し、拷問を受けても、その命が尽きるまでその舵を握りしめているはず。そうエヴァンジェリンは考えた。その結果があの悪魔染みた咸卦法だと。
(だが)
吸血鬼は笑う。獰猛に。こんな笑い方をしたのは久しぶりだ。
(見誤ったな、天才)
勝てる。殺せる。自分を完全に制御、征服している天才が、唯一見誤っている大切なもの。それが突破口となり得るとエヴァンジェリンは確信する。
(見ていろ。お前のその、無敵の幻想。それをいつかがたがたに崩してやる……!)
「はぁ」
案内された一室。アカギは豪奢なベッドに寝転がり、考える。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。吸血鬼の真祖。悪の魔法使い。その本質を見極めようとする。何がこの女の核なのかを。
(寂しがりが……)
寂しがり。現在の彼女の中で最も大きなものだとアカギは考えていた。
おそらく、かつてはそれが原動力であったはず。孤独だったから、自分が強くあらねばならなかった。そして彼女の孤独は孤高になった。
(おそらくは14年前)
今から14年前、公式記録ではエヴァンジェリンは大戦の英雄、ナギ・スプリングフィールドに封印されたとある。
(その時からだろう。奴の孤高が変性したのは……)
孤高だった彼女に何かしらの転機が舞い降りた。そして他者との繋がりを手にした。
しかしその繋がりは希薄で、中途半端なものだったのだろう。少なくとも、彼女は満足できなかった。乾ききった身体に水を数滴与えてもほとんど効果はない。だが、彼女は味をしめてしまった。そして、他者との繋がりの味、この学園の雰囲気、様々な甘さが彼女の孤高を孤独へと、孤独から寂しがりへと変化させた。
(だからお前はあの剣士を放っておけなかったのさ)
それがアカギを確信へと至らしめた。一を聞いて十を知るように、少しの匂いから相手のイメージを増大させていく。
エヴァンジェリン自身は刹那への扱いを、強者が弱者に手を差し伸べるような、チャンスを与えるようなものだと思っているだろう。弱かったころの自分を見ているようで反吐が出る、などと言うかもしれない。
だが、アカギはそれを弱者が自分の同類を求めているようなものだと考えた。放っておけないのだ。自分と近しい存在を。理解し合い、繋がることができるかもしれない存在を。
もちろんそれは悪いことではない。支え合うこと。生きる上で重要なことだ。しかし、エヴァンジェリンは目を背けた。悪いことでもないのに、それを自分の弱さだとして、無意識に目を背けている。
(お前は『吸血鬼』という不死の要塞に守られた寂しがり。その強固で広大な要塞の中、孤独に苛まれている哀れな子羊に過ぎない……)
彼女は自身の経験、知識、力でその要塞をより強化してきた。だが、強化すれば強化するほど、彼女の元まで侵入してきてくれる者は少なくなる。
アカギは知る由もないが、だからこそエヴァンジェリンは愛し求めたのだ。その要塞へずかずかと、土足で入り込んできたある男を。
(今に見てな……。お前をそこから引きずり出してやる。その時がお前の破滅、そして……、お前の心が満ちる瞬間だ……!)
「ここは……?」
京都、関西呪術協会総本山。とある一室で1人の男が目を覚ました。
(傷は……、まだ完治はしていないか)
近衛詠春、この地の長である。
(やはり、私は敗れたのか)
思い出すのは1人の少年。自分を負かした者のこと。
(アカギ君、だったか。強かったな、彼は)
詠春はアカギが自分に重傷を与えたことに関して、怒りや恨みなどの感情は持っていなかった。
侵入方法こそ不法なものだったが、アカギは詠春に対して決闘を申し出た。不意打ちや襲撃ではなく、決闘を。詠春はそれを承諾した。剣士としての血が、アカギと闘いと騒いだ。それほどアカギから強烈な『強さ』を感じ取った。
一組織の長としては失格だと、詠春は自覚していたが、それでも彼に怒りや恨みは抱かない。決闘で自分を負かした相手にそんな感情を抱くなど、剣士としての自分が許さない。
だが
「彼は……、危うい……」
(身体が、重い……)
刹那は足取り重く、森の中を進む。
(重い……)
肩に背負った太刀が重い。元々重いものだが、今は実際の重量以上に刹那の肩に負担を掛ける。恩人から譲り受けた剣。大切なものを護るための刃。弱々しい今の刹那には荷が勝ちすぎる代物だ。
「ここか……」
エヴァンジェリンに渡された地図通りに、目的地へ着いた刹那。すると、そこに建つログハウスから見知った顔が出てきた。
「絡繰さん……」
「お待ちしていました。中へどうぞ」
先程のアカギと同じように、茶々丸は刹那を家の中へ、そして地下室へと案内する。
「これは?」
「マスターの別荘です。この中でマスター達がお待ちです」
気乗りしないが、あの吸血鬼に逆らえば、何をされるか分からない。
「……」
水晶の前に立った刹那の目の前が真っ白になる。
「来たな。早速だがついてこい」
気が付けば南国のリゾート風の空間へ来ていた。そこで刹那を待っていたのはエヴァンジェリン。何か問う気力さえなく、刹那はただエヴァンジェリンについて行く。
「ここだ。生憎私は言葉を持ち合わせてないのでな。お前のことはここにいる奴に丸投げする」
言うだけ言うと、エヴァンジェリンはどこかへ消えてしまった。相変わらず行動が読めないが、そもそも自分の頭では彼女の考えを読むこと等できないと、刹那は目の前の扉に集中する。
(まさか)
嫌な予感がする。そして、刹那の頭でも少し使えば、ここにいる者の正体は大方見当がつく。
刹那は自身の剣を持ち直し、その扉のノブへ手を掛ける。
「やはり、貴様か……!」
扉を開けた先にいたのはアカギ。椅子に座り、呑気に茶菓子など口にしている。
「どういうことだ、これは……!?」
「ああ、ちょっと腹が減っちまってな」
その言葉に刹那の怒りが高まる。
「まぁ、そこに座りなって」
アカギが提案する。しかし、刹那はそれを受け入れない。
「ククク、まぁいいか」
「さっさと用件を話せ!」
こんな男とは一分一秒も一緒にいたくないと、刹那はアカギに先を促す。
「随分と落ち込んでるようじゃないか」
「誰のせいだと思っている……!」
今すぐ叩き斬ってやりたいと思う刹那だが、それができない。また先日のようなことになってしまうのではないかと恐れている。
「やれやれ……。では質問しよう。あんたは何のために生きている?」
(今度は哲学の話でもするつもりか……?)
疑念を抱く刹那だが、こればかりははっきりと答えなければならない。これを曲げれば自分が自分ではなくなってしまう。
「木乃香お嬢様のためだ!」
きっぱりと、そう答えた。この男は笑うだろうか、否定するようなことを言ってくるだろうかと、刹那は心の警戒を強める。
「なるほど。では何が一番恐れている?」
そんな警戒も空しく、アカギは刹那の心へ刃を突き立ててくる。
「そ、それは……」
言葉に詰まる。それをお構いなしに、アカギは追撃の手を緩めない。
「大切な人に、自分の存在を否定されるのが恐いか?」
核心を突いてきたアカギに、刹那は遂に剣を抜き、激昂した。
「そうだ! 私は恐い! 自分が烏族との混血だと知られるのが、木乃香お嬢様に非難されるのが、何より恐ろしい!」
怒りと共に、悲しみが、涙が押し寄せてくる。
「笑うか? 弱いと。蔑むか? 結局自分が可愛いんじゃないかと!」
ここまで来ればもう止まらない。弱気で卑屈な言葉が止まらない。土砂のように流れ出てくる。
「私は……、生まれた時から否定され、非難されてきた。両親には愛されこそすれ、その両親が死んだ後は、里の者から疎まれ、そこから逃げ出した」
彼女は色が違った。周りと。決して交わらない色。それを持って生まれてしまった。
「だから恐いんだ……。あの目を知っているから、木乃香お嬢様にあの目を向けられるのが恐い……」
「確かに弱い。そして自己愛も確かにあるだろう」
アカギが口を開く。刹那の表情が絶望に変わる。本当は否定してほしかった。大嫌いな男でも誰でも良いから自分の嫌な部分を否定してほしかった。
「だが何で信じられないかね……。あんたは、あんたが守りたいと願う人より、あんたを疎んだその故郷の奴らの方を信じている」
その言葉にハッとする刹那。確かにそうだ。正論だと刹那自身も感じた。だが
「それでも……! 万が一……、万が一にも! 木乃香お嬢様に自分を否定されると思うと……。もしそうなったら、私は生きてはいけない……!」
頭では理解している。だが、それでも拭えない。万が一にばかり目が行ってしまう。足が竦んで前へ進めない。
「ククク……。その万が一だと自分で分かっているじゃないか。万が一の失敗なんてそれこそ大通しさ。迷わず命を賭けられるものだと思うけどな」
「それこそ貴様に何が分かる! 傍から見てるだけだからそう言えるんだ! 言うだけなら誰でもできる……!」
刹那は理解していた。今正しいのは自分ではなく、目の前の男であることを。自分が臆病なだけであるということを。
「そうか。そうだな……。言うだけなら誰でもできる……! 全く以ってその通りだ……!」
その言葉に刹那の心が抉られる。自分のただの八つ当たりを、この男はその通りだと言う。それがたまらなく屈辱だった。施しを受けているようだった。
「ならば行動で示すとしよう」
そう言うと、アカギは立ちあがり、ベッドの小脇に置かれている袖机からあるものを取り出した。
「なんだ、これは?」
それは小さな悪魔像。掌に乗ってしまうようなサイズだ。
「背水の陣という言葉は知っているか? これはその効果を現実的にするためのものだ。言わば、自分との契約。自分で目標を設定し、それが達成できなければ、それ相応の対価を支払う。ただの酔狂さ」
アカギは説明しながら、それを机に置き、椅子に座り直す。
「長く生きてると色んなものを持っているものだよな……、さすがは吸血鬼の真祖といったところか。潔く貸してくれたぜ。そしてこのコイン……」
アカギはポケットから1枚のコインを取り出した。
「俺が設定した目標はこのコインを投げ、表を出すこと……」
そのコインをアカギは自分の親指に乗せる。
「失敗した時の代償は、俺の命……!」
「なっ!?」
意味が分からなかった。とにかく止めるしかない。刹那はそう思った。
「ま、待て! 何を言っているのだ、貴様は!?」
刹那の声にアカギは手を止めたが、その表情は全く揺れない。
「こんなことをして、貴様になんの得があるというのだ!?」
必至にやめさせようとする刹那。いくら気に食わない男でも、目の前で人が死ぬかもしれない状況を黙って見過ごせるほど、彼女は冷血ではなかった。
「ククク、得か……? 確かにない。だがな、他者の意志を捻じ曲げようと、従わせようと思ったら、これはもう、こちらも骨身を削るしかない……!」
「まっ――」
小さな音が鳴った。人の命運を左右するにはあまりにもか細く弱々しい音。
「ッ!」
刹那は息を呑む。そしてコインがアカギの手の甲に着くまでの間、神に祈った。裏は出ないでくれと。刹那はアカギの命に必死になっていた。
パシンと、手の甲を叩く音が響き渡る。すでにアカギの手は重なっている。この手の間に、人の命を乗せたコインがあるのだ。
刹那はそれを、瞬きすら忘れて凝視していた。裏が出れば死。この男は死んでしまう。それも驚くほどあっさりと。
アカギが手を開けるまでの間、実際は短い時間だが、刹那には永遠にも等しく感じられた。
そして、運命の扉が開かれる。そこで待つのは勝利の女神か、それとも地獄の使者か。
そこには
「はぁ~……」
刹那は思わずその場にへたり込んでしまう。
そう、安心ゆえに。
コインは表を向いていた。この泥船は人を乗せて無事海を渡りきったのだ。
「ククク……。情けねぇな、他人の命くらいで」
アカギは落ち着いている。死への恐怖も、生還の安堵もそこにはない。ただの事象として受け止めている。
(狂っているっ……!)
おろおろとしていたのは刹那だけ。命を賭けた当の本人は全く揺れていない。
「次はあんたの番だぜ?」
その言葉に刹那の心臓が跳ねる。まさかあの綱渡りを自分にやらせようと言うのかと。
「勘違いするなよ? あんたがやるのはもっと簡単なことだ。近衛木乃香が自分を受け入れてくれるかどうか、それに命を賭けてもらう」
「なんだと……!」
「ああ、だがこいつはあんたには必要ねぇな……」
アカギは契約の悪魔像をベッドの上に放り投げる。
「どういうこと、だ……?」
あれがなくては奴の言う賭けはできないのではないかと、刹那は疑念を抱く。
「ククク、そりゃそうだろ。さっきあんたは言ったよな? 木乃香お嬢様に自分を否定されたら生きてはいけない、と……」
確かに刹那はそう言った。そしてそれは紛れもない本心。
「なら必要ねぇだろ……! 失敗すれば、否定されれば生きてはいけないんだろ……? つまりあんたはこんなもの使わなくても、勝手に死んでくれる」
刹那は恐怖を感じた。先程までとは違う、現実感のある恐怖。死がすぐ後ろまで迫ってきている、そんな錯覚に陥る。
「何もいますぐにとは言わない。5年後でも10年後でも、まぁ俺が生きている内に済ませてくれればいい。俺はただ、いつか打ち明けるという意志を確認したい……!」
アカギはさらに続ける。
「あんたの近衛木乃香に対する忠誠、友情は誇っていいものだ……! 俺みたいな自己中心的な悪党、チンピラには一生真似できねぇ……!」
刹那の眼から涙が流れ落ちる。自分の中の何かが満ちていくような、そんな感覚だ。
「そしてその忠誠、友情はあんたが自分の意志で手にしたものだろう? その必死になって手に入れたものが、あんたが生まれ落ちた時から既に手にしていたようなもの、故郷の同胞が忌したようなものに負けるとは、どうしても思えねぇ……!」
刹那はアカギの言葉を聞いていた。粗悪だが、その言葉の真意は確かに刹那の心の暗雲を晴らしていく。
「だから、安心していい……! あんたが命を賭けると選んだ友を信じてやれ……! 自分の判断に、命を委ねてみろっ……!」
刹那の涙は止まらない。既に剣を落とし、両手で必死にその流れを止めようとするが、止まらない。心が満ちていくにつれ、行き場を失った涙が溢れているようだ。
「あ、ありが……、あり、がとう……!」
嗚咽交じりに刹那は礼を言う。はっきり言って、この男に対する悪印象は完全に消えてはいない。
(この男は、私を勇気付けるために、態々命を賭けるような真似までした……!)
万が一と自分でも理解している失敗の可能性。そんなものはアカギの行った2分の1の死に比べれば、それこそスズメの涙にも満たない。それをアカギは身を以って証明した。
そんなことをされては感謝せざるを得ない。礼の言葉を口にするより他はない。たとえ相手が悪党だったとしても。
「おいおい、ちょっと泣き過ぎだぜ。水分補給だ。これでも飲みな……」
子供のように泣きじゃくる刹那に、アカギは刹那に綺麗な琥珀色の飲み物の入ったグラスを渡す。そして、刹那は何の疑いもなく、それを喉へと流し込んだ。
「んん!?」
瞬間、刹那がその液体を吹きだした。
「こ、これ、ひゃ、さけじゃない、か……!」
「ククク……、麦茶だとでも思ったのかい?」
無理もない、今刹那は判断力を低下させている。最初にアカギが茶菓子を食べていたこともあって、緑茶でないのは色で分かったが、それを麦茶だと思っても不思議ではない。しかし、実際にアカギが渡したのは高価な焼酎である。
「き、きさま。ころしてやるっ……!」
刹那は剣を手に取り、アカギに対して振り回す。一太刀もアカギには当たらない。だが、刹那の目にはつい先ほどまでの暗さは消え、清々しいほどの晴天のような、そんな光が宿っていた。