「風見、後のことは任せた。」
「はい!お疲れ様です!」
時刻は午後8時。仕事を予定通りに終わらせることが出来た。
いつもならもう少し資料に目を通している時間だが、今日だけは部下を残して退社する。
エレベーターを待つ間、すれ違う者皆が声をかけてくれる。
きらきらとした瞳を向ける者や、感情のない灰色の瞳を向ける者、様々だが、君たちの目に、今の俺はどう映っているのだろうか。
いつも通り、降谷零を演じられているのだろうか。
「っ、降谷さんお疲れ様です。どちらで降りられますか?」
「ああ、地下駐車場まで頼む。」
到着したエレベーターに乗り込むと、曇りのないきらきらとした瞳が一人声を掛けてきた。
降りてきたエレベーターに乗っていたのにも関わらず、階数が点灯していないボタンを見たところ、乗り続けているということは、降りずにここに留まったのか。
ああ、こいつは降谷零を尊敬しているのだろう。部下の一人なのか、それとも、他所の部署か。
「っあの、僕も降谷さんのような、この国を守れる立派な人間になりたいと思っていて・・尊敬しています!」
「・・・そうか。これからも精進してくれ。期待している。」
チン、とベルが鳴ると同時に扉が開く。
冷静な声色だが、少し笑みを浮かべてやると、この青年は太陽のように笑って見せた。
降谷零に励ましの言葉を貰えた、それが嬉しいのだろう。とても分かりやすい奴だ。
静まり返る地下駐車場には降谷の革靴の音が響き渡る。
キーケースから車のキーを取り出すと、慣れた手つきで車へと乗り込んだ。
スリップ音を立てながら、駐車場を抜けていく。
地上に出ると、曇り空が広がっており、ぽつぽつと小雨が降っている。
「また、雨か。」
昨年も雨が降っていたな、と独り言を呟いて車を郊外へと走らせていく。
搭載されているカーナビにも行先を入力せず、数十分で先程まで自分が居たビジネス街とは全く違う殺風景な景色の中で車を停める。
ぬかるんだ地面を歩きながら目的地に着き、地下に繋がる細い階段を降りていくと、そこはライブハウスが併設されたバーだった。
丁度ジャズが演奏されており、ムードは出来上がっている。人もそこそこに入っているようで繁盛していた。
「バーボンを頼む。」
「はいよ。」
ステージに照明が集まる中、辺りの照明が落とされた暗がりなバーカウンターの端に腰かけて注文する。
マスターは静かに返答すると、何も言わずにバーボンをストレートで用意した。
以前は頻繁に来ていたが、ある時から年に一回しか訪れなくなった客の好みを未だに覚えてくれている。
出されたバーボンを飲み干すと、ビリっと、むせ返るような、焼ける感触が伝わってくる。
ウィスキーは普段から出来る限り飲まないようにしているせいか、体が熱くなる感覚がどこか懐かしい。
「マスター!次は・・・」
「スコッチ、だろう?」
暗闇から、低くとも耳通りの良く、芯の通った声が聞こえた。
客はほとんどステージに夢中だ。その中でもすぐ後ろに立っていた人物に気が付かなかった。いや、気配を殺していた奴に気付けなかった。
声が出るよりも先に、奴は隣の席へ座った。何勝手に座ってんだ、どの面下げて今ここに、俺の前に出てこれたんだ、言いたい言葉は山ほどある。だが、バーボンに支配された喉からすぐに音が出なかった。
「ライをいただけるか、マスター。」
「もう用意できてるよ。」
用意がいいな、と言って酒を受け取る奴の風貌は長かった髪が短くなったことを除けば、共に組織で働いていた時とほぼ同じだった。
この世で今、最も憎んでいる男。あれからずっと接触するタイミングを探していた。
「ライ・・いや、赤井秀一と呼ぶべきか?よく、俺の前に顔を出せたな。」
「君は相変わらずだな。ではこちらも、安室透くん、とでも呼べばいいか?」
バーボンと同じくストレートで出されたライを飲む赤井に、震える体を抑えながら吐き捨ててやった。
まるで挑発に乗るかのように返された言葉に、思わず立ち上がりそうになるが、マスターによって用意された二杯目の酒、スコッチが視界に入った瞬間、気持ちを抑えつけた。
そうだ、今ここで騒ぎを起こしてはまずいだろ、と自分に言い聞かせる。悔しさから食いしばる歯がギリギリと唸る。
「まあ、安室くん。言いたいことはわかる。だが、今だけは勘弁してくれないか。」
「貴様・・本当にどの面下げてきたんだ。今日が何の日か、わかってるんだろうな。」
暗がりの中、スポットライトの明かりを逆光に受けた奴の表情はうまく読み取れなかった。
「スコッチの命日だな。」
赤井は、一言呟いて、煙草に火を点けると深く吸って、吐き出した。
そうだ、今日は大切な同僚で仲間、そして親友だったスコッチの命日だ。
ここは、スコッチの生前、俺とスコッチとライの三人でよく来た店だった。
だが、スコッチが死んでから、俺は一年に一回、スコッチの命日の今日にだけくると決めてきた。
この場所でスコッチを飲んで、今まで懺悔し続けてきたんだ。俺がもう少し早く駆けつけていたら、こいつに殺されることはなかった。
スコッチを殺した張本人が、スコッチの命日を覚えていながら、思い出のこの場所に来ている。
震えが止まらないほどの怒りに今すぐにでも殺してやりたいぐらいだ。
そんな怒りに震える彼を横目で見ながら、言葉を選ぶように静かに洩らした。
「君が毎年ここに来ているのは知っていた。
毎年、同じ酒を酔いつぶれるまで飲んでは、泣いていたのも知っている。」
「どういうことだ・・・!」
「君と同じ気持ちだ。俺も毎年ここに来て、懺悔していたんだ。深くは言えないが、君と同じだ。」
ゆらりと、蒼い瞳が揺れ動いた。
毎年この場所に奴も来ていたことへの驚きと、近くに居たのに気付くことが出来ないでいた自分への悔しさと、俺と同じ、という言葉に酷く怒りを覚えた。
様々な感情が沸き上がり、言葉が脳内を駆け巡るも、衝突し合って口から出てこない。ただ、体が熱くなった。
何の言葉も出てこない自分への歯がゆさから、目の前のスコッチを一気に飲み干し、そのまま、奴の胸倉を掴んだ。
「貴様・・・!!!次に会ったときは、必ず殺してやる!!」
「バーボン・・」
「ここで、僕をその名前で呼ぶな!!!!」
彼は金髪を激しく揺らしながら吐き捨てるように叫んで突き放した。
スーツのポケットから札を取り出し、釣りは要らない、とマスターに告げながらカウンターに置くと店を飛び出した。
地上への階段を上ると、小雨は豪雨になっており、みるみるうちに彼のグレーのスーツが濃い色に変わっていった。
行き場のない渦巻く感情から、足元がおぼつかない。力が入らない。
しばらく歩けば、溝に足元がとられ、へたりとその場に座り込めば容赦なく冷たい雨は打ち付けてきた。
空を見上げると、どす黒い空が広がっており、雨が目に入ってくる。それでも、目を閉じることはなかった。
「なあスコッチ、俺、仇取れなかった。」
「あいつ、おまえを殺しておいて、俺と同じだって言ったんだ。」
「本当、ひどいよな、なあ、スコッチ・・・!!」
辺りは地面に打ち付ける雨の音以外なにも聴こえない。
目に入る雨の痛みが、溢れ出す感情と相殺するように感じた。
誰にも聴こえない、誰にも見えないから、今だけは叫ばせてほしい。そして、涙を流させてくれ。
しばらく、彼は、どす黒い空に向かって、蒼い瞳を向け続けた。
・
安室くんと今日ここで接触を試みようとは以前から決めていた。
あの日、俺は、救ってやれたかもしれない仲間を自害させてしまった。
自責の念で数年前ここを訪れたときに偶然安室くんを見かけ、気配を殺して様子を伺っていたが、酔った君の懺悔はあまりにも救いがなかった。
その翌年も、同じように泣いていた。普段なら、俺の気配にも気付き兼ねない君が、全く気付くことが出来ないほどにだ。
安室くんには、俺を恨んで、憎む感情だけを抱いていて欲しかった。大切な仲間を失ったのに、自分を責めるようなことをして欲しくなかった。
なのに、目の前の彼は、涙を流して自分の不甲斐なさを責めていたのだ。
「君と同じだ、という言葉は、軽率だったか。」
君が一人で背負う必要はない、と言いたかった。俺も酷く後悔して、懺悔していることを伝えたかった。
だが、真相はまだ話せない。この先、話す時が来るのかどうかもわからない。
話してしまえば、より君は、独りになってしまうだろう。
煙草を吸っては先がじりじりと燃え、煙とともに灰になっていく。
視界が灰色になる度に、あの頃のここでの記憶が蘇る。
「いつもの、スコッチ、用意致しましょうか?」
「・・・いや、今日はいい。ライだけで、結構だ。」
ここでは、ファーストドリンクはコードネーム。
いつか、スコッチが決めた暗黙のルールだ。二杯目以降は好きな酒、だったな。
だが、今日はおまえの大切な親友をさらに悲しませてしまった。飲んで懺悔することすら、憚れる。
マスターに支払いを済ませると、お気を付けて、と声が掛かる。ここのマスターは何も変わらず、何も聞かずに居てくれる。
有難い、と思いながら扉を開いた瞬間、先程まで流れていたジャズがロックに変わった。
ベースの激しい重低音のソロが響き渡る。一音一音が強く、地面や壁を伝って体中に流れ込んでくるのを感じた。
とても懐かしい、力強いこの響きが俺を奮い立たせようとさせているようだった。
「いつか、バーボンでも、安室くんでもない彼を連れて、ここでスコッチを飲めるように頑張ってみよう。」
扉を閉めながら小さく呟いた決意は、どす黒い空の切れ間から少しだけ見え隠れする蒼色をしっかりと見据えていた。
・
あれからどれくらい、経ったのだろうか。気を失っていたのか、眠っていたのかわからない。
水や泥を吸ったスーツが不愉快だ。ふらふらと車を目指して歩く中で感情が入り乱れていることに気付いた。
今の俺は、安室透だ。これが終わるまでは、降谷零は演技でなければならない。あくまでも、俺は安室透だ。
それは赤井秀一に対してもそうだ。だが、今日の俺の対応は、安室透ではなく、バーボンだった。
最近、どれが本当の自分かわからなくなってきている。感情のコントールもままならないまま、トリプルフェイスを演じることが怖い。
「本当の俺を知ってるおまえが居なくなったら、もう・・。」
零、と、もう一度呼んでほしい。
心から笑い合える瞬間が、とてつもなく恋しい。
いつかまた俺は笑えるようになるのだろうか。いや、そんな日を俺だけで迎えてはいけないのだろう。
救えなかった俺に、救われる先はないのだとわかってる。
それでも。
―――――名前を呼んでほしい