長い、長い戦いが終わった。
内部へ潜入した俺達や、外部からのFBIを始めとする多くの人物の尽力によって、組織は壊滅した。
壊滅する頃には、組織内部では裏切りが蔓延り、まともに機能していなかった。
だが、この長い戦いの中でどれだけ多くの命が奪われ、危険に晒されたか。
内部の第一線で戦ってきた俺は、多くの仲間の命が奪われる瞬間と立ち会ってきた。
それも、全ては組織を壊滅させる為。そのために、戦ってきたのだ。
安室透として、バーボンとして生きた俺は、否、僕は、組織壊滅と共に消え去った。
「あ~~風見~~、今日は晴天だな~。」
「降谷さん!手を動かして下さい!」
俺は今日も、大切な俺の日本を守っている。
組織壊滅の成果を上げたせいで大きく出世した俺は、現場に行くこともなく、机に積まれた書類と向き合うことが増えた。
どっしりとした大きな机は俺には広すぎるように感じる。
ふと、目線を上げると雲一つない青空が視界に入った。俺の机に書類を運びに来た風見に声を掛けると、サボるなと怒られる。
「おまえ・・反抗的になったな。」
「降谷さんは出世されてから、以前までの張り詰めた緊張感が消え去りましたね。」
溜息を吐きながらこちらを見る風見に、いろいろあったからな、と笑って見せる。
相変わらず眉間に皺を作る風見は、俺の目の前に缶コーヒーを置いた。
風見が俺になんて、珍しいこともあるんだな、と部下の優しさに心を打たれながら受け取ると、机の上に積みあがっていた書類の束がごっそりと奪われる。
あれ程、毎日目の前の書類と向き合わせようとしてきた部下の行動に驚きながら、書類の束を持つ後姿を見つめる。
「・・今日が何日なのかぐらい、流石にもう覚えましたよ。」
時間は、終業時刻丁度だった。勿論、こんなに早く仕事を終わらせて、丁度に退社したことはなかった。
いくらなんでも、部下に仕事を押し付けて帰るわけにはいかない。
声を掛けようとした時に、社内電話が鳴った。俺よりも早く受話器を取った風見は、ちらりと俺を見る。
恐らく俺宛ての電話なのだろう。代われ、とジェスチャーを出すも、風見の口からは、本日は既に退社致しました、と発せられた。
受話器を置いた風見は、すかさず詰め寄り、早く行って下さい、と続ける。
「・・悪いな。」
「やっと大きなヤマが終わったんです。今日くらい、ゆっくりしてきて下さい。」
眉間の皺を寄せながらも、薄く微笑んだ風見と、辺りにいる部下に手を合わせる。
鞄と上着、後、風見から貰った缶コーヒーを片手に部屋を後にした。
少し小走りになりながら、地下駐車場を目指してエレベーターへと向かう。
すれ違う人の殆どが、今では俺の部下だ。皆が気楽に俺の名前を呼び、声を掛けてくれる。その目はどれも輝いたものばかりだ。
降谷さんお疲れ様です、と声を掛ける部下たちに、振り返って労いの言葉を掛ける。どの目も太陽のように輝いている。
晴れ晴れしい気持ちでエレベーターへと乗り込むと、一気に地下駐車場へと向かった。
「降谷さん、今日は早いですね。」
「ああ。大切な約束があるんだ。」
ガードマンと軽い挨拶をすると、車へと乗り込む。エンジンを噴かせて、アクセルを踏む。
時刻を確認すると、約束の時間まで数時間早かった。寄り道でもするか、とハンドルを切る。
音楽でも流そうと思い、音量を上げて好きな曲を流す。シャッフルで選曲された曲は、何年も前に、まだ若かった頃に好んだ曲だった。
自然とハンドルを握る手に力が入る。その曲を聴いていると、親友と共に汗を流した日々を思い出す。
親友は俺にとって、戦友でもあった。俺は、バーボンとして多くの命が消える瞬間を見つめてきた。
そして親友もその中の一人になった。あの頃の俺は無力だった。その後組織の上層部を逮捕することに成功し、初めて、親友は殉職したのだ。
自由の身になった俺は、親友の死を調べた。だが、闇に葬られた親友の死を調べることは容易ではなかった。
遺体も既に灰になり、何も残っていない。それでも、調べ続けた結果、親友の最期を見ていたという組織の人間からの証言を得た。
赤井は殺していなかった、その事実に俺の心は揺らいだ。この事実を知ったのはつい最近の話だ。
「マリーゴールドで花束を作って欲しい。」
車を停まらせて、花屋に寄る。色とりどりの花に囲まれた空間で、店員の女性へ告げると、にこやかな笑顔が返ってきた。
しばらく時間が必要らしく、椅子に腰かけて仕上がりを待つ。窓の外には青空にオレンジ色が差し掛かってきている。
「どういうことだ!あいつは、赤井が殺したんだろう!」
「違う!ライは、スコッチを止めようとして、そこにバーボンがやってきたんだ!」
目を瞑ると、先日、取調室で叫んだ男の顔が浮かぶ。これが事実なのかどうか、今日直接問う為に、あいつと会う約束をした。
新一くんから聞いた赤井の番号に電話を掛けた時、心なしか赤井の声が弾んでいるようだった。
勿論、まだ親友の死については触れていない。赤井の口から直接事実を確認したいと思った。
しばらくすると、目の前にオレンジ色の綺麗な花束が出来上がっていた。受け取り、支払いを済ませて、車へと乗り込む。
助手席に花束を置くと、音楽は好みの曲に変更してから、アクセルを踏んだ。
・
目を開いて、枕元に置いた時計を見る。確か、降谷くんとの約束は夜だった。
それにしては早く起き過ぎたか、と頭を抱えながら体を起こす。
昨日、徹夜で仕事をしてきた体は、軽く動かすと節々から音が鳴った。
予定ではもう少し眠るつもりだったが、起きてしまったからには仕方がない。
「降谷くんに会う前に、済ませておくか。」
顔を洗い、服を着替える。遮光カーテンを開けると、青空が広がっていた。
その眩しさに目を細めると、小さなウエストポーチを片手に玄関の扉を閉めた。
ウエストポーチから煙草の箱を一箱取り出すと、シャツの胸ポケットに入れる。
その足で、愛車へと乗り込むと時間を確認しながら、車を発車させた。
「あれから数年経ったが、降谷くんからこの日に誘われる時が来るとはな。」
今日は元仕事仲間だった人物の命日だ。毎年、この日には彼らを救えなかった後悔を、消えていったあいつに懺悔してきた。
組織の壊滅前に、何度か接触した安室くんは、とても不安定な精神状態をしていた。
そんな彼に、消えていったあいつの最期を話すことは出来なかった。
だが、先日、俺の携帯に非通知で着信が入った。電話に出ると、降谷くんの声がした。
その声は、一年に一度見つめてきた、あの声ではなく、とても穏やかなものだった。
俺は、毎年この日に、君が救われることを願ってきた。その気持ちが溢れるように返答した俺は、きっと滑稽だっただろう。
車を走らせながら、どこまでも雲一つ無い晴天を見上げる。しばらく走らせていると、目的地が視界に入る。
「相変わらずここは荒れ放題か。」
適当な場所に車を停めて、エンジンを切る。車外に出れば、足元の砂利が革靴に踏まれて音を鳴らす。
目の前に広がる大きな廃墟は、コンクリートと鉄パイプが剥き出しの状態で、所々が錆びついていた。
建設途中で工事が打ち止めになったのだろう。シートで被された出入り口は真新しい鍵で施錠されていた。
だが、出入り口横の脆くなったフェンスをこじ開けるといとも簡単に侵入出来てしまった。
内部に入り、屋上へと通じる階段を上る。所々崩れた階段は不安定で、とても脆い。
屋上の扉の鍵は長い年月を経て朽ちてしまったのだろう。簡単に扉を開けてしまえば、目の前にオレンジ色が差し込んだ青空が広がっていた。
青とオレンジのグラデーションを眺めながら数歩、歩を進めて立ち止まる。
胸ポケットから煙草を取り出して、火を点けた。澄み渡る空の中を、白い煙がふわふわと漂っては消えた。
周辺は静かで、遠くに聞こえる車の音や、微かな人々の声以外、何も音は聴こえない。
消えるような声で、何かを呟いた。その声は、煙と共に、空へと昇って行った。
途端、カンカン、と階段を上る音が聞こえた。ここを寝床にしている浮浪者か、不良少年だろうか、と思いながら、視線を開いたままの扉へと向ける。
今は邪魔が入って欲しくない、と思いながら近づく音に目を伏せる。
「「え・・?」」
そこには、数時間後に会う約束をしていた男が立っていた。
目を丸くして、こちらを見つめる君と、俺の顔は今とても似ているのだろう。同時に声を漏らせば、数秒間制止する。
よく見ると、君の目は少し揺らいでいるようだった。あれだけ毎年泣き顔を見てきた。君の泣き顔には、敏感になったようだ。
「赤井・・・?えっ、なぜここに居るんですか?」
「それは俺の台詞だ、約束は別の場所だろう。」
「仕事が早く終わったので、少し寄り道を・・」
潤む瞳を腕で擦りながら、降谷くんは少しずつ近づいてくる。
俺の前で足を止めると、その手にオレンジ色の花束が握られているのが見える。声を掛けようとした瞬間、目の前の蒼い瞳が大きく揺らいだ。
ああ、また零れてしまう、と思わず、体が無意識に動き出しそうになる。動いても、何も出来ないのはわかっているのに。
大きく綺麗な蒼い瞳は、俺を見つめて、ぽつりと言葉を零した。
「スコッチの・・匂い・・」
俺の吸っている煙草を見つめて、瞳が揺れる。
その様子を見ながら、静かに胸ポケットから煙草を取り出して、吸うか?と問いかける。
バーボンは煙草を嫌い、俺やスコッチに敵意を現していたこともあった。
臭いから、と理不尽に煙草を水の中へと沈められたスコッチを見たこともあった。
そんな君が、俺があいつの為に用意した煙草を手にして、火を点ける。
深く吸い込むと、静かに吐き出した。その瞳は、オレンジ色に染まった空の色が写り、ゆらゆらと揺れていた。
目を瞑った君は、数回煙を吐き出すと、音もなく目を開いた。手にした花束が映えて、とても輝いていた。反面、揺れる瞳が儚い。
・
親友が消えてから、何度も足を運ぼうとしたが出来なかった場所があった。
組織が崩壊して、降谷零に戻った俺でも、しばらく訪れることが出来なかった。
だが、親友の最期が事実なのか、今日確認する。そう思うと、自然と足が向かっていた。
朽ち果てた階段を上っていった。随分と荒れているが、あの時の映像がつい最近のことのように思い出す。
自然と、親友の最期の姿を思い出す。目の前が揺れるのがわかった。
屋上に上がると、あの時と同じ場所に、赤井が居た。驚きのあまり、現実なのか、あの時の夢を見ているのかわからなくなった。
懐かしい匂いを纏った赤井に、思わず涙が溢れそうになる。必死に堪えて、その香りに浸る。
「それは、マリーゴールドか?」
手にした花束を見下ろしながら、赤井が問いかけた。
小さく微笑みを残して、コンクリートの壁に立てかけるように花束を置く。赤井から貰った親友の匂いを吸い込んでは、吐き出す。
親友が真っ赤に染まって座り込んでいた場所に、今はオレンジ色の花が輝いている。
目を細めて、そうですよ、と返すと、静かにそうか、と聞こえた。少し、暗い声色だった。
意を決して、赤井に向き直り、目を見つめる。緑の瞳は俺を射抜くようにこちらを見定めている。この瞳はいつまでも変わらない。
開いた唇は、少し震えながら、言葉を発した。
「あいつを殺したのは、貴方ではなかった。」
「・・・降谷くん、急に、どうしたんだ。」
「先日、逮捕した組織の一員・・あの日の目撃者が口を割りました。」
「・・違う、降谷くん、」
「バーボンの足音を聞いたスコッチは、自ら引き金を引いたそうですね。」
言えた。ちゃんと、言うことが出来た。気持ちの整理も、頭の整理も数日かけてしっかりとしてきていた。
すかさず、赤井の視線が俺から外れる。視線を外した赤井の表情が夕焼けに照らされる。
咄嗟に手のひらで隠された顔は、見たこともない程に、苦痛に歪んでいた。
だが、俺は知っている。いつかの今日から、あの場所で会うこの男が、毎年、何かを伝えようとしていたことを。
当時の俺は心に余裕がなく、その様子に気付くことが出来なかった。今になって、やっと、この男が抱えてきたものを理解した。
俺が当時ここに居なければスコッチは生きていたかもしれない。何度もそう思った。
でも、俺がそう思って嘆くことをこの男は恐れていたのだろう。あの場に居合わせたこの男の立場になると、理解できる。
酷く表情を歪ませ、いつまでも言葉を発せずにいる赤井の腕を強く掴んだ。
「赤井。」
「違う、降谷くんのせいではない。・・あれは!」
「赤井!!・・おまえも、一人で背負う必要なんてないんだ!」
畳み掛けるように、思いをぶつける。きっと、俺と同じで、赤井も今まで空に向かって懺悔してきたのだろう。
感情的になり、様々な感情が溢れ出す。気が付けば、瞳から涙が頬を伝う感触がした。
赤井の口から真実を聞くためにここに来たんだ。
その決意が、赤井のそんな顔を見た瞬間に崩れてしまっていた。
表情から、答えは出ている。感情的になって思わず様々な言葉をぶつけた。溢れる涙から、喉、鼻が鳴って、声にならなかった。
咄嗟に赤井の腕を放して、スーツの袖で涙を拭う。滲む視界に、緑の瞳から数滴、涙が零れる姿がぼんやりと見えた。
あの赤井が泣いている、目の前の光景に、時が経つに連れて少しずつ温かい気持ちが溢れた。
呆然と立ち尽くしながら、静かに涙を流す赤井に思わず笑いが込み上げる。らしくないな、その一言を呟きながら、僕は一頻り、赤井の倍程の涙を流しながら笑った。
・
気が付けば、視界が歪んで、涙が零れていた。
毎年、その涙を止めてやりたいと願っていた相手に、まさか泣かされてしまうとは思わなかった。
止めようとすればする程に、溢れ出る涙に、困ってしまう。
涙を拭っては溢れる合間に見た君の顔は、笑いながら流すその大粒の涙に、夕日が射して輝いていた。
一頻り涙を流すと、鼻を啜った降谷くんが静かに俺の胸ポケットから煙草の箱を抜き取って花束の横に置いた。
「煙草、あいつに・・スコッチにあげてもいいですよね。」
「ああ、勿論、そのつもりだった。」
「この煙草、好きだったからなー。・・・よかったな ―――、」
優しく笑う降谷くんの言葉を承諾すると、夕焼けに染まる空を見上げながら言葉を発する。
途端、遮るものが少ない屋上に強い風が吹く。最後まで言葉は聞き取れなかったが、とても穏やかな表情を見せる君に心が安らいだ。
お互い赤い目を指先で気にしながら、行くか、と呟くと、冷たいコンクリートに置かれた明るい花束と添えられた煙草を残して屋上を後にした。
廃墟を抜け出して、近くに停めていた俺の車へと二人で乗り込む。
降谷くんの車は、しっかりとコインパーキングに停めてきたらしい。適当に停めていた俺の車を見て、また眉間の皺が寄っていた。
乗り込むと、慣れた手つきでハンドルを捌き、アクセルを踏み込む。行先は声に出さなくても決まっていた。
しばらく車を走らせれば、相変わらず殺風景な景色の中で停車した。
車を降りると、辺り一面はすっかり日が落ちて、星空が広がっていた。
先に降谷くんが軽い足取りで、地下へと繋がる階段を下りていく。それを追うように、続いた。
「いらっしゃい。」
重い扉を開ければ、ジャズが流れていた。一年振りだが、相変わらずこの場所は変わらない。
降谷くんがバーカウンターの中で自分の特等席である、端の席を空けて一つ隣りの席に腰掛ける。少し目を細めた後に、いつも通り、マスターが声を掛けてくる。
どうやら少し談笑しているようだ。長年の付き合いだが、あんな彼を見るのは初めてなんだろう。少し笑みを浮かべるマスターの顔が見えた。
俺はステージ周辺に立つバンドマン達に声を掛けた後、降谷くんの左隣りへと腰掛ける。
降谷くんとマスターの話に花が咲いているらしい。楽し気な笑みを見せている。
「それでは、今日は何にされますか?」
「そうだな、とりあえずバーボンを貰おうか。」
「俺はライを頼む。」
「「 後、スコッチもな。 」」
問いかけるマスターにいつも通り注文をする。その後、偶然にも同じことを呟いていた。
驚いた後、顔を見合わせて、二人して顔をくしゃりと崩して笑い合う。
流れていたジャズは、強い重低音を響かせるロックに変わっていた。
「なあ、降谷くん。」
「なんですか、赤井。」
地響きのように体に流れ込むベースの振動に心が揺さぶられる。
顔を見ずに、名前を呼んだ。それに応えるように、降谷くんは俺の名前を呼ぶ。
「零くん、と呼んでもいいか?」
激しいベースの音に、ギターの音も混ざる。
俺の呟きは聴こえただろうか。少しの間の後に、ちらりと降谷くんを盗み見る。
少し目を赤く腫らした蒼い瞳は、この地響きのせいか少し揺れていた。
俺の視線に気付いた降谷くんは、照れ隠しのように、俺の腕に軽く拳をぶつけてくる。
そう呼んでくれ、と雑音の間から聴こえた気がした。
目の前には、ライとバーボン、そして、スコッチの三種類の酒がストレートで並べられた。
降谷くんがスコッチを手に取り、右隣りの席へと置く。
その姿を横目に見ながら、グラスを手に取って一口喉を通す。
「零くん。」
「なんですか?」
隣りでバーボンをゆっくりと飲む君に声を掛ける。
笑顔を見せる君と、静かに笑い合った。
ファーストドリンクはコードネーム。いつか、スコッチが決めた暗黙のルールだ。
早くも底が見え始めたライと、少しずつ減るバーボン、スコッチもきっと少しずつ減っていく。
今日の二杯目は一体何にしようか。今もきっと、君と同じ気持ちなんだろう。
次第に音楽は激しさを増していく。体中に振動が伝わる中で、隣りから声が聴こえた気がした。
ありがとう、と聴こえた気がしたが、隣りを振り返って見ても、誰が呟いたのかどうか確認できなかった。
カラン、とライを飲み干す。さあ、いつも通り、二杯目を注文しよう。
―――零くんを連れてきたぞ、スコッチ。