私の妹は天才だ。数分速く生まれただけで姉として尊敬されその期待の重みに耐え続ける日々。それはとても、辛かった。何事も一回でこなす妹が、羨ましく、それと同時に憎くもあった。
氷川日菜。彼女のような才能がとても欲しかった。だけど、私は凡人だ。いくら足掻こうが、いくら努力しようが、『天才』に『凡人』は勝てない。それが通りであり決められた定めだから。
「お姉ちゃん?どうしたの、悩み事?」
場所は家のリビング。そこでこのようなことを考えていた氷川紗夜の顔を心配そうに覗き込む一人の女の子。私を悩ましていた元凶氷川日菜の顔だった。
日菜の顔はとても整っている。仮にもアイドルバンドに所属するぐらいの美形に顔を覗き込まれたら姉の私でも少し赤面してしまう。
頬に薄らな赤みを感じとるといつものように強く当たってしまった。
「日菜には関係ないでしょ、ほっといて!」
そこでハッとなる。いつものように怒鳴ってしまった。日菜は私のことを心配してくれた、にも関わらず怒鳴り散らした。これが私なら怒っていたに違いない。
しかし、日菜はバツの悪そうな顔で申し訳なさそうに呟いた。
「そう、だよね…。ごめんね、お姉ちゃん。私、自分の部屋に行ってるから」
そう言って早足で階段を駆け上がっていく。
「あっ…ひ、日菜…」
紗夜の呼び止める声は日菜の耳には届くことはなかった。日菜の姿が消えると同時に罪悪感が体を支配した。胸が締め付けられるようだった。
「――ごめんなさい」
謝罪の声も、決して届くことはなかった。
■■■
「はぁ~…」
氷川日菜は自室のベッドへ腰かけ溜息を吐いた。理由は先ほど一件だ。ここ最近紗夜の日菜嫌いが顕著に表れてきている。姉に嫌われる、慕っている身としては相当答えるものがある。
「どうしてこうなっちゃったんだろう…」
体をベッドに倒し天井を眺めながら紗夜の顔を思い浮かべる。
昔は仲のいい姉妹だった。何処へ行っても一緒に行って手を取り合い仲良く笑いあっていた。公園で遊んで私が怪我するとお姉ちゃんが心配してくれて泣いてくれた。『ひなぁ…死なないでぇ…』泣きながらそういったことは今でも覚えている。たかが擦り傷で死ぬわけがないのだがそこまで心配してくれた時はとても嬉しかったので今でも鮮明に覚えている。
しかし、中学に上がるころから様子が可笑しくなってきた。鋭い視線、冷たい声音。どれも日菜に強い刺激を与えた。そして、高校に上がってからはそれはより一層ひどくなっていた。声を掛けるだけで怒られ、目もあまり合わせてくれない。
気持ちがとても沈んでいく気がした。
「―――」
ハァと二度目の溜息をつく。このどんよりとした気持ちはドドーンとしてバーンでよくないものだ。
日菜はよしっ!と声に出し両の手で頬を叩く。ちょっと強く叩きだしたのかいったぁ~!と声に出す。
「明日はるんっ♪となるような出来事見つけて気分転換しよう!」
幸い、明日はレッスンがないのでオフだから知人でも誘って町にでも行こうかな。横目で、壁においてあるギターを眺めながら日菜はやっぱりと思う。
「一人で行こうかなぁ…」
■■■
ザーッという雨の音で日菜は目を覚ました。普通なら雨の日に一人で出かけるのは躊躇うのだが彼女にはソレが一切なく淡々と準備をした。
準備を終え、ドアノブを回し扉を開けるそこには姉の紗夜が眠たげに眼を擦りながら立っていた。
「お、お姉ちゃん!?」
時刻は短針が9を少し過ぎたあたりだ。本来この時間はとっくに起きていている紗夜だが今回は眠たげにしていた。
なんで、と思うと手に傷があることに気付いた。
あっ、そうか。夜遅くまでギターの練習をして…。けど、お姉ちゃんが寝坊するなんて。
「お、お姉ちゃん?」
いつまでたっても動く気配がない紗夜に日菜は問いかける。すると、紗夜はボーッとこちらを見つめる。
「日菜…」
久しぶりに怒気を含まれない声で話しかけられたことにドキッとしながら答える。
「な、何…?」
明らかに可笑しい。いつもなら話しかけることなく事が済むのだがそうなってはいない。もしかして、お姉ちゃん寝ぼけているのかな…。
そう思い意識をはっきりさせるため体を揺さぶろうとする、――と束の間紗夜が突然両手を広げ
「ちょ!お姉ちゃん!?」
「日菜ぁ…」
抱き着いてきた。
ちょっと、これ寝ぼけているとかそういうレベルじゃないよ!う、嬉しいんだけどふくらみとか鼓動とか伝わってきて、恥かしい~~~ッ!!!というか、お姉ちゃん体重掛けすぎ――わっ!
日菜は紗夜に抱き着かれると床に尻餅を付いてしまう。紗夜は日菜の胸に顔を埋めて甘えた声を出す。
「日菜ぁ…」
「お姉ちゃん…」
互いに赤らめた顔を見つめ合う。紗夜が何か言いだそうとすると半目に開けられていた両目が完璧に開かれた。つまりは、そう目が覚めたのである。
紗夜は最初戸惑いの顔つきなるがすぐに顔を赤く染め上げていき鯉のように口をパクパクし始めた。傍から見ればとても面白いものだろう。
「なっ…なっ…!!」
紗夜が自分の置かれた状況に理解しようも上手く頭が回らなく言葉が思ったように出なかった。
どうするどうする!日菜の頭の中はこの窮地をどう切り抜けるか、それだけに天才的頭脳が今までにないほど働いていた。
事故だと説明する?いや、これだと戸惑っているお姉ちゃんに聞き入れることはないかも。
続ける?って、何を続けるっていうの!落ち着いて、わたし!!
挨拶?うん、そうだこれだ。挨拶は一日のスタートの象徴だもんね。別にもう現実逃避してるわけじゃないよ?
「お、おはよう。お、お姉ちゃん」
「――お、おはよう」
紗夜がそう言うと駆け足で部屋に戻っていった。これで解決したと言えば楽になるのだが日菜は少しばかりの恐怖心を味わっていた。
お姉ちゃんの目、あれ他言したら承知しないわよって言ってるよぉ~…。
そう思いながら腰を上げ玄関へと向かう。
両親に出掛ける趣旨を伝え玄関の扉の前で小さく行ってきますといった日菜がドアノブを回し外に出ようとしたとき
「い、いってらっしゃい」
小さい。けれども、耳に届いた『羨望』の姉の声。日菜が驚いて振り向くとそこには階段の陰から顔をピョコっと出した紗夜がいた。紗夜は日菜が振りむいて目が合った瞬間すぐに体を引っ込める。日菜はその行動に思わず可愛いと思ってしまった。なんというかこうデレに入ったヒロインを見るかのようで。
日菜は驚きで目を見開きそのあとに扉を開け外にでる。傘を広げ小さな体をすっぽりと入れる。傘で隠れた口元は少しだけ微笑んでいて少しだけ雨が弱くなったような気がした。
■■■
お、落ち着いて私!一回状況整理をするのよ!!!
妹の日菜を押し倒している姉。これは傍から見れば近親相姦を思わせる。何故なら互いの頬は赤く染まり口元からはいろっぽい息遣いが聞こえているのだから。これが親に見つかりでもしたら一大事だろう。
そうよ、私は夢の中にいた…。いえ、もしかしてあれは現実!?妙にぽわぽわしてて気持ちよくて居るはずのない日菜がいたからてっきり夢かと…。あぁ~~!!本っ当に何してるの私!夢だからって日菜にあ、甘えてしまうなんて!!
紗夜が、本来の自分で接してしまったことに酷い後悔を覚えた。紗夜は日菜を嫌っている。これは日菜の中での考えだが実際は違う。
紗夜は、日菜を愛している。
無論、家族愛でという意味である。天才と凡人だろうが家族は家族、私を悩ませ、私を困らせ、私を愛してくれる、氷川日菜は氷川紗夜の家族である。これらすべてをくくって氷川日菜だ、だからこそ表面上は強く当たってしまうが内心は昔のようにまっすぐ日菜のことを見つめて話をしたいと思っている。だが、心が勝手に嘘をつき上手くいかずにいつも空回りしていた。
だからこその甘えるという行動に出てしまったのだろう。
すると、救いの手が予想だに出来ないところから差し伸べられた。
「お、おはよう。お、お姉ちゃん」
日菜が朝の挨拶をしてきたのだ。そこで紗夜は理解した。日菜の、天才の言いたいことが。凡人であり天才に憧れ続けた自分だからこそこの結論に至ることが出来た。
そう、いうことなのね。日菜、貴方はこれらを一切何もなかった。ここで挨拶をしてそれで仕舞い、そういうことにさせる訳ね…。まさか、日菜に救われるわけになるなんて…。(※ただの紗夜の勘違いで日菜のこれはただの現実逃避です)
なら、私がすることはただ一つ。
「――おはよう」
挨拶を返す、これに限る。あと、目線で一応感謝の意を伝えておかなきゃ…、ふ、不本意ですけど!!
そう言って、紗夜は駆け足で自分の部屋に駆け込み扉に背を向けてずるずると腰を下ろす。
「――ハァ」
もうこの溜息は何度ついたかもわからない。日菜との関係が爛れてから溜息は良くつくようになった。
「一体私はどうしたいのかしら…。いえ、それはもう知っているわね。日菜の前で素直でいたい、一緒に笑って、たまには喧嘩して、そういう普通の姉妹になりたいのよね…」
まぁ、それは無理な話だけど、と。付け加える紗夜の眼には悲しみが宿っていた。私にはまだ日菜と向き合うだけの勇気がない。切っ掛けもない。
ただ最愛の妹の名前を言うぐらいしか…。――でも、立ち止まって後ろだけを見ることはとても良くないことだ。立ち止まるのはたまにでいい、後ろを振り返るのは失敗したときだけでいい。いつだって前を向かなきゃ進めない。それを私は今所属するバンドRoseliaから教わった。
――少しぐらい素直になってみようかしら。
紗夜が少しの踏ん切りをすると玄関のほうから声が聞こえた。日菜の声だ。
日菜…。出かけるのかしら?
そう思うと次の行動は早かった。扉を開け階段の陰に体を隠し少しだけ顔を出して――
「い、いってらっしゃい」
小さな一歩を踏み出した。
■■■
「ふんふんふ~ん♪」
傘をくるくる回しながら日菜は気分よく人混みを歩いていた。傍から見ればなんだあいつと思われるが日菜はアイドルだ、ひそひそ声でもしかしてという声しか上がってこない。
どうしよ、お姉ちゃんにいってらっしゃいって言われちゃった!!――久しぶりだったなぁ…。ああいうの。
日菜は嬉し気に微笑む。
「せっかくだし、お姉ちゃんに何か買ってあげようかなぁ…」
日菜がそう思い何かを買おうと考えるとふと路地のほうに一つの店があるのを発見した。
あれ…?あんなところにお店なんてあったっけ?けどあれって俗にいう隠れた名店っていう奴だよね!入ってみよう!!
好奇心の塊の日菜は何も疑うことせずその店の扉を開ける。
「こんにちわ~」
店内はこざっぱりとしたものだった。あまり物がないあたりそこそこ有名な店かも知れない。
日菜が声を上げると店の奥からフードを奥深くまでかぶった老婆と思しき女性が出てきた。
「いらっしゃい」
老婆独特の声音でそう答えた。
日菜は店内を見渡す。
う~ん。こうピピッと来る奴あるかなぁ~。
「ん?ねぇ、おばあちゃん。これって??」
日菜が手に掴み尋ねたそれは瓶に入った粉末のようなものだった。老婆は一瞥すると答える。
「それかい。それはな、魔法の薬と言われておるものさ」
「魔法の薬?」
天才である日菜は今までにいろんな本を読んできたが魔法の薬というのは初めて聞いたものだった。
「この粉を食べ物を混ざて相手に食べさすとその子の本音を聞き出せるのじゃ」
日菜はその話を聞いての第一印象は胡散臭いというものだった。確かに魅力的なものであるがそのような薬が何故この場にあるかが不思議だ。
というか語尾にのじゃという時点で胡散臭さが倍増されているわけだが。
う~ん、おばあちゃんの話が本当だったらこれって自白剤の類の奴だよね?もしかして私危ないお店に入っちゃったかなぁ…。
「疑っておるのかい?」
「う、ううん!全然、あっそうだこの首飾りとこれください!!」
「…2000円だよ」
このおばあちゃん鋭いなぁ~…。いきなりだったから咄嗟にこの近くにあった首飾りと一緒にくださいって言っちゃったよ…。
お金を払いながら少しばかり後悔する日菜は店から出る。
「はぁ~…。これどうしよ。この首飾りはお姉ちゃんに似合いそうだからよしとしよう…。うぅ…、捨てるに捨てれないし持って帰るだけにしようっと…」
■■■
「ただいま~…」
日菜が玄関で靴を脱ぎリビングに向かう。時間帯はもう昼ご飯でもおかしくないものだった。お腹の空腹感を感じながら鼻をくんくんとする。
この匂いってミートスパゲッティかな?
日菜がそう考えてリビングに入ると長い髪を一つにまとめ、俗にいうポニーテールで可愛らしいエプロンを付けて台所に立っている氷川紗夜の姿がそこにあった。
「お帰りなさい、日菜」
紗夜がそう言うと日菜は持っていた荷物を置き、その袋から例の小瓶が落ちたことに気が付かずに姉のほうへと向かった。
「お姉ちゃんがご飯作ってるの?」
「えぇ、お母さんたちは出かけたから私がね。ほら、もうすぐで出来上がるから手を洗ってきていらっしゃい」
「はぁ~い!!」
まるでお母さんだなぁと日菜が思い、駆け足で洗面所へ向かう。それを見た紗夜は出来上がった料理を皿に盛り付けてテーブルへと運ぶ。
そこで紗夜はテーブルに一つの小瓶が置かれているのに気が付いた。皿を置きソレを手に取り眺める。
「なにかしらこれ?日菜が買ってきたものかしら?まったく買ったらしっかりと片付けておきなさいよ…」
「あれ、お姉ちゃん?何してるの?」
「あら、日菜。これ片付けておきなさい」
「うん、わかった!」
紗夜が日菜に小瓶を渡そうとすると手から小瓶が滑り落ちた。
「「あ」」
二人の声が重なる。重力に逆らえないまま小瓶がテーブルに叩きつけられ中身がばらまかれる。
「ッ!ごめんなさい!!」
紗夜がばらまいたことについて謝る。幸い、料理に入ったそうに見えていない。
「ううん、大丈夫だよ。元から使う予定もなかったし」
「…そう。本当にごめんなさい」
「だから、大丈夫だよ!!あっ、これお姉ちゃんに!!」
そう言って日菜は袋から翡翠色のペンダントを取り出す。あの店で買った唯一ピピッと来たものだ。紗夜はそれを見ると驚きの声を上げる。
ありがとうと言って受け取った紗夜を日菜は微笑んで眺める。紗夜がその視線に気が付くと頬を赤らめてそっぽを向いた。
えへへ~。お姉ちゃん照れてるってことは喜んでくれたってことだよねっ!買ってよかったぁ~。
日菜が心の中で満足して粉を片付け始めた。それを見た紗夜も手伝い姉妹らしい光景がそこには広がっていた。
十分だなと感じ始めるころには料理の煙が少しばかり小さくなっていた。
二人がそれに気が付くと顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。どうやら二人はあの時間がとても愛おしく長い時間が経っていないものだと感じていたのだ。
無論、紗夜はそのことを言わないし日菜を口には出さない。
「じゃあ、食べましょうか」
「うん!」
二人が席についてフォークを手にする。さて、ここで話を戻すが粉は二人からして入ったようには見えなかった。二人からしてである。実際はどうだろうか。
粉が数粒入ったとしてもそれは気付けるものではない。
料理を口に運んだ二人。数口のあと日菜が話題を切り出した。
「お姉ちゃん、今日はなんか…わ、私とお話してくれるんだね…」
言いにくそうに紡がれた言葉。だが、それは今までのことを振り返るとしょうがないことである。紗夜はその発言に目を見開いた。
まぁ、そういう日もあるわよ。と紗夜はそう言おうとした。だが、実際に放たれた言葉は驚きのものだった。
「まぁ、私は日菜を好きだから」
「「え?」」
二人の声がまた重なった瞬間だった。