ご注文は「残されたわずかな時間」ですか?   作:らんちぼっくす。/ヘスの法則

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こんだけ長いこと休んでたのに、投稿したら感想頂けて凄く嬉しいです。ありがとうございます。
評価や感想など頂けると、ものすごくモチベーションが上がります。
今後も、拙い文ですが、どうかよろしくお願いします。


第16話 灰と藤

 家の近くの路地裏で、男が一人死んでいたという知らせは、その次の日の朝には天々座家に届いていた。

 疑問、恐怖、悲愴────各々思う所はあったが、家族全員が皆一様に抱いていた感情が、一つあった。

 

 それは、もう平穏は戻ってこないのだという、そんな絶望の始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第16話 灰と藤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 定休日明け、いつもはそこからコーヒーの香りが早くから漂っている。しかしその日は朝から、ラビットハウスにclosedの掛札があった。

 

 チノが目を擦りながら階下へ降りると、既にタカヒロが出かけ支度を整えていたので、チノは慌てた。

 

「お、お父さん!?私、寝坊してしまいましたか···?」

「ああ、チノか、おはよう。大丈夫、そういう訳では無い。」

 

 タカヒロは穏やかに諭したが、その声に力がなく、虚ろであることをチノは感じていた。

 

「···お父さん···?なにか···あったんですか?」

 

 恐る恐るチノが聞く。

 タカヒロはその虚ろな声のまま、答えた。

 

「···昨日のことだ。この街で、殺人事件が起きた。」

「···っ!?」

 

 予想をはるかに超える内容に、チノは思わず口元を押さえて立ち竦んだ。

 

「しかも、死んだ男は、私の知り合いだった。────頼りにしていた男だったんだ。」

 

 タカヒロは静かに唇を噛んだが、すぐに元に戻した。

 

「────今日は危険だから、街の学校は全校休校だ。チノも今日は、ココア君と家に居なさい。

 決して外へ出るんじゃないぞ。」

 

 いつになく強い口調で、最後の一言が加えられた。

 チノはただ気圧されてしまって、恐怖と不安の中で黙って頷いた。

 そして、ついでに零れたように、小さく聞いた。

 

「お父さんは···どこに行くんですか?」

 

 タカヒロは、何も見えていないような虚ろな目でチノを見ながら、しばらく黙った。

 そうして長い間を置いて、やっと答えた。

 

「リゼ君達の家だ。彼女達に用がある。

 ···それじゃあ。店も今日は閉めたから、大人しく待っていてくれ。」

「···ちょっ、お父さん!」

 

 走るような口調で言い切って、チノの呼びかけにも答えず、タカヒロはそそくさと出ていった。

 残されたチノは、ただ立っていた。

 ただこの先、自分たちとこの街がどうなってしまうのかという恐怖で、立ちすくんでいた。

 

「ふわぁ〜···チノちゃんおはよう···

 ···あれ?お父さんは?」

「·········」

 

 だから、緊張感の欠片もなく寝ぼけて出てきたココアに、呆れる反面安心していたチノだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────天々座家。

 外で時折強い風が吹くので、この巨大な家は風の音を捉えてはうるさく響かせる。

 

「···このタイミングでファビオが殺されたのは、やはり特殊な事情があったんだろうな。」

 

 差し出された茶には手も触れず、タカヒロはそう言った。

 理央はそれに頷いて、言った。

 

「ああ、ここでアイツだけを殺すというやり方は、あまりに雑すぎる。元々俺達を狙っている連中ならば、一緒に俺たちを殺そうと動けばよかった。なのに、敵は俺達に目もくれず、ファビオだけを殺したんだ。

 敵は露骨に、最後に俺たちを何かに利用してやろうという意思があることを知らしめていると言っていい。」

「そして殺された隊長は、敵軍にとって不利益な情報、秘密の何かを知ってしまった────そう考えるのが妥当だな。」

 

 理久もそう付け加えた。

 そして、隣で俯いて黙っているリゼを見る。

 

「リゼ、お前の周りに怪しい人間はいるか?」

「·········」

 

 リゼは相変わらず黙ったまま、ただ首を横に振った。俯いたその顔は、表情すらも読み取れない。

 理久はそんな見るに堪えない様子を見つめながら、「そうか」と言った。

 ファビオの死が知れてから、リゼはずっとこうだった。小さく肩を震わせて、時々絞り出す声は泣きそうだった。

 どれ程の恐怖と、今リゼは向き合っているのか。それは理久に分からない感覚であって、だから不憫でならなかった。

 

「なら、敵のいる場所は大体分かってきたんじゃないか?」

 

 その心をひた隠しながら、理久はそう言った。

 それにタカヒロが頷く。

 

「まあ、そうだな。ファビオの行動や思考を正確に見切っているんだ。アイツと同じ潜入先の高校に、恐らくは黒幕に近い人物もいるだろう。

 とすると、ココア君、千夜君が危ない。この人物関係くらい、敵は見抜いているだろうからな。」

 

 そして、徐ろに立ち上がり、続けた。

 

「彼女達には、極力不安にさせないように呼びかけておこう。ココア君を通じれば、千夜君にも話が行くだろうからな。

 ···それじゃあ、私はそろそろ行こうと思う。が、その前に···」

 

 タカヒロは理久に向き直った。

 

「理久君、ついてきて欲しい場所があるんだ。いいかな?」

「······俺に、ですか?」

 

 理久は内心疑問だったが、断る理由もないので、「分かりました」と静かに答えた。

 タカヒロの後に続いて席を立とうとする。しかし、その袖を誰かの手が引いて、止めた。

 理久が驚いてそちらを見ると、リゼが涙目で理久を見つめていた。

 それを見て、理久の心が激しく痛んだ。

 

「···タカヒロさん、少し時間をください。」

 

 気が付けば理久はそう申し出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「···大丈夫か、リゼ?」

 

 理久は自室に戻り、リゼと向かい合った。

 相変わらずリゼは俯いていたが、その顔を埋めた枕が濡れているのが見えた。

 

「···逃げようよ、兄さん。」

 

 やがて、涙声でリゼが言った。鼻をすする音が混じっている。

 

「あの、アルドミーさんまで···あんなに強いのに、あの人まで、死んだ···なのに、なんで兄さんが、戦わなくちゃいけないの?」

「リゼ···」

 

 リゼの声はますます悲痛さを増し、叫びに近いものになっていく。

 

「おかしいっ···!こんなの、おかしい···何で、会えたのに···また離れなきゃいけないの!?今度離れたら、それこそ生きて帰ってきてくれるかわからない!」

「リゼ、俺は平気だから···」

 「私だってもう子供じゃない!兄さんが死を覚悟してることなんて、とっくに分かってる!でも、だからってそれを認めなきゃいけないなんて、そんなの嫌!兄さんだって、心のどこかでは死にたくないって思ってる!」

「·········」

 

 宥めようとする理久を遮り、リゼは叫ぶ。

 その叫びが痛いほど核心をついていて、理久は思わず何も言えなくなった。

 そう、理久自身も、気付いてしまっていたのだ。自らの生への渇望、この日常の不易への懇願に。

 恐ろしくて見て見ぬ振りをしてきたが、ここに来てようやく、それがどんなに強い思いだったのかを自分で思い知った。

 死が怖い。生きたい。家族といつまでも居たい。

 それはどこまで行っても続く思いで、もう抑えることも困難な程だった。

 リゼは泣き濡れた顔で続ける。

 

「だから、逃げよう···皆でいつまでも逃げようよ。無理に戦うことないよ···。」

 

 そうして、彼女はまた俯いた。

 初めて見るリゼの様子に、理久はただ後悔の念が募った。

 鈍い、と思った。恐怖の感覚が、自分はあまりに鈍いと。

 それは理久が、恐怖を罪とする場所で生きてきたからだ。恐怖を表に出せば萎縮する。萎縮は隙になる。隙は死を招く影になる。

 だからこうして泣くリゼと向き合うまで、彼女がどれほど恐ろしい思いをしたのかなど、感じる余裕もなかった。感じるという機能を捨てていた。

 自分が生んでしまった彼女の恐怖はこれ程のものだったのだと、今の今まで気付けなかったことこそ、自分の罪なのだと、理久は激しく後悔した。例えそれが、致し方なく自分で選んだものであろうとも。

 

(······でも、だからこそ)

 

 逃げてはいけない。そう思った。

 あの戦いで得たものはあるかと問われれば、理久はこう答えるだろう。

()()()()()()()()()()()」だと。

 

「────リゼ。」

 

 リゼの頭に優しく手を置いて、理久は言った。

 

「ごめんな。これまでずっと、悲しい思いをさせて、怖い思いをさせて、それに気付きもしなかった。

 そうだよな。戦いたくなんてないよ、誰も。誰も死にたくないんだ。当たり前だったんだ。」

 

 くしゃくしゃと、艶やかな紫の髪を撫でる。

 

「でもな、逃げ続ける方が、俺はずっと苦しい。俺の不手際で、みんなを危険に晒し続けて、漠然とした不安を一生与え続けるのは嫌なんだ。みんなでまた、翳りのない日常に戻りたいんだよ。

 ···その為に戦うんだ。幸せだと心の底から笑えるくらい、戦わなくて済む未来のために戦うんだ。」

 

 撫でられたまま、リゼは首を振る。

 

「でも···兄さんが死んじゃったら···私は生きててもずっと悲しい···」

 

 理久は懐かしい笑みを浮かべた。

 

「大丈夫、俺は死んだりしない。

 いつでもそばに居る。前にそう言ったろ?」

 

 優しく、柔らかく。

 しかし、強く、真っ直ぐに。

 真摯に向き合う。昔の自分を経由して。

 

「辛いだろうし、怖いだろうけど···あとほんの少しだけ、信じてくれないかな?」

 

 リゼはしばらく何も言わなかった。

 張り詰めた空気が充満し、やがて、糸を紡ぐように言葉を零した。

 

「やってみる···けど、私だって、怖いものは、怖いから···受け止めきれるかは、まだ、分からない···」

 

 理久は穏やかに、「今はそれでいいよ」と返した。「今はまだ、俺は確かにそばにいるから。」

 

「とりあえず、俺はタカヒロさんのところに行くよ。また後でな、リゼ。」

「···うん。」

 

 顔は上がらずとも、少し空気の軽くなったリゼに背を向けて、理久は外に出た。

 これからタカヒロに向き合うことになる。

 彼が何を見せようとしているかは分からないが、とにかく今は自分のすべてに誠実であろうと、理久は強く思って、玄関へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「···降りたまえ。」

 

 タカヒロさんの車に揺られて、一時間は行ったろうか。ようやく車が止まった。道中、ここまでの遠出をしてチノ達は平気なのかと聞いたが、天々座家のボディガードを何人か家の辺りに置いたらしい。

 

「ここは···?」

 

 周りを見ると、どこまでも草原が続いている。

 建物の一つさえ、どこにも見当たらなかった。

 

「行くぞ。」

「えっ?ちょ、タカヒロさん!」

 

 何も言わず歩いていくタカヒロを、理久は慌てて追った。

 五分近く進むと、ようやくなにかの影が見えた。先を行くタカヒロは、その影の前に立ち止まっていた。

 目を凝らしながら近付くと、だんだんとその輪郭は明瞭になっていった。

 

「···墓······?」

 

 石の積まれたその小さな物は、どうやら墓のようだった。

 

「そう、墓さ。」

 隣でタカヒロが言った。

 

「智花の墓だ。」

 

 その名を聞いた瞬間、理久の心が大きく跳ねた。

 このごろ何度も現れては消える、美しい幻影が再び見える。

 

「チノに分からないように、こっそりと建てたんだ。その為に、こんなに遠くになってしまったが。」

 

 そう言いながら、タカヒロはカバンから花を取り出した。墓石の上に置かれた小さな花瓶に、その花を生ける。藤によく似た、甘い蜜のような香りがした。

 彼が手を合わせる。それに合わせて、理久も手を合わせ、目を閉じた。

 暖かい風が吹いた。

 智花の姿が脳裏に蘇る。彼女にはもうずっと会っていないのに、その姿は鮮明だった。

 心の底から、謝罪と感謝を伝える。言葉で言わずとも分かるくらい、はっきり。

 あの時君を守れなくて、伝えなきゃいけないことも伝えられなくて、本当にごめん。

 それでも、君のお陰で、今僕はこの生きる一瞬を幸せだと思えています、と。

 

「···私と、妻はね。日本の病院で会ったんだ。」

 

 やがてタカヒロが顔を上げて、墓を静かに見つめたまま、にわかに語り始めた。

 

「最後の戦いで、命からがら生き延びて、日本へ帰国して···今でも後遺症が残っているくらい、ズタズタの体になった。

 それで、もうこれから先の人生への希望も持てなくて、どうしようもなくなっていた時に────同じ病室に、同じくらいの歳の女性がいたことに、気付いたんだ。」

 

 タカヒロが懐かしそうに微笑むのを、理久は不思議な思いで見つめていた。

 

「彼女はどうにも不思議な女性だった。生まれつきで身体が弱いと医者が言っていたが、何故だかいつも明るかった。

 ···ある日、ついに我慢出来ず、直接彼女に聞いたんだ。どうしてそういつも笑ってられるのかってね。

 答えを聞いた時、思わず笑ってしまった。当たり前のような顔をして、逆に私を変なものでも見るみたいに『今楽しいんだから、そりゃ笑えますよ』って言うんだ。将来自分がどうなるかなんて不安を、微塵も抱えてはいないみたいだった。」

 

 話を聞く内に、理久はその女性に、智花の面影を感じてならなかった。智花もこんな快活さを持っていた。

 タカヒロは続ける。

 

「でもそれは、私がその時持っていない強さだった。その言葉で、私は救われた気がしたんだ。これは思い過ごしかもしれないが、その時を境に私の傷の経過も良くなっていった気さえするんだ。そして、そんな強さを持った彼女に、私は惹かれていった。

 その内に、退院時期が同時なことや、家が近いこと、趣味が似てること···色んなことがわかってきて、自然と私たちは結ばれていた。

 

 ···だが、チノが生まれてから、妻の病状はどんどんと悪化していった。結局妻とは、その後死別することになる。

 でも妻は、それでも死の前まで笑っていたんだ。『本当に幸せだった』って言ってな。

 思い返せば、彼女が笑うのは、幸せな時ばかりだった。幸せが彼女の笑みを作るのならば、それは、私がいる事で少しでも幸せになれた、その証なんじゃないかと、今はそれだけを期待しているんだ。」

 

 そして、そのまま理久を見る。

 

「私は特に神など信じてはいない。でも、彼女に会えたことだけは、天命であったように思う。一生かけても二度と会えないような、奇跡のような人は必ずいるのだと思っている。

 ···智花は、手紙の中でよく言っていた。『運命と思える出会いがあった』って。君も実際、智花を好いてくれていた。だから、親の私の目からすれば、君たちにはきっと運命があって、いつか結ばれなきゃならなかったと、勝手ながらも思っていた。」

 

 神妙な面持ちで、タカヒロは理久をじっと見据える。

 

「すまなかった、理久君。もっと早く、君が来たならすぐにでも、私は君をここへ連れてくるべきだった。

 ただ、もし君がここに立つ姿を見れば、もう決して叶わない未来に、君と智花を重ね合わせてしまうと思った。そうして自分が弱くなっていくのが、たまらなく怖かった···。

 君には、申し訳ないことをしてしまった。」

 

 理久は首を振った。

 

「いえ、そんなことありません。俺だって、これでも自分の命を懸けて生きてきたんです···自分の弱さを自覚してしまう怖さなんて、分かりきってます。」

 

 その弱さから、自分は智花に救われた。それもまた真実だと、理久は目を瞑る。

 

「それに、タカヒロさんが言ってくれなきゃ、俺は今後一生智花に会えなかった。感謝してもしきれるものじゃない。」

「···甘い男だな、君も。」

「ええ、自覚してますよ。」

 

 タカヒロが一度、大きく息を吐いた。

 そして、強く目を閉じて、開いた。震えるような覇気があった。

 

「私はね、理久君···もし何か一つ恨んでいるものがあるとするなら、それは特定の誰かじゃない。

 人の悲劇を導く狂気、その根本────つまりは、この戦いそのものだ。

 もう、誰を傷付けることもなく、この戦いだけを消し去ってしまいたい。

 ···朝の事件を経て、覚悟が決まった。もう二度と戦わなくて済むように、戦う覚悟が。」

 

 理久はただ、黙って頷いた。

 同じ覚悟を持っている。この人と自分は、同じ覚悟にたどり着いている。

 恐らくどこまでも苦しい戦いに、突っ込んでいく覚悟を決めている。

 

「私は、どこまでも行こう。それで平和がやって来るなら。

 それが私の『残されたわずかな時間』の生き方だ。」

「···俺も、そうしますよ。もうリゼを苦しませないように戦うと、誓いましたから。」

 

 二人は、目も見ないで佇んだ。

 そして最後にもう一度、どちらからともなく、目の前の小さな墓石に手を合わせた。

 

 また風が、二人の服をはためかせ、僅かに衣の擦れる音だけが草原に舞った。

 

 

 

 

 

 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「チノちゃん、お父さんの部屋って入って平気なのかな?」

「父の部屋、ですか?」

 

 窓拭きを終えたココアがそう言うので、チノは少し考え込んだ。

 父もおらず、友人とも会えず、店も開けないとなれば、特にすることもない。ココアと二人で遊ぶにも限界があるので、どうせなら家の掃除でもしておこうということになって、今に至る。

 が、いざ掃除をするとなると、チノが掃除をするのは店のスペースと、自分の部屋くらいで、タカヒロはタカヒロで自ら部屋を掃除するので、その部屋に掃除で入ったことは無かった。

 

(勝手に入ったら、怒られるかな···?)

 

 少し迷う。しかし、こういう時くらい、父の手伝いもしておこうと思い、チノは一人頷いた。

 

「多分いいとは思いますが···その部屋は私がやりますよ。一応、父のことは私の方が分かってると思いますし。ココアさんはこの場所代わってください。」

「そっか、じゃあそっちはチノちゃんに任せるねっ!」

 

 そんな話し合いを終えて、チノは父の部屋へと向かっていった。

 

(···そういえば、お父さんの部屋はちらっとしか見たことなかったな。)

 

 ドアノブに手をかけてから、チノはそのことに気付いた。

 しかし、いつも几帳面で、バーも清潔に保っている父のことだ、今更掃除することもさほどないのではないかと、大体は察していた。

 実際に中に入ると、想像に違わず、きちんと整頓された部屋だった。

 やることはほぼなさそうに見える。どうしたものかと見回していると、ふと木目の机の下に、紙が数枚落ちているのを見つけた。

 無遠慮に落ちたその紙を、不思議に思いながら拾い上げる。

 そして、文字列が何気なく目に通る。

 その中のとある一部分が、チノを大きく驚愕させた。

 

「うそ······これ······お姉ちゃんの手紙!?」

 

 たまたま目に入った一枚は結びの一枚だったようで、その終わりのところには、整った字で「智花より」と書かれていた。

 最近ずっと返事が無くて、智花の動向を知らなかったチノは、強くそれに引き付けられた。

 

「お姉ちゃん、やっぱりまだどこかにいるんだ···!」

 

 痛みに近い歓喜を噛み締めながら、チノは罪悪感さえも忘れ、その五枚にもなる手紙を読んでいった。

 

 ────しかし、その手紙がどこまでも異常で、悲痛であることに気付くには、少しの時間も有さなかった。

 まず、あまりに長い文、手紙が書かれた日付、そのどれもが不自然だった。だから目を通す前から、その不気味さは何となく伝わった。

 

 そして、チノが全てを察してしまったのは、その紙を遡って、最初の一文にたどり着いた時だった。

 

「お父さんへ

 

 恐らくお父さんがこの手紙を読んでいるのは、

 

 私が死んで、その後の全てを理久君に任せた後になります。」

 

 

 言葉を失った。

 ありとあらゆる思考回路が途切れ、体を動かす力を失った。

 理解が追いつかない。現実が受け入れられない。

 ただ肉の塊のように突っ立って、息をすることさえも忘れていた。

 

 気が付けば、チノは手紙を落としていた。




どんどん物語進みます。最終章突入も近いです(とか言って近くないかもしれない)。
回収し忘れた伏線とかないように、文才ないなりに極力努力します。
よろしくお願いします。
(評価、感想など頂けると嬉しいです。)

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