ご注文は「残されたわずかな時間」ですか?   作:らんちぼっくす。/ヘスの法則

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第6話 サンタマリアと灰の空

「······ここか······」

 

 家から空港まで1時間。

 飛行機に乗って13時間。

 そこから車に乗せてもらって3時間。

 

 日本から計17時間の移動を経て、フェルティシアの軍基地総本部に辿り着いた。

 

 時刻はちょうど17:30。

 日本との時差は6時間だから、今の日本は23:30にあたる。

 

(時差の対策、しといてよかった···)

 

 まだ少し身体に違和感はあるものの、時差ボケ、という程強く影響は受けていない。三日間、親父に時差対策をぶち込まれたお陰だろう。

 安堵とともに、自分は遠い異国の地へたどり着いてしまったのかといよいよ実感した。

 

 

 そんな回想を終え、眼前に広がる荒野の先、場違いに大きく立っている建物に向けて足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 敷地の中に入り、建物のインターフォンを押す。

 程なくして、まだ聞き慣れていない言葉がいかつい低音で響く。

『誰だ?』ということらしい。

 

 三日間死ぬほど勉強して、何とかここの言語は一通りマスターしたので、何不自由なく会話くらいは出来る。

 

「今日からこの軍に入る事になった者です」

 というだけのことをあちらの言葉で簡単に言うと、少し待っていろ、と返ってきた。

 

 

 ぷつり、と、会話終了を示す音が鳴った。

 そして人を待ちながら、これまた親父から聞いた話を思い出す。

 

 

 

 -----------------------------

「とりあえず、軍の今の総隊長にはお前のことを話してある。軍基地総本部にいるから、そいつにまず会うんだ。」

 

「会うったって···どんな奴なのか教えてくれよ···」

 

「······会えば分かるさ。なんてったって前回の紛争の時、唯一後遺症もなく生き残ってたやつだから、見ただけで『いかにも』って感じがするから。名前聞かなくても分かる。」

 

「えぇー?何たる曖昧な···」

 -----------------------------

(親父め······そんなアバウトで上手くいくのかよ·········)

 

 すると、俺の脇にあるドアが開く音がした。

 そちらを向いて俺は────愕然とした。

 

 そこには、スキンヘッドにいかつい顔、一般人の軽く二倍はある様な肩幅、そして何より強烈な殺気が漂った男がいたからである。

 年の頃は40辺り、と言ったところか、それも相まってより恐ろしく仕上がってる。

 

 

(こ、怖ぇえええええええええ!?)

 

 こちらを見るや、のそのそと歩み寄ってくる大男を見ながら、俺は心底震えていた。

 

(何この人!?メチャクチャ『いかにも』な格好してるよ!?もう戦場のために生まれた様な出で立ちだよ!)

 

 そんなことを考えていると、ふと一つの記憶に行き着いた。

 

 

 ────見ただけで『いかにも』って感じが────

 

(親父······あんたなんも間違ってなかったよ···)

 

 この世の中には、抽象的なものこそ真実ということもあるのだと、新しく学んだ。

 

 

 すると、男が語り始めた。

「隊長から話は聞いている。戦闘技術は優れているらしいな。」

「は、はぁ···どうも······」

 

 つい生返事で答えてしまう。

 正直もう逃げ出したい。

 

 そう思っていると、男は語気を強めて言った。

 

「だが、随分と貧弱な奴が来たもんだ。隊長とは大違いで、まるで覇気がない。」

「ひっ···あっ···あの···」

 

 完全にひるんでしまった俺を追い詰めるがごとく、男は畳み掛けてくる。

 

「お前は戦場に遊びに来たのか?生半可な覚悟で生きていけるとでも思うか?役立たずになるだけじゃないのか?」

 

 

 ────生半可な覚悟······

 

 

 そう言われて、ハッとする。

 

 

 もしここに生半可な覚悟で来れる人間だったなら、家族を思って涙を流すことがあっただろうか。

 ここまで自分を奮い立たすことがあっただろうか。

 

 自分は弱虫の臆病者で、だからこそ覚悟したんじゃないか。

 こんな所でビクついている余裕なんか、俺のどこにあるというのか。

 

 そう思うと、だんだん目が覚めてきた。

 

 目をしっかり開き、男のことを真っ向に見つめ、言った。

 

「···俺が戦場に来たのは、家族が平和である為です。俺が生きるのは、家族の笑顔をもう一度見るためです。」

 

 男が少し驚いたように俺を見る。

 俺はあくまで凛として答えた。

 

 「自分は誰よりも弱く、惨めで、小さい。────その上でここへ来たことが、自分の覚悟の証明です。」

「·········!」

 

 俺の答えを聞き、男は目を少し大きくした。

 俺は全く表情を変えない。

 

 そんな俺の様子を見て、男はなんとも口上しがたい顔を浮かべ、

 

 

 

「だっはっはっはっはっ!」

 

 

 

 と、豪快に笑った。

 急に爆笑され、よく分からずにポカンとする俺には構わず、男は笑い続けた。

 だんだんそれに腹が立ってきて、つい俺は聞いてしまった。

 

「···なんで笑うんですか·········」

 

 それを聞くと、ようやく男は笑いを収め、語り始めた。

 

「いやーすまんすまん、あまりに予想外の返しだったもんで、つい、な。」

 

 俺はそれを聞いて、二つのことに驚く。

 普通に答えただけなのに、予想外とはどういうことか。そしてそれ以前に······

 

「···なんで日本語ペラペラなんですか!?」

 

 男が話した言語は、紛うことなき流暢な日本語であった。

 

「いやいや、うちの軍にやってくる日本人は当然たくさんいるわけだが、そういう奴らには日本語でなくフェルティシア語を話してるんだ。

 いきなり他国の言葉で罵られるプレッシャーはかなりデカイ。それにどんな反応を示すか、ちょっと覗いて見てるだけ。要はお遊びみたいなもんさ。」

 

「タ···タチ悪ぃ遊びを······!」

 

 嬉々として語る男を見て、俺は溜息と悪態を一緒に吐いた。

 こんな逆らえばすぐにでも叩き潰してきそうな大男に、ベラベラと異国の言葉で侮辱されては、いくらなんでも心臓に悪すぎる。

 

「いやー、しかしお前は面白いヤツだ。軍属の人間には絶対見られない反応だった。」

「お···俺、そんなおかしな答えしました?」

 

 なんとも喜んでいいのか怒っていいのかわからないその笑い声に、つい聞き返してしまう。

 

「そりゃ、上官から意味も無く叱責を受けることや、面倒な話を聞かされることが軍では日常茶飯事だからなぁ。

 こういう所で何か言われても、ウンとかスンとか言ってごまかすのが暗黙の了解というか···やり方だったんだよ。」

 

 言われて少し納得する。

 叱責やら怒号やらの嵐に晒されている環境の人間が、毎回バカ正直にそれらを飲み込むとは確かに思えなかった。

 

「ククッ···それをお前···律儀に答えちまって···しかも何だ、あんな綺麗にまとめてよぉ!マンガの主人公かなんかか!?ハッハッハッ!」

 

 ぶり返すようにまた爆笑されて、メラメラと怒りが湧き上がると共に、数分前の真面目にやってた問答を後悔した。

 とはいえこのままいるのも癪だし、小さく反論する。

 

「···真面目に答えちゃアホらしいですか?」

 

 すると男は、今度は真面目に首を横に振った。

 

「いやいや、何もアホくさくない。むしろその辺の軍属よりは肝も座ってるみたいだしな。ただちょっと珍しい答えだった、本当にそれだけさ。」

 

 本当に思ってるのかと、俺は少々疑問を抱いた。

 そんな俺など意にも介さぬように、男は今度は、あっ、という顔をして、こちらを向いてきた。

 

「そういえば、まだ俺の名前すら言ってなかったか。

 俺の軍での名は『アポロ』。本当の名は『ファビオ・アルドミー』だ。よろしくな。」

 

「ん?本名は明かさないルールじゃ···」

 

 さらりと自分の名前を言った男────アポロに、ちょっと疑問を抱いた。

 するとアポロは、にっ、と歯を出して笑った。

 

「俺は元々そっちの家と関わりがあったんだよ、天々座理久。」

「···俺の名も知ってたんですか。」

「ああ、理央さんには世話になった。お前の話はうんざりするほど聞かされたぜ。」

 

 懐かしむような顔でアポロは言った。

 そして再び俺を見る。

 

「とにかく、戦う分にはかなり心強いってことはもう分かってる。それなりに前衛で活動してもらうぞ、『ワイルドギース』。」

「······!分かりました」

 

 その呼び名を聞いて、俺の気も引き締まった。

 

 

 

 ────そうだ。

 俺は戦場に来ているんだ。

 

 

 

 そんな俺の様子を見て、アポロは納得したように頷き、一枚の紙を俺に渡した。

 

「そこがお前の、これから向かう部隊だ。もちろん、一つ一つの部隊長はお前の素性など一切知らん。いい待遇は期待するなよ。」

「勿論です。」

 

 毅然として俺は頷く。

 安らぎは、あの街に置いてきたのだから。

 

 俺が礼をし、この場を去ろうとすると、アポロが引き止め、真面目な顔になって言った。

 

「それとな、忘れるな。確かにお前は俺の恩人の息子ではあるが、俺の下では一般兵と同じく一人の兵士でしかない。妙な哀れみは望むな。」

 

 まあ、当たり前の事である。正直言えば、コネが作れないのは少し残念だが。そもそも、もとよりこう言われることは覚悟していたわけだし、俺が泣きつく理由もない。

 

「はい。」

 

 俺は敬礼し、真っ直ぐアポロを見た。

 それを見てまたアポロは頷き、真面目な顔のまま、最後に一言、力強く言った。

 

 

「武運を祈る。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第6話 サンタマリアと灰の空

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部隊に所属して、実力のテストを受けた後、実戦に投入されるようになって、それから半年ほど経った。

 

 

 戦場に来て実感したことは、俺には信頼関係という意味でアドバンテージがあったということだった。

 

 ほかの連中は、みんな軍から上がってきた人間だったが、俺はただ一人、親の繋がり、というイレギュラーな入り方をしたので、見知った人間が一人もいないのである。

 オマケに、俺は15歳ということもあって、周りと比べてかなり年が若く、周りと話すのも気が引けた。

 最初のうちは、大したことなどないと高をくくっていたが、現実問題として、意外とコレがきつかった。

 その日の実戦を終え、帰ってきた後、心を安らげる手段はここでは限られていて、それ故に『仲間との会話』というのはなかなかに重要なリラックス法の一つであった。

 

 だが、俺にはそれが出来ない。

 その為、精神的にだいぶ参ってしまう部分が強かった。

 

 また、単純に実戦においても、信頼を置ける仲間がさほど多くない、というのが、ストレスを増やす要因ともなっているのだった。

 

 それでもなんとか、家族のことを考えながら、日々を必死に乗り越えていた。

 

 

 そんなある日のことだった。

 

「今日は、俺の補佐に就いてくれ。」

 

 隊長のギルバートから、突然そう言われた。

 隊長の補佐といえば、つまりは副隊長だ。

 かなり重要な役目になる。

 しかし俺にとっては、ただがむしゃらに戦っていただけだったから、そんな重要な仕事を俺が出来るとは思えなかった。

 そんなことをギルバートに言うと、彼はカラカラと笑い、

 

「安心しろ、俺の補佐と言っても、いつもいつも俺をサポートしろってことじゃない。本当に必要な時だけ、補助に回ってもらうだけさ。それに、俺は元々簡単に死ぬタマでもねえよ。お前が大きな決断をしなきゃいけない場面は、なかなか来ねえから、な?」

 

 そう言って笑った。

 

 確かにそこまで言われると、さほど問題視するようなことでも無いような気がしてしまう。

 ギルバートの戦闘における実力は、既に何度も見ている。しかし何度見ても、あの状況判断力と、狙撃能力・近接戦闘力など、どれをとっても彼は一流だ。

 

 彼の補佐、というならば、自分も安心していられる節があった。むしろ、前陣で戦場を見られるいいチャンスだとも思った。

 

 本当はこの時、俺はもっと注意深くあるべきだったのかもしれない。

 しかし、目の前で笑う隊長の、あまりにあっけらかんとした顔が、どこか俺の警戒心を緩めていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 灰色の空が広がっている。

 

 俺達は、想像以上の苦戦を強いられていた。

 早いところ攻めきってしまいたいが、いかんせん敵の防壁が強く、迂闊に攻めると返り討ちにされる。

 なので俺達は、少し離れた位置からの銃撃部隊と、銃撃で出来た隙を見計らって突入する攻撃部隊に分けて戦っていた。

 

 俺と隊長は、銃撃部隊で戦っていた。

 しかし、遠方からの銃撃戦も、守りが堅牢なうえ、土煙を爆風が掻き混ぜるために視界が悪くなっており、俺達はなかなか好機を生めずにいた。

 

 こういった神経戦は当然、守りの強い方に分がある。

 だからこちらは、流れを変える一手を必要としていた。

 

 しかしどうすれば、と思慮している俺の肩を、誰かが後ろから不意に叩いた。

 振り返ると、そこにいたのはギルバートだった。真剣な顔でこちらを見つめている。

 

 

「······こういう事を、特にこんな場所で聞くのは野暮でしかないのは分かってるが、聞かせてくれ、ワイルドギース。

 お前は、どうして戦うんだ?」

 

 

 ギルバートは、言いにくそうに言った。

 

 けれどこの問いには、ずっと自問自答してきたから、すんなりと答えられる。

 

「······家族に会うためです。親父も母さんも、妹もいます。皆の笑顔をもう一回見るために、俺はここで生きているんです。」

 

 俺の答えに、ギルバートは、そうか、と頷いて、微笑んだ。

 そして下を向き、また口を開いた。

 

「······やっぱり、お前は強いな。」

 

 そう言うと、彼はまたふっと笑った。

 

 「わずか15歳で、誰と交わるでもなく、一人で戦場にいて·········若くしてそんな過酷な運命を背負う理由はきっととてつもなく重たいんだろう。でもお前は、その重圧に負けずに、生きる目的を見失わずにいる。

 俺なんかより、ずっと強い。」

「隊長······?」

 

 彼が、普段しないような話を突然するものだから、俺は首を傾げた。

 すると彼は、少し悲しそうな顔をした。

 

「······俺もな、家族を置いてきていたんだ。妻と、息子だ。

 俺は25で軍に来て、もう十年くらいになる。でも、世界各地の戦場に出始めて、その恐ろしさを知ってしまってから、俺はいろんなことが怖くなってしまった。

 家族を渇望して、その上で死んでいったとして、俺は一体どれほどの苦しみを抱えているんだろうか、とか、どれだけの物を失うものになるのか、とかな···

 そう思うのが怖くて、俺は家族の事を忘れたまま、孤独に戦っていこうと決めた。

 孤独に戦い、孤独に死ぬ、亡霊のような人間になれればいいと思った。

 ······その時から、生きる目的だとか、そういうものも無くなってしまったような気がしてな······ただ、惰性で生きているような、そんな人間になってた。」

 

 そこまで言うと、彼はこちらを向き直った。

 

「···でも、この半年、お前が必死で生きようとする様が、俺に教えてくれた。俺が忘れていた、生きる目的を。

 感謝してるぞ、ワイルドギース。」

 

 そして、銃を構え、独り言のようにつぶやく。

 

 

 

「······俺はまだ、死にたくない。

 だから、戦う。」

 

 

 

 普段とは真逆の顔を見せた、静かな隊長は、岩陰から顔を出し、銃を構えた────

 

 

 

 

 

 

 ────ほんの一瞬だった。

 頭を少し出した、そのわずか一瞬の後、ギルバートは、ぐらりと崩れ落ちた。

 

 あまりに瞬間的なその出来事に、全く頭が動かない。

 

 

「隊···長······?」

 

 呼び掛けても、ギルバートは、目を大きく見開いたまま、動かない。

 彼の脳天から、血が溢れ出ている。

 

 

 

 それを見て、ようやく理解した。

 頭を流れ弾に撃ち抜かれたのだ、という事に。

 

 

「隊長!!」

 

 混乱する頭で、必死に声をかけるも、やはり反応はない。

 即死だったのだ。

 

「くそ······くそ!嘘だろ!?何でよりによってこの人に当たんだよ!

 家族だっていたんだぞ、この人には!

 こんな呆気なく終わっていいのかよ、命って!」

 

 涙が止まらない。

 悔しさや、悲しみや、行き場のない怒りが、ごちゃ混ぜになった涙だ。

 誰にともなく発した、俺のその絶叫は、砂の舞う戦場に虚しく響いた。

 

 

「······い!おい!ワイルドギース!」

 

 茫然自失としていた俺を、後ろの仲間が呼んだ。

 

「気を取り直せ、今の副隊長はお前だ!指示を出すんだ!」

 

 

 言われてはっとした。

 俺が動かないと、今度は全員が犠牲になってしまう。

 

 敵がいつ攻撃に転じてもおかしくない、この危機的状況を打破しない限り、俺たちの勝ちはない。

 俺は涙を拭い、無線機を乱暴に掴んだ。

 

 

「全隊に告ぐ!ギルバート隊長が負傷につき戦線を離脱!現時点をもって、指揮はワイルドギースが代わってとる!」

 

 

 俺の声が辺りに響く。

 きっと人生で、一番力強い声だったろう。

 

 

 

 

 

 

 それから戦況は急速に展開した。

 俺は銃撃部隊から、相手に気付かれないための二、三名の精鋭のみによる奇襲部隊を作り、防壁を剥がしていった。

 その変化に対応してか、敵軍も一転して攻撃に転じた。

 

 そして、最後には互いに全軍が真っ向からぶつかり合う、攻撃のしあいになった。

 

 

 そんな泥臭い戦いから、一時間あまり経った頃。

 

 無線から部下の声が聞こえてきた。

 

 

「······全隊へ報告!敵隊の長が降伏を宣言しました!それに伴い、敵隊全兵の捕縛を完了しました!」

 

 

 響いてきたその言葉が、俺の動作を停止させる。

 極限まで疲れきった脳みそが、その言葉をゆっくりと理解しようとする。

 周りの兵たちも、みな沈黙している。

 

 そして無線機から、続けて言葉が告げられた。

 

 

「我々の······勝利です!」

 

 その短い言葉が届いた瞬間、身体中の力が抜けた。

 

 

 ────やっとか、やっと終わったのか······

 

 

 8時間くらいは続いた神経戦。

 辛くも俺達は勝利して終えられた。

 そのことから来る安心感が、溜まりに溜まった疲労感を解放した。

 

 

 周りを見ると、仲間たちはみな、歓喜の声を上げている。

 だが、俺の抱えていた感情は、歓喜などとは真逆の、失ったものに対する悲しみと、ひたすらの虚無感、そして恐怖であった。

 

 

 

 

 

 

 

 軍に戻っても、悲観も虚無感も消えることは無かった。

 ただ一人、呆然とする時間がひたすらに過ぎ、辺りが真っ暗になった頃、外が少しざわめいているのが聞こえてきた。

 

 何かと思って狭い部屋の窓を開け、声を聞いてみる。

 すると、騒いでいたのは、どうやら見張り役の仲間であると分かった。

 

 

「あ、あなたが、何故ここにいらっしゃるので!?」

「ああ、まずは今日のこの軍の勝利を祝いに来た。ご苦労だったな。」

 

 見張りの質問に答える男の声に、俺は正直驚いた。

 

 その声の主は、アポロだった。

 

(なんで総隊長がここにいるんだ······?)

 

 俺がそんな疑問を抱いていると、アポロは続けて言った。

 

「まぁ、今日来た本来の目的は、今回の戦いで指揮をとっていた男に会うためだ。」

 

 それを聞いて、俺はぎくりとした。

 

(勘弁してくれ。今は人に会えるような顔をしてないのに···。)

 

 しかしそんな俺の思いなどつゆ知らず、

 

「ああ、ワイルドギース君ですか。奥の部屋におると思います。」

「おう、すまんな。見張り御苦労。」

 

 ···とまあ、こんな感じで普通に入ってきてしまうわけだ。

 細かい用件も聞かずにホイホイと中に入れてしまう見張りを一瞬恨むも、よく考えたらあの威圧感を常に放つ男に何かを聞き返すなんて真似、俺でもしたくない。

 

 つまりは全部アポロのせいだ。ちくしょう。

 

 

 などと思っていると、無駄に思えるほど大きな足音は、いつの間にかすぐ側に来ていたと気付いた。

 

 そしてドアが開く。

 一度見たら忘れられないような強面が、俺の目に映った。

 

「よう、調子はどうだ···と、言いたいところだが、随分しけた面してやがるな、ワイルドギース。」

「······ご無沙汰してます、総隊長。こんな面じゃあなたに会いたくもないですね。正直今すぐ帰っていただきたいです。」

「ハハ、相変わらず生意気だな。」

 

 俺の恨み節も笑ってかわされ、なんだかもうそれだけでどっと疲れてしまう。

 しかし、アポロはその笑みを収め、ところで、と低い声で話題を切り替えた。

 

「今日の戦いの指揮は、お前が執ったそうだな。」

「·········はい。」

 

 あまり触れられたくない話題である。最も、一人でいたって考えてしまうことではあるのだが。

 

 アポロは俺の隣に腰掛けた。

 

「ギルバートの死のことは聞いたぞ。···残念だが、アレは避けられない死だった。それは、お前にも分かるよな?」

「······分かってます。」

「そしてその上で、お前は臨時で指揮を執り、見事に軍を勝利に導いた。

 今回の相手は、敵軍の主力軍隊の一つだった。だから被害はあれども、あの隊を落とせたのはかなり大きなことなんだ。」

「···それも、分かってます。」

 

 

 そう、分かってる。

 分かってるんだ。

 俺にはあの時、隊長を助ける術もなかったし、今回の敵の力量を見ても、これはかなり大きな勝利だったと言えるはずだ。

 結果的に俺が今日やれたことは、自分の力を最大限生かしたものになったし、それは確かに成果を示した。

 

 しかし、しかしだ。

 

 

 

「···ならなぜ、そんな顔をしているんだ。」

 

 ────そう、俺の心はまるで冴えていない。

 むしろ、意志が凍ってしまったかのように動かなくなっていたのだ。

 

 そして、何故そうなったか、という理由についても、きっと俺は分かっている。

 

 

「······隊長が目の前で死んでいった時、何が起きたのか、本当に分かりませんでした。」

 

 

 語りながら、身体の震えが起きるのを感じる。

 

 俺は、死というものは、人によって整然と並んであるものだと思っていた。

 

 でも、違った。死は、ここにおいてはまったく無秩序に、どこにでも転がっていて、一度絡み取られたら、誰かの手で救うことなど出来やしないのだ。

 

 そしてそれは、誰にともなく降り注ぎ、音もなくその人の一生を終えさせる、ということでもある。

 その人間がどれだけの者を愛し、覚悟を決め、何かを残していたとしても、死は無慈悲にそれらを無かったことにする。

 

「···そう分かってしまったのは、俺が指揮を執り、限界まで頭と力を使い、ギリギリで死線を越えたあとでした。

 もし俺が何か間違えたら、あの時俺は死んでいたんじゃないかと···そんな瞬間は何度かあったけれど、あの時は気が昂って、そのことに気付けませんでした。

 でも冷静になって、考えてみて、自分も死がそばにあったことを思い出して···

 ···馬鹿らしいけど、正直に言うと、怖くてしょうがないんです。戦場に出るのも嫌なほど、家族のいないところで死んでいくのが、無性に怖くて·········俺は、このまま生きていけるか、分かりません。」

 

 淡々と、自分の身の内に巣食う感情を吐き出した。恐怖というものは、人に遠慮を忘れさせるようだ。

 

 

「···ならば、どうする。」

 

 表情を変えず、アポロは聞いてくる。

 

「克服した恐怖は、自分の武器になる。最後の最後まで死に抗い続ける原動力になる。

 だが、飼い慣らせずに残った恐怖は、どんな時にも邪魔になる。お前の動きを狂わせる。

 その恐怖をどうにかしない限り、お前はここでは無用の長物だぞ。」

 

「············」

 

 厳しい口調で言いきると、アポロは席を立った。

 

「今回ここに来たのは、それを伝えるためだ。自分の納得いく答えは、自分で探せ。何度も言うが、俺は必要最低限のサポートしかせんぞ。」

 

 そしてアポロは、じゃあな、と言って出て行った。

 当の俺は、動けずに固まっていた。

 

 

 アポロの言うことはもっともだ。

 さっきからずっと起きている手の震えはきっと、いつまでも続く。────恐怖を何らかの形で乗り越えない限り。

 

 でも少なくとも、恐怖を克服し、生きる意志へと繋げていくことは、弱虫の俺には絶対に出来ない。

 ただひたすらに死が怖い。

 死が目の前まで迫れば、きっと俺の身体など、まるで動かなくなってしまう。そうして、みすみす死んでいくのが目に見える。

 

 

(······だったら)

 

 

 出来ることは、一つしかない。

 恐怖を、感情そのものを、無くすことだ。

 機械のように、自分のやることを淡々とやるだけ。人との交わりも最低限にして、恐怖も情も、すべて消し去ってしまえばいい。

 それは結局、恐怖を乗り越えたとは言えないのかもしれない。

 でも、弱い俺が生きていくには、そうするしかないのである。

 

(いくら冷徹と言われようと、人ならぬものと扱われようと、淡々としていればいい。)

 

 それで誰からも愛されなくなったとしても、自分を含めて一人でも多く救うことが出来るなら、機械にだってなんだってなってやろう。俺はそう思った。

 

 心の奥底で、その選択を責める声がしたが、強引に押し殺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな夜から、3年半の月日が流れた。

 

 あの日から、俺はめまぐるしく変わっていった。

 誰かが傷つき、あるいは死んでも、知らん振りをずっと続けてきた。その結果、俺は、恐怖も含めた感情のほとんどを、何に対しても抱かなくなったのだった。

 

 まさに『機械』。

 誰に誇れる生き方もしていない。

 ただ自分が生きるための手段を掴んでいるだけだ。

 その弊害として、失ってしまったものは沢山あっただろうが、気が付けばそれを数えるのもやめていた。全く以て阿呆らしい生き方である。

 

 しかし結果的に、そういったやり方で蓄えてきた功績は計り知れないほど大きくなっていって、俺は昇進に昇進を重ねていた。結果、もうすでに、最前線の隊長としての地位を確立させていたのだった。

 

 

 そして、隊の基地にて。

 

 今日も同じ時間に目を覚まし、身支度を整える。

 誰がそうしろと言った訳でもないが、目を覚ます時間も、身支度にかかる時間も、数秒のズレもなく毎朝同じだ。余計なことを何も考えないせいかもしれないが、これでは本当に機械みたいだな、とつい苦笑してしまう。

 とはいえ、こういう暮らしが日常的なものになってしまったから、今更違和感を感じることもなかった。

 

 必要最低限の食料を口に放り込み、外に出る。

 見張りに礼を言ってから、軽く身体を動かし、暖める。

 三十分ほどのウォームアップを済ませると、隊の一般起床時間を示すチャイムが鳴った。三分ともせず、全員が集合した。

 

「···おはよう、諸君。今日は敵地の偵察をメインにする。各々、決められた班員で分かれて向かえ。敵軍に動きがあるようなら、すぐに知らせて引き返せ。以上だ。」

 

 隊員が整列を終えたのを見届けてから、一気に指示を出す。こんな流れ作業のようなやり方も、今の俺であるが故だ。

 指示を終え、ベースキャンプの中に颯爽と戻っていく俺の後ろから、部下の小さな声で放たれた言葉が飛んできた。

 

 

「······相変わらず、威圧感すげえな、隊長は······

 ────さすが『死神』だよ。」

 

 

 ────『死神』。

 感情を捨てた故、敵を殺すにも躊躇が亡くなった俺に、誰かが言い出した呼び名だ。

 部下達はバレないように言ってるのだろうが、いくらそうだとしても、ずっと隊にいれば隠し事の一つ二つは嫌でも耳に入ってしまう。

 別段、そこに俺を蔑視する目的はないようで、むしろ戦場でその冷徹さは評価されている節もあるらしい。

 

 ······しかし、いよいよそう評されると、自分は完全に人ならぬものになってしまったような気がしてならない。

 こんな俺の姿を見て、家族は喜ぶのだろうか。別人のように変わり果てたこの姿に、みんなは俺を突き放したりしないだろうか。

 

(······突き放してくれるのは)

 

 むしろ楽だと、そう思うところもある。自分が周りの目を気にして、もう過去の姿に戻れぬまま曖昧な暮らしをするよりは、完全に居場所を無くしてしまえれば、きっと色々楽だろう。

 そうして居場所を失いきる前に、たった一度だけでもいいから、家族の顔を見たい。この願いが叶うなら、後先などどうだっていいのだ。

 そんな思想を断ち切るように、俺はヘルメットを被った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「隊長!ダメです、隊形が崩され始めてます!」

 部下からの無線に、俺は舌打ちした。

 ここ最近、相手にはずっと苦戦を強いられていた。何度か撤退を余儀なくされて、今もかなり追い詰められている。

 

 最近は、何かがおかしい。

 俺がこの隊に来たばかりの時は、確実にこちらが優勢だった。それこそ、勝利も見えそうな程に追い込んでいたはずなのに。

 そんな戦況の揺れあいが、ここ二、三年は顕著なのだ。

 

 

 

 

 まるで誰かが、意図的にこの長期戦を仕組んでいるかのような、露骨なシーソーゲーム。

 考えすぎとは思うが、どこか嫌な予感がする。

 

 

 

 

(······ともかく)

 

 今重要なのは、可能性の低いifの話ではない。この状況をいかに打破するかである。

 ここは元々、人の住んでいた村だったため、資材は多い。それ故、トラップなんかは仕掛けやすくはなっている。···とはいえ、無意味な破壊はやってはならないが。

 

 俺は左上を見上げた。

 工事中に戦争に巻き込まれたのか、大量の鉄材が吊るしあげられたままになっている。

 次に前方を見渡す。

 敵は、好機と見てこちらに突撃してきている。

 

(······やってみるか。)

 

 成功するかは分からないが、もし上手くいけば敵軍を止められるし、ダメージもでかい。どのみちこのまま戦っても、勝機は薄い。そういう意味では、ローリスクハイリターンだ。

 

「全隊、下がれ!」

 

 無線機で鋭く指示を出す。

 ほとんど時間を空けず、指示通りに引き下がってきた部下を見届けてから、ライフルを構えた。

 

 狙いは、鉄剤を吊るしあげている留め具。

 ここから優に100mは離れているが、狙い澄ませば不可能ではない。

 

 引き金を引くと、一気に十発近い弾丸が連射される。

 狙いから逸れることなく、弾丸は留め具に直撃した。

 

 瞬間、ワイヤーが外れて、無数の巨大な鉄材が地面に落下していく。そしてそれらは丁度、敵兵の密集地帯に落ちていった。

 完全に狙い通り、敵の動きをストップさせられた。

 今の内にこちらの隊形を整えようと、周りを見渡した時、視界の端に、ちらりと二人分の人の影が見えた。

 

 住宅の陰になって見えずらい位置であったが、目を凝らすと、服装から、軍人ではないことが分かった。倒れ込んでいる一人の男性に向かい、もう一人の女性が必死で呼びかけている。

 この戦況から逃げ遅れ、先程までの銃撃戦で運悪く被弾してしまった一般人なのだろう。

 彼らは家族だろうか。この場所に一人で残るメリットなどないから、恐らくやむを得ずここに留まった家族だろう。

 砂埃が舞い、弾丸の飛び交うこの場で、家族が凶弾にさらされた恐怖を思うと、胸が痛む。

 

 

 

 「···隊長!早く指示を!せっかく作った時間です!」

 

 すぐそばにいた部下からの声に、俺ははっとした。

 

 そうだ。今彼らの身を案じる余裕など、今の俺には無い。

 軍が敗れれば、俺も死ぬ。気の毒ではあるが、こちらも退っ引きならない理由を抱えているのだ。

 俺はこういう犠牲に動揺しないために、そのためにこんな自分を選んだのだ。

 仕方ない。こうするしかない。こうするしか·········

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────さすが『死神』だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心の奥で、さっき聞いた言葉がこだまする。

 

 その声が響く度に、さっきの彼らと、愛しい家族の顔が繰り返し現れた。

 

 

 

 

 

 

「······すまん。隊列を組み直しておいてくれ。すぐ戻る。」

 

 

 指示を出すために開いていたはずの口は、見当違いの言葉を吐いた。

 その言葉を受けた部下も、予想だにしない言葉に呆然としていた。

 彼の言葉を待つこともなく、俺はあの二人の方へ走り出した。

 後ろから必死で呼び止める声がしたが、俺の足が止まろうとしない。

 

 

 二人の男女は思っていたより若く、新婚か、或いはこれから結婚するか、という歳に思われた。

 二人の元へたどり着いた時、女性は、気を失っている男性の手を握りながら、驚いた顔でこちらを見た。軍人がこんなところに来やしないと思っていたろうから、驚くのも当然だ。

 というか、むしろここへ来ることを決めた、俺自身ですら驚いていたのだから。

 

 しかし、その顔も一瞬で、今度は祈るように泣き出した。

 

「お願い······お願い!彼を助けて!さっき撃たれてから、目を開けないの!このままじゃ、彼は······彼は······!」

 

 そのあまりに真っ直ぐで、強い想いと瞳が、激しく俺の胸を打った。

 彼女もまた、足を怪我していて、立つこともままならぬ状態なのに、必死で男性を救ってくれと言っている。

 俺がずっと忘れていた命の輝きを、必死で手放すまいとする姿は、俺の何かを溶かしたような気がした。

 

 ずっと頭に響いていた、そんな奴らは捨て置け、という冷静な声は、パタリと止んだ。

 

「···手は離すなよ。」

 

 そう一言だけ言い、二人を担ぎ上げた。

 そして一気に、ベースキャンプへと走っていく。

 

 

 戦場で、しかもよりによって隊長の俺が、人二人を抱えて走るなど、狂気の沙汰にも程がある。

 

 そんな事は、分かりきっている。

 

 でも、目の前で救いを求められ、しかも命の美しさを思い出して、どうして捨て置くことなど出来るだろうか。

 

 俺が諦めてきた、或いは葬ってきた命は、こんなにも美しい光となることを、今更ながら思い出したのだ。

 もう足など止まりはしない。

 

 

 

「······医療班!怪我人だ!男性の方は瀕死なんだ、救ってやってくれ!」

 

 キャンプに着くやいなや、俺は叫んだ。

 既に医療室は、負傷した兵で埋まっていた。

 

「ちょ、ちょっと!ここはもう人がいっぱいですよ!どこの誰とも分からない民間人の治療をする場所も時間もない!」

 

 医療班長の男が、怒ったように言う。

 しかし、俺も引かずに言い返す。

 

「そこを何とか頼む!今すぐ治療すれば何とかなるかもしれないんだ!功徳と思って助けてくれ!」

「そ、そう言われても······!」

 

 間髪入れずに突っかかる俺に、班長も困惑している。

 しかし、この男に言っても無駄かもしれない。実際問題、スペースが空いていないのだから。流石に、他を押しのけるわけにもいかない。

 

(だったら···どうしろって言うんだ、クソ······)

 

 ここまで来て、彼らを救えないのか。

 必死で伸ばしている手を、掴んでやれないのか。

 

 自分の無力さが恨めしい。

 この一番重要な場面で、何も出来ないのが、本当に悔しい。

 

 

 俺は失意と絶望に、肩を落としかけた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その時だった。

 

「その患者、私が引き受けます!」

 

 奥の方から、そんな声がした。

 驚いて声の主を見ると、そこには柔らかく、しかし、力強い瞳をした女性が立っていた。マスクや帽子のせいで顔は見えないけれど、ただその間から覗いている瞳だけで、心が落ち着くような────そんな雰囲気を纏った女性だった。

 

「お、おい、ウィステリア!お前さっきまで他の兵の治療を···」

「もう終わらせました。私が一番早く、この二人を治療出来ます。」

 

 毅然として、ウィステリアと呼ばれた彼女は答えた。

 しかし、班長は首を縦に振らない。

 

「お前、これ以上兵が追加で来るかもしれないんだぞ!?そんな状況で、民間人二人もここに置いとく余裕があるか!?」

 

 その問に、ウィステリアは目を逸らさず答えた。

 

 

「命は命です。誰のものでも関係ない。ただ救いを求める人を救えるだけ救い、その人自身と、その人の持つ歴史を守ること。それが私たちの指名です。()()()()()()()()()()()ことしか、私達にはできないのです。」

 

 

 ────守れるだけのものを守る。

 彼女のその言葉が、深く突き刺さった。

 

 俺が戦っていた理由は、決して自分が生き延びたいからではない。

 ()()()()()()()()()

 家族を。

 その笑顔を。

 その生活を。

 

 

 

 ウィステリアは、続けて言った。

 

「······私の元に来た全ての人の命は、私が責任を持って預かります。だからどうか、この二人の治療を今すぐさせてください。」

 

 そう言って、深く頭を下げた。

 

 

「······俺も、責任を取る。だから、俺からも頼む。」

 

 自然と口から出て来た言葉と共に、俺も頭を下げた。

 

 

「·········ああ、分かったよ!患者は詰まらせるなよ、絶対に!」

 

 一度に二人から頭を下げられ、とうとう班長も折れて、歩き去っていった。

 これで、この二人の治療ができる。

 そう思うと、心の底から安心した。

 

「······ありがとう、君のお陰だ。」

 

 俺はウィステリアに礼を言った。

 しかし彼女はやんわりと首を横に振り、

 

「いいえ、彼らの命をここに繋げてくれたのは、他でもなくあなたです。今あなたは間違いなく、希望を繋いでくれたんです。」

 

 そしてまた、深く頭を下げた。

 

「······ありがとうございました。この命、必ずお救いします。」

 

 突然の礼に驚いていると、俺に抱えられていた女性が身を震わせて泣いているのがわかった。

 

「······本当に······助けてくれますか······?」

 

 か細い声で聞く。

 ウィステリアは、それに応えるように、マスクと帽子を外して、言った。

 彼女の髪は、水色に透き通って、美しかった。

 

「任せて下さい。絶対に救います。」

 

 その言葉とともに浮かべていた、ウィステリアの微笑みは、何とも優しく、しかし力強く、そこに在った。

 その輝きにしばし呆然としていると、ウィステリアはこちらを向き直った。

 

「この二人は私に任せて、あなたは今すぐ、戦場へ戻ってあげてください。お仲間も待っていると思います。」

 

 そこまで言われて、ようやく我に返った。

 そういえば、戦場を部下に預けていた。そこそこに能力のある奴だからさほど心配はしていないが、それでも俺は急いで戻らねばならない。

 

「······すまない、頼む。···心より感謝する。」

 

 二人を預け、もう一度ウィステリアに頭を下げた。

 ウィステリアは優しく手を振ってくれた。それに背中を押されるように、俺はキャンプを出た。

 

 

 

 

 

 

 戦場に戻る途中の道で、涙が止まらなかった。

 

 

 ────今あなたは間違いなく、希望を繋いでくれたんです。

 

 

 ウィステリアのその言葉が、心に広く染み渡っている。

 

 自分が直接的に、あの二人を救えたわけではない。

 しかし、自分があの時一人で動いて、二人をキャンプへと連れて行ったことは、決して間違いなんかではなかった。

 

 彼女のその言葉が、それを肯定してくれた。

 

 それだけで自分の、ようやくにして殻を破れた心が、どこまでも暖かく感じられた。

 

 

 戦場ではどこまでも灰色の空が広がっていた。

 しかし今の俺には、そんな空でさえも、希望を持っているように思えた。




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