ご注文は「残されたわずかな時間」ですか?   作:らんちぼっくす。/ヘスの法則

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一応、一番力入れた話です。
宜しくお願いします。


第7話 戦場に花は咲き、またそこで枯れる

 第7話 戦場に花は咲き、またそこで枯れる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、久し振りに星空を見た。

 戦場へ来てから、初めて見たような気もした。

 

 けれど、この地に来てから、きっと空は数え切れぬほど晴れたのだ。

 ただ自分が、その美しさに呑まれてしまうことが恐ろしくて、自分から目を背けていただけだ。感情を捨てるということは、そういう事なんだと、ようやくにして気付いた。

 

 

 あの後、結果として戦況はこちらに大きく傾き、急激な勢いをもって俺達の勝利となった。

 とはいえこちらもかなり疲弊してしまったため、夜になった瞬間、全員泥のように眠っていた。

 

 俺も、普段通りならきっとぐっすりと眠っていただろう。

 

 けれど、俺は眠れなかった。

 

 何故だか、突然直情的な人間になってしまった自分。

 戦場においてそれは間違いだ、と言い聞かせてきたのに、今日あの二人を咄嗟に助けたことには、不思議と微塵の後悔も感じていなかった。

 それだけでなく、もしそれが原因で今日の戦いで負けていたとしても、きっと後悔などしないだろうという予感さえあった。

 

 不意に、昼のことを思い出す。

 

 眠れない理由は、きっともう一つある。

 昼間に見た、ウィステリアというあの女性が、頭から離れなかった。

 

 何故だか、見ているこちらまで優しくなって、強さを貰えるような、あの笑顔。普段こんな事など思ったことすらないが、今はあの人に会ってみたくてしょうがなかった。

 きっと答えがあろうとなかろうと、なんとなく、彼女に聞きたかったのだ。

 自分とはなんなのだろう、と。

 

 

 しかし、一度顔を合わせただけというのに、また会いに行く理由がどこにあるのかと言われれば、そんなものは存在しない。

 

 会うのは簡単だ。医療班が睡眠にとるスペースは決まっているから、そこへ行けばいい。

 しかし、頭の中で悶々と渦巻く葛藤が、それを躊躇させていた。

 

 そして、行くか行かぬかさんざん悩んだ挙句、

 

(···まあ、あのふたりの容態も気になるからな)

 

 と無理矢理理由をつけ、会いに行くことにした。

 他人の事情にかこつけなければ、女性ひとりに会いに行くことも出来ない自分の気の弱さにうんざりしながら、俺は外に出た。

 

 

 外はあまりに静かで、逆に戸惑ってしまうほどだった。

 そりゃそうだ。これまでは、戦っていない時は、何も感傷に浸ったりはしなかったのだから。

 耳をすませば、水のゆったりと流れる音が聞こえてくる。

 こんな近くに川など流れていたのか、と思っていると、そちらから何かを感じた。

 人の気配だ。

 

(こんな夜中に···誰だ?)

 

 よもや敵が、と軽く身構え、気配を殺して近付く。

 すると、静かに音を鳴らす川の前に、昼間に見た美しい水色の髪が静かに居た。

 

「き、君は!」

 

 つい驚きで叫んでしまった。

 当然だ。まさか真夜中に川辺で佇んでいたのが、自分が会おうとしていた女性とは思わない。

 正直、もう眠っているんじゃなかろうかと、半ば諦めた状態だったので、会えたこと自体驚きであった。

 

 俺の叫び声に、ウィステリアはゆっくり振り返った。

 すると、彼女もすぐにこちらが分かったのか、笑顔で応えてくれた。

 

「···こんばんは。」

 

 相変わらず優しい声で、彼女は言った。

 昼間も思っていたが、日本人の顔たちで、やはりどこか安心感がある。

 

「あ、ああ。こんばんは···」

 

 実際にこうして会うと、どう話していいかわからなくなって、つい変な返事をしてしまった。そんな俺の様子が可笑しかったのか、ウィステリアはくすり、と笑った。

 

「······あの患者の容態はどうだ?」

 

 なんだか小っ恥ずかしくて、何か話さないと、と慌てて口を開く。

 

「無事ですよ。まだ油断はできないですが、意識は回復しました。」

 

 それを聞いて、俺は安心した。

 あの二人は救われたのだ。そう思っただけで、胸が温かくなった。

 そんな俺に、ウィステリアは語りかけた。

 

「あの、よろしければこちらにいらっしゃいませんか?この距離で話すのも、なんだか変な気がしますし。」

 

 俺達は木を隔てて、少し離れたところで話をしていた。

 彼女が一人でいたがるようなら、俺もこのまま立ち去っていたのだが、普通にこちらを受け入れているようなので、近くでぜひ話を聞きたいと思った。

 

 促されるまま、彼女の隣に近付いた瞬間────

 

 

 

 俺は息を飲んだ。

 

 

 一欠片の雲もなく、満天の星が広がっている。

 更に目の前の澄んだ川にも、星が映って輝いている。

 川は空の方まで続き、従順に星を映している。そしてそれは果て知れず、地平線の向こうまで続いていた。

 

 まるで星が、空を越えて地上まで降りてきたかのような眺めだった。

 

 俺は言葉も忘れ、呆然と立っていた。

 こんなにも荘厳で、美しい眺めなど、生まれて初めてだった。

 

 そうしてしばし呆然としていると、隣でウィステリアがまたくすり、と笑った。

 

「······何が可笑しかった?」

 

 ちょっとムッとして、彼女に問う。

 彼女は慌てて、ごめんなさい、と詫びて、続けた。

 

「突然、あなたが泣き出したから、つい。」

 

 そう言われてようやく、自分が涙を流していることに気が付いた。

 

 ────いつの間に涙など流していたのだろう。

 

(···今日一日で、随分と直情的になったもんだな、俺も。)

 

 心の中で、弱い自分をまた呪う。

 

「···まただ。

 今日は自分がまるで分からない。」

「え?」

 

 愚痴を零すように言葉が漏れる。

 わかって欲しいわけでもないが、俺は言葉をそのまま継いだ。

 

「ここで俺が戦ってるのは、家族にもう一度会うためだ。そうじゃなきゃ、俺みたいな弱虫がここで生きていこうなんて思わない。

 ······そうだ。どうしようもなく弱いんだ、俺は。死ぬのも恐いし、誰かの死を目の当たりにするのも恐ろしい。」

 

 自然と語気が強まっていく。

 

「それでも······生きたかった。生きなきゃならなかった。

 ······だから、感情を捨てたんだ。恐怖とか悲しみとか、全て何も感じないように。

 でも今日、何故かあの二人を見捨てることが出来なかった。これまで、奪ってきた命も、守れなかった命も、諦めた命も、数え切れないほどあったのに。これまでの俺なら、諦めていた命だったのに。

 ······本当にみっともない。捨てようとして、結局中途半端に捨てていただけのものが、たくさんの人を殺したんだ。

 ·········こんな俺の姿を見て、家族は俺を迎えてくれるのかな······」

 

「······大丈夫ですよ。」

 

 

 いよいよとめどなく溢れてきた感情が言葉になった時、隣でウィステリアがそっと言った。

 

「······お話を聞けば、分かりますよ。あなたは優しい人だって。だから大丈夫です。」

 

 俺は黙って彼女の言葉を聞いていた。

 何故だろうか。彼女の言葉のどれもが、俺の心を落ち着けてくれる。

 

「······私もね、本当は臆病な人間なんです。」

 

 ありがとう、と言おうとしたところで、彼女が続けた。

 

「ただ、家族に────妹に、胸を張れる人間になりたかった。だから夢を追って、ここまで来ました。」

 

「妹······」

 

 長らく会えていない妹のことを思い出す。

 辛い時に、何度リゼに救われただろうか。

 

「はい······今、8歳の妹です。辛い時は、思い出すんです。そうしたら、力が湧くから。」

 

 すると彼女は、ちょっと悲しそうに言ってみせた。

 

「······戦場では、きっと生き方に正解なんてないんですよ。兵士の方ともなれば、尚更です。

 どれだけ頑張っても、救えない命、奪わないといけない命は消えないんです。

 その穢れは避けられないものです。だからあなたが戦場に行くことをご家族が認めたのなら、きっとあなたには理屈なんて抜きで、ただ生き延びてほしいって思ってるはずです。」

 

 ウィステリアは空を見上げた。

 

「···『戦場で、ほとんどの人間は人間で居続けられない。命か情のどちらかを失うからだ。

 我々は、人間として居られる()()()()()()()()()()を、守っていくしかないんだ。』」

 

 少し低い声で言ってから、彼女ははにかんだ。

 

「···軍人だった父の言葉です。父は、例えどれだけ辛くても、毎日毎日自分を失わないように戦ってきたそうです。『残されたわずかな時間』を、常に胸に刻んで。

 私も、その言葉をずっと抱きしめていて。」

 

「残された···わずかな、時間···」

 

 

 聞きながら、俺はちょっとした違和感のようなものを感じていた。

 その響きに、どこか聞き覚えがあった気がしたのだ。

 

 ここに来る前に聞いたような、それくらい前の話で確証はないが、なにか懐かしさを感じる響きだった。

 

 どうにも引っかかって、俺は昔へと思いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

 

 ────理久くん。君が戦場に出るというのなら、私からも一つ教えておこう────

 

 

 

 

 

 

 ────そうだ、四年前のあの日、

 親父に戦場の手ほどきを受けていた、その時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その声を思い出して、はっとした。

 同時に、この偶然に驚愕した。

 

 

「······一つ、聞かせて欲しい。」

「···?」

 

 どうしても問いたくて、口を開いた。

 素性の詮索は本来タブーだが、これだけは聞かないと気が収まらない。

 

 

 

 

「君の父ってもしかして······タカヒロさんか?」

 

 

「······え············?」

 

 俺が質問を口にすると、彼女はぽかんと口を開けて、呆然とした。

 

 やっぱりそうだったんだ。

 ウィステリアは、親父の戦友の────香風タカヒロさんの、娘だったってことだ。

 俺もタカヒロさんには世話になったから、あの人のことは印象深い。

 

 

「な、なんで···父のことが分かったんですか······?」

 

 ウィステリアが、やっとのことで言葉を絞り出した。

 あまりにビビりすぎじゃないか、と少し笑いながら、俺は答えた。

 

「さっき君が言った言葉、俺もタカヒロさんに教わってたんだ。ここのところずっとガムシャラにやってたせいで、すっかり忘れていた。」

 

 そう、戦場で戦うことを決意した次の日、俺の元にタカヒロさんがやってきた。

 

 そして渋みのある声で、語ってくれた。

「残されたわずかな時間」の話を。

 その言葉が、旅立つ俺の背中を押してくれたのは、間違いなかった。

 

「······タカヒロさんの娘さんなら、本名明かしても安心出来るな。

 こちらの家のことを君が知っているかは分からないが···天々座 理久だ。よろしくな。」

 

 彼女に少し安心して、同時に身の上話なんかも出来ないものかと、長らく語っていなかった名前を口に出す。

 

「天々座······あっ!もしかして理央さんの息子さんですか?」

 

 一瞬思い出すようにしてから、すぐに彼女は叫んだ。

 

「ああ、親父のことは知ってたのか。」

「はい。よくウチのお店にも愚痴りに来てましたから。『子供達が懐いてくれない〜』とか。」

 

 

 ウィステリアはクスクス笑いながら言った。

 ······愚痴りに来てるって時点で、それはもはや「知っている」というより、悪評で「知ってしまった」感じだと思うのは思うのは俺だけなのだろうか。

 てか親父、わざわざそんなこと言いに行ってたのか。恥ずかしいわ。

 

「······ホント、迷惑かけたな、親父が。」

 

 俺がため息混じりに詫びると、彼女はいえいえ、と首を横に振った。

 

「本当にいい人でしたから。昔、人見知りがちだった私に、優しく話しかけてくれて···理央さんのおかげで、私も随分マシになったんですよ。」

「そ、そうか······?」

 

 親父はそんなにいい奴だったっけ?と、頭の中で疑問符が踊っていた。

 そんな俺をよそに、あ、とウィステリアが声を上げた。

 

「そういえば、まだ私名前言ってませんでしたね。

 香風 智花です。父がお世話になってます。」

 

 そう言って頭を下げるウィステリア、もとい智花。

 ちゃんとスラリと挨拶が出てくるあたり、香風家の教育の良さが伺える。

 

「ああ、よろしくな、智花。

 というか、敬語使わなくてもいいぞ?元々繋がりある者同士だし。」

「そう···ですか?なら、そうしようかな。元々、敬語使うのは固くなっちゃってちょっとイヤだし。」

「おお、そうか。こっちもそれくらいの方がやりやすいから助かるよ。」

「アハハ、良かった。こんな風に話せる人、久しぶりだよ。

 えっと···理久くん、で良いのかな?」

「ああ、好きに呼んでくれ。」

 

 彼女はおっとりと、かつ楽しげに話してみせた。

 そんな感じで、自然と打ち解ける。

 そうして一度落ち着いてみると、ある事がふと気になって、聞いてみた。

 

「そういえば、智花って今いくつだ?」

「私?21歳だよ?」

「近い!?」

「あれ、意外だった?」

 

 正直不思議な感じだ。

 先程までの落ち着いた感じは、俺よりも大人びた雰囲気だったから、少なくとも五つ、六つは歳が離れているのかと思っていた。

 そんなことを言うと、智花はなるほどね、と笑った。

 

「環境がそうさせたのかな。実家がコーヒーメインの喫茶店っていうのもあって、同年代の友達と遊ぶ機会もなかったし、小さい頃から医者を目指してたのもあって、大人の人と話す機会が多かったし···。」

 

 そんなものなんだろうか、と俺は思った。

 ただ、自然体で話している今の智花のハキハキとした様子を見れば、なるほど、歳相応なのかもしれない。

 

 しかし、昼間のような強い姿と、今のような柔らかい様子ではまるで違うはずなのに、どちらの姿の智花にも違和感がない。ぴったりとその姿がはまっている。

 それはきっと、その一瞬で背負っているものは違えど、確固たる「自分」を失っていないからだろう。

 俺のように、ただ生きることに固執するのではなく、自分がどういう人間であるべきなのかを、ちゃんと分かっているのだ。

 その彼女の強さは、まだ若くして軍医になることを決意し、ここまで努力してきたことからも明らかだ。

 

「······智花は凄いな。俺なんかよりずっと、覚悟がある。」

 

 自然にそうこぼしてしまう。

 智花は照れくさそうに頭をかいた。

 

「いやいや、不甲斐ない姿じゃ家族に申し訳ないし···何より、妹にカッコいいところ見せたいから、ね。

 せめて夢を追ってる姿の背中くらい、見せてあげたいから。」

 

 

 そうだ。

 彼女はいつも、家族のことを考えているんだ。

 いや、俺も忘れてなんかいない。ずっと想ってきた。

 でも俺は、「会いたい」と思うばかりで、自分がどんな姿でいるべきかなんて、考えていなかったのだ。

 

 

 彼女の言うとおり、きっと、ただひたすらに生きようとする行為には、間違いなんてないのだろう。その時に、人間的な証を失うのは、ある意味避けようのないことかも知れない。

 

 

 でも、それは自分に負けた人間の戯言でしかないのも事実だ。

 そのわずかな時間だけ、ただその一瞬だけ、疑う余地もなく「人間」でありたいと望めた人間が、自分というものをしっかりと保っていられるのだ。

 この場所で、本当の意味で「生きる」という事は、そういう事なのだ。

 

 

「······俺はまだ、家族に背中を見せられる『人間』でいられるだろうか。」

 

 ぽつりと言うと、彼女は少しも悩まず、返した。

 

「いくらだってなれるよ。

 涙を流せるくらい、優しいから。」

 

 

 その声の響きが、俺の背中を押す。

 もうすでに沢山のものを奪ってしまったけれど、せめてこれからは、誇れる人間であり続けようと、そう決意した。

 

 胸に手を当て、目を閉じる。

 別れの日の皆の笑顔が、鮮明に浮かんだ。

 

 

(······まだ少し待っててくれ。もう見失ったりしないから。)

 

 

 心でつぶやく。

 少なくとももう、俺は冷徹な機械などではなくなっていた。

 

 

 

「隊長〜?どこですか〜?」

 

 遠くから俺を呼ぶ声がして、はっとした。

 そういえば大事なことを忘れていた。

 

「······やっば·········」

「ん?どしたの理久くん?」

「······俺、今日見張り役だった·········」

 

 青い顔で俺が言うと、智花はまたくすり、と笑った。

 

「···それじゃ、今日はお開きだね。

 また話そう、理久くん。」

 

 智花が穏やかに言った。

 また話そう、という事は、少なくとも好意的な感情を抱いてもらっている、と解釈していいのだろうか。

 俺も自然と笑顔になりながら頷き、俺を呼ぶ声の元に走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから俺と智花とは、出会ったら話すような形で交流が続いた。

 戦争ということは当然、転々と場所を変えていく。だから毎晩どこで話そうとか、待ち合わせみたいなことは出来ないわけなのだが、不思議なことに、疲れが溜まったりしてふと外を歩いていると、智花とはよく出会うのだった。

 

 戦場に来てから同郷の人とちゃんと話すのは初めてで、それがどれだけ荒んだ心を癒すのか、俺は初めて知った。

 彼女のおかげもあり、俺は俺を見失うこともなかった。

 

 そして、半年。

 

 

 

 

 少し身の縮む、寒い冬の日。

 

 この日の夜もなんとなく、外を歩いていた。

 外の空気が吸いたくなったのもある。

 でもやっぱり、また会えるかもしれないという希望的観測が強かったかもしれなかった。

 

 

(······しかし、不思議なものだ。)

 

 

 これまでの人生で、これ程に会いたい、と思う人が、家族以外にいただろうか。

 元々臆病で、人見知りの気が強かった俺は、そういった対象がいなかった。ただ友人とそれなりにその日を楽しみ、ぼんやりと日々を過ごすような人間だったように思う。

 少なくとも自ら誰かに会いたがったり、近付いたりする人間では無かった。

 

 

 ただ、智花には、自分から「会いたい」と思う。

 彼女と会えない時間がしばらく続くと、まるで心に虚が出来たように、やるせない気分になる。

 

 これまで、他人にそんな感情を抱いた事は無かった。

 これが何なのかは、半年たっても分からなかった。

 

 

 

 今の拠点の近くにも小川があって、なんとなくそこにいないだろうかと思ってほとりに足を踏み入れる。

 

 人の気配がした。

 そちらに向かって歩いていくと、少し離れたところに、見慣れた水色の髪が見えた。

 

 どうしてこんなに何度も出会えるのだろう、と心底驚きながらそこへ近付こうとするが、途中で足を止める。

 

 

 気付いたからだ。

 その小さな肩が、小刻みに震えていることに。

 それは寒さによる震えではなく、泣いているからなのだと、すぐに分かった。

 

 彼女のこんな様子は、見たことがなかった。

 声をかけて良いものか迷うが、少しくらいは彼女の支えにもなりたいと、覚悟を決めて歩み寄る。

 

 

「······智花?」

 

 震える声で話しかけると、その肩がびくりと跳ねて、間もなく智花がこちらを向いた。

 

「理久くん···」

 

 泣き腫らした目だった。

 普段とは違う、あまりに弱々しい姿に、一目でただならぬ事があったのだろうと思った。

 

「大丈夫か?俺で良ければ話を聞くぞ?」

「いや、いいよ···理久くんに迷惑だし···」

「いいから話せ。そういうの、俺は許さないからな。」

「······うん······」

 

 俺を慮ろうとする智花に、退くことなく迫る。

 智花は観念したように頷き、涙が止まってから語った。

 

 

「この間、道の上で倒れてた女の子を見つけたの。多分この辺の子だったんだと思う。片足が無くなって、あちこちに傷があったし、栄養不足なのもあって、酷い状態だった。

 その子ね、妹と同じくらいの歳だったの。そんな子が、そんな状態でいたのを見て、私が放っておくわけにもいかなくて···医療所に連れていったんだ。

 何だろうな、やっぱり、妹の姿を重ねてたんだと思うんだ。誰にも平等でなきゃいけない医者として、本当はいけない事だけど、その子には強い思い入れがあった。

 どうしても助けたくて、色んな手を尽くした。状態に細かく気を配りながら、有効な薬がどれかをじっくり考えて······そのうちに、その子の容態、少しずつ良くなってたんだ。

 私が声をかけたら、声は出せなかったみたいだけど、ちっちゃく頷いたんだ。

 続けて私が、大丈夫だからね、助けるからね、って言うと、心の底から安心したように笑うんだ。それが私、嬉しくて嬉しくて······どんなことしても、助けてあげたいと思った。

 ······でも······でもね·········。」

 

 

 だんだん智花の声が震えていく。

 堪えきれない哀しみがその声に滲むのが分かった。

 

 

「······一週間くらい前に、班長から言われたの。『もう限界』って。

 軍にある薬も器具も限られているから、もうこれ以上一人の患者には費やせない、って···。

 これまで効いてた薬も、もう使えなくなって、治療ができなくなっちゃったんだ。

 ···だから······また容態が悪化して······昨日昏睡状態になって、それで今日っ·········!」

 

 

 智花は手で目を覆った。

 その姿からは色んなものが見える。

 

 悲哀。後悔。自責。

 そんな巨大な感情が、智花の心を押しつぶしている。

 

 そんな智花を見ながら、俺は改めて彼女の背負うものの大きさを実感していた。

 自分の手の届くところにある命を守るという、プレッシャーも期待も大きな仕事で、自分の任務を全う出来ないということは、その人の精神にあまりに大きな傷を与えてしまう。

 

 だから、誰よりも強い心が求められる仕事だったのだ。

 

 そして、涙を流す智花を見て、一つ気づいた。

 

 俺は今まで、そういうプレッシャーに対して、智花ならば耐えられるだろう、という考えがどこかであった。

 智花は自分よりも遥かに強い心を持っていて、智花が抱えている重圧は、彼女自身で消化できてしまうだろうという、そんな考えが。

 

 でも、そんなことは無いのだ。

 彼女だって、堪えきれないものがある。一人じゃどうしようもない事がある。

 ただ彼女の優しさが、それを表に出さぬように身の内に隠していたのだ。

 

 本当は彼女にも、支えがいるのだ。

 彼女がそれを望んでいないとしても、それが無いと彼女は崩れてしまう。

 

 

 

 そんな脆さを救う方法は、同じ様に弱々しい俺だからこそ、良く分かった。

 

 

 

 

 智花のとなりに、あぐらをかいて座る。

 そしてそっと、彼女の震える手を握った。

 

 手は、冬の空気にさらされて、冷えきっていた。

 

 

 智花が驚いてこちらを見る。

 俺は静かに言った。

 

 

「······こんな小さな手二つだけで抱えられるものなんて、本当に限られてるだろ。それが人の命を預かる、ってことなら、もっと少ないかもしれない。

 そりゃ、辛いだろうし、悲しいだろう。でも、全てお前の手で守れるわけじゃない。その手から零れてしまった物は、もう二度と元には戻らないけれど、それを受け入れる強さっていうのが、俺達に求められてるものなんだと思う。

 

 ······智花、どうしても受け止めるのに限界が来たら、いくらでも俺に言えばいい。

 どんな呪詛の言葉でも、俺がすべて受け止める。

 俺だって、お前の救いになりたいんだ。

 その為にここにいるんだ。」

 

「理久···くん···」

 

「!?ちょっ···智花···?」

 

 

 俺が言葉を収めると、智花は俺に抱きついた。

 予想だにしなかった現状に、かなり困惑する。女性に抱きつかれるなんて、そんな経験はこれまで無かったので、本当にどうしていいか分からなかった。

 

 

「お、おい、智花···離れ······」

「うぅっ·········」

「·········」

 

 こっちも耐えきれなくなりそうで、智花に離れるよう言おうとしたが、胸に顔をうずめて泣く姿に、何も言えなくなった。

 その泣き方は、これまで溜めてきた感情が募りに募って溢れたような、あまりに深いものだった。

 

 やっぱり、智花の背負ってるものはあまりに大きい。

 誰かを傷付けるより、誰かを守ることの方が遥かに難しい。

 それが分かっても何も出来ない無力さを悔やみながら、俺は黙って彼女の背をさするのだった。

 

 時折漏れる嗚咽に、俺の胸も締め付けられる思いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご、ごめんね、理久くん」

「······ああ、いや、気にするな。」

 

 

 ひとしきり泣いて落ち着いた智花は、体を離し、赤くなって顔を伏せていた。

 まあ同年代の異性に抱きつくなど、恥ずかしくなって当然だろう。というか、俺も恥ずかしかった。

 

 二人共目を合わせず、無言の時間が続く。

 

 

「······ねえ、理久くん。」

 

 

 しばらくして、そんな熱が冷めた頃、智花が口を開いた。

 

「約束しよう。私達、二人で生きて日本に帰るって。

 私は理久くんの支えになる。だから理久くんも私を支えて欲しい。そうやって、待ってる人のところに、二人で帰ろう。」

 

 決意を固めた、毅然とした声で、智花はそう言った。

 

「···ああ、そうだな。約束する。

 二人で支えあって、絶対生きて、二人で帰ろう。」

 

 俺もまた、それに同意する。

 

 

「······それで、ね。」

「?」

 

 すると智花が、また顔を赤くして、小さな声で呟いた。

 

「理久くんに、もう一つお願いがあって······」

「ん、なんだ。」

 

 

 智花はなかなか言い出せない様子で、顔を伏せていた。

 俺も何を言われるのかと少し不安になり始めた時、ようやく智花の口が動いた。

 

 

「わ、私のことを······」

 

 

 ────カン、カン、カン…

 

 

 智花が何かを言いかけた時、突如拠点の方から、非常事態を告げる鐘が鳴った。

 

「な、何……?」

「…分からないが、これは……」

 

 ただならぬ事態を察し、すぐに辺りを見渡す。

 すると、かなり遠くで、明かりに照らされた見慣れた印が見えた。

 敵軍の紋章であった。

 

 

(…ッ!夜襲か!!)

 

 全てを察し、立ち上がる。

 

「智花、多分敵軍の夜襲が始まる。すぐに医療班のみんなにそう伝えてくれ。被害がどれだけ出るかもわからない。設備を準備しておいてくれ。」

「は、はい!」

「…頼んだぞ。」

 

 

 今度は指揮官として、手短に指示を伝え、俺は全速力で拠点へ戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵襲か!?」

 

 拠点にたどり着いてすぐに、見張りの部下に質問する。

 しかし見張りの男は、首をかしげながら答えた。

 

「…そのはずなのですが、妙なんです。

 あそこまで近づいてからというもの、敵軍にまるで動きがないのです。」

「動きがない?」

 

 確かに妙な話だ。

 夜襲を仕掛けようとして、わざわざ相手に迎撃の準備をさせる時間をつくるなど、全く意味のない行為だからだ。

 こちらをここで叩きたいのなら、こちらの準備が整う前に襲撃するのが得策のはずだ。なのに、奴らは全く仕掛けてこない。

 

 敵の意図が読めなかった。

 背後から襲おうとしているのだとしても、後ろには川を挟んで何もない荒野だ。夜襲を仕掛けられるほどの人数を隠しておける場所も存在していないはずだ。

 

 

 一体何をするつもりなのか、と不気味な相手の策に警戒心を高めていた、その時。

 無線から音声が入った。

 

「い、医療班から全軍へ!敵軍の襲撃です!敵の数は十数程度!」

 

(何ッ……!?)

 

 想定していなかった。

 まさか、本当に背後から来るとは。

 全軍をとどめておける場所は背後にはない。しかし、確かに十数人潜める程度の場所ならば、あってもおかしくはなかった。

 

 しかし、そうなるとますます妙だ。

 いくら背後を取った奇襲でも、十数人で敵の軍自体に与えられるダメージはほぼ皆無のはずだ。

 そんなことぐらい敵も分かっている。

 つまりこの襲撃は、医療班のみをターゲットにしているということになる。

 

 一体、その目的はなんなのだろうか。

 

 

 しかし今、俺はそれ以上に慌てていた。

 

 医療班には智花がいる。もしものことがあれば、それこそ取り返しのつかないことになる。

 

 

「医療班の援護に向かう!第一グループの十名は俺に続け!」

 

 鋭く一声叫び、すぐに駆け出した。

 

 

 

 医療班は既に混戦状態だった。

 部下たちが敵兵に応戦する。

 

「お前たちは医療班とともに敵を迎え撃て!」

了解(ラジャー)!」

 

 その場は彼らに任せ、俺は智花を探した。

 

 だがいくら辺りを見渡しても、智花は見つからない。

 どうやら戦乱の中にはいないようだ。

 

 一体どこにいる、と焦りが募っていく。

 その時。

 

 

 ────パァン!

 

 乾いた銃声が、明らかにこことは別の場所からかすかに聞こえた。

 

(…まさか。)

 

 嫌な予感がし、その音の方へ全力で走る。

 杞憂であってくれ、と祈りながら。

 

 

 

 

 

 走っていると、川を一望できる場所に出た。

 そこで一度立ち止まり、辺りを見渡すと────

 

 

 

 ────右側の50メートル近く先に、うずくまる智花と、それに向けて銃を構える男が見えた。

 

 

 

 心臓が大きく跳ねる。

 全力で走れば、なんてことはない距離。

 狙撃も、構えることさえできれば可能な距離。

 

 

 

 だが、

 この状況、このタイムリミットの短さでは。

 

 

 

 この距離は近いようで、絶望的に遠かった。

 

 

 

 

 それでも、俺の足は動いた。

 その悪夢のような光景に、肉がちぎれんばかりの力で踏み込んだ。

 

 

 

 

 

「智花ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 

 

 

 俺の叫び声に、智花がこちらを向くのと、

 男が引き金を引くのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 智花の胸から、鮮血が舞った。

 そのまま無抵抗に倒れていく智花の姿が、スローモーションのように写った。

 

 

 

 

 

 思わず、足が止まる。

 最悪だった。

 一番恐れていたことだった。

 

 

 

 

 

 胸を一瞬で支配した絶望感とともに、

 無条件の怒りが湧き出て止まらなかった。

 

 

 

 

「……くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 

 銃を構え、間髪入れずに引き金を引く。

 だが男は、薄ら笑いを浮かべながら身をかがめて弾丸をかわし、信じられない速度でこちらへと接近してきた。

 

 

「なっ……」

 

 気付いたときには、男はゼロ距離まで迫っていた。

 俺が呆気にとられているうちに、男の拳が俺の鳩尾にめり込む。

 

 

(バカな……!)

 

 

 何もできず、その場に倒れこむ。

 そんな俺に、男は冷たく言い放った。

 

「ふん、一軍の軍隊長はこんなもんかよ。」

 

 俺は男を見上げる。

 

 巨大な傷を持った顔で、醜悪な笑みを浮かべていた。

 

 男は続けて言う。

 

「安心しな、あんたの命は今は取らん。ボスの言いつけだからな。

 …あばよ、ワイルドギース隊長。」

 

 そのまま男は、さっきのような身のこなしで立ち去った。

 

 

 悔しさや怒りで再び目線を戻すと、倒れた智花の姿が映った。

 はっとして、鳩尾の痛みも忘れ、智花のもとへ駆け寄る。

 

「智花っ!」

 

 ぐったりとした智花の体を抱えると、彼女はゆっくり目を開けた。

 

「……理久、くん」

 

 か細い声で、彼女は言った。

 

「ごめ、んね…約、束、守れ、なくて…」

「もういい…もういいから喋るな、身体が…!」

 

 言葉も途切れ途切れに話す彼女を、俺は止めようとする。

 しかし彼女は首を振り、また言った。

 

「ううん、もう、助から、ないから、いいの…」

「……ッ!!」

 

 弱々しく、彼女はそう言った。

 こんな状態なのに、彼女は優しく、強く、笑っていた。

 

 

 ────やめろ。

 

「それ、より…まだ、言わなきゃ、いけないことが、あるから…」

 

 

 ────やめてくれ。

 

「もう、家族には、会え、ないから…理久くんに、言いたいこと、言わせて…」

 

 

 ────頼むからそんなこと、言わないでくれ。

 

「もし、妹に、会ったら、よろしくね…」

 

 

 ────終わりになんて、しないでくれ……!

 

 

 

 

「理久くん、さようなら…大好き、だよ……」

 

 

 

 それを最後に、智花は目を閉じた。

 その目からは、全ての感情が命とともに落ちていくように、一粒の涙が落ちていた。

 

 骸となったその体に残っていた僅かな熱が、時間とともに少しずつ失われていく。

 もう取り返せないのだ。

 この熱も。涙も。

 笑顔も。

 

 

 全て沈んでいったのだ。

 もう取り返せない、「時間」の中に。

 

 

「……っああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 

 そう思った瞬間、とめどなく涙が溢れてきて、俺は絶叫した。

 

 

 

 

 

 そうだ。

 

 

 俺が毎日、どうしてあんなに智花に会いたかったのか。

 

 

 そんなもの、答えなど一つしかないじゃないか。

 

 

 

 好きだったんだ。

 愛していたんだ。

 それ以外にあるもんか。

 

 

 もう彼女の温もりは、帰ってこない。

 

 それだけで、身をちぎるような痛みを感じた。

 

 どれだけ泣いても、彼女は帰ってこない。

 それでもひたすら、声が潰れるまで、泣いた。

 

 

 冬の月が、地を淡々と照らしていた。




書いてて辛い話でした。
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