人間の中には英雄という存在がいる。
彼らはある種の偉業を成し遂げ、その力を世界に認められた存在だ。
彼らの力と魂は、子孫や生まれ変わりといった形で人間に受け継がれる。
ジェイル・ネースもまた自意識が芽生えたときから、一つの人生を内包していた。
正義の味方という理想をひたすらに求めた錬鉄の魔術師。
命の価値観が裏返る災害の中で生まれ、理想を受け継ぎ追い求める中で、数々の英雄が入り乱れる戦争を駆け抜け。様々な戦場で活動し、正義の味方を目指し続けた。
現実味を持つ明晰夢の中で、そんな人生を外から眺める形で継承した。
問題はここからである。
彼の力の本質は、術者の心象風景を具現化し、世界を塗りつぶす「固有結界」と呼ばれる大禁呪だった。
つまりその力を継承するということは、彼の精神を心の中に取り込むということであり、それは致命的なものであった。
彼の心象風景は、万に届く剣が無造作に地面に突き刺さる世界。空には剣を造り続ける歯車が浮かび、乾いた風が砂塵を巻き上げる命を感じさせない世界、「無限の剣製」。
当時赤子だったジェイルの心の器はとても脆く小さなもの。
何も経験をしていない、知識もない赤子。それは当然だった。
その中に強靭な英雄の心が埋め込まれたのだ。
白紙の上にあった小さな色はそれが当然のように、水が染み込むように大きくなる。
剣製の世界はジェイルの心を圧迫し、塗りつぶし、侵食した。
何が苦しみで、何が痛みなのか分からない。
気がつけば始まっていた苦痛は、赤子に言葉を知らずとも諦めを抱かせていた。
始まりがどうだったのかは思い出せない。
気が付けば一人水と光の世界に居た。遠くに剣の景色が見えた。
元は二つだった世界は、意識できないほどゆっくりと変質し、蜃気楼のように剣が現れては消える世界となった。
いつの間にか、ただ悶えるだけだった赤子の前に立つ男がいた。
剣製の心の持ち主、赤い外套を身に纏う錬鉄の英雄。
その男の理想を、生涯を、生前の名を赤子は知っている。
男は蹲る子供の体に手を置き、祈りのように、言葉を口にした。
――体は剣で出来ている。
重なっていた二つ心の中で片方がゆっくりと形を変えていく。
歯車は霞み消えていく。無造作に立ち並ぶ剣がひび割れ崩壊する。
広大な荒野で僅かに残っていた武具が赤子の心に沈んだ。
苦しみも痛みも無い感覚の中で、急速に迫る何かに意識が遠ざかる。
赤子は最後に遠ざかっていく赤い背中を見届けた。
――そうして、形の定まらなかった赤子の心と、剣が突き刺さる荒野を内とする英雄の心は、全てを映す鏡を、揺らぎ定まりを繰り返す水鏡を大地とする心になった。
それが赤子の、ジェイル・ネースの心だった。
上級悪魔討伐から数ヶ月後、ジェイルは上司の部屋へ歩いていた。
ジェイルは基本的に悪魔討伐のために一定の場所に留まることをしない。
それは彼女の行方を捜すのに好都合であり積極的に飛び回っていると言っても良い。
それが突如呼び出されたのだ。
今度の任務はいつもの討伐任務ではなさそうだなと悟り、何の成果もないアーシア捜索の現状にため息をついて、自分と同じように重い雰囲気を声に纏っていた上司の部屋に向かう。
それは衝撃的な知らせだった。
「……聖剣が奪われた!?」
しかもただの聖剣ではなく、あのエクスカリバーが、だ。
ジェイルが意図せずに声を荒げるほどには危険な状況だった。
エクスカリバー、聖書の大戦時に壊れ七つの剣に分かれてしまったが、聖剣の象徴として今も名高い。
一本が紛失し、保持しているのは六本、現在保持者が二名しかいない。
上級悪魔を討伐する際に協力したゼノヴィアがそのうちの一人だ。
攻撃力特化の
その時の任務と合わせて、エクスカリバーの情報が記憶から引き出される。
上司は黙って書類を差し出す。
ジェイルが印を付けられた部分の情報に目を通す。
最初の感想として、予想していたよりも被害が少ない。
どうも教会を覆う結界や聖剣の保管場所、警戒態勢を熟知しているのが相手らしい。
対応手段でも見事に裏をかかれているところからして、相当高い地位、もしくは特殊な地位にいた存在のようだ。
短時間で既に三本が奪われている。
裏切り者が敵となると、正直な感想として悪魔より面倒である。
読み終わったジェイルが上司に尋ねる。
「……心当たりは?」
上司が顔をしかめながら、ゆっくりと頷く。
「確証は無いが、裏切り者の中でエクスカリバーに拘っていた人が居る。仲間殺しのバルパーだ。」
ジェイルも聞いた覚えがあった。
聖剣を使う特別な素質を人工的に作りだす研究をしていたが、非情な人体実験が明るみに出たことにより放逐された研究者だ。
「他に気がかりなのは、資料にもある通り教会の戦士数名が悲鳴を上げる間も無くやられている。」
なるほど研究者のバルパーには不可能な行動だ。
忍び込むのが上手い協力者か、更なる裏切り者が共に居るということ。
しかし、3箇所全てで、教会を裏切ってバルパーに協力するものが居るとは思えない。
ただ魔力の残滓は無かったらしく、悪魔の可能性は低いと資料には書かれていた。
「分かった。残る
「出来るなら賊の討伐も頼みたい……」
苦笑する上司。本当に出来るなら、といったところだ。
ジェイルは余裕が有ったら、といった意味を込めて、手をひらひらと振って部屋を退出した。
エクスカリバーが保管されている正教会に到着する。
正教会は教会内の派閥の中で特に錬金術に優れていることで知られている。
折れたエクスカリバーを7本の聖剣として復活させたのもこの派閥の研究が大きい。
そして、その力は教会を覆う結界からも伺えた。今目にしている以上の結界は正教会と本部、天使直轄でしか見たことが無い、それほどのものだった。
既に正教会での厳戒態勢が出来ており、部外者であるジェイルは単独で見張り、迎撃、時間稼ぎといった役目を押し付けられた。控え目に行って部外者の扱いである。
正教会はどうやら首謀者であろうバルパーを捕まえる功績を独占したいようだった。
結界に相当な自身を持っているようで、隠密に優れた者であろうと、裏切り者であろうと、仮に幻影を操るエクスカリバーを敵が使おうとも充分に対応できると豪語していた。
ジェイルが祓魔師になった理由は、親代わりである孤児院への恩返しとアーシアの守護が大半である。
そのため権力争いにジェイルは興味が無く、上司もこの事件に口を挟む権利を持つことで充分と考えているためジェイルの判断に口出ししなかった。
そんな事情から、警戒網の中で最も教会から離れた場所で見張りをすることになった。
ジェイルは一本の木に登りゆっくりと体重を掛けて、周りの変化に気を配る。
教会を忍び込み、僅かな隙を狙う敵が相手。
ときたま野生動物を追い払いながら、遅すぎる時間の流れをじりじりと受け続けた。
警戒を始めて数時間。
突如、強大な光の槍が撃ち込まれた。
光の槍は、とても人間技とは思えない質量と速度を持って教会目掛け進撃する。
その攻撃は易々と結界を突き破り、数人の戦士を巻き込み爆発した。
ジェイルは攻撃者を視界に捕らえながらも、自身の防御を最優先していた。
今の今まで忍び込むような泥棒を相手に考えていたのだ。
鉄砲どころか大砲を思わせる攻撃力を持つ強盗への対策と心構えなど優先順位が下にあり過ぎた。
同じく教会も今回の事件で、平常の結界に加えていたのは転移や幻術といった間接的な手段に対応するもの。
光槍は平常結界と対幻術特化の結界ではどうしようもないほどに強力だった。
正教会の混乱が簡単に感じ取れる。あれなら内部を知るバルパーでなくとも簡単に忍び込めるだろう。
今から聖剣の保管庫に向かっても、攻撃者が更に仕掛けてくればどうにも成らない。
ジェイルは任務の成功を諦め、攻撃者への迎撃と正体の見極めを優先。
弓に矢を番え、黒い翼持つ堕ちた天使に狙いを定めた。
ジェイルは強化した目を持って、たやすく敵の位置を掴む。
驚くことに通常時では点にしか見えない距離に敵はいた。
それほどの遠距離から教会の結界を貫く投擲術。再び攻撃されては不味いと迎撃を開始する。
あの人のようにはなれない。あの領域には届かない。
「剣」では無い自身の心を強く意識する。
その事実を認め、かの呪文を参考に留め、一から作り上げた呪文を告げる。
「
心の中、体を支える鏡に自らを映す。体内の魔術回路に魔力が満ちる。
「
左手に弓、右手に3本の矢を虚空より生みだすや否や、番え引き絞る。
その矢は黒鍵を絞ったような形状をしていた。
十字架を表していた柄と鍔は矢羽となり、刀身全てが刺突剣のように貫くだけの存在に変わっている。
同時3本発射。無詠唱で更に3本を呼び出す。
僅か数秒で10を越える矢が、敵目掛け空を飛ぶ。
敵は投擲を諦めたのか、黒い翼を羽ばたかせ、急接近を仕掛けた。
秒間3本以上の矢。それもただ射るのではなく、相手の回避行動を計算し塞ぐような軌道の速射。避けて接近することはきわめて難しい
しかし相手はそれを超えてきた。
飛行に使うはずの翼の羽ばたきが矢の軌道を僅かにずらし、その隙間を光槍でこじ開け、体全てを精密に操り潜り抜ける。
驚くべきことに飛行速度をほぼ緩めずに10を超える矢を潜り抜けた。
かすかにジェイルが顔を顰める。
魔力を抑えしかし手を止めることなく、矢を放ち続ける。
最初の射撃は速度優先だったが、次からの射は充分引き絞ってのもの。
人外であっても、少なくとも足止めには充分だと考えていた。
それが先の投擲槍を放った遠距離型の戦士だと判断していたため尚更だった。
事実、逸らされた矢は地上に落ち、大穴を空け暴風を巻き起こしていた。
それを進撃の速度をほぼ緩めずに躱されている。
狙撃に拘り続ければ全て躱され接近を許してしまうだろう。
ジェイルはそこまでを刹那の間に思考し、決断する。
ならば、より高い威力の攻撃で物理的に論理的に全ての抜け穴を塞ぐまで。
弓矢の狙いを僅かに逸らし、時間稼ぎの迎撃から更に殺傷性の優先度を下げた。
敵の動きを鈍らせる捕縛に切り替える。
瞬間、射る者と射られる者の目にしか見えない弓から走る幻線が、堕天使の男を囲む鳥籠を作り出した。
数瞬後、幻線を外れる事無く放たれた矢群は堕天使の移動を妨げ、爆発した。
空中に青い魔力の花が咲く。
爆風が天空はおろか地上をも蹂躙した。
木々が悲鳴を上げ哀れにも直近の木が後ろの木々を巻き込み倒壊する。
その様は台風という天災を思わせた。
並みの人外であればとうに墜落し、地面に伏せているその威力。
爆破によって煙のように広がる魔力幕の裏、堕天使の影がうっすらと映るのをジェイルの目が捕らえる。
木から飛び降り、一時の浮遊感を得る。
矢による狙撃の合間に溜め込んでいた魔力を瞬時、回路に流す。
あまりの量に回路を流れる魔力が氾濫を起こす。そんな錯覚さえ覚えた。
頭が揺れるような一瞬の錯覚。
「
今までとは桁違いの魔力と概念を込めた呪文を詠唱しながら、堕ちた天使と教会を結ぶ線上に降り立つ。
狙撃では相手の進行を遮ることができない。ゆえに真正面から面制圧を仕掛ける。
ジェイルの背後に一瞬の波紋が浮かぶ。波紋の向こうが識別できないほどの歪み。
波紋が収まったとき、多数の黒鍵が出現していた。
鋭く光る切っ先は全て堕天使を向いている。
投擲用とはいえ、黒鍵はれっきとした剣だ。
その重みは矢に調整された状態とは段違い。
重みは威力と速度に繋がる。
これを同じように風でずらすのは不可能。
そして先の狙撃が連携し追い詰める過激な群れならば、並ぶ剣は足を揃え淡々と蹂躙する軍隊を連想させた。
その想像は生存本能が起こした一瞬のもの。
堕天使の気配が驚愕から回帰するとどちらが先か、剣軍が掃射される。
堕天使の飛行による相対速度を見るに、その剣はたやすく堕天使の体を貫くだろう。
それが当たるならば。
堕天使が滑空するための翼を一度収め、宙に浮かぶように留まる。
一度二度調子を整えるように光の槍を回し、槍捌きを弓兵に見せ付けた。
全ての回避を塞ぐということは相手にあたらない剣もまた存在する。
故に、的確に自身に降り注ぐ鋼の雨のみを破壊していく。
攻防において本来なら的にしかならない翼までも、縦横無尽に動かし剣を貫かせずに弾く。
その様は命をかけているとは思えない、演舞を思わせた。
踊る踊る踊る踊る。
その死の舞を見続けるジェイル。渾身の魔力を注いだ故の反動がジェイルの体に硬直を強制していた。
しかしすでに次の手はある、無理に動かず機を待った。
相手に当たらず、逃げ道を塞ぐための、地面に落ちていくだけの黒鍵。
堕天使が対処する必要なしと判断した剣軍が再び爆発、天災を引き起こす。
爆撃は数本の矢群とは異なり、十数本の剣軍によって引き起こされた。
攻撃範囲、濃度、威力どれもが先の数倍の効果を持っている。
そして、それは確実に堕天使を捕らえていた。
しかしそれでも敵は大戦を生き延びた戦闘を愉悦とする堕天使幹部。
古の戦士は耐え切り、魔力の幕を引きちぎり飛び出した。
強引な羽ばたきをもって、無理やりな加速。爆発による衝撃を振り切り突破する。
しかし、その代償は大きいものだった。
翼から羽が抜け落ち、大小様々な傷を負っている。
自らを翼で包み防いだようだが、二度も耐えられないことは明らかだった。
その防御方法はもう取れない。しかし取る必要が無いこともまた明らかだった。
既に距離は埋まっている。戦闘は遠距離を超え、中距離を抜け、近距離に移行した。
今までの攻撃、狙撃や掃射を仕掛ける隙間は既に無い。
これまでの攻防、遠距離戦を制した堕天使が槍を振り上げた。
英雄の魂を継承できるハイスクールD×Dの世界だから、無限の剣製に一方的に上書きされず相互影響に留まり、新たな心象が築かれた
ジェイルの魔術属性と魔術特性はどちらも「剣」ではない