「……ォイ! 起きろっ! 起きるんだ、『ラル・ノヴァク』ッ!!」
「……んぁ」
重い瞼。
半分だけ持ち上げる。
……あぁ、憂鬱だ。
少し反省したような顔を浮かべ、教壇に立つ教師に軽く頭を下げて姿勢を正す。
それで全て解決だ。基本的に俺は優等生で、昨日深夜までサッカーの試合を観戦していたため寝不足だったとしてもどうとでもなる授業なのだ。
シャーペンをカチカチと弄る頃には止まっていた教室の流れが元に戻り始めていた。
転校を繰返し六つめの学校。既に
そして、机の上には進路調査票……
……あぁ、憂鬱だ。
特に深く考えることなく、その調査票には『公務員』と書いておく。
頬杖をついて窓から外を覗く、スカイフィッシュが気持ち良さそうに空を飛んでいた。そよぐトラパーの風が少し暖かかった。
……
「ただいま」
「おかえり、ラル。学校どう? 慣れてきた?」
「別に……」
「もう、なぁに仏頂面してるのよ! 全く、その凶悪な目の辺りホランドに似てきたわねぇ、私似のタレ目だけどたまにこーんな鋭い目になるわよ?」
「……似てねぇよ。あんなクソ親父なんかと」
「コラ、父親をクソとか言わない! ……まぁ、でもホランドは今日も多分リフして来ると思うから先にご飯食べちゃいましょ」
目尻を引っ張ってつり目にしていた母がその手を下ろすと、目を瞑りさらげなく溜め息を着く。
父ホランド・ノヴァクが母タルホと結婚し俺は生まれた。
でも、そのホランドが問題だ。なんたって頭の中がリフで一杯のボードバカ。職業はリフ関連の道具を移転販売してるっていうロクでもない親父。
そのお陰で俺は六度も転校させられた。あぁ本当にロクな親父じゃない。今日だって店を閉めたあと、きっとまたリフ仲間と遊んでいるんだ。家族の団欒なんてあったものじゃない。
憂鬱、そう俺の憂鬱の原因はいつだってアイツだ。
毎日を灰色に染め、内心曇天の日々を送るのは全部アイツのせいなんだ。
母さんだって毎度のことだといつもいつもホランドを許しはしているが、こうして溜め息は尽きない。
何故もっと家族を大切に出来ないんだろうか、何故もっと母さんと上手くやれないんだろうか……
……
俺は食器を母さんの分まで片付けて洗う。
母さんは「本当にラルは良くできた子ね! ホランドとは違って……」なんて何処か寂しそうに言ってくる。
それに俺は適当な返事を返して食器をすすいだ。
食事が終われば自分の部屋に行き、今日の学校で出された課題を終わらせる。
何の問題もない。三〇分かそこらで終わるだろう。
……はぁ。いつもと変わらない憂鬱な日々。
ロクでなしの父と、気苦労が絶えない母とのいつも通りの暮らし。
十四年、俺が産まれてもう十四年だ。
物心ついてから今までずっと良い子でいることを心掛けてきた。だけど、それで何かが変わるわけでもない。
今日もそんな何も起きることのない、憂鬱で退屈な人生の一日だった。
「オーイ! 帰ったぞ!」
……来た。帰ってきた。
はぁ……
特に顔を合わせることもないだろう。
俺は自分の部屋で寝ていることにして何の反応も返さなかった。
薄い扉の向こうでは母さんと仲良く話しているような声が聞こえてきてくる。
……あぁ、もう。クソッ、課題終わってないのに……
今からやるのなんか面倒だなぁ……
一旦布団に潜り込んでしまった俺はもうそこから出られないでいた。家族を顧みない父親の楽しそうな声に、先程まで溜め息を着いていたとは思えない母親の笑い声に、胸がイガイガとしてくる。
もういい、このまま寝てしまおう。
仕方ないけど、課題は明日の朝にやるしかないな……
そう思いつつベッドから手を伸ばし目覚まし時計をセットしようとした時だった。
「お……おおぉい! ラル! 起きてるかぁ? ちょっと……いいか?」
チッ……なんでそんなに話しにくく声をかけてくるんだよ。
アンタは俺の父親なんだぞ? 一体何に気を使ってるんだよったく……
これだからリフばっかのやつは……
暗い部屋の中を手探りしながら扉に向かう。
ドアを開けたそこには、銀色の髪を弄りながら少し苦々しく笑う男が立っていた。
昔は色々とやっていたらしい男の顔には壮年の皺が刻まれ、少し疲れたジャケットを羽織っている。
俺は一言「おかえり」とだけ告げた。
ホランドは「お、おぅ……」と応える。
そのあとはひたすらに無言だ。
何か用事があったから、俺に何か伝えたかったから、ここに来たんじゃないのかよ?
なんで、なんで何も言わないんだよ……!
「何も無いなら寝るけど……」
「あっ、いや、その……お前ももう十四だろ? あれだ、俺もその位の頃にはだな、リフで……まぁ、なんだ、ほれ、これでお前も勉強ばっかやってないでトラパーに乗ってみたらどうだ……? 結構気持ち良くてよ……」
「なっ……」
差し出されたのは“ボード”だった。
オレンジのラインが入ったそのボードは輝くほどにピカピカとした塗装で傷一つないまさに新品である。
学校でも、俺位の年頃になると幾人かの人々はリフに憧れや興味を引かれ始める。
俺は父親や母親が有名なリフボーダーなこともあって転高する度にリフのことで話し掛けられていた。
……だからこそ俺はリフが
リフについてのことで話掛けられても『知らない』の一言で済ましたし、本当に録なことに役立たない父親譲りの鋭い目もそういう時には有用だった。
俺はリフなんかよりもサッカーの方が好きで、それはこのホランドも知っていたはずだ。
しかも「勉強ばっかやってないで」だと……?
「俺はあんたみたいに毎日暇じゃねぇんだ!! リフボードなんているかよ! 俺はリフなんか好きじゃないんだよ!」
バタン。ドアを閉めて部屋へ引きこもる。
今住んでいるこの貸しアパートで与えられた俺の部屋には鍵が付いている。勿論、今しっかりと施錠した。
部屋の外からは何にも言わずに立ち去る男の足音が聞こえてきた。何も言わずにだ。
本当にどうなってんだよノヴァク家は。
今回は俺も悪い所があったからだと思う。母とアイツの話し声はボソボソと聞こえて来たが、どうにも聞きたくなくて布団を被っていた。
あぁ……突然キレるとか俺らしくもない。憂鬱だ……
……
今日も学校は憂鬱だった。
昨日の親子喧嘩とも言えないような物が原因なのは分かっている。
俺はいつも以上に大きな溜め息ばかりしていた。
カバンを肩にかけ、リフの話で盛り上がる同級生を横目にさっさと帰る。
優等生ぶるためか放課後はサッカーなんかにも誘われなくなっていた俺は、いつも通り下駄箱から外履きを出そうとして……
ポトリ。
一枚の手紙に気付いた。
『ラル・ノヴァクさんへ、お話があります。学校の裏手の坂の上の公園まで来てください。待っています。 ――イブ』
「っ!!」
これは……!
その瞬間、俺はいつもは鬱屈させられるはずの夏前の蒼風さえ気持ちよく感じるようになっていた。
いつもクールぶってる俺にしては珍しく、全てが新鮮に見えるほどバカみたいに胸が高鳴り始めていたんだ。
半ば走り出さないように気持ちを落ち着かせつつ、俺は校門を飛び出し学校の裏手にある坂を駆け上がる。
引っ越しが多く、転校生としてチヤホヤされても決して女子とは仲良くなれなかった。けど、それも今日で終わりかもしれない。
憂鬱な気分なんて既に何処かへ吹き飛んでいた。
公園に居たのはブランコを小さく揺らす一人の少女。
髪は傾いた日を反射する眩しいほどのブロンドで、着ている真っ白なワンピースがとても映える。
何処か薄幸そうな雰囲気のある色白の肌で、俺はそれを見つめたまま、時間が止まってしまったかのように息をするのも忘れて公園の入口で立ち止まってしまった。
うつ向いていた顔を上げ彼女の
俺達はそのまま暫くお互いを見つめ合っていた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……あ、あの?」
「はい?」
……あれ、この人はもしかして手紙をくれたイブさんじゃないのだろうか? 公園に他の人影は見えない。
しかし、そう考え始めると浮かれていた先程までの自分がなんだか恥ずかしくなってきた。
何をやっているんだ俺は、そもそも、話だって俺への話なのかよ? リフの話なんじゃないのか? ホランドとかray=outとかって言葉が出てきたら俺はどうするつもりだったんだ?
デレデレと鼻の下を伸ばして、あんなに嫌っていた物の話をするつもりだったのかよ……
少しだけ自己嫌悪に陥っていた。
「もしかして、ラル・ノヴァク……さん?」
「あ、あぁ。俺がラル・ノヴァクだけど……」
「……そう」
「……」
「……」
「……」
「……あの、それで君がイブ……さん?」
「うん」
「……」
「……」
「……あの、手紙、これって……」
全然会話が進まない。
半ば強制的に用事を聞こうと、下駄箱で見つけた手紙を片手で持って拡げる。
何か青春が始まる雰囲気ではなくなってきたな……とは感じていた。
でも何にしても彼女は美少女だ。話くらいはしてみたいかも、とそう単純にその時は思ったんだ。
「そう、ラル・ノヴァク。あなたに話があるの……」
「えーっと、はい。それで、何の?」
「まずは……腕を見せて」
「は? 腕?」
彼女が紫色の瞳で此方を見つめる。
少しだけ傾けた顔にあざとさを感じ、頬が弛むのを必死に堪えながらブランコに座るイブの元へとゆっくり歩み寄った。
リフの話ではないのだろうか?
俺は何でこんなところに、知り合いでもない美少女に呼び出されたんだろうか?
その理由が俺のこの腕にあるのだろうか?
疑問ばかりが頭の中に浮かぶ。
トラパーの波はそこそこ良い物なのに、小高いこの公園からは風に乗るリフボーダーが一人も見えない。
結局頭の中がゴチャゴチャとした末に、俺はそんなことを考えていた。
「えっと、どうぞ……」
「そっちじゃない。左腕」
「あ、ごめんごめん。右腕じゃないのか……」
「そう。左腕を見せて……うん。
「え? ……まだ?」
「うん。とりあえず一緒に来て」
一体何がまだなのか、俺にはよく分からない。
でもイブがまだと言うからには俺の腕はまだまだなんだろう。
もっと腕立てふせでもしておけば良かったかもしれない。
それよりも……
「あの……」
一緒に来て? どこに?
そう言葉を発しようとした時だった。
チカッと空に何かが光る。
眩しさを感じ、光源を求めて顔を上げれば、先程までは空に一機も見えなかったはずのKLFが此方へ向かって来ていた。
「はっ? なんで軍のLFOが……?」
その数は二体。いや、二機。
新品なのか、機体の表面は太陽の光を反射するほどにツルツルとしていた。
どうすることも出来ないまま立って見上げていれば、なんとその二機はこの公園に降り立ってしまう。
着地の際に吹き荒れる風が強い。ビックリしすぎて何も出来ないまま俺は両腕で顔を覆っていた。
「イブ、だね。こちらに来てもらおう」
機体の一つから、一人の青年が降りてくる。イブを知っている?
軍服を着ているから軍人なのだろうけど見た目は随分若い。
きっと俺とそう変わらないだろう。十代にしか見えない。
肌の色はチョコのような明るい黒で、髪は暗闇のような深い黒。額には顔の左側に向かって大きく付けられた傷があり、歯も一つ欠けている。
気さくな雰囲気はあるが……
「あれは……イブ、の友達?」
「違う。私を連れ去ろうとする人」
「……えっ?」
再度、軍人の顔を見る。
片方の機体からは人が降りてこないが、先程こちらに声をかけてきた色黒の軍人の顔をよく見ればその顔には全く笑顔がない。
そいつはゆっくりとだがこちらに向かって来ていた。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 貴方達は何なんですか!? 突然現れて……一体この子をどうする気ですか!?」
「ん? 君は……」
とりあえず俺はその軍人の前に立ちはだかる。
よく分からないけど、ここでこうしなきゃいけない気がした。
今、軍人は立ち止まり、顔をしかめて俺の顔を見ている。
なんだ、俺のことを知っている……?
いや、親ならまだしも、俺の顔なんて知っている人はいないはずだ。じゃあ何処かで会ったことがある?
……いや、ない。こんな軍人の知り合いなんて知らない。
ゴゴゴ……
その時だった。突然地鳴りが始まったのだ。
ヤバイッ!!
鳥が一斉に木立から飛び立ち、揺れ始める地面。
パスッ! と音を立てつつパイルバンカーが空へ向かって抜け飛んで行く。
数年前に起きた『セカンド・サマー・オブ・ラブ』。
それによってスカブの多くが消え去り、地表が表れ始めたと言ってもまだまだ建物の多くはスカブの層上に建てられていた。
それはつまり、スカブの上にある建物にとって地殻変動の影響はいまだ残っているということだ。
そして、この公園もその一つだった。
「まずいっ!! 君は退避しろっ!」
「ハ、ハイ! イブも……っ!?」
彼女はいつの間にかブランコを離れて公園の外の森へと向かっていた。
静かに走る姿にまた俺は見とれてしまう。
木々の陰に隠れる最中、彼女は一瞬だけ此方に向き直る。
「一緒に来て」。彼女の声は俺に届かなかったけど、唇の動きから俺は再度そう言われた気がした。
あぁ、なんなんだろう。
俺は転ばぬよう揺れる地面を蹴って走り出す。
憂鬱ばかりだった毎日は音を立てて崩れていった。
続く!
ボーイミーツガールが書きたかったんでこれだけでも満足たったりします。
「続く!」って書いたわりには続かないかも。