新暦73年1月18日。
ミッドチルダ・首都クラナガン。
首都クラナガンにある管理局地上本部。
中央の超高層タワーを中心に、その周囲を囲む数本の高層タワーと言う外観を持つそれは、言うまでもなく、とても広い。
そんな地上本部内をノクトは、茶色の陸士隊の制服を着て、仏頂面で歩いていた。
ノクトは今日は休日だった。正しくは休日の筈だった。
久々の休日で、やりたい事、やらなければ行けない事は沢山あった。にも関わらず、遠い首都クラナガンの地上本部まで来ているのは、呼び出されたからだ。
「アベル・デイリー……覚えていろよ~」
事の発端は、首都航空隊との模擬戦で知り合ったアベルから、休日にあって欲しい人が居ると言われた事だった。
当然、休日返上してまで、見ず知らずの人間に会うのは御免だとノクトは思い、それを断った。
その二日後に、次の休日に地上本部への出頭を命じる命令書がノクト個人へ届いた。
あまりにもタイミングが良いため、ノクトは咄嗟にアベルを疑ったが、幾らなんでも出頭命令書を下士官が出せる訳が無い。
もし可能性があるなら。
「アベルが紹介したいと言った人間か……」
アベルの口ぶりから、中々に大物な予感はしていたが、理由すら明確にせずに出頭命令書を出せる人間だとは、流石にノクトには予想出来なかった。
しかし、地上本部で力を持っている人間ならば、どこの派閥の人間かは予想出来る。
「レジアス中将傘下の高官か、強硬派か。どっちにしたって、レジアス中将関連か……」
ノクトは歩きながらそう呟き、溜息を吐く。
派閥や政治の話にノクトは全くと言って興味は無かった。
ノクトからすれば、主義主張すらどうでもよく、上に求めるのはただ一つ。有能さだけだった。
現場で働くノクトにとって、一番の不幸は上層部が無能である事。例え、どれだけ素晴らしい理想を掲げる人物でも、無能であればノクトは支持はしない。
その点、強硬派として知られるレジアス中将は、ノクトの要求を満たしていた。間違いなく有能な傑物であると。
個人的な感想で言えば。
「もう少し本局と協力してくれれば言う事なしなんだけどな」
「中将のお膝元で恐ろしい事を言う奴だな」
ノクトは後ろから聞こえてきた軽薄そうな声に顔をしかめる。
休日に地上本部を歩いている原因を作った男の声だ。
振り向けば、首都航空隊の制服を着たアベル・デイリーが壁に寄りかかっていた。
「アベル・デイリー……首はしっかり洗ったか?」
「待て待て! そんなに怒るなよ! 俺も好き好んで、お前さんの休日を潰した訳じゃない」
アベルは両手を体の前で振りながら、今にもセットアップしそうなノクトを諌める。
カード型の待機状態にあるデバイスをポケットに戻しつつ、ノクトは半眼で睨みを聞かせながら、要件を聞く。
「要件は?」
「俺が話す訳にはいかないんだなぁ。こっちだ。ついてこいよ」
アベルはそう言って、エレベーターとは反対方向に向かって歩き出した。
「エレベーターを使わないのか? 五十階だろ?」
「そっちは一般局員用だ。今から向かうのは高官の個人的な執務室だから、高官用のエレベーターを使わなきゃいけないんだよ」
予想通り、高官からのお呼び出しだったことに面食らいつつ、ノクトは自分のこれからに不安を覚えて、今日、何度目かの溜息を吐いた。
●●●
エレベーターで上がった先にあった部屋は、ノクトの想像の斜め上の人物の執務室だった。
部屋に書かれていた名前はファーン・ギルダード。
階級は一等陸佐であるが、階級以上に異色の経歴を持つ人物であった。
「レジアス中将のお気に入りじゃないか……」
「まぁ、気に入ってるかどうかはともかく、必要とはされてるな」
ノクトの呟きにアベルはヘラヘラとした軽薄な笑みを浮かべて返す。
緊張に緊張を浮かべるノクトとは正反対な表情だ。
「その余裕はどこから来るんだ?」
「ここから」
アベルは何もない宙空あたりを指差しながらそう答える。
フザけた返しにノクトは顔を引きつらせるが、ここで大きな声を出すわけにはいかないと自制する。
ここは将来、地上本部の重要な役職に就くであろう男の執務室前だ。
緊張するノクトを尻目に、アベルはヘラヘラと笑いながら、執務室前のインターフォンを押す。
『ご用件を』
女性の声が返ってくる。
おそらく副官なのだろうと考えつつ、ノクトはアベルの様子を伺う。
「アベル・デイリー空曹長。ノクト・ベルクライド陸曹長をお連れしました」
先ほどとは見違えるほどの変わり身を見せたアベルは、綺麗な敬礼を見せたまま直立不動で、返事を待つ。
返事はすぐ返ってきて、どうぞと言う言葉と共にドアが開く。
「アベル・デイリー空曹長、失礼します!」
「……ノクト・ベルクライド陸曹長、失礼します!」
先に一歩入ったアベルに習いつつ、ノクトは大きめの執務机に座る男性を見る。
光沢のある茶色の髪に茶色の瞳。精悍な顔つきに柔和な笑みを浮かべている男。
ファーン・ギルダード。
魔導師では無いにも関わらず、三十代前半で一等陸佐の地位に居るやり手ではあるが、それ以上に、本局嫌いで有名なレジアス中将が本局側から引き抜いた人材だと言う事。
そして、本局での栄達を約束されながら、本局からの引き止めを断り、地上本部に流れてきた男である。
地上から本局に行く事はあれど、左遷以外で本局から地上に流れる事は殆どない。
逆パターンでも有り得ないのに、それを本局のエリートが行った事に、異動してきたばかりの二年前は色々な噂が飛び交った。
そんな男が、目の前に居る事にノクトは自然と体に力を入れてしまう。
それに気づいたのか、ファーンはくすりと笑って言葉を発する。
「力を抜いてくれて構わないよ」
「はっ!」
アベルが敬礼を解いたのを見て、ノクトも敬礼を解く。しかし、姿勢は直立不動を保つ。
そんなノクトの様子に苦笑しつつ、ファーンは立ち上がり、執務室に備え付けられている高級そうなソファーへと移動する。
「向かい側に掛けてくれるかな?」
ファーンにそう促されたノクトは向かい側に移動するが、アベルはファーンの後ろに立つ。
「アベルも座って構わないよ」
「自分は大丈夫です」
「まぁそう言うなら構わないけれどね。さて、もうすぐ飲み物が来るから、それまでの間に、君を呼んだ理由を話しておこうかな」
ファーンはそう言うと、ソファーに予め置かれていた紙を一枚、ノクトの前に差し出す。
ノクトは失礼します、と言って、その紙に目を通す。
紙には警護三課設立概要と書かれており、それが新設部隊の設立に関わるモノだと、ノクトはすぐに察した。
提案者、および課長の欄にはファーンの名前があり、この部隊がファーンのものである事が見て取れる。
ノクトはゆっくり顔をあげる。
「事情は分かったかな?」
「自惚れでなければ、スカウトでしょうか?」
「その通りだ。私が課長を勤め、今年の四月から本格始動する警備部警護三課は、現在、計七人の魔導師をスカウトしている。アベルもその一人だよ」
ノクトはファーンの後ろに立っているアベルに視線を移す。
アベルが小さく頷いたのを見て、すぐにファーンへと視線を戻す。
「二分隊分の戦力を確保するおつもりですか?」
「四人は実績の無い低ランク魔導師で、主力はアベルを含めた三人。そして、そこに君も加えたいと私は考えている」
そこまでファーンが言い終えると、背の高い女性の副官が飲み物を用意してきて、無言でファーンとノクトの前に置く。
ファーンは一つ頷くと、目の前に出された白いカップの取手を持って、優雅に中の液体を飲む。
「紅茶が好きでね。ミッドチルダで取れる紅茶の中では一番美味しいと思っているものだ」
ファーンはノクトに目線で飲むように促す。
ノクトは失礼します。と言うと、カップを持って、少し赤み掛かった液体を口に含む。
さぞや高級なものだとノクトは思ったが、意外にもそれはノクトが飲んだ事のあるものだった。
「これは……」
「ミッド東部でしか取れない茶葉で作られたものだよ。君は飲んだ事があるんじゃないかい?」
「何度か口にした事があります。ですが、そこまで高級なものではなかったかと……」
「値段が高ければ良いと言うものじゃない。私は確かにミッドでは一番美味しいと思っているが、他の人は違うかもしれない。君は東部出身であるし、下士官だ。値段だけ高く、あまり美味しくはないものを出しても喜びはしないだろ? それで喜ぶ人も居るから、私はその手の茶葉も持っているけれどね」
暗にノクトに合わせたと言っているファーンに対して、ノクトは思考を巡らせる。
ファーンが何を言わんしているのかを探ろうとしたのだ。
しかし、考える間もなくファーンは自分で説明し始める。
「任務でも同じさ。目的にあった人選をしなければいけない。値段の高いもの……高ランクの魔導師を注ぎ込んでれば良い訳じゃない」
「任務に合わせる必要があると?」
「その通りだ。そしてもう一つ。値段の高いモノは希少だから高いんだ。安易に使っていいものじゃないんだよ」
ファーンはカップを静かに置くと、ソファーに体を沈める。
「エース・オブ・エースを知っているかな?」
「高町二尉の称号ですね」
ファーンはノクトの答えに頷くと、悲しげに笑いながら話す。
「彼女が一度墜ちた時、私が率いていた部隊は彼女と行動を共にしていた。衝撃だった。入局前から圧倒的な結果を出していた彼女が一瞬で墜ちたのだからね。そして、後に結果を聞いてみれば、無理の積み重ねによる体への負担がとんでもないものだったらしい。彼女なら大丈夫と言う周りの慢心が招いた必然の結果だった。そして、私は後悔した。私には気づくチャンスがあった。止める権限もあった。彼女が異世界に行った理由は、私が企画した演習の為だったからだ」
「ですが、結果的には誰も気付けなかった。それは一佐の責任ではないかと……」
ノクトの言葉にファーンはゆっくり頭を振る。
その顔に浮かべる表情は自嘲だった。
「私は、気付けなかった私を許せない。だが、後悔してばかりもいられない。なにせ、エース依存は管理局に根強くてね。地上本部も貴重な高ランク魔導師の負担は尋常ではない。だから私に出来る断罪は、この状況を打破する事だと気づいた。あの日の後悔を繰り返さない為にも……私はエース、ストライカーと呼ばれる高ランク魔導師を守れる部隊を作る。それが警護三課だ」
ファーンはいつの間にかノクトの方へ身を乗り出していた。
尋常ではないほどの目の力にノクトは自然と体を強ばらせる。
「五月の模擬戦は見ていた。君のデータも見た。君は私が求める最高の人材だ。私の断罪に力を貸して欲しい。その代わり、私は君に様々な道を用意する。攻撃系の魔法が使えない事を理由に、君は高高度飛行適性がありながら、航空隊への転属を断られている。おそらく、それのせいで多くの道が潰えているだろう。私は君の道を開くのに手を貸そう。だから君も手を貸して欲しい」
強い言葉と意思に、ノクトは怯む。
正直な話を言えば、ファーン・ギルダードの部隊に異動すること自体、ノクトにとってはメリットであった。それに加えて、一等陸佐にして、地上本部で影響力のあるファーン・ギルダードの全面協力が得られるならば、断る理由はない。
ただ一つ。ノクトが自分自身に抱く不安を除いて。
「少し、考えさせて頂けませんか……。自分には……一佐の期待に応える自信がないんです……」
「そうか……。一週間以内に返事を貰いたい」
「分かりました。受けるにしても、断るにしても、一週間以内にご連絡します」
ノクトはそう言うと、立ち上がって敬礼をした。