夜調べ   作:ジト民逆脚屋

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忘れた夜があなたに会いにやってくる。


夜忘

ザアザアと、何かがざわめく音がした。やけに耳に残る、重なった葉音。湿った土と下草の混ざった匂い。

もう何年も覚えが無い、懐かしさのある感覚。

硬い床や、作られたアスファルトでもない、生きた土の感触。

 

「ここは……」

 

見上げた風景は、どこか見覚えがあった。懐かしさのある小道、散らばる様に道に沿って、点々と建てられた小さな鳥居の様なもの。

間違い無く、私が子供の頃に住んでいた祖父の家、その近くの山だ。

だが何故?

私はあの町の、商店街にあの子と居た筈。なのに何故、離れて十年以上経つここに居るんだ。

 

 

――カラン、カラン……

 

 

下駄の様だが、何か違う。乾いていて、それでいて硬い音がした。何かを擦る様な、削る様な音だった。

ここに居てはいけない。

重くなった足を引き摺り、音から少しでも遠ざかる。

あの音は、きっとよくないものだ。

 

「一体、ここは……」

 

進めど、見覚えのある山から、一向に出られる気配が無い。木々の壁が続き、それを避ける様にして、藪を泳いで行き着いた先は、開けた尾根だった。

これで、今の場所が分かるかもしれない。そう思った私は、まだ理解していなかったのだろう。

夜に関わるという事は、つまりはこういう事なのだと。

 

「なん、だ、これは……」

 

頭上を覆う空は夜そのものであり、しかし今立っている尾根の明るさは昼間のそれだ。吹く風も、感じる気温も、昼間の山中そのもので、しかし空ははっきりと夜空で、何も写さない闇が広がり、ポツンと満ちているのか、はたまた欠けているのか、判別出来ない程にボンヤリと月が浮かんでいる。

夜の中に昼間がある?

いや、今はそれよりも重要な事がある。

 

「町が」

 

嗚呼、私は今何処に居るんだ。

眼下に広がる町並みは、確かに私の記憶にあるものだ。だが、それは二つ同じ場所には無い。

町が混ざり合っている。まるで、軟体動物がお互いを食い合う様に、町と町が混ざり合い、蠢いている。

嗚呼、嗚呼、ダメだ。

ダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ。

 

「はっぁっ!」

 

あれは理解してはいけない。理解してしまえば、きっと戻れなくなる。あの〝ナニカ〟達と同じになってしまう。

兎に角、今は情報を集めて町に戻って

 

「   を探さないと」

 

戻れるかは解らないけれど、何もしなければ、何もかも無くしてしまう。夜に飲まれて、何時しか忘れてしまう。

手に持つ、ランタンをくれた祖父の事も、今となっては朧気に霞んでしまっている。

最後に会ったのは、何時だったのか。どうして、私にこのランタンをくれたのか。

もう霞を掴む様に、記憶は形にならなくて、微かに思い出すのは、遠く聞こえてくる童歌と、何処かへ消えていく祖父の背中。

あの日、祖父は何処へ行ったのだろう。父も母も、祖母すらも、あの日居なくなった祖父を探さず、すぐに死んだと判断した。

子供の頃、何故かそれを納得して、祖父は死んだんだと、そう思っていた。

だが、今思えば、何もかもおかしい事だらけだった。

 

「何故、あの日居なくなった事に、何の違和感も湧かなかった?」

 

人が、それも大事な人が、いきなり居なくなって、何の疑問も抱かず、その事実を受け入れた。

明らかに異常だと、子供でも分かる。私も、家族も、周囲も、祖父が居なくなった事が、まるで当たり前の様に過ごしていた。

そうだ。誰も疑問すら抱かず、祖母に至っては、祖父は最初から居なかったとも言い出し、両親も似たような事を言った。

そんな家が嫌で、両親とも折り合いが付かず、進学した大学もあまり行かずに、結局は中退し、それから実家には一切連絡をせず、アルバイト先の興信所に就職し、現実に押し潰されそうになりながら、幾つかの奇妙な依頼をこなし、今の所長の元に身を寄せた。

 

「どうして、疑問に思っていて、調べようとしなかった?」

 

子供の頃ならまだしも、今は調査する為の知恵も、経験もある。疑問に思っていたなら、何故調べようとしなかった。

違う。調べようとしなかったんじゃない。

見ようとしていなかった。目を背けていたんだ。忘れていた、記憶から消えていた。

まるで、誰かの都合に合わせた様に、祖父の消失に関する事柄が、記憶から消え、都合よく書き換えられていた。

 

今それを思い出したのは、一体何故なのか。

疑問に思うよりも早く、またあの音が聞こえた。

 

 

――カリリ、カリリ……

 

 

さっきよりも大きく聞こえる音は、明らかに何かを削り取る様な響きを、森の中から届けてくる。

この音は一体、何なんだ。

山の中は昼間の明るさだが、木々に遮られた視界では、音の主は見えない。だが、確実に近付いてきている。

 

「山から下りる?」

 

背後に感じる気配は、いまだに異様なまでの禍々しさを伝えてくる。恐らく、比較的安全な場所は山の中にしかないのだろう。

あの音から逃げながら、現状を調査して、   を探し出して、商店街に戻らなくては。

念の為、ランタンで照らしてみれば、影に動く姿は見えない。どうやら、ここには〝ナニカ〟は居ない様だ。

 

しかし、油断は出来ない。あれは人ではなく、人の道理は通用しない。

今は見えないだけで、あの木の影や、曲がり角からいきなり現れるかもしれない。私の影に息を潜めているかもしれない。

考え始めたら止まらない。兎に角、合流だ。

   と合流して、■■■を探し出して、昼間の世界に戻るんだ。

 

 

――やまのかみさまいってきた

――あのこがほしい

――あのこはいらない

――やまのかみさまおりてきた

――まりをついたらてんてんと

――みんなついてくやまのなか

――やまのかみさまつれてった

――てをそいだらあそべない

――あしをそいだらはしれない

――やまのかみさまあそびたい

――だからすねをそいだんだ

 

 

微かに聞こえる童歌、まだ何かを忘れている気がする。

夜空の下の昼間の山で、忘れた夜がゆっくりと、思い出させようとしてくる。

一歩一歩、噛み締める様にして、記憶にある山の中を忘れない様に進む。

私の忘れた夜は、一体幾つあるのだろうか。


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