夜調べ   作:ジト民逆脚屋

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夜捻

夜が捻れていく。

情けも容赦も、感情も無く、目の前に広がる夜が捻れていく。

 

「こっちもか」

 

あまり整備されていない山道を、探る様に歩きながら、どうにかして山から出ようと、町へ繋がる道を探すが、山の麓へ近付くにつれ、周囲の風景が歪んで捻れて、ピッタリと蓋をするみたいに、夜より濃い闇が私の行き先を塞いでしまう。

最早、今居る夜は私の知る夜、そして新たに知った夜とも違う。もう一つの、お伽噺に子供に言い聞かせる為に、夜の闇だけを切り抜いて、その恐ろしさだけで形作られたものだ。

頼みの綱は、古ぼけたランタンのどこかぼやけた灯りだけ。

 

叫び出したかった。

逃げ出したかった。

 

だけど、それは出来ない。

私はもう、子供ではなく大人だ。

子供は何時だって、見知らぬものに恐怖し、それと同時に惹かれていく。

真っ暗な夜に子供が出歩いているのなら、その子の手を繋ぎ、真っ暗な夜から連れて帰るのが大人の役目だ。

 

「ここがダメだとすると……」

 

微かに残る記憶を辿り、山からの抜け道を探し続ける。何故か、どうしてか、一体何が起きているのか、歩く山道は私の記憶にある山道そのものだった。

そう、祖父が居なくなる直前、このランタンを持って入

っていった山だ。

何故祖父があの日、山に入っていったのかは、もう分からない。

今、これが現実なのか、そうでないのか。分かるのは、その時の記憶を模した場所に居るという事だけ。

 

「気掛かりなのは……」

 

あの瞬間、世界が途切れる瞬間に聞こえた声。

粘る様な、貼り付く様な、薄ら寒さとおぞましさ、そして理解したくないという拒絶。この世の有りとあらゆる否定と、恨みを詰め込んだ様でありながら、子供だけが持つ無邪気さを孕んだ声。

 

『右足が強く軋む』

 

そして、それと同じく聞こえたあの音。

何かを削る様な、抉る様な、身の毛もよだつ寒気を届けてくる音。

あの音と声を、私は何処かで聞いた覚えがある。

錯覚かもしれない。十中八九、錯覚だろう。

だが、記憶にある山では、私が入ると何時も、あの音がしていた気がする。

あの日も、そうだった。

あの日も、この音が聞こえていた。

 

「あまり聞いてはいけない」

 

そう言われて、子供の頃はあの音が強くなる前に、山から下りていた。

だが今は、そうではない。

山から下りたくても下りられない。それどころか、今居る山が、正気のものかすら、判別が出来ない。

今の自分は、本当に生来の自分なのか。

もしかすると、あの夜の中で狂ってしまったのではないか。

それとも、この記憶すら狂気が作り出した仮想のもので、本当は現実など無いのではないか。

 

足元が揺らぎ、呼吸が浅くなる。

冷たいというには、言い足りない程に冷たい汗が、背中を伝う。

もし、もしそうだとするなら、〝私〟は一体、〝誰〟で〝何者〟になるのだろうか。

〝誰〟でも〝何者〟でもない。あの夜にさ迷う〝ナニカ〟になるのだろうか。

 

「だと、しても……」

 

私は大人であり、今日だけは、この夜だけは探偵なのだ。

先の見えない闇の中を泳ぎ、その果てにある真実を探し出す。そう、子供の頃に夢見たヒーローなのだ。

 

夜に冷やされた空気を吸い、血を頭を冷やす。

現状、私の置かれている状況は、理解の範疇を超えている。

だが、まったく理解の及ばないものではない。

この山道が現実か定かではないが、確かに存在し、私はそこを掠れ始めた記憶を頼りに、歩いている。

そしてあの時聞こえた声。

あれは間違い無く子供の声だった。大人になっても、無邪気さを演じた声を出す事は出来る。声優や俳優、役者と呼ばれる人々がそうだ。

しかし、無邪気そのものの声。これを出せるのは、子供だけだ。

 

何時だったか、所長が鼻歌混じりに言っていた。

 

「知っているかな?」

「何をです?」

「君に任せた調査案件、その社に祀られた神の話さ」

 

大袈裟な、どこか演技染みた喋り方と、特異な外見。

男が見れば美女、女が見れば美男、それも子供と言っても通じそうな、年若い美男美女に見える性別も経歴も不明の雇い主。

業界内外に強い影響力を持っているという、所長は私のデスクに置いてあった資料を広げ、一枚の写真を指差した。

 

「嘗て、人は理解出来ぬ天災を神として、山を神界として崇めた」

「知ってますよ」

「ふむり、やはり君を引き抜いて正解だった。そういった自然信仰の他、もう一つ信仰の対象、いや、畏怖の対象となるものが在る」

「……それは?」

「人、人間、更に言うなれば、子供だよ。●●君」

 

私が調査を依頼された案件は、放置されていた社と、その周辺の土地の所有者に関する事だった。

結果として、何らかの事件や犯罪があったとかは無く、あったのは所有者の孫が、その土地に関する権利の放棄手続きをしている。その事だけだった。

 

「まあ、障らぬ神に祟り無し。眠った子をわざわざ起こす必要も無い」

 

所長曰く、あの社は人身御供とされた子供を祀る社だったらしい。だが、何時の頃からか、信仰の対象がその社に移り、そして廃れていった。

 

「よくある話だよ、●●君。この手の話は、よくある話さ」

 

話はそれで終わり、風の噂というよりは、所長の雑談の中で、権利の放棄は恙無く行われ、社の御神体も、在るべき場所へ納められたという。

 

「寝た子を起こすべきではないよ。起きて遊び相手を探されても、こちらが困るだけだからね。……だけどもし、遊び相手になったなら、ちゃんと遊びを終わらせないといけないよ」

 

もし、あの声の持ち主が、遊び相手を探していた子供()で、私が遊び相手として見付かって、今の現状となったのならば、必ず終わらせないといけない。

 

「……確か、あった筈なんだ……」

 

隠れた記憶の向こうに、私は確かに覚えがある。

この山には、一つだけ、小さな社があった。

誰に聞いても、何が祀られているのか、はっきりとしなかった社だ。

 

『右足が震えた』

 

スネソギ様と呼ばれる神様は、確か子供の姿をしていて、悪い子の足を削いでしまう大きな鑢を持っていると、大人達は言っていた。

 

「なら、そこに」

 

この今の全てがある筈だ。

何かを削り抉る音を聞きながら、私は捻れた夜を歩いた。


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