あと、『』で囲っている部分は、私は気付いていません。
自分の事なのにね?
昼と夜、条件の逆転で印象が、がらりと変わるものがある。
色や温度、時間に季節、様々な条件があるが、昼夜の逆転で印象が変わるものは、私見だが大体が禍々しく変わり、その大半が昼間に人が多く集まる場所だと思う。
それが昼間の賑やかさからくる寂しさなのか、夜闇に沈んだ手の届かぬ恐怖からなのかは解らないが、夜中に浮かぶ白の建物というものは、その異質感から人の恐怖を煽る。
「せんせい」
「行くよ。掴まってて」
背中に軽い重さを感じながら、夜闇に浮かぶ学校の門をよじ登る。学生以来だ。あの時は確か、忘れ物を取りに行って、警備員にこれでもかと追われた。
懐かしいな。見上げる今の学校に、その時の面影は無い。
そも、私が通っていた学校はここではないが、それでもこの雰囲気は異質だ。
足を下ろせば、ここがちゃんとこの世のものだと靴裏から主張する感覚がある。人は、五感と理性を用いて現実と非現実を見分ける生き物だ。
この学校は現実だと理解出来ているのに、それと同時に非現実であると感覚が叫んでいる。五感が、理性が、理解している。ここは今、私達生者の居場所ではないと。
「行こう」
「うん」
煙草に火を点けて紫煙を背後へ流しながら、校庭へと足を進める。昇降口が見えてきたら、そこはプールとグラウンドに続くT字路になっていた。もし、あの子が学校にポロを探しに来たなら、フェンスに囲まれたプールに行くとは考え難い。
だとしたら、もう一つの道。グラウンドと他校舎方面へ行った筈だ。まとわりつく夜を払う様に紫煙を吐いて、行く先を照らす。灯りも何も闇を照らすものが無い道を、私達は二つの灯りを頼りに歩く。
植木に側溝、校内に〝ナニカ〟の気配は今のところは無い。だが、確信がある。
あの〝ナニカ〟達は、この学校内に居る。
そうでなければ、生者の本能がこの闇を進む事を拒む理由は無い。
「ん?」
「どうしたの?」
「いや、気のせいみたいだ」
今、何か聞こえた気がした。何処かで聞き覚えがある様な〝重く硬く鋭い物を引き摺る音〟、黒板を引っ掻くよりも、私はあの手の金属音が嫌いだ。
音の強弱では、思わず耳を塞いでその場から逃げ出したくなる。
耳に残る不快感と背筋に走る寒気を、煙草の煙と吐き出せば、視界の端に白い女の影が微かに映った気がする。
ああ、気のせいだ。煙を肺深く吸い込めば、酩酊にも似た感覚が視界を揺らす。
この短い時間に吸いすぎた。目の上辺りと眉間に血が集まっている感覚が、頭痛に似た痛みに変わる。
頭痛持ちには、これは辛い。走れなくなる前に、煙草を灰皿へ押し込む。目を揉む様にしてマッサージをすれば、揺れた視界が元に戻り、視界端の影も消えた。
疲れか恐怖からかの幻覚だろう。
「せんせい、あたまいたいの?」
「やっぱり、煙草は良くないね」
首を回し鼻から息を深く吸い込めば、少しだけだが気分はマシになった。
疼きを抑え込み、ランタンを高く掲げると、照らし出された影にチラリと何かが写し出された。
「おねえちゃんのだ」
この子が駆け寄り手にしたものは、見覚えのあるあの子の靴だった。
だが、それも片方だけ。一体、何があって片方だけ靴が落ちているのか。それは解らないが、あの子はここに居た。誰かがあの子の靴を片方だけ落とさない限り、それは確実だ。
「せんせい、おねえちゃんがっこうにきてたのかな?」
「解らないけど、多分ここに来てたんだ」
この子が抱える靴は、確かにあの子の靴だ。〝よまわりさん〟から逃げ出して、この学校に隠れた?
いや、逃げ出す途中で何かに追い付かれたか、巻き込まれた?
嫌な想像ばかりが、頭を過る。仮に〝よまわりさん〟から逃げ出して、アレがそれを簡単に許すとは思えない。
嫌な予感がする。何かがジワリジワリと這い寄ってきている様な、得体の知れない恐怖が近付いてきている。
「学校から出よう」
「え? でも、おねえちゃんいるかも」
「何か嫌な予感がする」
ガリガリと重く硬く鋭い物が、何かを削る甲高い音が遠くに聞こえる。
耳を塞いでしまいたい。今すぐにでも、この子を見捨てて逃げ出してしまいたい。
そんな欲求が、腹の底から沸き出す。
「せんせい、どうしたの?」
「何か聞こえない?」
「なにもきこえないよ?」
この耳障りな音は、この子には聞こえていないのか?
私にだけ聞こえているなら、この音は一体なんなのか?
『右足が疼き、膝から下が軋む』
兎に角、今はこの場から離れよう。
そう思い、ランタンを掲げ直し背後を振り替えると、少し離れたところに初めて見る〝ナニカ〟が居た。
「ひっ!」
抱き寄せ、ランタンを向ける先には、まるでクレヨンで塗り潰す様に描いた子供らしき影が、薄気味悪い無表情とも取れない顔で、こちらをじっと見ていた。
一体、何時の間に居た?
ここまで来るのに、あの〝ナニカ〟は居なかった。
気配だけ?
違う。何かが違う。これは、町でよく見る長細い影とは違う。
目を離してはいけない。背を見せてはいけない。
昔に、霊能者を名乗る胡散臭い奴から聞いた話では、夜に子供の様な小さな影を見たら、三つの事を守れと言われた。
無視してはいけない。
目を離してはいけない。
背を見せてはいけない。
それをすれば、忽ちにとり憑かれてしまう。
あれは子供だ。遊び相手が欲しくて欲しくて堪らない子供だ。そして、子供の遊びは無邪気故に残酷だ。
「せんせい、あっちにもいる・・・」
「見えてる」
何時の間にか、子供の影がちらほらと見えている。
奴らは、ずっと付いてきていた。
私達が学校に入ってきた時から、ずっと付いてきていたんだ。
震える手を繋ぎ、前方の影を見据える。
「動かない?」
「せんせい、あっちも」
「・・・あっちを見ながら、私に付いてきて」
恐らく、あの影はこちらが見ている限り動かない。
賭けをする気は無いが、これで駄目ならグラウンドを真っ直ぐに突っ切るしかない。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫」
「・・・うん」
ゆっくり、ゆっくりと、小さな影の近くを背を見せずに通り過ぎる。
心臓が破裂しそうだが、今焦って走り出せば、あの影に追われる事になり、門をよじ登るのは難しくなる。
もっと、もっと離れてからでなければ、私の足では無理だ。
「せんせい、もうすぐ」
「うん、掴まってて」
油断せず、門を目指す。今となっては植え込みや側溝が恐ろしくて仕方がない。
何時、何処から、〝ナニカ〟が現れるのかが解らない。
「着いた。大丈夫?」
「うん、きてないよ」
警戒に警戒を重ねて、漸くなんとかなるかならないかの境に立てる。今はそういう時間だった。
門をよじ登り、この子を抱き抱え学校を後にする。
「・・・・・」
「せんせい?」
「・・・行こう」
最後に、学校に視線を戻すと、あの小さな影が笑っていた。醜悪でおぞましい、吊り上がった笑みを、一瞬だがこちらに向けていた。
あれが本性だとしたら、元になった
「せんせい、すこしやすむ?」
「大丈夫だよ」
仮に、あれが子供だとしたら、あんな笑みを浮かべていた理由は一体なんなのか?
解らない。理解したくない。
もし、理解してしまえば、あれらと同じになってしまいそうだ。
「つぎはどこにいくの?」
「うん、今は学校から離れよう」
夜はどんどんと濃くなり、粘る様にまとわりついてくる。
雲間に浮かぶ月明かりも、点々とする街灯も、濃くなり始めた夜には、何の意味も成さない。
耳からあの嫌な音が離れない。
少しずつ、少しずつ近付いてきている気がする。
変わり始めた夜を、私達は足を早めて進む。
田んぼ