修羅場。
人はそれを聞いて何を思い浮かべるだろうか。
本来の意味を調べると『血みどろの戦いや争いが行われる場所』と記されている。語源はインド神話から来ているそうなのだが、俺はそのことに詳しくないし今は関係ないだろう。
昨今、作家などが締切で切羽詰まっているという状況で使われることがある言葉だ。
そして、もう1つ――――人間関係のいざこざ、主に男女間の痴情の縺れなどで表現されることも多いだろう。
昨今、恐らくこの意味合いが一番伝わりやすいと思う。漫画小説アニメ……そういった娯楽ではよく三角関係、浮気などといった場面で修羅場シーンと言われている。
俺もサブカルチャーに触れている際、修羅場と言われるシーンを見て少しは羨望の感情はあったかもしれない。憧れがなかったと否定できない。
しかし、今まで生きてきた経験上、一般的に表現される修羅場に限らず、人間関係でのいざこざには苦労してきた。
特に奉仕部に所属してからかなり苦しめられてきた自覚がある。主に俺が悪かった部分は否めないけれど。
由比ヶ浜からの依頼に始まり、修学旅行や生徒会選挙……俺を含めて様々な人が主に人間関係の構築の難しさに直面したからこそ、あらぬ方向に拗れたと言えるかもしれない。
何が言いたいかと言うとクソみたいな人間関係など気にせず何にも巻き込まれないボッチが結局最強ということだ。いやそうではない。これ以上、ややこしい問題に俺を巻き込まないでくれと願うばかりだ。
…………まぁ、もうその願いは砕け散って跡形も残っていないのだけれど。
「…………」
「――――」
「……」
この状況からどう切り出すべきか、いきなり声をかけてきた無愛想店員と俺の隣にいる俺の親である小学生を除く全員――――ぶっちゃけ奉仕部の面々が同じことを頭の中で巡らせている。
こういう空気苦手! 気まずい!
奉仕部と謡と一緒の空間で談笑にふけっていると、俺の知り合いでもありここの店員でもある美早が俺を見かけて声をかけてきた。別にこの一連の流れはごくごく普通のことかもしれない。
街中で偶然知り合いを見かけて挨拶する。不自然ではない。むしろ当然のことだと言えるだろう。
そういうのに慣れていない俺はなるべく気付かないように素知らぬ顔で去ることが多い。人見知りだからね、せっかく独りで出かけているときに誰かと話すのは体力的にも精神的に疲れること間違いない……。
重い静寂、ソファーの4人がけテーブルの空気を表すのはその一言で充分かもしれない。
しかし、その状態になってしまったのは俺が迂闊だったから他ならない。
思いの外、奉仕部と謡の会話が盛り上がったから、時間を少し忘れてしまったから、理由はその程度でしかない。ただ、早めに帰ればこの事態は防げただろう。
いや別に俺が発端なことは認めるが、別に俺悪くないよな? な? この気まずい空気の責任取れとか言われても俺取らないよ? なんなら一目散に逃げるまである。
「えーっと……」
この嫌な空気を断ち切ったのは我らがアホの子代表由比ヶ浜。さすがです!
さすがに何かを警戒しているように聞こえる。表情も普段から明るい由比ヶ浜とは思えないくらい引きつっているように感じてしまう。
「店員さんとは……その、ヒッキーと友達?」
「いや友達ではない」
「即座に否定しないで。たしかに友達とは表現しにくいけど」
彼女の発した疑問に対して俺は否と答える。
たったそれだけで、少し会話しただけて重かった空気はほんのちょっとだけ揺らぐ。とはいえ、気まずいことには変わりないよ!
とはいえ、俺と美早と関係性、か……。表現するなら何になるだらうか。リアルでは店員と客。あっちの世界ではライバル……? 敵対関係……? どちらでも友人関係ではないと断言できる。精々知り合いが関の山だろう。あれ、友達ってどこから友達なの? なんか分からなくなっきてた……。今さら?
「では、彼女とは一体?」
続けて雪ノ下からの追撃。
「強いて言うなら顔見知り程度だ。まぁ、店員と客でしかないな。よくここに通ってたって言ったろ。ここのパティシエのおばさんがよく声かけてくれてな。その流れで向こうが覚えてただけだ」
「でも下の名前で呼ばれてなかったかしら?」
「それもおばさん繋がりだろ。言っとくが、俺はこれの名字は知らないぞ」
「これって呼ばない」
嘘は言っていない。未だに名字は教えてくれないしな。
そして、意外なことに雪ノ下も由比ヶ浜も特に声色は怒っていない。ただただ疑問だという印象を受ける。由比ヶ浜は多少は声が上ずっていたが、雪ノ下は平静と言える一言。
どちらかと言えば困惑が勝っている、ということだろうか。
今度は俺から切り出すべきかと悩んでいると、美早が雪ノ下たちに向かってお辞儀をする。
「美早と言います。ここでパティシエ見習いをやっています」
巧妙なことにここでも名字は名乗らない。制服にも名札は付いていないのでこそぞとばかりに俺が名字呼びするのを封じてくる。向こう含めれば付き合い長いが、この警戒心よ。
「ご丁寧にどうも。雪ノ下雪乃と言います」
「由比ヶ浜結衣です! よろしくね!」
朗らかに挨拶を返す2人。
先ほどまでの重苦しい空気は若干霧散したように思える。一先ず肩も軽くなり少しだけ安心した。そもそも初対面の相手にいきなり敵意向ける人たちでもないと今さら思い至る。
……俺や由比ヶ浜と出会ったころの雪ノ下ならあれだったけどな。言い方を抑えると、あのときの雪ノ下は棘が強かったし。
なんて懐かしむように過去を思い浮かべていると、こちらを見下ろす視線に気付く。
「八幡、隣座っても?」
「いや働けよ」
「シフトまであと10分。少し時間はある」
「……悪い、謡。ちょっと詰めてくれ」
【UI> 分かりました】
このせっかち女は止められないなと悟り、謡は端に寄り俺は真ん中、そのまた俺の隣には美早という形になった。そして目の前には奉仕部の2人。
客観的に見ても美少女に囲まれている人相の悪い男がいる空間の完成だ。
漫画や小説で見ると憧れる流れだが、いざ当人になるとここから逃げ出したいくらい胃がキリキリする。果たして俺は生き残ることができるのだろうか。
いやまぁ、別に俺を除く4人がそれぞれ敵対視――――と表現するのは大げさだが、そこまで負の感情は持ち合わせていないのが幸いだ。
無表情のまま座り続ける美早に対して諦めの付いた俺は声をかける。
「で、マジで何しにきたんだお前」
「見かけた顔がいたから挨拶」
「済んだろ。働け」
「彼女たちは同級生?」
がっつり無視された。ねぇ、キャッチボールしよ? これでも丁寧に初球は投げたつもりよ?
「同じ部活だ」
「フーコが言っていた人たち?」
「多分そう」
そういえば四神からカレントを救う話をコイツらから持ちかけられた際、倉崎が何か言っていた覚えがある。
と、真正面にいる雪ノ下たちからは見えないようにテーブルの下でタイピングしたらしく、どうやら美早は俺ではなく謡に何かメッセージを送っている。それを謡はヤレヤレ顔で仲介し俺へと伝えてくる。
【UI> たしかに美人な2人と言っているのです】
「…………」
横を見るとキリッとした視線で何かを訴えている目付きだ。なにこれめんどくさっ。
なんてややこしい方法で俺に文句を告げるのか甚だ分からない。どれだけ俺に名字を伝えたくないのか。
これから先これだと面倒だし、捨てアドレスでも教えるか。俺の個人情報に繋がらないメールアドレス。そうでもしないと意思疎通がしにくすぎる。
とはいえ、これから何を話せばいいのやら。
雪ノ下たちがいる以上、下手にあっち――――加速世界のことは話せないし、俺だと何かしらのボロが出てしまう可能性がある。というより、どこに地雷が潜んでいるか不明な今話したくねぇ……。
よしここは。
「由比ヶ浜、なんか話振ってくれ」
「ヒッキーこういうとき、とりあえずあたしに投げかけるよね!?」
「適材適所他力本願」
「随分と最低なことを堂々と言うわね」
「ほっとけ」
それは自覚してる。
「えーっと……でも、美早ちゃんはこれから仕事なんだよね。そんな長いこと話すと迷惑じゃない?」
「そうだな。由比ヶ浜の言う通りだ。てことで美早、さっさと仕事に戻れ」
「あと少しで行く」
くっ、強情な奴め……。上月でもいれば説得できるかもしれな――――いや、この場にあのあざと少女が出てくれば更にややこしくなるだけだわ。
そんなことを頭の隅で考えている傍ら、由比ヶ浜はそうだと手をポンと叩き美早に質問を行う。
「あっ、パティシエ見習いって言っていたよね。美早ちゃんも何かここでケーキ作っているの?」
素朴な、総じてある意味当然の言うべき由比ヶ浜の疑問に対して、彼女は首肯してから口を開く。
「えぇ、いくつかの種類を販売しています。基本は叔母の手伝いがメインだけれど。今特に力を入れているのは苺のラビリンスという商品」
「それって比企谷くんが食べていたケーキよね。あれを貴女が……へぇ、あんな精巧に……スゴいわね。私も頼めば良かったわ」
そう雪ノ下が感嘆の声をもらす。
聞こえた声色には嘘偽りない尊敬が込められているように感じるほどだ。とはいえ、それだけではなく俺の皿をチラッと流し目で視線を向けていた。どこか欲を見せる視線。
つまり、それを食べた俺が羨ましいのね?
「今からでも頼めば?」
察した俺は簡潔に疑問を雪ノ下に投げかける。
「もうケーキ食べたのよ。これ以上食べたらカロリーが……」
「ケーキ屋来ている時点でそういうのは無粋だろ。毎日食べているならともかく、別に今日だけなんだし」
「……それもそうね。あとで注文しようかしら。由比ヶ浜さんもどう?」
俺の言葉に納得したのか再度頼むと告げる雪ノ下。さらっと由比ヶ浜を巻き込んでいる。道連れにする気満々じゃねーか。赤信号みんなで渡れば怖くないスタイルだった。
「そうだね、あたしもせっかくだし頼もうかな」
「ぜひ。八幡は?」
「いやもう食べたから。ごちそうさまでした」
「お粗末様なの」
わずかに微笑む美早。自分が関わったモノに対して褒められるってのは嬉しいことなのだろう。俺にはその感覚はあまり理解できないが。こちとらひたすら消費するだけの日々だからね。まぁ、小町が褒められたら俺は嬉しい。そういうことかもしれない。
そのやりとりを俺と美早を除く3人からジッと見つめられる。視線からはそれぞれ思い思いがありそうだが……どうも気まずい雰囲気だ。
【UI> やはり2人は仲が良さそうなのです】
「同感」
「だよね! やっぱりそう思うよね!」
え、なにこれ責められてる?
俺なんか悪いことした?
「そう?」
美早は分からないと言いたげな声色で聞き返す。
「私たちは今日で初対面、さっきの会話で断言できるほどそう言えるの?」
再度疑問の感情が入り混じった声を出す美早。
「そうだねぇ……ヒッキーがちゃんと礼儀正しく答えたから余計に?」
「おい俺そんなにコミュ症じゃないけど? 最低限の礼儀は持ち合わせているつもりだけど?」
「あとはあれね、視線が普段の腐った目よりも優しそうだった。いつもの気持ち悪い視線ではなかった……?」
「いや雪ノ下、言葉の棘……」
【UI> なんだか小町さんと話している表情に似ているのです】
「小町と美早じゃ似ても似つかないな……」
三者三様、好き勝手なことを言ってくれる。
「まぁ、比企谷くんと美早さんがどの程度の仲の良さなのかは存じ上げないけれど……比企谷くんの中学校までの過去をいくらか知っていると些か不思議ではあるわね」
「不思議っつーと」
「人見知りを発揮せずに特に問題なくコミュニケーションを取れていることかしら」
雪ノ下の言うことも一理あると思う。
たしかにほぼ初対面の相手だとキョドる自信しかないまである。たしかに客と店員という関係性だけを聞いていると、つつがなく話が進行しているのは奉仕部から見れば珍しいかもしれない。
「いやでも雪ノ下さんのときでもマシだったくね?」
「あのときはいきなり性癖語っていたでしょうに……」
どこか疲れた表情の雪ノ下の心底呆れた一言によってあの出会いについて思い出す。
そういやそうだったな……。
いや待て、性癖は語っていないはずだったぞ。なんか耳が弱点みたいなことは言った覚えがあるような……ないような。まぁ、似たようなもんか。
これ以上何か話そうとしたが、時計をチラッと確認する。
「つーか、美早。お前そろそろ時間」
「……そうね。私はこれで」
そう冷静に立ち上がる美早。
「お仕事頑張ってね!」
「ケーキ、とても美味しかったわ」
【UI> ごちそうさまでした】
彼女たちの挨拶に少し頬を緩ませた美早は嬉しそうに語りかける。
「えぇ、ありがとう。ゆっくりしてね」
とだけ言い残してからせっかち女は仕事へと向かっていった。最後に店員らしくゆっくりしていってと付け加えてから。
その後の美早はキッチンの方へと姿を消えたから、今日はそこで働いているのだろう。たまにホールでも見かけることがあったけど。
俺よりも年下でありながら責任を持ちつつ仕事に勤しんでいる。純粋に偉い、スゴいことだと素直に美早を褒めたくなる反面、いずれ俺もどこかの会社とかでこうなるのかと考えると戦々恐々とした、陰鬱な気分に陥ってしまう。
つまるところやっぱり働きたくねぇなぁ……。
――――そして、美早と話してから雪ノ下と由比ヶ浜は再度ケーキを注文したり、謡にケーキを奢ったりとしばらく談笑は続いた。
主に俺を弄ったり、美早を褒めていたり、小学生視点から気になる高校生生活、はたまたルミルミについてだったりそれはもう盛り上がりを見せた。
なんで本人がいる目の前で堂々と弄りをするのだろうか……。
互いに交流があった俺を除けば、この3人が対面で会いこうやって話す回数はかなり少なった。しかし、年が離れていても仲が拗れることはなく良好な関係に落ち着き、由比ヶ浜の思い付きで発生したこの時間はつつがなく進行した。
そんな穏やかな時間もそれなりに経過し、気付けば夕方の4時は過ぎていた。
なんだかんだ途中でイレギュラーがありつつも数時間は話していたこととなる。もっとも、会話の半分以上は由比ヶ浜か喋っていたことになるけど。由比ヶ浜にさすがと言うべきか謡を除く俺らが情けないと言うべきか。
もう夕方か。……あれ、夕方に何かあったような気がする。俺ではなく、この3人のうち誰かの用事が――――
「……ん」
と、たしか謡はホウの餌やりがあったはすだ。中学の授業も終わる時間帯だろうから、そろそろ向かう必要があるだろう。
落ち着いた雰囲気なのを見計らって声をかける。
「ここらで一旦解散するか。俺は謡を杉並の学校まで送るわ」
「学校……? あ、謡ちゃんはホウの餌やりがあるんだっけ!」
【UI> あら、もうそんな時間でしたか】
そそくさと荷物をまとめた俺は奉仕部の2人に対して帰るように促す。
「雪ノ下と由比ヶ浜は先に戻っておいてくれ」
「そうね。これから暗くなる時間帯に小学生1人というのは心苦しいわね。比企谷くん、しっかり送り届けるように」
「ういっす。お前らも気を付けて」
「うんっ。じゃあまた明日学校でね!」
レジ前で料金を支払いながら雪ノ下と由比ヶ浜に別れを告げる。今日の日はさようならってな。……いやいい歌だけどこの曲はトラウマです。理由は……まぁうん、新世紀のあれを観た人分かるんじゃねーの。なぜそれを思い浮かべてしまったんだ俺は……。
支払っている最中ではキッチンの様子は確認できず、美早の姿は見えなかった。最後に挨拶でもしようかと思っていたが仕事の最中に邪魔をするのも申し訳ない。また謡経由で礼を言っておこう。
店を出てから改めて謡は2人に頭を下げる。
【UI> 今日はお誘いいただきありがとうございました。とても楽しかったのです】
「こちらこそ。そうね、昔の比企谷くんを知れて面白かったわ」
「おい」
【UI> 私も今の……色々とやらかした八幡さんを詳しく教えてもらって嬉しかったのです】
「おい」
人のトラウマや黒歴史ほじくって悦に浸らないでもらえます?
「たしか謡ちゃんとヒッキーはバス使うんだよね。あたしたちは電車だからここでお別れかな。あたしも楽しかったよ。また会おうね謡ちゃん!」
【UI> 由比ヶ浜さんもありがとうございました。またホウの写真たくさん撮っておくのです】
朗らかに挨拶する謡。お前ほんと社交性あるよな。下手すれば俺以上に。小学生に勝てない高校生ってどうなのとツッコミを入れたいところではある。
とりあえず謡をちゃちゃっと送って俺も早めに帰るとしよう。