黒チビと倉崎とカラオケボックスで現状確認など話しながら歌っていると、もう日も落ちるころになっていた。
ちょうど太陽は境界にある位置で、橙色と薄い藍色と二分されているのが分かる。ある種、幻想的な景色と思える中、佇んでいると蒸し暑い気候と共に涼しい風が吹いてくる。それかどこか気持ち良い。
「ふぅ」
今から千葉へと帰るころには完全に暗くなっているだろう。今日はあまり勉強する時間が取れないかもしれない。
最近は少し勉強できていない日があるな。帰りの電車で単語を見直すくらいはしておこう。何も触れない、というのは受験生である身としては不安だ。
次の電車は何時発だろうと確認しようとしたところ、ふとメッセージアプリの通知が溜まっていることに気付く。その数112を示している。なにこれ怖い。ボッチの俺にここまで通知が来ることはまずない。
果たして誰からだろうと疑問に感じたところで。
「あー」
名前を見て納得した。
そこでようやく謡からの通知をミュートしていたことを思い出す。
雪ノ下たちと別れたあと謡を送り、黒チビたちに掴まり話していたところでなぜか謡からやたら詰められていた。めんどくせっ、となり話の邪魔になるから通知切っていたわ。倉崎がツーショットなんて送るから……。
既読付けたくねぇな、なんて思いつつ確認する。
「うわっ……」
そんな引いた口調が漏れるくらいには、やたら怨嗟が籠もっている文言がひたすら続いている。『は?』『おい見ろ』とかいつもの穏やかな雰囲気はどこへやら。『この私無視とかいい度胸ですね』とか『調子乗るなよ』なんて怖いっつーの。
この調子なのが100件以上。呪詛かな?
なぜこんなキレているんだか。
「はぁ」
なるべく穏便に済ませたい気持ちはある。ていうか、俺悪くなくない? 黒チビたちに掴まったのは謡の見送りをしていたからであって、俺から近付いて倉崎と写真を撮ったわけでもない。
うん、俺悪くない。社会が悪い。いやアイツらが悪い。そうに決まっている。
『すまん、いつもの倉崎の悪ふざけだ』
とだけ返すと一瞬で既読が付く。いや怖いよ。
一先ず返事を待ちながら駅へと向かうか。
『一応あっち絡みの真面目な話をしていたんだよ』
【UI> だから私を無視したというのですか?】
『だっていちいちピコンピコンうるさいし』
【UI> は?】
『文句は一切合切受け付けません。何かクレームがあれば俺を巻き込んだそちらの頭にお願いします』
面倒な事態になったら、とりあえず上に押し付けるに限る。
【UI> どちらかと言えば文句を付けるならフーねぇなのでは?】
『それはそう。元はと言えば変な写真撮ったの倉崎だな。引っかき回すのがアイツの得意技だろ』
【UI> ……いえ、それは八幡さんもそうでしょう。フーねぇに続いてドSなのです】
御冗談を。
俺はそんなことしないよ。ただ、相手の武器奪えたら俺が楽できるからしているだけであって。まぁ、自身が愛用している武器で傷付けられるってそれどんな気分? と煽りたくなるため、ある種快感ではあるのは否定しない。
【UI> それはそれとして、八幡さんには後ほどしっかりお話をするのです。家に帰るころにまた連絡します】
『いやなんでだよ。俺悪くないだろ』
あ、電車来た。帰宅時間なだけあってけっこう人混みが酷いな。俺も雪ノ下たちと帰れば良かった……。満員電車は嫌いだ。立っているだけでいつも以上に体力を奪われる。
うわっ、キッツ……。ニューロリンカー操作するのやりにくい。
【UI> 私と奉仕部の皆さん、美早さんと談笑したあと、さっちんとフーねぇとカラオケ……わずか数時間で何人の女の子を侍らせているのですか。これはおしおきが必要なのです】
『なんて人聞きの悪い言い方。約束していた雪ノ下たちはともかく、倉崎たちに関しては巻き込まれた側だっての。てか、今回は対面じゃなくて通話で済ますつもりだったらしいし』
そんな俺の知り合いが女性しかいないみたいな言い方をしないでくれ。ちゃんと男性の知り合いはいるから。材木座に、不本意ながら葉山たちに……最近だと有田君に。ほらわりといる。うん? 戸塚? 戸塚はノーカウントです。あれは性別の枠組みに押し付けるのはあまりにもナンセンスだろう。
【UI> それはそうですが……】
その返し方やめよう?
【UI> ですが! そんなフラフラした態度は許せないのです。フーねぇの行動がちゃんと嫌ならば拒否するべきなのです】
『うんそうだね』
【UI> なんですかその即答かつ簡素で適当な返信は……】
しばし間が空いてから。
【UI> まさか八幡さん……いくらフーねぇとはいえ、女の子にあれだけ近付かれて役得などとは思っていませんよね? あの胸を当てられて嬉しかったのですか?】
『ちょっと満員電車キツいから連絡控えるな』
あとギリギリ当てられていないので。
【UI> おいコラ逃げるな。そんなに大きいのが良いのですか。あんなの脂肪の塊ですよ? 貧乳は無価値と? 奉仕部の2人にチクリますよ?】
クソッ、逃げ切れない。普通に内心バレた。
あの……男の子であるなら正常な反応といいますか。VRでは味わえない感覚に抗えないのです。あと、ところどころ言葉遣い荒いよ? いつもの可愛い謡はどこにいったの?
『ほら、狭い空間で下手に抵抗したら倉崎がケガするかもしれないし』
【UI> いや八幡さんがフーねぇの心配なんてするわけありませんよね?】
このように即答されるのが、さすが倉崎というか。
『断言すんなよ。さすがに可哀想っていうか。あっちならともかく、リアルではアイツの足、色々と事情があるだろ』
病気により倉崎の両足は共に義足だ。ただ、精巧に作られており、外見でそのことを見抜けることは難しい。俺も初めて会ったときそんなことは分からなかった。
健常者と何も変わらず生活が可能だ。しかし、だからといって無茶を強いていいわけにはならない。
【UI> あー……たしかになのです】
謡もこれで納得した様子。これでも怪我人相手……とはちょい違うが多少は気を遣うモノだ。
『だろ? はい無罪放免』
【UI> で、本音は?】
『めちゃくちゃ良い匂いがしました』
【UI> おい変態。建前と本音くらいしっかり隠しておけのです】
『ごめんなさい』
心に嘘は付けませんでした。
――――翌日。
「眠い……」
一応は今日も定期テストであり朝から学校にいるが、あまりにも眠い。瞼が重い。始まるまで約30分。仮眠を取ろう。そう机に突っ伏す。
それも帰宅し晩飯を食べてから謡と深夜までずっとメッセージのやり取りをしていた。
勉強の傍らといった感じであまり集中できなかったがな。小学生は早く寝ろと言っても聞かずに遅くまでずっと話していた。
説教中心ではあったものの、途中からはあっちや黒チビたちのこと関係なく、ただの雑談でしかなかった。それがやたら盛り上がったため睡眠時間がめっちゃ遅くなったわ。
推薦を狙わない3年の期末の定期テストなんてほとんど結果なんてどうでもいいのが幸いだ。というより、総武高校の大半は推薦を使わない。県内有数の進学校なだけあって推薦枠が極端に少ないってのもあるけどな。
つまり模試感覚で気軽に受けれる。やるからには真面目に受けるが、結果を気にしなくても大丈夫なのは気分が楽だ。
よし寝よう。チャイム鳴るまで寝る。俺は寝る。由比ヶ浜が近くにいるのはなんとなく分かるけど、おやすみ……。
そうこうして数時間が経過し午前中のテストが終わる。
「やっと終わったぁ……明日もあるんだねー」
帰るために荷物をまとめていると、由比ヶ浜がこちらに駆け寄ってくる。
「にしてもヒッキー、朝眠そうだったね」
「ちょい睡眠不足だったからな」
「寝た振りとかじゃなくて?」
「ガチで眠かった」
たしかに時間潰しのために寝た振りはするときあるけど。
「ところで、手応えどうだったの?」
「まぁボチボチ。もう数学を取っていない俺は無敵だ」
「あーね。2年のころは大変だったねぇ」
「全くだ。そういう由比ヶ浜は?」
「あたしもボチボチかなぁ。ヒッキーよりかは低いけどね」
お互い、雪ノ下には勝てないだろうけどな。
「今日は部室で集まるのか?」
「ううん。学校が早く閉まるからゆきのんのお部屋にお邪魔するの。勉強会だよ」
「昨日はけっこう遊んだもんな」
「だねぇ。まさかヒッキーが可愛いメイドさんと知り合いとは。そ、それでヒッキー……あのー、ほ、ホントに、あのメイドさん……美早ちゃんとは何もないの?」
由比ヶ浜はどこか少し不安そうに視線を左右に泳がせ、こんなこと訊いて大丈夫なのか、踏み込み過ぎていないかと疑うような表情でゆっくりと俺の顔を覗く。
昨日でいきなり知り合ったから関係性が気にはなるのだろう。その理由までは深く訊かないでおくけど。こちらまで恥ずかしくなるのは明白だ。
というよりアイツはメイドではない。あんなせっかちに勤まる仕事じゃねぇだろ。
と、それはさておき。
「なぁ、由比ヶ浜」
「えなにヒッキー、急にいい笑顔で。キモいよ」
いきなりナイフでぶっ刺すな。みっともなく泣くぞ。
「まぁいい。考えてみろ、中学の俺がな……いくらよく通っていたとはいえ店員に、それも年下の女子にそんな積極的に話しかけると思うか? それこそ戸部みたいに」
「あ、それはないね」
「だろ?」
由比ヶ浜は真顔で否定する。
見事なまでの即答。ちょっと泣きたくなってきた。少しくらい肯定してくれても罰当たらないよ?
いやまぁ、あのころはレパードと知らなかったが、それを差し引いてもろくに会話はなかった。
せいぜいケーキ買うときに一言二言交わす程度だった。それもあくまで店員と客としての会話だ。間違ってもナンパなどはしていない。……てか、今どきナンパなんて言葉使うのか?
「いやー、でもヒッキー。いくら中学のヒッキーがキモくてもさぁ」
「おい言い過ぎだろ」
「ヒッキーは何だかんだお人好しだし、何かあったらつい助けていたかもだよ」
「んだよお人好しって。つか、あれが困る場面なんて想像できないし」
あれ呼びなんだ、と由比ヶ浜が苦笑いしているところで続けて話す。
「美早とはマジで何もなかったぞ。そもそも話すようになったのって最近だぞ。それに中学のころの俺なら、少しでも会話があれば、親しくなったと勘違いして告白して振られていたっての」
「振られるのは確定なんだ」
あっちに潜っている分、少しは大人びていたかもしれないが、しょせん俺は俺。中学のころなんて黒歴史が多過ぎるのである。
「うん確定。なんなら名前を知ったのだってつい最近だぞ」
「そーだよ名前! なんで美早ちゃんのこと名前で呼んでるの? 謡ちゃんはともかく」
「だって苗字知らんし。教えてくれないからな。知ってたらすぐに苗字呼びするわ」
「なるほど……美早ちゃん、これは強敵だね」
倉崎辺りからいい加減苗字を訊き出すか。いや教えてくれる気配がない。
であれば上月を脅して……いや絵面が終わっている。通報不可避だろう。ただでさえ謡と隣り合っていると色々とヤバいのに、上月となら余計に不審者真っしぐらだ。
「あっ。じゃあ、ヒッキー。あたしのことも名前で呼ぼ?」
「え? 嫌だけど?」
「なんでぇ!?」
悲痛な叫びだ。心底不満です! と言いたげに頬を膨らませている。
「もう由比ヶ浜呼びで慣れちゃっているし。今さら感あるだろ」
「うぅ〜、そうかもだけどっ!」
「それにほら、由比ヶ浜って呼んだら下の名前も呼んでるってことになるだろ。発音含んでいるし。なんなら雪ノ下も」
「なにその屁理屈……。いやいや、全然理屈通ってないよ」
「だろうな。自分で言ってても違和感あるわ」
ジト目で咎める由比ヶ浜に思わず苦笑い。
適当に言い訳していると自分でも何を言っているのか分からなくなる。
「そう言わずにさぁ、仲良くなって1年は経ったんだよ。ほら、そろそろステップアップ、しよ?」
「さて、帰るか」
「ちょ……!?」
「まだテストは明日も残っているぞ。由比ヶ浜もがんばれ」
「スルー!?」
荷物をまとめてそそくさと教室から退室する。
由比ヶ浜、普通に言い方が女の子らしくあざとく可愛らしいのは卑怯だぞ。不意に来られると対応し切れない。
普段アホの子だから忘れがちだけど、由比ヶ浜もちゃんとした女子だという事実な今さらドギマギしそうになる。……ったく、思いの外心臓に悪い。
そして、校門へと移動している最中、後ろから誰か近付いている気配がする。なんとなくそう感じ振り返ると亜麻色の髪が視界に入った。
「先輩、どうもです」
「よう」
生徒会長一色いろはが計算高いあざとさでウインクをして挨拶をする。
「どうした?」
「いえ、不幸そうなオーラが見えたので声かけようかなって」
「悪かったな」
別にこのオーラを自在に引っ込めたりはできないんよ。できたら苦労しねぇわ。なんて内心愚痴っていると、一色は何かを閃いたかのように手をポンと叩く。
「あ、結衣先輩から訊きましたよ。なんか可愛いメイドさんと知り合いだったって。他にも、最近女子の知り合いが増えたとかなんとか?」
やたらめったらニヤニヤとこちらをからかうように笑い、肘で俺をつついてくる。
元から知り合っていたという点を加味すれば若干一色の言っていることは外れているのだが、リアルでの関係性で例えるとそのように言っても相違ないだろう。
しかし由比ヶ浜も口が軽いというか。別に秘密にしたいわけではないけど。
「そ、れ、に〜……全員年下なんですって? もしかして先輩、年下好きなんですかぁ?」
随分と余裕たっぷりと間延びした声で俺を下から覗いてくる。
「偶然だ」
ブレイン・バースト関係の知り合いとなると全員俺より年下になるのは黙っておく。
「で、先輩の趣味、じゃなくて性癖は? 年上? 年下?」
「知るか」
「えぇー、もっと恋バナに花咲かせましょうよ?」
「いや恋バナに性癖なんて言葉を使うな。なんで言い換えた」
より酷くなっている。
「まぁまぁ。で、どうなんです? 言い方をマイルドにしますと……改めて先輩のタイプは?」
「んなとこで話さねぇよ。帰りたいんだが」
「そこをなんとか」
「……しつこいなコイツ」
「うら若き乙女に向かってなんてこと言うんですか」
「だったら離れろ。乙女なら余計に距離感考えろ。近い近い」
思わず飛び退いて一色から離れる。
ほとんどゼロ距離だ。少しずつ理性が削られるんですがそれは?
「仕方ありませんねぇ。この程度で止めときます」
やれやれと言いたげな態度で「ちょっと女性に対して失礼な反応じゃないですか?」と付け加える。
たしかに一色の言う通り、あれだけ女性が近付けば普通の男性なら大なり小なり喜ぶものだろう。それも一色のような、客観的に見れば美少女ともなるとなおさらだ。そこについては否定しない。
しかしながら、形はどうあれ下手に詰められている最中に近寄られるとどうしても警戒はする。失礼と言われると違いない。そもそも発端は一色にあるので責任の所在は半々ということでなにとぞお願いしたい。
「その話はいつかってことで勘弁してくれ。それか知り合いに関しちゃ雪ノ下たちに詳しく訊け。アイツらが話す分には止めない」
「まっ、そうします。……っと、生徒会の用事があるのでこれで失礼します」
まるで計算された角度で男をからかうようにあざとく挨拶する。そして、そのまま小悪魔のような可愛い笑みを見せて俺が何も言うまでもなく去っていった。
「ったく」
困った後輩でもあり、愉快な奴でもある一色の姿に苦笑する。何はともあれ、一色を最終的に生徒会に巻き込んだのは俺である。責任……のような曖昧なモノを感じてはいたが、前向きに生徒会へ励んでくれている姿を見ると、一色には絶対言わないが心底ホッとできる。
「帰るか」
誰もいない場所で、誰にも聞こえない呟きを漏らす。
しばらくは奉仕部も加速世界でも用事は何もない。最近サボり気味ではあった勉強に集中しよう。いやサボりたかったわけではないけど、ムリヤリ呼び出しされていたに過ぎない。
こちらから無闇矢鱈にあちらの事情に突っ込むつもりはない。火の粉が振りかかるなら追い払うだけ。しんどいたけだしな。そう決めている。
――――と、思っていたのに。
「なんでここにいるんだよ……」
平日を終え休日を迎えた土曜日。
誰も防ぐことのできない暑い日差しに容赦なく浴びせられる。太陽を恨めしく見上げ、辟易しながらも俺は東京の杉並区にいた。
「人を巻き込むのが大好きな奴らだなネガビュめ……」
あー、めんどくせぇ……。