さよなら地球、ようこそトータス
瞼の上からでも分かるほどの光が収まったのを感じ、カイトはゆっくりと目を開いた。そして、呆然と辺りを見渡す。
まず目に飛び込んできたのは巨大な壁画だった。縦横十メートルはありそうなその壁画には、後光を背負い長い金髪を靡かせてうっすらと微笑む中性的な顔立ちの人物が描かれていた。背景には草原や湖、山々が描かれ、それらを包み込むかのように、その人物は両手を広げている。素晴らしい絵なのだろう。だが、絵画や芸術品などの所謂「オター」な物が混じっていないものには一切興味のないカイトが見ても「あー、金掛かってるんだろうなー」くらいしか思うことがなく、直ぐに興味を失くした。
よくよく周囲を見てみると、どうやら自分たちは巨大な広間にいるらしいということが分かった。素材は大理石だろうか?美しい光沢を放つ滑らかな白い石造りの建築物のようなもので、これまた美しい直刻が彫られた巨大な柱に支えられ、天井はドーム状になっている。大聖堂という言葉が自然と湧き上がるような荘厳な雰囲気の広間である。
カイト達はその最奥にある台座のような場所の上にいるようだった。周囲より位置が高い。周りにはカイトと同じように呆然と周囲を見渡すクラスメイト達がいた。どうやら、あのとき、教室にいた生徒は全員この状況に巻き込まれてしまったようである。
カイトは事を整理しようと思考する。
どうやら自分達は良くある"召喚"をされてしまったらしい。こんな豪華な場所はそうそう無いと仮定すると多分ここは王宮や教会、またはそれに準ずる場所だろう。心做しか頭の回転が早くなっている。まずは────この状況を説明できるであろう台座の周囲を取り囲む者達がアクションを起こすのを待つのがいいだろう。
まるで祈りを捧げるかのように跪き、両手を胸の前で組んだ格好をした者達は、一様に白地に金の刺繍がなされた法衣のようなものを纏い、傍らに錫杖のような物を置いている。その錫杖は先端が扇状に広がっており、円環の代わりに円盤が数枚吊り下げられていた。
その内の一人、法衣集団の中でも特に豪奢で煌びやかな衣装を纏い、高さ三十センチ位ありそうなこれまた細かい意匠の凝らされた烏帽子のような物を被っている七十代くらいの老人が進み出てきた。もっとも、老人と表現するには纏う覇気が強すぎる。顔に刻まれた皺や老塾した目がなければ五十代と言っても通るかもしれない。
そんな彼は手に持った錫杖をシャラシャラと鳴らしながら、外見によく合う深みのある落ち着いた声音でカイト達に話しかけた。
「ようこそ、トータスへ。勇者様、そしてご同胞の皆様。歓迎致しますぞ。私は、聖教教会にて教皇の地位に就いておりますイシュタル・ランゴバルドと申す者。以後、宜しくお願い致しますぞ」
(なるほど、こいつが俺達を呼び寄せた奴か。まさか教会系の転移だとはなぁ。王宮の方だと思ってたんだけど)
そんな事を考えていると、イシュタルと名乗った老人は、こんな場所では落ち着く事も出来ないだろうと、混乱覚めやらぬ生徒達を促し、落ち着ける場所───いくつもの長テーブルと椅子が置かれた別の広間へと誘った。
案内されたその広間も例に漏れず煌びやかな作りだ。素人目にも調度品や飾られた絵、壁紙が職人芸の粋を集めたものなのだろうと分かる。おそらく、晩餐会などをする場所なのではないだろうか。上座に近い方に畑山愛子先生と光輝達四人組が座り、後はその取り巻きが適当に座っている。カイトは最後方にハジメと座っていた。
全員が着席すると、絶妙なタイミングでカートを押しながらメイドさん達が入ってきた。そう、生メイドである!地球産の某聖地にいるようなエセメイドや外国にいるデップリしたおばさんメイドではない。正真正銘、男子の夢を具現化したような美女、美少女メイドである!
こんな状況でも思春期男子の飽くなき探究心と欲望は健在でクラス男子の大半がメイドさん達を凝視している。もっとも、それを見た女子達の視線は、氷河期もかくやという冷たさを宿していたのだが……
因みに変に捻くれているカイトはこのメイドさん達を疑ってかかり、給仕してくれた飲み物に所謂"奴属の魔法"や謎の異世界産の薬や毒が入っているのでは無いかと思い、グラスを睨みつけていた。
「さて、あなた方におかれましてはさぞ混乱されていることでしょう。一から説明させて頂きますのでな、まずは私の話を最後までお聞き下され」
そう言って始めたイシュタルの話は実にファンタジーでテンプレで、どうしようもないくらい勝手なものだった。
要約するとこうだ。
まず、この世界はトータスと呼ばれている。そして、トータスには大きくわけて三つの種族がある。人間族、魔人族、亜人族である。人間族は北一帯、魔人族は南一帯を支配しており、亜人族は東の巨大な樹海の中でひっそりと生きているらしい。
この話を聞いたカイトは心の中でじゃあ西はどうなっとんねーん、とツッコミを入れた。
この内、人間族と魔人族が何百年も戦争を続けている。魔人族は、数は人間に及ばないものの個人の持つ力が大きいらしく、その力の差に対して人間族は数で対抗していたそうだ。戦力は拮抗し大規模な戦争はここ数十年起きていないらしいが、最近、異常事態が多発しているという。それが、魔人族による魔物の使役だ。
魔物とは、通常の野生動物が魔力を取り入れ変質した異形のことだ、と言われている。この世界の人々にも正確な魔物の生体は分かっていないらしい。それぞれ強力な種族固有の魔法が使えるらしく厄介で凶悪な害獣とのことだ。
今まで本能のままに活動する彼らを使役できる者はほとんど居なかった。使役出来てもせいぜい一、二匹程度だという。その常識が覆されたのである。これの意味するところは、人間族側の"数"というアドバンテージが崩れたということ。つまり、人間族は滅びの危機を迎えているのだ。
「あなた方を召喚したのは"エヒト様"です。我々人間族が崇める守護神、聖教教会の唯一神にして、この世界を創られた至上の神。おそらく、エヒト様は悟られたのでしょう。このままでは人間族は滅ぶと。それを回避するためにあなた方を喚ばれた。この世界よりも上位の世界の人間であるあなた方は、この世界の人間よりも優れた力を有しているのです」
そこで一度言葉を切ったイシュタルは、「神託で伝えられた受け売りですがな」と表情を崩しながら言葉を続けた。
「あなた方には是非その力を発揮し、"エヒト様"の御意思の下、魔人族を打倒し我ら人間族を救って頂きたい」
(いや、なんで神とやらが直接人間を救わないんだよ、そもそもこの世界を創った神なら同時に魔人族も作ったって事だろ?なんでそこを疑わないんだ、どう考えてもおかしいだろ)
カイトがイシュタルの言葉の滅裂さに嫌悪感を覚えていると、突然立ち上がり猛然と抗議する人が現れた。
愛子先生だ。
「ふざけないで下さい!結局、この子達に戦争させようってことでしょ!そんなの許しません!ええ、先生は絶対に許しませんよ!私達を早く帰して下さい!きっと、ご家族も心配しているはずです!あなた達のしている事はただの誘拐ですよ!」
ぷりぷりと怒る愛子先生。彼女は今年二十五歳になる社会科の教師で非常に人気がある。百四十センチ程の低身長に童顔、ボブカットの髪をはねさせながら、生徒のためにとあくせく走り回る姿は何とも微笑ましく、その何時でも一生懸命な姿と大抵空回ってしまう残念さのギャップに庇護欲を掻き立てられる生徒は少なくない。
"愛ちゃん"と愛称で呼ばれ親しまれているのだが、本人はそう呼ばれると直ぐに怒る。何でも威厳ある教師を目指しているのだとか。そしてカイトが唯一話すとキョドる教師である。どうにもその見た目と言動から大人、というより同年代、いや、下手すると年下とまで感じてしまうのである。因みにこの事については愛子先生はとてもショックを受けているようだ。
今回も理不尽な召喚理由に怒り、ウガーの立ち上がったのだ。「ああ、また愛ちゃんが頑張ってる……」と、ほんわかした気持ちでイシュタルに食ってかかる愛子先生を眺めていた生徒達だったが、次のイシュタルの言葉に凍りついた。
「お気持ちはお察しします。しかし……あなた方の帰還は現状では不可能です」
場に静寂が満ちる。重く冷たい空気が全身にのしかかっているようだ。誰も何を言われたのか分からないという表情でイシュタルを見やる。
「ふ、不可能って……ど、どういうことですか!?喚べたなら帰せるでしょう!?」
愛子先生が叫ぶ。
「先ほど言ったように、あなた方を召喚したのはエヒト様です。我々があの場にいたのは、単に勇者様方を出迎える為と、エヒト様への祈りを捧げるため。人間に異世界へ干渉するような魔法は使えませんのでな、あなた方が帰還できるかどうかもエヒト様の御意思次第ということですな」
「そ、そんな……」
愛子先生が脱力したようにストンと椅子に腰を落とす。周りの生徒達も口々に騒ぎ始めた。
「嘘だろ?帰れないってなんだよ!」
「いやよ!何でもいいから帰してよ!」
「戦争なんで冗談じゃねぇ!ふざけんなよ!」
「なんで、なんで、なんで……」
パニックになる生徒達。しかし、こういう展開の創作物は読み尽くしている。それ故、他の生徒よりは平静を保てていた。それは隣のハジメも同じようだ。
「……なぁ、南雲。お前、随分冷静だな」
「え?……あぁ、こういう展開の物は何度も読んでるからね。そういう木下くんだって冷静じゃないか」
「そりゃ、奴隷にされたりはしてないし、今も、騒いだからといって兵士が出てきて俺達を取り押さえる、なんて事にもなってない。そうだろ?」
「ははは……なんだ、木下くんもそういうのに理解があるんじゃないか」
「いや、お前が敵愾心を持たれている大体の理由は白崎の仕業だろうが。オタク文化は悪くない。それに南雲、お前はもう試したか?この世界は良くある便利な鑑定スキルが無い。『ステータス』やら『メニュー』やら『オープン』やら思いつく言葉を片っ端からブツブツ唱えてみたけどそれっぽい事は何も起こらなかった」
「……それ専用の道具があるのかもしれないね。よく有るその人の魔力量で光る強さが変わる水晶玉だとか」
「そうだな。それが一番有り得る。テンプレだったら天之河あたりがそれをアホみたいな量の魔力でぶっ壊すんだけどな」
「やられた側としたら大変だろうけどね……」
未だパニックが収まらない中、カイトとハジメはそんな話をしていた。
その時、光輝が立ち上がりテーブルをバンッと叩いた。その音にビクッとなり注目する生徒達。光輝は全員の注目が集まったのを確認するとおもむろに話をし始めた。
「皆、ここでイシュタルさんに文句を言っても意味がない。彼にだってどうしようもないんだ。……俺は、俺は戦おうと思う。この世界の人達が滅亡の危機にあるのは事実なんだ。それを知って、放っておくなんて俺にはできない。それに、人間を救うために召喚されたのなら、救済さえ終われば帰してくれるかもしれない。……イシュタルさん?どうですか?」
「そうですな。エヒト様も救世主の願いを無下にはしますまい」
「俺達には大きな力があるんですよね?ここに来てから妙に力が漲っている感じがします」
「ええ、そうです。ざっと、この世界の者と比べると数倍から数十倍の力を持っていると考えていいでしょうな」
「うん、なら大丈夫。俺は戦う。人々を救い、皆が家に帰れるように。俺が世界も皆も救ってみせる!!」
ギュッと握り拳を作り、そう宣言する光輝。無駄に歯がキラリと光る。
同時に、彼のカリスマは遺憾無く効果を発揮した。絶望の表情だった生徒達が活気と冷静さを取り戻し始めたのだ。光輝を見る目はキラキラと輝いており、まさに希望を見つけたという表情だ。女子生徒の半数以上は熱っぽい視線を送っている。
「へっ、お前ならそう言うと思ったぜ。お前一人じゃ心配だからな。……俺もやるぜ?」
「龍太郎……」
「今のところ、それしかないわよね。……気に食わないけど……私もやるわ」
「雫……」
「え、えっと、雫ちゃんがやるなら私も頑張るよ!」
「香織……」
(えぇ……?この人ら言ってる意味が分かってるのか?戦争だぞ?殺し合いだぞ? 殺し合い。そんなのただの高校生に出来るわけないだろ……)
結局、全員で戦争に参加する事になってしまった。おそらく、クラスメイト達は本当の意味で戦争をするということがとういうことか理解してはいないだろう。崩れそうな精神を守るための一種の現実逃避とも言えるかもしれない。
カイトはハジメがイシュタルを観察している事が分かっていた。
多分、ハジメは気がついていたのだろう。イシュタルが事情説明をする間、それとなく光輝を観察し、どの言葉、どんな話に反応するのかを確かめていたことを。正義感の強い光輝が人間族の悲劇を聞かされた時の反応は実に分かりやすかった。その後は、ことさら魔人族の冷酷非情さ、残酷さ。強調するように話していた。おそらく、イシュタルは見抜いていたのだろう。この集団の中で誰が一番影響力を持っているのか。
カイトは南雲が一番現実を理解しているのかもしれないな、と思い、後々話をしようと決めた。
戦争参加の決意をした以上、カイト達は戦いの術を学ばなければならない。いくら規格外の力を潜在的に持っていると言っても、元は平和主義にどっぷり浸かりきった日本の高校生だ。いきなり魔物や魔人と戦うなど不可能である。
しかし、その辺の事情は当然予想していたらしく、イシュタル曰く、この聖教教会本山がある 【神山】の麓の 【ハイリヒ王国】にて受け入れ態勢が整っているらしい。
王国は聖教教会と密接な関係があり、聖教教会の崇める神───創世神エヒトの眷属であるシャルム・バーンなる人物が建国した最も伝統ある国ということだ。国の背後に教会があるのだからその繋がりの強さが分かるだろう。
カイト達は聖教教会の正面門にやって来た。下山しハイリヒ王国に行くためだ。聖教教会は 【神山】の頂上にあるらしく、凱旋門もかくやという荘厳門を潜るとそこには雲海が広がっていた。高山特有の息苦しさなど感じていなかったので、高山にあるとは気が付かなかったのだ。おそらく魔法で生活環境を整えているのだろう。カイト達は、太陽の光を反射してキラキラと煌めく雲海と透き通るような青空という雄大な景色に呆然と見蕩れた。
どこか自慢気なイシュタルに促されて先へ進むと、柵に囲まれた円形の大きな白い台座が見えてきた。大聖堂で見たのと同じ素材で出来た美しい回廊を進みながら促されるままその台座に乗る。
台座には巨大な魔法陣が刻まれていた。柵の向こう側は雲海なので大多数の生徒が中央に身を寄せる。それでも興味が湧くのは止められないようでキョロキョロと周りを見渡していると、イシュタルが何やら唱え出した。
「彼の者へと至る道の、信仰と共に開かれん、"天道"」
その途端、足元の魔法陣が燦然と輝き出した。そして、まるでロープウェイのように滑らかに台座が動き出し、地上へ向けて斜めに下っていく。どうやら、先ほどの"詠唱"で台座に刻まれた魔法陣を起動したようだ。この台座は正しくロープウェイなのだろう。ある意味、初めて見る"魔法"に生徒達がキャッキャッと騒ぎ出す。雲海に突入する頃には大騒ぎだ。
やがて、雲海を抜け地上が見えてきた。眼下には大きな町、いや国が見える。山肌からせり出すように建築された巨大な城と放射状に広がる城下町。ハイリヒ王国の王都だ。台座のロープウェイは、王宮と空中回廊で繋がっている高い塔の屋上に繋がっているようだ。
カイトはハジメが難しい顔をしている事を気にかけていた。ハジメは多分唯一この世界についてまともな話が出来る相手だ。話しかけようとも思ったが、香織がハジメの方を見ているのに気づき、景色に視線を戻した。
王宮に着くと、カイト達は真っ直ぐに玉座の間に案内された。教会に負けないくらい煌びやかな内装の廊下を歩く。道中、騎士っぽい装備を身につけた者や文官らしき者、メイド等の使用人とすれ違うのだが、皆一様に期待に満ちた、あるいは畏敬の念に満ちた眼差しを向けてくる。自分達が何者か、ある程度知っているようだ。
美しい意匠の凝らされた巨大な両開きの扉の前に到着すると、その両サイドで直立不動の姿勢をとっていた兵士二人がイシュタルと勇者一行が来たことを大声で告げ、中の返事も待たずに扉を開け放った。
イシュタルは、それが当然というように悠々と扉を通る。光輝等一部の者を除いて生徒達は恐る恐るといった感じで扉を潜った。
扉を潜った先には、真っ直ぐ延びたレッドカーペットと、その奥の中央に豪奢な椅子───玉座があった。玉座の前で覇気と威厳を纏った初老の男が
その隣には王妃と思われる女性、その更に隣には十歳前後の金髪碧眼の美少年、十四、十五歳の同じく金髪碧眼の美少女が控えていた。更に、レッドカーペットの両サイドには左側に甲冑や軍服らしき衣装を纏った者達が、右側には文官らしき者達かわざっと三十人以上並んで佇んでいる。
玉座の手前に着くと、イシュタルら生徒達をそこに留まらせ、自分は国王の隣へと進んだ。
そこで、おもむろに手を差し出すと国王は恭しくその手を取り、軽く触れない程度のキスをした。どうやら、教皇の方が立場は上のようだ。
そこからはただの自己紹介だ。国王の名をエリヒド・S・B・ハイリヒといい、王妃の名をルルアリアというらしい。金髪美少年はランデル王子、美少女の方はリリアーナ王女という。
後は、騎士団長や宰相等、高い地位にある者の紹介がなされた。
その後、晩餐会が開かれ異世界料理を堪能することになった。見た目は地球の洋食とほとんど変わらなかった。たまに桃色のソースや虹色に輝く飲み物が出てきたりしたが非常に美味だった。
王宮では、ハジメ達の衣食住が保障されている旨と訓練における教官達の紹介もなされた。教官達は現役の騎士団や宮廷魔法師から選ばれたようだ。いずれ来る戦争に備え親睦を深めておけということだろう。
晩餐が終わり解散になると、各自に一室ずつ与えられた部屋に案内された。天蓋付きのベッドに愕然としたのはカイトだけではないはずだ。小市民なカイトは天蓋付きベッドに落ち着かずにいたが、それでも体は疲れていたらしく、ベッドに入った途端その意識を落とした。
カイトは大人の女性となら話せる設定です。