神域にて
極彩色に彩られた世界。
奇妙な浮遊感に包まれ、目を開けた先は、そう形容するしかない場所だった。
果てというものが認識できない、様々な色が入り乱れた空間。まるでシャボン玉の中の世界に迷い込みでもしたかのようだ。
そんな不思議な色彩の空間には、白亜の通路が一本、真っ直ぐに先へと伸びていた。否、通路というよりは、ダム壁の天辺のように、“巨大な直線状の壁の上”と表現するのが正しいだろう。
「何処だよ……ここは」
カイトは、震えた声でそう言った。それもその筈。来いと言われて行ったら訳の分からない事を言われて気がついたらこんなヘンテコな場所にいたのだ。困惑しないはずが無い。
バッと後ろを振り向いてみるも、帰れそうなものは見当たらない。ただただ極彩色が広がっているだけだ。
「試す……確かにそう言ってた筈だ」
頭の中を整理しようとエヒトの言葉を思い出す。
試す、その言葉の意味は実際にやってみて、力の程度、真偽などを確かめること。実際に使ってみて、刀剣など武具の強さを調べること。この二つの筈だ。エヒトの言っていた"試す"の意味は多分前者だろう。エヒトに会いに行きでもすれば良いのだろうか。
「チッ、ここに居ても変わんないな。取り敢えず前に進もう」
そう言ってカイトは通路に沿って歩き出す。
☆
カイトが祈りを捧げ始めて半日が過ぎた。太陽は隠れ、月が顔を出している。これにメルドは流石におかしいと思い、扉に向かって話す。
「おいカイト、まだ続けるのか?もう夜だ。そろそろ帰らないと皆が心配するぞ」
だが、返事は返って来ない。
「カイト?」
「凄いですね、彼は。仲間の死を悲しみ、ここまで長く仲間の冥福を祈れるとは」
メルドが痺れを切らしたと思ったのか、それまで傍観を保っていたイシュタルがメルドに話しかける。
「なぁ、イシュタル様、こんな長く祈りを捧げることってあるのか?」
「一年に一度、私達聖教徒が総出で三日三晩飲まず食わずに祈りを捧げることはありますが、毎日の祈りでここまで長くすることはまずないです」
「そうか……」
メルドは沈黙し、何か考える仕草をする。
「そんなに心配ならば、少し様子を除いて見てはどうでしょうか?もしかすると、ただ眠ってしまったなんてことかも知れませんしね」
「あぁ、そうさせてもらうよ」
メルドは巨大な両開きの扉を少し開けて、中を覗く。だが、何処を見てもカイトの姿は無い。
顔だけを出して覗いていたメルドだが、とある可能性に至って扉を開け放つ。
「何処だ!カイト!」
声を張り上げながら辺りを見渡す。
香織が言っていたようにハジメを探しに行ったのではないか!?と思ったメルド団だが、窓のないこの部屋では、壁を壊すか床を外すか天井を撃ち抜くか、メルドに見つからずに外に出るにはそのくらいしか出来ない。しかし、そのような事をした痕跡は見つからない。
「くそっ、何処に行ったんだよ……」
ハジメに続いて二人目の仲間の失踪。この事は勇者達に響くとメルドは歯噛みした。
「あ、ぁぁぁああああ……!この神聖な魔力の残照は……!」
なんだなんだと部屋に入ってきたイシュタルは突然自分自身の肩を抱いて震えだした。
「エヒト様……エヒト様が降臨なさられたのです……!!」
「エヒト様が降臨しただと……?」
メルドは信じられないとばかりに目を見開きイシュタルの言葉を反復する。
「はい。この魔力の残照は、エヒト様が私達に神託を授けた時のものと同じ……カイト様はなんて幸運な事なのでしょう!エヒト様の【神域】に入る事を認められたなんて!ああ!聖職者ですが、敬虔な神の僕として嫉妬を禁じ得ません!それでもエヒト様に認められたカイト様に祝福を!!」
そう言ってイシュタルは膝を付き手を組んで祈りを始めた。
「お、おい、イシュタル様……」
突如大声を出したと思えば祈りを始めたことに困惑しながらメルドが話しかけるも、イシュタルはそれに反応を返さない。
「はぁ、これじゃ帰るに帰れないじゃあないか」
溜息を吐いて、メルドは上を向く。
室内なので空を見上げることすら出来ないが、メルドは消えたカイトの事をどう説明するかと頭を悩ませるのであった。
☆
「やっと変化が現れたよ……」
歩き続けて数十分。カイトは極彩色の壁に突き当たった。
世界の色がおかしく、距離感が掴めないこの空間では、ちゃんと自分が前に進んでいるのかさえ分からず精神的疲労が大きかったのだが、やっと目に見える変化が起きて、カイトは深い溜息をついた。
その壁に触れると、ズブリと指が沈み込み波紋が広がる。カイトは呼吸を整え、その波紋の向こう側へと飛び込んだ。
極彩色の空間から出た先は、整備された道路に高層建築が乱立する地球の近代都市のような場所だった。ただし、映画や洋ゲーのように、もう人が住まなくなって何百年も、あるいは何千年も経ったかのように、どこもかしこも朽ち果てて荒廃しきっていたが。
今にも崩れ落ちそうなビルもあれば、隣の建物に寄りかかって辛うじて立っているものもある。窓ガラスがはまっていたと思われる場所は全て破損し、その残骸が散らばっていた。地面は、アスファルトのようにざらついた硬質な物質が敷き詰められているのだが、無数に亀裂が入り、隆起している場所や逆に陥没してしまっている場所もある。
建物壁や地面に散乱する看板などに薄らと残る文字が地球のものでないことや道路につきものの信号が一切見当たらないこと、更にビルの材質が鉄筋コンクリートでないことから、辛うじて地球の都市ではないことが分かる。
また歩き続けていたらさっきのような極彩色の壁……ゲートのようなものが見つかる、カイトはそう思って歩き出した。
幾らか歩いた頃、カイトはキョロキョロと周りを見渡し始めた。ここは安心出来ると思ったのだろう。創作の世界でしか見られなかった世紀末の風景、それを真近で見れるとなってはカイトの男心が擽られない筈が無かった。
だが、ここは【神域】。神の住まう場所でありラストダンジョンだ。カイトは最初の通路で魔物が出て来なかったこともあり、舐めてかかっていた。しかし次の瞬間、そんな気持ちは粉微塵に粉砕された。
『『『グルルァアアアアッ!!』』』
数十匹、いや下手をすると数百匹もいるだろうか。黒い四つ目の狼型の魔物、二つに分かれた尾を持った狼型の魔物、馬のような面をした筋骨隆々の二足歩行する魔物、巨大な昆虫のような見た目をした魔物、そんな魔物達の集団がカイトに向かって来ていたのだ。魔物共の群れは、廃ビルの上からだろうが建物の影からだろうが道路の向こう側だろうが所構わず湧いてくる。
「おわぁぁあああっ!?」
カイトは情けなくも叫び声をあげ、一目散に逃げ出した。
(なんで、なんで、なんで!?なんで今頃現れ出したんだよ!?あんな数の魔物倒せる訳が無いだろう!?バカなのかあの神は!?試す云々言わずに俺達を日本へ返せよ!大体俺は一対多ならクソザコなんだよ!)
カイトは内心でエヒトに文句を付けながら全力で走る。
「グルルァアアアアアッ!」
「ヴォォォオオオオオッ!! 」
「おわああああっ!"廻操"!"加速"っ!」
砕けた地面を操作して魔物に飛ばすも、一番先頭を走ってきている四つ目狼と二尾狼にはスルリと寄せられてしまう。しかも技能を発動する為に少し動きが緩慢になっただけで距離を詰められる。
速さだけ見れば人類最高峰のカイトにこの二種の魔物は着いてこれているのだ。それだけでここの魔物達の異常さが分かる。
(やばい……もう残りの魔力も少ないしスタミナももう持たないぞ……)
骨が折れて飛び出してきそうな程の痛みが足にかかっている。視界が狭く、暗くなって吐き気が酷い。口を開けて走っている為、喉が乾いて仕方がない。
カイトは自分が追い詰められていることに気がついていた。いや、寧ろこの空間に着いてしまったときから詰んでいたのかも知れない。
だが、運はカイトを見放してはいなかった。三百メートル程先に、極彩色の壁……この荒廃した世界に来た時のゲートのようなものが存在していたのだ。
(よしっ!取り敢えずあそこに入れれば!)
あの極彩色の通路には、魔物が一匹も見えなかった。だからカイトはあの場所には魔物は存在出来ないのではないか、という仮説を立てた。
その一片の可能性の為にカイトは全力で走る。
残り二百メートル、百メートル、十メートル、
「おおおおおおおっ!」
カイトは、大声を上げてその極彩色の壁に飛び込んだ。
───その選択が駄目だった。
なまじ安心していたせいで、足の回転が遅くなってしまっていたのか、両足が地面から離れた瞬間、四つ目狼に脇腹を噛み付かれた。
そのまま波紋が立っているの壁に突っ込み、周りの景色が極彩色の空間へと変化する。
飛び込んだときの運動エネルギーはそのままに、地面を転がる。
「グルルァアアアアアッ!」
立ち上がり体勢を整えた瞬間、四つ目狼がもう一度飛びかかってきた。
カイトは腕を交差させ、顔を守るも、それなりの速さで飛びかかってきた狼を受け止めることが出来るはずもなく通路の外側、景色を呑んでいる極彩色の空間へと放り出された。
途轍もない浮遊感に襲われ、腹が擽ったいような感覚と、漠然とした恐怖に股間がキュッとする。痛覚が麻痺してきているのか、脇腹の痛みも消えている。
落ちれば落ちるほど周りの景色が暗くなっていく。カイトは日本にいた頃に見た、ブラックホールに落ちればどうなるかという3D動画の内容を思い出していた。光が急速に小さくなっていって、最終的には全てが黒一色に染まる。カイトは今そんな状態にいる。
「はは……奈落に落ちるハジメを助けようとした俺もこんなヘンテコな場所で紐なしバンジーを体験するなんて……笑えねぇな。あー、くそっ、死にたくねぇなぁ……」
体に衝撃が走り、カイトの意識はそこで切れた。
☆
「深淵に堕ちたか。彼処は我でさえ把握しきれていないブラックボックスだからな、もう奴は終わったと思った方が良いか。……まさかこんなに早いとはな。イレギュラーと言っても、所詮は人の子か」
つまらなさそうにエヒトはそう呟いた。
次回豹変します。