長くなりましたので前後編になります。
誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。
目の前のティーカップを手に取り口に運ぶ。
自家焙煎されたコーヒーは香りと酸味、そして飲んだ後の後味が素晴らしいものだ。
それが気に入ったからこそ、この喫茶店に通い続けているのだと陽乃は思った。
だが今日は別だ。普段は美味しいと感じるコーヒーが、今日はまったく美味しく感じられない。
理由は考えるまでもない。
一つの家族を終わらせるために今日此処に居るからだ。
「はぁっ……やっぱり気が重いわね」
分かっていた事とはいえ、やはり気分が悪くなるのは抑えられない。これから行う行動とその結果。全てが予想できるこの頭脳が今は恨めしい。
目の前のテーブルに置かれた書類を見る。この書類は、今から訪れてくる人物たちに見せるためにあるものだ。
「……来たわね」
呟いたその時、入口の扉が開けられ目的の人物たちが店の中に入ってくる。辺りを見渡しこちらを見ると重い足取りでこちらに向かってきた。
さて、ここからは仕事の時間だ。陽乃は自らの表情に仮面を被りその二人を出迎えた。
「……では、書類の確認が終わりましたら、こちらにサインをお願いします」
陽乃は淡々と自らの仕事をこなしていく。状況の説明と待遇の確認。それらを口頭で説明し、書類をテーブルの反対側にいる二人に手渡した。
「……あの」
「何でしょうか?」
目の前にいる二人の片方。女性の方が話しかけてくる。
「…………あの子は、八幡は元気でしょうか?」
「さぁ、私も最近彼に会ってませんから、分かりかねます」
質問をされるが答える事を拒否する。実際2週間ほど会っていないので嘘は付いていない。
「で、でも!」
「……よしなさい、母さん」
直も問いかけようとする女性を隣にいる男性が止めた。
「雪ノ下さん。少しだけ話を聞いてもらえないでしょうか?」
「…………」
返事はしない。代わりに無言で頷くと男性は話し始めた。
「……小町と話をしました。あの子の話を聞いて初めて気付かされましたよ。私たちのやっている事がどれだけあの子たちの負担になっていたのかを」
「…………」
それはこの世界ではよくある話。
「八幡が生まれて私たちは喜びましたが、同時に戸惑いもしました。星脈世代は今の世の中では差別される存在です。あの子のために何ができるか考えて思いついたのが、アスタリスクに行かせる事でした」
星脈世代を生んだ親の選択肢は幾つかある。その中で一番多い選択肢がアスタリスクへ向かわせることだ。
「……小町が生まれてしばらくして八幡の星辰力がなくなりました。そして私たちは、八幡の代わりに小町を教育することを決めたのです」
絞りだす様に話す男性。それは二人の罪の告白だった。
「今思えば愚かなものです。あの子たちの幸せを願っておきながら、あの子たち自身の事をまったく考えていなかったのですから」
そこで陽乃は目の前の二人の顔をよく見た。両者とも目の下に隈があり顔色も悪い。ここ最近よく眠れていないのが表情ですぐに分かった。
「妹さんは今回の件をどう思ってるのですか?」
「……まだ話していません」
「こちらからお話ししますか?」
憎まれ役は少ない方がいい。陽乃がそう思い提案するが。
「いえ、こちらで話します。それが私たちの責任ですから」
そう言いきった。
「あいつを、八幡のことをよろしくお願いします」
男が陽乃に向かって頭を深く下げると、隣にいた女性もまた深く頭を下げた。
「……分かりました。八幡くんのことは私たちにお任せください」
そんな陽乃は、対面に座る比企谷夫妻にそう返事を返した。
喫茶店での会談を終え、陽乃は次の目的地に向かった。
現在の時刻は16時過ぎ。これから夕方に差し掛かる頃合いだ。
目的地付近の住宅街を歩いていると、近くの小学生たちが帰宅しているのがちらほらと見える。無邪気に歩くその姿に微笑ましいものを感じる。
そして一軒の住宅の前で足を止める。入口に足を運び呼び鈴を鳴らす。しばらくすると女性の声が聞こえてきた。
『はい。どちらさまでしょうか?』
「雪ノ下陽乃です」
『雪ノ下さん?ちょっと待ってね』
声が途切れ、家の中から小走りする音が聞こえてくる。
そして扉が開かれた。
「お久しぶりです。鶴見先生」
「ええ、雪ノ下さんもお久しぶり」
家の中から出てきたのは総武中学の保健教師。そして鶴見留美の母親でもある女性だ。陽乃が会うのは中学一年の時以来なので数年ぶりだ。
今日この家に訪れる事になったのは、鶴見留美経由で相談したいことがあると言われたからだ。
「ごめんなさいね。雪ノ下さんもお忙しいのに態々来てもらって」
「いえ、構いません。留美ちゃんの様子も見たかったので」
「ありがとう。あの子ったら陽乃さんはこんなに凄いんだよって、最近雪ノ下さんの話ばっかりするのよ。あの子と仲良くしてあげてね」
「はい、もちろんです。所で、今日は相談したいことがあると伺いましたが」
「ええ、でもこんな所で話をするのもなんだし、まずは上がってちょうだい」
「分かりました。ではお邪魔します」
中に入るように促され、家の中に入る。
玄関から居間に案内され、しばらくするとお茶とお菓子が机の上に出された。
「大したものはないのだけれど、どうぞ」
「いえ、お構いなく」
そして両者が対面に座り話を始める。
「これを見てもらってもいいかしら?」
差し出されたのは一通の手紙だった。それを受取った陽乃は、書かれた内容に目を通す。
「……星導館の推薦状ですか」
「……ええ」
差出者は星導館。内容は鶴見留美に対する星導館への推薦状だった。
「留美ちゃんの治癒能力を嗅ぎ付けてきましたか。随分と気の早いことで」
学戦都市アスタリスクには六校の学園がある。界龍には初等部が存在し小学生から通う事もできるが、他の学園は中等部からしか存在していない。小学五年生である鶴見留美に現時点で推薦状が届くのはかなり異例だ。
「……雪ノ下さんがアスタリスクに行ったことは思い出してね。詳しい話を聞かせてもらえると助かるのだけれど」
「私でよければいいですよ。何でも聞いてください」
陽乃は快く快諾した。
「ありがとう。家の留美には武術なんて習わせてないから、アスタリスクは無縁だと思っていたのよ。だけど今回推薦状なんて来たからどうすれば分からなくて」
「お気持ちはお察しします」
「……その、治癒能力かしら。あの子がそれに目覚めたのは知っているのだけれど、それだけで推薦なんて来るものかしら?」
当然の疑問点だ。一般人が知るアスタリスクは星武祭ぐらいである。それを見れば武術や攻撃的な能力に注目しがちになり、治療系などの能力に目がいくことなど無い。
「そうですね。推測になりますがそれでもいいでしょうか?」
「ええ、お願いするわ」
「まず、星脈世代の中には能力を持っている人達がいます。彼らは男の子なら魔術師、女の子なら魔女と呼ばれています。能力というのは人それぞれで色んなものがありますが、その中で特に希少なのが治療系になります」
「希少?人数が少ないということ?」
陽乃は頷く。
「はい。かなり少ないですね。星導館としては、他所が目を付ける前に留美ちゃんを確保したいという狙いがあると思います」
「……それは雪ノ下さんもかしら?」
雪ノ下陽乃もアスタリスクの学生だ。当然それを疑われてもおかしくはない。
「否定はしません。私も上から留美ちゃんを誘うように言われています。只、私個人としては本人の意思を尊重したいと思っていますので、無理やり押し付ける気はありません」
「そう。ならいいのだけれど」
その言葉に安堵する。
「……個人的にですが、少し気になる点があります」
「何かしら?」
「鶴見先生。留美ちゃんは魔女に目覚めてから市役所で登録は済ませましたか?」
「え、ええ。病院の先生にも言われましたので、退院してからすぐに」
魔術師や魔女は、能力に目覚めると国に登録をする義務がある。それらの手続きは市役所などで行う。
「……星導館が何処で留美ちゃんの事を知ったのかが気になります」
「それは……」
「能力者が国に登録される以上、いつかは留美ちゃんの事が知られるのは間違いないです。しかし、いくら何でも早すぎます」
陽乃としても予想外の出来事だ。この段階で留美が注目されるなど考えもしなかった。
「……雪ノ下さんに心当たりはありますか?」
「……………分かりません」
一つだけ心当たりがないことはない。ただ、確信には至っていないので伝える事はできない。
「鶴見先生はどうするつもりですか、その推薦状」
「……あの子と相談して決めたいと思います。あの子が望めばアスタリスクに行かせますし、望まなければ行かせまん」
きっぱりと断言した。その意志の強さに陽乃も頷く。
「それでいいと思います……そういえば、今日は留美ちゃんはお出掛けですか?」
「いえ、まだ学校から戻ってないのよ。もう帰ってくると思うのだけれど」
「ただいま~」
玄関の方から声が聞こえてきた。
「帰って来たみたいね」
「ですね」
話題の少女がちょうど帰ってきたようだ。
「お母さん。誰かお客さんがって、陽乃さん!」
「やっほ~留美ちゃん」
留美に向かって軽く手を振る。
「おかえり、留美」
「ただいま、お母さん。どうして陽乃さんが家に?」
「まずは鞄置いてきなさい。話はそれから」
「うん!」
小走りで留美は自分の部屋に向かって行った。
「……元気そうでよかったです」
「最近のあの子は目標が出来たみたいで、とっても頑張ってるんですよ」
「目標ですか?」
「ええ」
にっこりと笑い陽乃に向ける視線を強くする。
「え~~と、もしかして私ですか?」
「そう。あの子ったら陽乃さんみたいになりたいって言ってるんですよ」
「そう、ですか。嬉しいけどちょっと恥かしいですね」
雪ノ下陽乃に憧れる人は今までも数多くいた。普段は何も感じないが、鶴見留美にそう思われるのは嬉しく感じる。それは陽乃にとって鶴見留美が単なる知り合いではないからだ。
「雪ノ下さん。留美があなたに頼みたいことがあるそうです」
「頼みたいことですか?」
「ええ。詳しい内容は私も知らないのだけれど、聞いてもらえないかしら?」
「分かりました」
二人が話をしていると、階段を急いで降りてくる音が聞こえてきた。そして居間に留美が入ってきて母親の隣に座った。
「陽乃さん!お久しぶりです!」
「うん、久しぶり。直接会うのはあの時以来だね」
「はい!」
鶴見留美が巻き込まれた銀行強盗事件。それが解決された後、二人揃って病院に搬送されて以来の再会となる。
「ほら、留美。雪ノ下さんに頼みたいことがあるんでしょう?」
「……うん」
母親に促され留美が前に出る。
「……陽乃さん。お願いがあります」
「何かな?」
「私……強くなりたいんです!」
それは陽乃にとって予想外の内容だった。
「あの時、私は何も出来ませんでした。怯えて、震えて、見てることしか出来なくて」
「それはしょうがないよ。あの状況下で何とか出来る人の方が少ないから」
「それは分かっています、でも!」
陽乃は留美を見る。その瞳には固い決心と強い意志が込められているように感じた。陽乃の知る限り、この瞳を持つ人物が折れる事はない。
陽乃は溜息を一つ付き、母親の方を見る。
「止めなくていいんですか、鶴見先生?娘さん。こんな事言っちゃってますけど」
「……相談の内容には驚いたわ。でも、娘が決めた事ですもの。雪ノ下さん、お願いできないかしら」
母親にも異存はない模様。説得するのは無理の様だ。
「……留美ちゃんに争いごとは向いてないと思うんだけどね、私は」
「自分でもそう思います。でも決めたんです。強くなるって」
鶴見留美の決心は固い。その根本的な理由が、彼女が何を思って強くなりたいのか、陽乃には理解できた。
それはきっと、自分と同じ理由なのだろうと。
「留美ちゃん。煌式武装の使用経験は?」
「ないです。剣とか銃とかあんまり好きじゃないんで」
「となると、やっぱりアレかな。ちょっと立ってみて」
陽乃が立ち上がり、続いて留美も立ち上がる。
「こっちに手を出して」
「こう、ですか?」
陽乃に向かって右手を差し出す。その手を陽乃が同じ右手で掴み。
「!!」
次の瞬間、鶴見留美の身体が宙を舞う。
彼女の身体はそのまま一回転し、元の立ち上がった状態に戻った。
「どう?」
「す、凄いです!」
留美には自分の状態がどうなったのかは理解できなかった。
手を差し出した次の瞬間に視界が回っていたからだ。
「これが合気道よ。留美ちゃんも名前だけは聞いたことがあるんじゃないかしら?覚えるのは結構大変だけど、星脈世代の留美ちゃんなら非星脈世代より習得は簡単なはずよ」
「合気道、ですか」
「そう、問題があるとすれば星脈世代には不評なことね、合気道は」
「そうなんですか?こんなに凄いのに」
留美は驚いた。こんなに凄い技が星脈世代の間では不評とはどういう事だろうかと。
「星脈世代ってのは結構派手好きでね。武術の推奨プログラムに合気道も入ってはいるけど、選ぶ人は殆どいないんじゃないかな。皆、剣とか銃とかの方が好きだし、強くなるのも早いからね」
実際の所、星武祭で合気道を使用する人物はいない。合気道は生身で対峙しなければいけないので、どうしても武器を持った相手と対戦すると不利になるからだ。
「留美ちゃんが求めてるのは、相手を倒す強さではなく誰かを守る強さだよね?だとしたら、合気道はぴったりだと思うんだ」
陽乃の言葉に考える留美。合気道。倒す強さではなく守る強さ。考えれば考えるほど自分に合っていると思った。
「はい。私、合気道を習いたいです!」
「よし、決まりだね。ただ、私はもうすぐアスタリスクに帰っちゃうから、教えることは出来ないんだよね………そうだ!留美ちゃん、私の師匠に合気道を習ってみない?」
「陽乃さんのお師匠さん?この前来られたという人ですか?」
「その人とは別だね。私が小さい頃に合気道を習った師匠。非星脈世代だけど、とっても強い人だよ」
幼少時、母親の命令により雪ノ下陽乃は合気道を習わされた。その時に出会った人物だ。
「じゃあ、雪乃さんもその人に習ったんですか?」
姉妹だから当然、妹も同じ人物に習ったのではないかと疑問に思う留美。
「う~~ん。雪乃ちゃんも合気道は習ったけど、私の師匠とは別の人だね」
雪ノ下陽乃は天才であり、幼少の頃からその才は十二分に発揮された。雪ノ下姉妹は最初同じ先生に合気道を習っていたが、短い期間で陽乃はその先生を倒してしまったのだ。
そして次に合気道を習う事になったのが、陽乃が師匠と呼ぶ人物だ。
「でも、非星脈世代なのにそんなに強いんですか?」
星脈世代と非星脈世代では力や反応速度の差が桁違いだ。普通なら非星脈世代に勝ち目はない。
陽乃も当初はそう思っていた。
「達人。あの人は表すならそう表現するしかないわ。どれだけ力が強くても、どれだけ早く動いても、あの人の前では意味なんてない。そんな人よ」
「そ、そんな凄い人に!本当にいいんですか?」
恐れ慄く留美。陽乃が言ってることが本当なら自分なんかには勿体ないと思う。
「いいの、いいの。前に連絡した時、門下生が少なくて閑古鳥が鳴いて暇だって言ってたからね」
「え~と、じゃあその人がよければ、お願いしたいです」
頭を下げる留美。
「任せて。師匠には私から連絡しておくから、留美ちゃんの連絡先を教えてもいいかな?」
「はい。大丈夫です」
頷く留美。満足した陽乃はふと腕時計で時刻を確認する。
「……もうこんな時間か。鶴見先生に留美ちゃん。申し訳ありませんが、次に向かう所がありますので、今日はこの辺で」
「あら、そうなの?」
時刻は17時少し前。普段なら問題ないが、今日は訪れるところがまだ幾つかある。
「今日はありがとう、雪ノ下さん。とても助かったわ」
「いえ、また分からない事があれば何時でも相談になりますので、連絡してください」
「ええ、その時はお願いするわ」
立ち上がり玄関先に向かう陽乃。
「あ、あのお母さん。私、陽乃さんをお見送りしてくる!」
「あら?じゃあ、任せてもいいかしら?」
「うん!」
母親を残し玄関先に向かう陽乃と留美。二人は靴を履き外に出る。
陽乃は留美に向き直り話しかける。
「それで留美ちゃん。まだ聞きたいことがあるんだよね?」
「……はい」
二人きりで話がしたいという留美の考えが、陽乃には直ぐに分かった。
そして二人で話す内容など一つしかない。
「…………八幡は元気ですか?」
「ええ、私も直接連絡は取れないけど、元気なのは間違いないみたい」
比企谷八幡。正確には、一時間前に范八幡となることが確定した、二人にとっても縁の深い人物だ。
「陽乃さんも八幡の姿は見てないんですか?」
「……精神的に不安定になる可能性があるってことでね。私も師父にしか連絡が取れないのよ」
師父。雪ノ下陽乃のアスタリスクでの師匠の呼び方だと、留美は陽乃から教わった。
「でも、元気なんですよね?良かった……」
雪ノ下陽乃は鶴見留美に対して、比企谷八幡の事を誰にも喋らないようにと約束をした。万有天羅の圧力により、比企谷八幡は銀行には来ていないというのが公式な記録だ。
比企谷八幡を直接目撃した人物は、雪ノ下陽乃と鶴見留美、そして銀行強盗達だけだ。情報は何処から漏洩するか分からない。その為、陽乃は留美と互いに連絡を取り合っている時も八幡の名前を出すことはないし、逆に留美から名前を出すことはない。
「こっちも一つ聞いていいかな?」
「はい、何でしょうか?」
今度は陽乃が留美に質問をする。
「能力は最近使ってる?」
「え~と、この前お母さんが包丁で指を少し切っちゃった時に使いました。とても喜んでました」
「そっか……能力は使用すればするほど強くなるわ。留美ちゃんは能力に目覚めたばかりだから尚更ね。能力は人によって個人差が激しいから、出来る事と出来ない事。そして、自分の限界を知ることはとても重要になるわ。何か気付いたことがあったら教えてちょうだい。同じ能力者として力になるわ」
陽乃の言葉に考え込む留美。そしてある事を思い出した。
「あ、そういえば一つ気になる事がありました」
「お、何かな?」
「退院して直ぐ、学校からの帰り道で転んじゃって膝に擦り傷が出来たんです。誰も見てなかったから能力で治そうとしたんですけど、治らなかったんです」
「なるほど。その後はどうしたの?」
「私も星脈世代ですから。擦り傷ぐらい直ぐに治るからいいやって絆創膏だけ貼りました。実際一日と掛からず治ったので、特に気にしませんでした」
話を聞いた陽乃は、留美の能力に関して一つの条件を思いつく。
「恐らく、留美ちゃんの能力は他者を治すのに特化してるわね」
「他者、ですか?」
「そう。他の人は治せるけど自分は治せない。そんな能力ね。留美ちゃんらしい、優しい能力よ」
「そ、そんな。私なんて」
照れる留美。
「もし師匠に会ったら能力の事を伝えてみなさい。きっと喜ばれるわ」
「そうなんですか?」
「ええ、護身がメインの合気道といっても武術の一つだからね。当然、怪我人は出るわ。その人達を治せば留美ちゃんの能力の鍛錬になるし、向こうとしても医者に掛かることもなくなるから大助かりね」
「……分かりました。その時が来たら話をしてみます」
留美は頷いた。
「じゃあ、私は行くね」
「はい。今日はありがとうございました、陽乃さん」
「いいのよ。留美ちゃんも聞きたいことがあったら何時でも連絡してね」
「はい!」
陽乃は歩き出し次の目的地に向かう。
そんな陽乃を、留美は後ろ姿が見えなくなるまで手を振り続け見送った。
「……出てきなさい」
暫く歩いた陽乃。人通りが少ない裏路地で陽乃は呟くように声を出した。
「何か用ですか、姉御?」
その声に反応し一人の男が姿を表す。その男は黒尽くめの衣装を着ている為、一般人とは程遠い姿だ。
「留美ちゃんに対する警戒度をEからBに変更するわ」
「……何かあったんですかい?」
陽乃が定めた鶴見留美に対する警戒度。Eランクは周囲に怪しい人物がいないか遠くから警戒するのに対し、Bランクは自宅や学校以外での護衛を、隠れながら目の届く範囲で常に行うというものだ。突如のランク引き上げに男は気を引き締める。
「星導館に留美ちゃんの事がバレたわ」
「!やけに早くないですか?」
「ええ、そうね。もう少し掛かると踏んでたんだけどね」
ランク引き上げの理由は分かった。しかし
「それにしたってBは高くないですかい?いくら嬢ちゃんが治癒能力者だからって、他に治癒能力者がいないわけでもない。普通なら高くてもDってとこですぜ」
警戒度Bは明確な敵が周囲に侵入している事が確実になった時が主だ。他の学園に能力者の存在がバレたからと発動されるランクではない。
「………用心のためよ」
だが陽乃は警戒を怠らない。
「……今回の首謀者に心当たりがおありで?」
「…………」
陽乃は沈黙する。
「心当たりがあるなら教えてください。敵の正体が分かっているのとそうでないのでは、護衛のし易さが段違いですぜ」
「……分かっているわ。そんな事」
どこか弱気な口調になる陽乃。男はそんな陽乃に自らの思いを語り始める。
「姉御、俺はあんたに感謝してます。銀行強盗でとっ捕まった俺たちは死刑が確実でした。でも、姉御と万有天羅のおかげで命だけは助かりました。その恩は出来るだけ返させてもらいますぜ」
「……手駒が欲しかっただけよ」
ぶっきらぼうに言い捨てる陽乃。
「だとしてもですよ。黒猫機関として陰謀の手先となる毎日よりも、銀行強盗として明日をも知れぬ生活を送る毎日よりも、今の生活の方がよっぽど充実してますからね」
男は言い切った。暗い闇稼業に身を落としていた日々を思えば、今の生活は天国のようなものだ。
「……どうしろっていうのよ、私に」
「もっと魔王らしくしてください」
「……は?」
思わぬ要求に呆れる陽乃。
「あんたは魔王だ。魔王だったら魔王らしく、威風堂々と正面から敵を打ち破ればいい。小細工を弄したり、落ち込んだりしてるのはあんたには似合わねぇ。見てて気持ち悪いですぜ」
「……言うわね」
「それだけ今の姉御の違和感が半端ないんですよ。とっとといつもの姉御に戻ってください」
男は口調とは裏腹に真剣な顔つきで陽乃を睨んでいた。
「ふぅっ、そうね。らしくないわよね、今の私は」
「ええ、見てて鳥肌が立ちますよ」
「………分かったわ」
そして陽乃は目の前の男に命令を下す。
「留美ちゃんに対するランクはEのままで変更はなし。今回の首謀者には私が直接話を付けるわ」
「了解です。っていうか首謀者と知り合いですかい?」
「まあね」
恐らく、今回の首謀者は陽乃がこの世で誰よりも知っている人物だ。
「……私からも一つ言っておくわ」
「何ですかい?」
「あなた達が掛け値なしの外道だったら、私も星露も助けはしない。全員処刑台に送っていたわ」
「……人殺しでもですか?」
「それは元猫だったあなた一人だけ。それに、猫を抜けて以降は一人も殺していないのは確認済みよ」
「……よく調べましたね。この短期間で」
男が陽乃の部下になって一週間余りしか経っていない。
「それに、銀行強盗にしても慕ってくれる部下たちを見捨てられずにとった行動。銀行強盗なんて手段は全然褒められたものではないけどね。どちらにせよ、あなた一人だったらどうとでもなったはずよ。そして銀行強盗中も誰一人死者は出していないし、非星脈世代に至っては一人も傷つけていない。まあ、悪人であるのは間違いないけれど、外道ではないわね」
「どうやって調べたんですかい。そんな情報」
思わず表情が引き攣る男。
「あなたの部下に聞いたら快く教えてくれたわよ、慕われてるわね」
「はぁぁっ、あいつら。余計な事を」
「いい部下じゃない。大切にしなさい」
溜息を付く男に対し笑いかける陽乃。
程なくして、男は再び真剣な表情を浮かべ、陽乃に問いかける。
「それで、今回の首謀者はどちらさんですかい?」
「今回の首謀者は………」
そこで一旦、陽乃が口を噤んだ。
一瞬だけ訪れる静寂。だが陽乃は口を開き言葉を紡ぐ。
冷静に、冷徹に、陽乃は首謀者の名前を言い放った。
「………雪ノ下冬乃。私の母よ」
閑話二つ目 前編をお送りしました。
比企谷家は割とあっさりと。鶴見家は何故か気付いたら膨大な量になっていました。
深夜のテンションは恐ろしい。一気に文章量が増えました。
後編はいよいよ総武訪問です。
では、次回もよろしくお願いします。