学戦都市アスタリスク 本物を求めて   作:ライライ3

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一つの区切りとなるお話です。



第二十話 その決断は彼にとっての第一歩

 ふと気づくと、そこには懐かしい風景が広がっていた。

 

 教室に真ん中に並べられた机。そして机の周囲に置かれた三つの椅子。三つの椅子の内、二つはお互いの近くに置かれ、最後の一つは少し離れた位置に配置されている。

 

 目線を上げ窓の外を見ると夕焼けの空が見渡せる。そして窓の外からは部活動に励む生徒らしき声が聞こえてくる。

 

 そして────―

 

「……どうしたのかしら、比企谷くん? ぼうっとして」

「そうだよ、ヒッキー。そんな所で寝ると風邪ひいちゃうよ」

 

 少し前まで共にいた二人の女子生徒の姿があった。

 

「あ、ああ……何でも……ない」

 

 目の前に飛び込んできたその光景に思わず言葉が途切れる。

 

「あら? 紅茶がなくなったようね。由比ヶ浜さん、あなたもどうかしら?」

「うん。ありがとう、ゆきのん」

 

 雪ノ下雪乃。由比ヶ浜結衣。二人のやり取りが目の前で繰り広げられる。

 何度も見た光景。何度も繰り返されたやり取り。それは自分にとってあるべき日常の姿だった。

 

「比企谷くん。あなたがどうしてもというのなら、あなたの分の紅茶も入れてあげなくはないけど、どうするのかしら?」

「ヒッキ―も飲もうよ。ゆきのんが淹れてくれる紅茶、美味しいよ?」

 

 二人がこちらを見る。穏やかな目で────こちらを見詰めてくる。

 

「──────―」

 

 何と答えたかは分からない。分かったのは二人の問いに頷いたということだけ。

 

 暫くすると目の前に紅茶が入った容器が置かれた。容器を手に取り口を近付けると、芳しい紅茶の香りが鼻孔を擽る。そのまま容器に口を付け、一口紅茶を飲み容器を机に置く。

 

 この部活の何気のない時間が好きだった。

 

 雪ノ下雪乃の紅茶はとても美味しく、彼女の淹れる紅茶はひそかな楽しみだった。

 由比ヶ浜結衣の喋る姿は嫌いじゃなかった。口数の少ない八幡と雪乃にとって、彼女は二人を仲立ちをしてくれる存在だったのだ。

 

 三人でいるこの奉仕部は、とても、とても大切なものだったのだ。

 

 だからこそ分かる。

 

「…………これは夢だ」

 

 その一言により世界が変わる。

 八幡一人を取り残し、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣の二人の姿が急速に遠ざかっていく。

 

 それを見た八幡が二人を追うようなことは────しない。

 

 この光景は自分の心に残る未練が、夢という形になって表れたものだと理解しているからだ。

 

 ────―あの大切なものを壊したのは自分だ。

 ────―あの穏やかな時間を壊したのも自分だ。

 ────―あの二人に嫌われるのも自分が原因だ。

 

 世界が闇に染まっていく。大切な思い出も、大切な時間も、それらを全て塗りつぶさんと蠢いていく。

 周辺全てが闇に染まると、次に自分の身体が染まっていくのが分かった。足元からゆっくりと上半身に向かって這い上がってくる。

 

 身体が────心が────全てが染まり上げられると思われたその瞬間。

 

 ────―手の平に温かい光が感じられ、その場から掬い上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けるといつもの天井が見えた。そして次に、右手に何か温かい感触が感じられたのでそちらに顔を向ける。

 

「……起きたようじゃな」

「星……露……?」

 

 范星露が布団の傍へと座り、布団からはみ出ている右手を握っていた。

 

「うなされておったようじゃが大丈夫か?」

「……ああ……でも、星露は何で此処にいるんだ?」

「……時計を見てみよ」

 

 壁に掛けられた時計を見る。すると時計の針は午前10時を過ぎている。

 

「す、すまん! 寝坊した!」

 

 慌てて起き上がり着替えようとする八幡。しかし急ぐ八幡を星露は引き留める。

 

「急がなくてもよいぞ。今朝の鍛錬は中止じゃ。それに今日は休日じゃからな」

「……いいのか?」

「問題はない。それにな、八幡よ」

 

 八幡を下から見上げ、彼女はにっこりと笑う。

 

「せっかくの休日じゃ。儂と一緒に街へ繰り出すぞ」

 

 星露は八幡へそう提案してきた。

 

「どうしたんだ、急に」

「嫌か?」

「嫌なわけじゃないが……珍しいなとは思った」

 

 基本的に范星露は界龍から出る事は少ない。六花園会議などの公務ならともかく、私用で出かける事はほぼないからだ。何かが欲しいのなら誰かに頼めばいいし、暇があれば鍛錬をするのが范星露という人物だ。

 

「なに、単に気分転換よ。どうじゃ?」

「まあ、別に構わないが」

「じゃあ、決まりじゃな。儂も着替えてくるから、黄辰殿前で待っておれ。よいか?」

「……分かった」

「よし。ではまた後でな」

 

 そう言うと星露は八幡の部屋を退出する。

 残された八幡は一人思考に耽る。星露が外出の提案をしてきた事に対して彼女の意図を考え、一つ溜息を付いた。

 

「気を遣わせたか……まあ、偶にはいいか」

 

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたの、八幡」

「……ああ、って……どうしたんだその恰好?」

 

 近寄ってきた星露の姿を見た八幡は、思わず本人へ問いかける。そこに居るのは界龍の制服を着た范星露ではなかったからだ。

 

「うむ。陽乃に進められてのう。洋装はあまり着たことはないのじゃが、とりあえず着替えてみた。どうじゃ?」

 

 星露はその場でクルリと一回転すると、それに合わせフワリとスカートが揺れる。

 青を基調とした洋服を着た彼女は、普段とかなり様相が異なるがとてもよく似合っている。

 

「あ、ああ。いいと思う、ぞ?」

「何故に疑問形じゃ? 女子の服装はしっかりと褒めるのが男としての務めじゃぞ、八幡」

「……そういうものか?」

「そういうものじゃ。ではそろそろ行くか」

 

 星露は八幡の手を取り自身の手と繋いだ。

 

「どこへ行くんだ?」

「ぬしはまだ朝餉を食べておらんじゃろう。時間的に少し早いが昼餉を食べに行くとしよう。何が食べたい?」

 

 星露の問いに少し考え込む。

 

「…………そうだな。普通ならサイゼ一択だが、今日はラーメンが食べたい気分だ」

「ほう、いいではないか」

「何処か美味い店って知ってるか?」

「儂も普段街中では食べんからのう。詳しくは知らん。じゃが、北は北海道から南は博多まで全国のラーメン店はあるはずじゃぞ」

「いいな、それ」

「……そう言えば、商業エリアの一角にラーメン通りがあったはずじゃ。前に家の生徒が話しておったのを小耳に挟んだな」

「じゃあ、そこへ行くか?」

「うむ! では行くぞ」

 

 目的地を決めると、星露が手を引っ張り二人は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「美味かったな」

「うむ、中々美味であったな。あれなら合格点をやってもいいじゃろう」

「……判定厳しくないか?」

 

 昼食のラーメンを食べ終えた二人は、のんびりと目的もなく食後の散歩をしていた。休日の街中となると周囲は人で溢れかえっている。見た感じ学生の若者と観光客らしき人達が中心だ。

 

「さて、これからどうするかの?腹ごなしもすんだことだし、その辺をぶらつくのも悪くはないが」

「…………なら、本屋に行ってもいいか?最近行ってないからちょっと見てみたい」

「別に構わんぞ……ちょうどあそこに本屋があるな」

 

 星露が辺りを見渡すと一軒の本屋が見つかった。

 

「じゃあ行ってくるが、お前も行くか?」

「うむ、儂も行くとしよう。本屋を訪れるのは久方ぶりじゃ」

 

 二人は本屋へと足を運び店内へと入った。店の中はとても広く膨大な数の本が置かれている。そしてその本を求めた客もまた店内にたくさんいた。星露は近くの本を一冊手に取る。

 

「ふむ、やはり本はいいな。昨今はデジタル化が進んでおるが、儂は紙の本の方が好きじゃな」

「それは同感だ。スペースを取らないのは大きな利点だけど、本を読むならやっぱり紙だな」

 

 お互い感想を言いながら頷き合う。

 

「さて、儂も色々見て回るか。また後での、八幡」

「ああ、後で合流しよう」

 

 二人はそれぞれ本を探す為に別れる事になった。星露の足取りは軽く、何処かはしゃいでいるようにも見える。一人残された八幡は少し考える。

 

「とりあえずどうするか……ラノベから見て回るか」

 

 本屋を訪れるのも地元を離れて以降初めてだ。アスタリスクでは何だかんだで忙しく、遊びに行く暇もなかったのだ。新作も色々出ているであろうと期待しつつ、八幡も本を探しに行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いっぱい買ってしまった」

 

 予想以上に新作が発売されてるのを発見し手に取った結果、大量の本を購入することになった。それらの会計を済ませた八幡は広い店内の中、星露を探す。暫く店内を探すと見覚えのある姿を見つけた。

 

「お、いた」

 

 とあるコーナーの一角で星露を発見した。彼女は一冊の本を手に取り、それを読んでいる。

 近寄る八幡だが、声を掛ける前に星露が気付く。

 

「おお、八幡。そちらの買い物は済んだのか?」

「ああ。そっちこそ何の本を見ていたんだ?」

「ふむ、これじゃ」

 

 差し出された本を見る。

 

「日本の名湯一覧か。温泉好きだよな、星露」

「この本に載っている大半の場所は行ったことがあってな。ちと懐かしくなって見ていたわけじゃ。さて、そちらの買い物が済んだのならこちらも行かねばな」

 

 見ていた本を閉じて買い物カゴの中に入れる。カゴの中には沢山の本が積まれていた。八幡は興味が湧きチラリとカゴの中を覗く。

 

「色々あるな。歴史書が大半のようだが」

「うむ。こういうのを見ると昔の思い出が蘇ってくるのでな」

「……どんな事があったんだ?」

「そうさのう…………」

 

 星露は考えこむ。遠い昔の記憶を引っ張り出すかのように。

 

「……新選組の事は前に話したな」

「ああ。池田屋事件に乱入したって話だったよな」

「そうじゃ。その後、夜吹の一族に襲われるようになったので、ゆっくり京観光とはいかなくなってな。折角なので江戸を観光しようとそちらへ向かったのじゃ」

 

 事態は結構深刻のはずなのに、そう感じさせない本人の談である。

 

「……狙われてるにしては余裕だな」

「初期の頃はまだ下っ端が来ておったからな。あしらうのは簡単じゃった。東海道を通ってのんびりと歩いていったよ。富士の山は今と変わらず雄大であったぞ。そして暫く江戸の街で暮らして居ったのじゃが……色々あったのう。大政奉還、王政復古の大号令、江戸城無血開城……そして戊辰戦争じゃ」

「戊辰戦争。旧幕府軍と新政府軍の戦いか」

「そうじゃ。それに新選組の連中も参加しておってな。それ故に見届けに行ったよ……あやつらの最期を」

「確か新選組の最期って……」

 

 言いにくそうに言葉を濁す八幡。

 

「知っておるか。儂は甲州勝沼の戦いから見学に行っての。近藤勇が処刑され、沖田総司は亡くなり、それでもやつらは止まらんかった。東北の地では宇都宮城の戦い、会津での戦争……そして最後の舞台は蝦夷の地じゃ」

「……最後は五稜郭だったな」

「そう、一つの時代に幕が下りた。侍の終焉の地と言ってもいいじゃろう。まあ最も、江戸敗走後には新選組も銃火器を使用しておったがな」

「銃は剣よりも強し、か。時代の流れだな……今の時代、星脈世代によって近接武器が復活してるのも時代の流れなのかもな」

「ふふっ、そうかもしれぬな」

 

 そこまで話すと星露が買い物カゴを持ってレジへと向かう。

 

「では、買ってくるぞ。暫し待っておれ」

「分かった」

 

 星露は本を持ってレジへと向かった。八幡は自らの放った言葉を振り返る。そして右拳を握りその手を見る。

 

「時代の流れか…………この力にも何か意味があるのか?」

 

 自らの力に意味があるか。ふとそんな事を思う八幡だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 本屋で買い物を済ませた二人は再び街へと繰り出す。

 

 次に二人が向かった目的地は────―

 

「ふむ、やはりこのあんみつは絶品じゃな」

「確かに、これは美味い」

 

 おやつの時間である。

 

「この白玉クリームあんみつは初めて食べたがいい味じゃ。クリームとあんこを混ぜ合わせると更に美味い!」

「それには同意する。だが、俺的には白玉がいいな。このトロモチの感触がたまらん」

「うぅむ。確かにこの白玉も美味いのう」

 

 二人であんみつの美味さを称え合う。星露は元々甘いものが大好きであり、八幡もマッ缶を飲むだけあって甘いものが好きだ。そんな二人がおやつに甘味を求めるのは必然であった。

 

「美味かったのう」

「……ご馳走様」

 

 あんみつを食べ終えた二人はそれぞれ手元の湯呑みを持ち、熱いお茶を飲んでいく。

 

「さて、これからどうする。星露。帰るか?」

「ふむ、それも悪くはないが…………最後に一つ寄っておきたい場所がある。付き合ってくれぬか?」

「別にいいが……何処に行くんだ?」

 

 八幡が星露を見ると彼女は軽く笑みを浮かべた。

 

「なに、ちょっとした見学よ」

 

 二人が向かった先はとあるビルの屋上だった。星露が先導し軽い足取りで階段を昇る。そして、アスタリスク初日にもこんな事があったなと思いながら、八幡も後に続く。

 やがて屋上へと到着した星露が扉を開ける。すると明るい光が視界に飛び込んできた。思わず手を目の前にかざして光を防ぐ。しかしそれも一瞬だった。

 

「どうじゃ?」

「…………ああ、凄いな」

 

 目の前に広がる光景に目を奪われる。時刻は夕方になり日が落ちそうになっていた。つまり夕焼けが最も綺麗な時だ。ビルから西の地平線に沈みかけている夕日と空は赤一色に染まっていた。

 

 その綺麗に光景に心奪われる八幡。綺麗な景色というのは、心を落ち着かせてくれるから不思議なものだ。この景色を見せるのが星露の目的だったのかもしれないと思わせるほどに。

 

「…………ありがとな、星露」

「何がじゃ?」

「……色々気を遣わせたみたいでさ」

「そんな事か。気にするなと言いたい所じゃが……おぬしはそうも思わぬな」

 

 星露が八幡を見る。

 

「色々と思い詰めてそうじゃったからな。少しは気が晴れたか?」

「……ああ」

「真面目なのはいい事じゃが、真面目過ぎるのが八幡の欠点じゃな」

 

 それは意外な言葉だった。

 

「……そこまで真面目なつもりはないんだが。初めて言われたぞ、そんな事」

「充分に真面目じゃと思うがな……儂の為に頑張ってくれるのは嬉しいが、気を張り詰めすぎてはいかんぞ」

 

 星露は軽く嗜める。

 

「…………よく分からん。そんなに気が張ってるか。今の俺は?」

「少なくとも陽乃から聞いていた話とは大分違うの。本来は生粋のめんどくさがり屋で何をするにもやる気がない性格。その思考と解決方法故、陽乃の奴はおぬしのことを理性の化物と呼んだ。座右の銘は押してだめなら諦めろ。将来の夢は専業主夫として養ってもらうこと。違うか?」

「あーまあ、否定は出来ないな」

 

 他人から指摘されると思う所がある。今思えばとんでもない発言をしていたものだ。

 

「まあ、おぬしの場合過去の出来事が原因で、今の今までやる気がなかったのもあるじゃろう。その反動で今真面目になっておる。それはまあよい。悪いことではないからの……じゃが、それがいき過ぎるのは問題じゃ」

 

 星露はふわっとした笑みを浮かべる。

 

「もっと気楽に生きよ。毎日を楽しみ人としての生を謳歌せよ。強さのみを追い求めても最終的には碌なことにはならぬぞ」

「………………」

 

 それは実感の籠った言葉だった。本人の経験談とも感じ取れた。その言葉に八幡は沈黙する。

 

「ふむ、そう言えば専業主夫志望だったな。もし今でも望むなら叶えてやってもよいぞ……儂に勝てたらな」

「条件厳しすぎるだろ、それ」

 

 ニヤリと笑う星露に思わず苦笑い。

 

「……今更専業主夫なんて望まないさ」

「ほう」

「それにお前の元での専業主夫って、働かなくてもいいけどずっとお前と戦えってことだろ。それなら働いた方が幾分かマシだよ……心惹かれるものはあるがな」

「くくくっ、よく分かっておるではないか」

 

 隣に愉快に笑う星露がいる。彼女の隣に自分がいることにもはや違和感を感じない。むしろ当然だと思うのは悪いことではないはずだ。

 

 本音を話しても拒絶されない。間違ったことを言ってもすぐに否定はされない。誤りがあれば指摘をされ、互いに納得するまで話すようになった。

 

 それが家族というものの本来あるべき姿なのだろうなと、最近思うようになった。

 

 元の家族であれ、学校であれ、誰もが自身を否定をする人達ばかりであった。こちらの意見は否定され、拒絶され、ならどうすればいいかと教えてくれる人は誰もいない。

 

 范星露だけが違った。

 

 だから彼女の前ではつい素直になってしまう。自ら甘えてしまう事すら否定できない。もし前の自分を知っている人達が今の自分を見ても誰だお前と言われる自信がある。

 

 ────特にアイツらには

 

「奉仕部か……」

「ん?」

 

 つい漏れ出た言葉を聞き取られてしまった。

 

「いや、今朝ちょっと夢を見てな」

「うなされておったな。嫌な夢でも見たか……辛いなら話さなくてもよいのじゃぞ?」

 

 心配そうにこちらを見詰めてくる。前までなら話す事は無かった。自ら弱みを話すなど考えもつかなかった。

 

 でも今は違う。

 

「……昔の部活の夢を見たんだ」

「部活。奉仕部というやつか?」

「ああ」

 

 星露の言葉に八幡は頷く。

 

「……後悔しておるのか?」

「……いや……どうだろうな」

「…………」

 

 星露は沈黙する。彼が自身の心の内を整理しながら、思いを打ち明けようとしているのが分かったからだ。

 

「…………自分でやったことだ。例えそれが間違っていたとしても、後悔は……してない。自分でやった行動を俺自身が否定したら……それこそ無駄になるからな……俺はただアイツらに理解を、いや理解してもらえなくても……否定はしてほしくなかったんだろうな。多分」

「憎んでおるか? 陽乃の妹を。そしてかつての仲間を」

 

 八幡はその問いかけに少し考え、だけどしっかりと答えを出す。

 

「……憎しみか……ないと言えば嘘になる。暴走した時ハッキリと感じたからな…………自分の中にある負の感情を。怒りや憎しみ、そして殺意が極限まで膨れ上がり、その感情に飲み込まれ支配された。そんな感じだった……自分の中にあんな感情が眠ってるなんて思いもよらなかったよ」

「怒りも、憎しみも、そして殺意さえも人として当たり前の感情よ。それを否定してはならんぞ」

「……ああ、分かってるさ」

 

 言うのは簡単。だが、自身の心を納得させるのは難しい。星露もその事をよく理解している。

 

「自分の心の闇を律し、己が醜いと思う感情を受け入れよ……と、言うだけなら簡単なことじゃが、それを行うのは難しいことよな」

「そう、だな」

「何か心の内に引っ掛かりがあるようじゃな。もしよかったら話してみよ」

 

 気楽に星露がそう言った。深刻に尋ねられるより軽く聞かれる方が答えやすい。彼女の気遣いに内心感謝しながら八幡は口を開く。

 

「…………分からないんだ」

 

 ぽつりと話し始めた。

 

「アイツらのことを大切に思っていたのは本当だ。だけど、だけど今は、それ以上に憎しみという感情が俺の心に渦巻いているんだ。だけど、そんな風に感じる自分が卑しくて、浅ましくて……苦しいんだ」

 

 心の奥底から溢れ出る彼の闇。

 

「……分からない……分からないんだ。少し前にアイツの名前を聞いただけでも我を忘れそうになった。俺は、俺は…………どうしたらいいんだ?」

 

 苦しみながらも吐かれた言葉が、今の彼の本音だった。

 

 それはある種の弊害だ。以前までの彼ならそんな事を心配する必要はなかった。だが、能力の発現がその危機を引き起こす切欠となってしまった。

 能力とは己の心の反映だ。心が平穏に満ちていれば制御することも難しくない。だが精神が不安定ならば──―無意識に能力が暴走してもおかしくないのだ。

 

 特に八幡の闇の能力はそれが顕著だ。彼の能力は負の感情から生まれたもので、その強すぎる能力は精神にすら影響を及ぼしてしまった。その為、今の彼は人の悪意に過敏に反応してしまう。

 

 范星露と共に暮らし、界龍での生活をしていく中で、彼の心の傷はゆっくりと癒えているのは事実だ。だが、かつてのトラウマを思い出せば容易に崩れ去ってしまう。現状で言えば砂上の楼閣のようなものだ。

 

 それ故に、今の八幡の精神はとても不安定な状態だ。そこにはかつて雪ノ下陽乃が理性の化物と呼んだ者はいない。

 

 ────そこにいるのは年相応に悩む一人の少年だけだ。

 

 

 胸を手で押さえ苦しそうにする八幡。そんな彼を見た星露の対処は決まっている。彼の肩を掴みゆっくりと自分の方に引き寄せ────己の胸に彼の頭を抱きしめるのだ。

 

 八幡の強張った身体を抱き締める。背中に回した手を広げ、ポンポンと何度か彼の背を叩く。するとその身体から力が徐々に抜けていく。そして彼の両膝が地面に着き、星露へと身を任せる形となった。

 幼子特有の温かい体温と、トクントクンと聞こえる心音が八幡の心に安らぎを与えていく。

 

「…………すまん」

「気にするでない」

 

 星露の胸に抱かれたまま謝る。温もりに包まれた八幡は、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 

「どうしたらいいかという質問じゃったな。儂の意見でよければ聞いてみるか?」

「……ああ。教えてくれ」

 

 星露は自身の胸に抱いている八幡を手で少し離す。そして至近距離で彼の瞳を覗き込み、断言する。

 

「そやつらとは関わるな」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え……今、なんて?」

「聞こえなかったのならもう一度言おう。関わるなと言った」

 

 言われた言葉に動揺し聞き直すも、同じ事を言われた。

 

「今までの状況から考えるに、そやつらと再び接することで、おぬしは又深い傷を負うかもしれぬ。しかも今度は取り返しがつかぬ、致命傷をな」

「それは…………」

 

 その発言に何か言おうとするも、言葉が出ない。

 

「だったらそやつらとは会わなければよい。出会ったとしても相手にするな。深く関わらなければ余計な傷を負うことはない。違うか?」

「……確かに……そうだけど」

 

 彼女の言は正しい。反論出来ないほどに。

 

「もしそれでも突っかかってくるようなら対処は簡単じゃ。その力を持って叩き潰せ。今のおぬしなら容易いであろう」

「………………」

 

 事も無げに言い放つその意見に沈黙してしまった。そして気付いてしまう。もし彼女たちがこちらに突っかかってきた場合、それが一番確実で簡単な方法であると。

 

「星露……でも、俺は……」

 

 それでも追い縋る。その意見が間違っていない事が理屈で分かる。感情の面でも正しいと判断できる。

 

 だけど────納得は出来なかった。

 

「納得できぬか?」

「…………ああ」

「ふむ、この方法が一番簡単なのじゃがな。納得できないのであれば仕方がない。では次の案じゃ」

「次?」

 

 八幡の問いに頷き、次の案が提示される。

 

「本音で語ってみよ」

「……本音?」

「そうじゃ。告白の件に関しても、依頼の時点で断っておけば問題はなかったのじゃからな。どうせおぬしの事だから、相手に遠慮をして引いたのが原因じゃろう。押しが足りぬ証拠じゃ」

「…………まあ、な」

 

 確かにあの時にキチンと追及するべきだったのだ。死ぬ気で依頼をキャンセルすればこんな事にはならなかった。だがそれが出来るのなら苦労はしない。

 

「本音、か。だけどそれは……」

 

 言いたいことは分かる。だけど自分には難しいと思った。本音を言えば相手が傷つく場合もある。いわれようのない悪意を向けられることもある。そして何より、本音を言って受け入れられないことが一番怖い。

 

「おぬしの考えてることは大体分かる。だがな八幡。お互いに本音で話し合えなかったのが、おぬしの失敗の原因の一つじゃ」

「それで拒絶されたら?」

「縁がなかった。それだけの事よ」

 

 八幡の疑問を星露はスパッと答える。

 

「のう八幡。人と人は縁でつながっておる。おぬしがかつての仲間と築いたのも一つの縁じゃろう。じゃがな、それは一つではない」

「……どういう意味だ?」

「おぬしと儂が出会ったのも縁。このアスタリスクに来てから出会った人物達も複数の縁になる」

 

 八幡の脳裏にアスタリスクで出会った人達の姿がよぎった。

 

「縁が切欠で仲良くなることもあろう。喧嘩をして別れることもあるじゃろう。だがな、それは当たり前の事なのじゃ」

「当たり前、か」

「お互い本音で語れぬ相手など友とは呼べん。それが原因で別れるのであれば一緒に居るべきではないのじゃ……無理に一緒にいても何れ破綻する」

「! そうだな」

 

 星露は八幡の頭を優しく撫でる。

 

「何にせよ、おぬしは難しく考えすぎじゃ。儂の弟子達とも仲良くやってると話は聞いておるぞ」

「仲良く……出来てるんだろうか?」

「虎峰とセシリーは同じクラスじゃったな。アヤツらはどうじゃ?」

 

 二人のクラスメイトのことを思い出す。

 

「……いい人たちだ。俺には勿体ないくらい」

「儂の自慢の弟子じゃ。おぬしが本音で話す程度で離れていくような軟な二人ではないぞ」

 

 確かにそうなのかもしれない。あの二人には気安く接することが出来るし、少なくともこちらを馬鹿にするようなことは言ってこない。

 

「まずは一歩。おぬしから歩み寄ってみよ。最初はそれでよい」

「……………………分かった」

 

 星露の助言を受け、葛藤しながらも小さく頷く。

 

「うむ、偉いな。八幡は」

「……なぁ、星露」

 

 頭を撫でられながら彼女の名前を呼ぶ。

 

「何じゃ?」

「お前が俺の家族で良かった……ありがとう」

「……気にするな」

 

 八幡は素直にお礼を言う。その彼の顔は少しだけ笑顔になっていた。それにに気付いた星露は、我が事の様に嬉しく思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日。月曜日の朝。

 八幡は自分の教室に到着し入り口のドアを開ける。まだクラスメイトは半分くらいしか揃っていない。

 

 目的の人物は探すまでもなくいつもの場所に居た。そこへと近付く。

 二人で何か話をしているようだ。お互いに話に夢中でこちらに気付いてはいない。

 

 二人に近付いて話しかける。

 

「……おはよう。虎峰、セシリー」

 

 二人が驚いた顔でこちらを見ているのが気配で分かった。だがそっぽを向いた状態なので確認は出来ない。頬が熱くなっているのは自覚している。

 

 そして二人は

 

「おはようございます、八幡!」

「おはよー八幡。今日もいい天気だねー」

 

 何事もなかったように挨拶を返した。

 

「今日は国語の宿題が出てますが、大丈夫ですか八幡?」

「ああ、国語はキチンとやる主義だ。まだ簡単だからな。セシリーは?」

「やってないよー虎峰貸してー」

「はぁ。しょうがありませんね。一つ貸しですよ、セシリー」

 

 そしてそのまま、三人の日常が始まった。

 




うちの八幡は精神的に結構弱めです。そんな彼が悩み、相談し、少しでも変わろうと第一歩を踏み出す。今回はそんなお話です。

次話からは夏休みに突入。そして新たなヒロインが登場予定です。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。

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