学戦都市アスタリスク 本物を求めて   作:ライライ3

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少し苦戦しましたが、出来たので投稿します。


第三十話 大会前のひと時

「ふっふっふっふふふっ」

 

 一人の少女の微かな声が店内に響く。否、正確には笑い声が漏れるのを必死に堪えているというのが正しいか。

 少女は今、己の限界に挑戦していた。

 

「……そんなに可笑しいですかね?」

「どうかしら? 本人のツボに嵌っちゃったのは確かね」

 

 対面に座る二人。范八幡と雪ノ下陽乃は、少女を心配しながら手に取ったカップで紅茶を飲んでいる。

 

「ご、ごめんなさいっお腹がっ痛くてっ」

 

 少女は自身のお腹を手で押さえながら辛うじて返事を返す。しかしよほど可笑しかったのか、少女の震えは止まらない。しばらくその状態が続き、少女の震えが徐々に収まっていく。

 

「はぁぁぁ、やっと落ち着いてきた。ごめんね、二人とも」

「いや、特に気にしてない」

「そんなにウケるとは思わなかったわ。大丈夫、シルヴィちゃん?」

「……はい。もう大丈夫です」

 

 栗色の髪の少女。シルヴィア・リューネハイムは陽乃へと返事を返す。漸く落ち着きを取り戻したようだ。

 

「そんなに面白かった? 私からすればそこまで感じないんだけどね。本人を知ってれば、むしろあり得ると納得したぐらいだし」

「いや、これは無理ですよ。だって―――」

 

 シルヴィは八幡を見ながら叫ぶ。

 

「コーヒー欲しさに王竜星武祭に出るってなに!? 私そんな理由で挑む人初めて聞いたよ!」

「………解せぬ」

 

 それがシルヴィの腹筋を崩壊させた理由だった。

 

「いや、お金欲しさに挑むのならまだ理解できるよ。そういう人は沢山いるし、動機としても納得できるから。でもそれがコーヒーって………」

「シルヴィ。コーヒーじゃなくてMAXコーヒー、もしくはマッ缶だ。そこを間違えるな」

「指摘するのそこ!? じゃあ、その、マッ缶だっけ? そんなに美味しいの? 初めて聞く名前だけど」

「あ、シルヴィちゃん。それは―――」

 

 シルヴィの疑問を陽乃はマズイと思い止めようとする。だが遅かった。

 

「よく聞いてくれた。マッ缶。それは俺にとっての至上の飲み物。いや、俺だけじゃない。一部の千葉県民にとって欠かせない存在と言っても過言ではない。その秘密は味にある。コーヒーに砂糖と練乳を混ぜた暴力的な甘さ。それが千葉県民を虜にしているんだ。だがその特徴ある味を敬遠している人たちもいる。あの甘さをコーヒーとは認めないといった意見も出ている。それは事実だ。だがあの甘さがあってこそのマッ缶だ。あれを変えたらマッ缶ではないんだ。それに―――」

「え、えーと」

 

 八幡のマッ缶トークが始まってしまった。それを止める者は誰もおらず、思わずシルヴィも言いよどむ。そんな彼女に陽乃は助け舟を出した。

 

「あーシルヴィちゃん。こうなった八幡くんは止まらないから放っておいていいよ」

「い、いいんでしょうか?」

「いいの、いいの。暫く語ったら戻ってくるでしょ。彼、マッ缶に関しては妥協しないから」

「そ、そうなんですか」

 

 陽乃の意見にとりあえず同意することにした。

 

「結局、マッ缶って美味しいんですか? 八幡くんがもの凄く好きだってのは分かったんですけど」

「…………甘い飲み物が好きなら大丈夫だと思うよ……わたし個人は、その、ね?」

「……なるほど」

 

 陽乃の口調から大体の事情を察した。そして二人が話し終えると八幡が戻ってきた。

 

「―――という感じだ。分かったか、シルヴィ?」

「うん。とりあえず八幡くんがマッ缶をもの凄く好きだってことは分かったよ」

「ああ。俺はマッ缶がないと生きていけない。そう思ってくれればいい」

「あはは。そんなに好きなんだ。あ、でも―――」

 

 シルヴィはふと思った。

 

「界龍の自販機にマッ缶を入れたいんだよね? だったら、ベスト8まで行かなくてもいいんじゃないかな?」

 

 聞き捨てならないことをシルヴィは言い出した。

 

「………それは本当か?」

「うん。私はこれでもクインヴェールの生徒会長だからね。権限についてはよく分かってるよ。うーん、自販機の飲み物に関しても、定期的に報告が上がってくるね」

「なるほど。詳しく教えてくれ」

 

 八幡は真剣に尋ねる。

 

「そんなに大した内容じゃないよ。夏と冬の定期的な入れ替えとか、人気の低い商品を別の物に変えたとか。そういう事後報告。後は、一部の生徒から自分の国の飲み物を入れてほしいという要望とかだね」

「最後の内容はどういう対処を取るんだ。人気がなければ入れられないだろう」

 

 八幡とてマッ缶の人気が低いことは理解している。要望を出しても通るとは思えない。

 

「……その生徒の状況によるね。簡単に言うと序列次第かな」

「なるほど。つまり序列が高ければ要望が通ると」

「うん。もしくは星武祭で活躍すること。だから八幡くんの行動も間違っていないと思うよ……ただ、特定の飲み物の要求ならベスト8までいかなくてもいいんじゃないかな。うーん、星武祭の本選に残れば充分だと思うけど」

「そうね。そのぐらいで充分だと思うわ」

 

 傍で聞いていた陽乃が口を挟んだ。

 

「ご存じだったんですか、陽乃さん?」

「知ってはいないよ。ただ何となく、そのぐらいかなーと思っただけ」

「……つまり俺はアイツに騙されたと」

「騙されたというのは少し違うんじゃない」

 

 陽乃が八幡の意見を訂正する。

 

「―――期待の裏返しだと思うわよ、わたしは。君ならそのぐらいは勝ち残れる。あの子はそう思ってるわよ、きっと」

「…………そう、ですか」

 

 何となくむず痒い気持ちになり、言葉が出てこなかった。

 と、そこへ横から声が掛かった。

 

「楽しそうな所悪いけど、ちょっといいかい?」

「あらマスター。何かしら?」

 

 三人が声のした方を見る。

 

「―――注文の品、出来てるよ。続きは食べてからにしたらどうだい?」

 

 喫茶店のマスターが注文した品を運んできていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 季節は冬。そして今年は王竜星武祭の開催年。さらに、今この場にいる全員が王竜星武祭に出場予定だ。そうなると、三人の話題は自然とそちらに傾いていく。

 

「………ところで気になったことがあるんだが」

 

 八幡が空間ウィンドウを突如開く。それを二人が見てみると―――とても見覚えのある映像だった。

 

「王竜星武祭のトーナメント表だよね。どうしたの?」

「誰か気になる選手でもいた?」

 

 王竜星武祭までは後二週間。既に初期のトーナメント表は一般公開されている。

 八幡が気になったのは―――

 

「シルヴィ。なんでグリューエルが出てるんだ?」

「あ、それはわたしも気になってたんだよね。名前見かけたときはビックリしたよ」

 

 八幡と陽乃の共通の知り合い、グリューエルが王竜星武祭に出場していることだ。二人からすれば寝耳に水の話だ。

 

「二人も知らなかったんだ。わたしも知ったのはトーナメント表が発表されてからだよ。本人に直接聞いてみたんだけど、『―――腕試しです』の一言だけだったんだよね」

「腕試し、ね。どんな心変わりがあったのやら。積極的に出場するタイプじゃないだろう」

「そうなんだよね……」

 

 シルヴィがグリューエルのデータを開く。クインヴェール序列五十位。それが彼女の現在の序列だ。そして序列入りしたのが前回の序列戦である。シルヴィがグリューエルの序列戦の動画を開くと、陽乃と八幡が覗き込む。

 

「……手を抜いてるわね」

「ええ、グリューエルの方が強いですね。しかもこの動きを見る限り、もっと上位の序列に挑戦しても問題ないはず。なのに敢えてこの序列に挑戦した。そう見えます」

 

 八幡と陽乃はグリューエルの動きで大体の強さを測った。対戦相手より彼女の方が明らかに強い。動画内では、相手が積極的に攻勢に出ており、グリューエルは回避と防御だけ行っている。これだけ見れば、彼女が苦戦してるように見えなくもない。しかし見る者が見れば動きの差は一目瞭然だ。

 

「……実戦での動きの確認、かしらね? 序列の順位は何処でもいいから挑んでみた。そう見えなくもないけど」

「………でも強くなってますね。初めて会った時とは動きが段違いです」

「そう! それについて聞きたいことがあるの!」

 

 突如シルヴィが叫んだ。

 

「八幡くん! いったい彼女に誰を紹介したの? いくら何でも強くなりすぎだよ!」

「あーそれは………」

「うーん。企業秘密、かな?」

 

 シルヴィの追及を二人は誤魔化す。八幡は勿論の事、陽乃も星露が双子を鍛えているのは知っている。しかしそれを明かす訳にはいかない。他学園の生徒を鍛えるのは星武憲章に違反していないが、バレると色々厄介なのだ。

 

「……八幡くんが稽古相手を紹介してくれてから、まだ半年も経ってない。なのに、あの子の実力は予想以上に高くなってる。序列上位? ううん、下手したら冒頭の十二人クラスだよ」

「流石にそこまではいかないんじゃないか?」

「そうそう。気にしすぎだよ、シルヴィちゃん」

 

 シルヴィの考察を二人はやんわり否定する。しかし彼女はある程度確信している。二人を鍛えたのが、アスタリスクでも有数の実力の持ち主だということを。シルヴィの知る限り、そんな人物は片手で数えられる。

 

 シルヴィは二人を睨む。しかし二人は目を逸らさない。特に何事もなかったかのようにシルヴィを見ている。表情、目線、特に違和感はない―――どうやら追及は無理のようだ。

 

「……はぁ、ごめんなさい。わたしがどうこう言える問題じゃなかったね。そもそも、善意で鍛えてくれている相手にも失礼な態度だったわ。本当にごめんなさい」

「いや、そこまで気にしなくても……」

「そうよ、気にしないで……相手に関してはちょっと言えないけど」

「………はい」

 

 シルヴィの謝罪を二人は受け入れる。そもそも他所の学園の生徒を鍛えること自体がおかしな話だ。追及があってもおかしくはない。

 

「見て二人とも。そろそろ終わるよ」

 

 シルヴィの指摘を受け、二人は動画に注目する。再生中の動画に変化があったのだ。攻撃に疲れたのか、対戦相手の動きが鈍っていく。スピードが遅くなり、焦りから攻撃が大振りに変わったのだ。

 

 そしてその後、決着は直ぐについた。単調な突きの攻撃を躱しながら懐に潜り込み、手にした煌式武装で一閃。グリューエルの勝利となった。

 

「……最後だけ動きが違いましたね」

「ええ。疲れ切った相手には、あの速度は対応できないでしょうね」

「うん。でも、まだ本気じゃないね」

 

 動画を見終わった三人は思う。王竜星武祭に向けてまた一人強敵が現れたと。星武祭に下克上は付きものだ。どんな相手でも油断は出来ない。

 

「いいじゃない。誰が相手でも楽しめそうだし。王竜星武祭が待ち遠しいわ」

「わたしも楽しみ。どんな相手でも全力を尽くすよ」

「……強敵はこれ以上増えなくていいんだがな」

 

 闘志に燃える二人を他所に、八幡は一人溜息を溢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王竜星武祭までは後二週間。通常の選手なら大会に向けて最後の追い込みに入る時期だ。しかし今日はシルヴィの希望により街に遊びに来ている。八幡と陽乃も最後の追い込みで過度の鍛錬を行い、疲労が溜まっている。その疲労を抜くためにもシルヴィの誘いは渡りに船だった。

 

「しかしシルヴィの希望がカラオケとはな。ちょっと意外だ」

「あら、わたしは大歓迎よ。歌姫の歌が生で聞けるんだから。滅多にないチャンスじゃない」

「あはは、そんなに大したものじゃないですよ」

 

 喫茶店の後、何処に行くかは決めていなかった。特に行きたい所があるわけでもない。ならば、シルヴィの希望を聞き、彼女の好きな所へ行くことになった。そして彼女が希望したのがカラオケだった。

 

 喫茶店から少し離れた場所にあるカラオケボックスに到着した。そして受付を済ませ、部屋番号を渡される。そしてその部屋へ向かい三人は歩いていく。

 

「……実はカラオケに来たの初めてなんだ。普段はスタジオやトレーニング施設で歌うから、こういう場所には縁がなくて。だからちょっと楽しみ」

「へーそれは意外ね。でも、シルヴィちゃんの立場とクインヴェールの校風を考えたら妥当なのかしらね。アイドルって大変そうだもん」

「そうなんですよ。アイドル稼業も楽じゃないですね。イメージがあるから迂闊な行動も取れないし。今日のカラオケも、ペトラさんにバレたら何を言われるか。だから内緒にしてね、二人とも」

 

 シルヴィは溜息を付きながらそう言った。八幡と陽乃はそれに素直に頷く。少し聞いただけでも、彼女の生活は想像以上に大変そうだ。

 

 そんな話をしていると目的の部屋に到着した。受付から渡された番号を確認してから部屋に入る。中はこじんまりとした個室だ。真ん中にテーブルがありその上には端末が置かれている。そして左右にはソファが設置されていた。少々手狭だが、三人で過ごす分には何の問題もないだろう。

 

 部屋に入った途端、シルヴィが興味深そうに部屋を見渡している。その様子を見る限り、本当に初めてカラオケに来たようだ。

 

「うわーこんな風になってるんだ。へー」

「……本当に初めてなんだな。シルヴィなら同級生に誘われるとか……あーアイドルを誘うのは敷居が高いか」

「難しいでしょうね。歌姫をカラオケに誘うとか、ハードルが高いにも程があるでしょ。周りも遠慮するに決まってるわ」

 

 陽乃の言葉をシルヴィは苦笑しながら頷く。

 

「………陽乃さんの言う通りかな。誘われたら喜んで行くんだけどね。残念ながら誘われたことはありません」

「安心しろ。俺だって今まで誘われたことはないぞ」

「そ、そうなの?」

 

 八幡は頷く。

 

「ああ。それに世の中には一人カラオケなんて言葉もある。もしカラオケに行きたいのなら一人でも問題ないぞ。ストレス発散なら一人の方が気楽だしな。それに………」

「それに?」

「……………まあ、もし、もしもだぞ。シルヴィがよければだが……連絡さえもらえば、その、一緒に行くのも、まあ、やぶさかではない」

「………え?」

 

 そっぽを向きながら八幡はそう答えた。

 

「べ、別に俺じゃなくてもいい。陽乃さんだって付き合ってくれるだろうし、他の誰かを紹介してもいい。界龍のメンバーに限るけどな」

「―――八幡くん」

 

 思わぬ誘いにシルヴィの心は喜びで満ち溢れる。目の前の人が、自身をただの友人として扱ってくれるからだ。

 

 クインヴェールの生徒会長という地位も関係なく、世界の歌姫と呼ばれる偶像も関係ない。ただ、シルヴィア・リューネハイムという一人の少女として自身に接してくれている。そんな単純な事実がとても嬉しく、シルヴィは満面の笑みを浮かべて八幡を見る。

 

「な、なんだ?」

「―――ありがとう。じゃあ、その時は遠慮なくお願いしようかな」

「お、おう」

 

 シルヴィの笑顔を目撃した八幡は思わず頬が熱くなる。歌姫の笑みはそれほどの破壊力があったのだ。

 そんな二人を傍で見ていた陽乃も、クスリと笑いながらシルヴィへと話しかける。

 

「シルヴィちゃん。八幡くんの言う通り、わたしも喜んで付き合うわ。アナタが望めばね」

「―――陽乃さん。ありがとうございます」

「いいのよ。わたしたちは友達でしょ」

「―――はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 栗色の髪の少女がマイクを手に取り一人歌う。彼女の口から紡がれる美しい歌声が室内に響き渡る。少女の正体を知っていれば、その歌声を聞くのに大金を惜しまず支払うだろう。

 

 だが今日の彼女はプライベート。その歌声を聞く観客は友人の二人だけだ。初めて訪れたカラオケボックスでテンションが上がったのか、様々な曲をジャンルを問わず歌っている。八幡と陽乃は歌を聴くことだけに集中し、ただひたすらに彼女の声を感じ取っていった。

 

 ―――そしてまた一曲、シルヴィが歌を終えた。

 

 室内に二つの拍手が響く。歌姫の歌はどれも素晴らしく、他者の歌であってもそれは変わらない。むしろ普段歌わない曲を歌う彼女を見れたことは幸運と思っていいだろう。八幡と陽乃は惜しみもない拍手で彼女を称える。

 

「さっすがシルヴィちゃん! どの歌も素晴らしかったわ!」

「―――いい歌だった」

 

 陽乃は声高く彼女を称え、八幡はただ一言で彼女の歌を称した。どちらも共通なのは、彼女の歌を聴いて感動したことだ。そんな称賛をシルヴィは照れながら受け取る。

 

「―――ありがとうございます。ごめんね、私ばっかり歌っちゃって」

「気にしなくていいわ。私は少し歌ったし。それにシルヴィちゃんの歌を聴くのは楽しいわ」

「そうですか? ……あれ、そういえば八幡くんはまだ歌ってないよね?」

「……俺はいい。歌うのは得意じゃないし、聴いてるだけで充分だ」

 

 歌姫の前で歌えるほど歌唱力に自信はない。それに自分が歌うより、彼女の歌を聴いている方がよっぽどいい。シルヴィア・リューネハイムの歌をこんなに間近で聴ける機会なんて滅多にない。しかしそんな本音を本人に言えるはずもない。

 

「それに俺が歌える曲なんて一般向けじゃないぞ。一番得意なのはプリキュアだからな」

「カラオケなんだから好きな曲を歌えばいいよ。はい、どうぞ」

 

 シルヴィからマイクを渡される。しかしそれを受け取らず、何とか歌うのを回避しようとする。

 

「ああ、いや、俺はいいんだ。今日はシルヴィが楽しむ日だろう。思う存分歌ってくれ」

「むぅ、八幡くんの歌も聴いてみたいのに」

「……俺の歌は歌姫さんに聴かせるレベルじゃないぞ。陽乃さんのように上手でもないし」

「関係ないよ。友達と一緒にカラオケに来てるんだから。上手か下手なんて気にしてないもん。だから一緒に歌おう?」

 

 どうやら逃げ切るのは不可能のようだ。諦めてシルヴィからマイクを受け取る。しかしそこで選曲に悩んだ。空気を読まずにプリキュアを歌ってもいいが、流石にそんな気分にはなれない。

 

 八幡が悩んでいると隣にいた陽乃が動く。別のマイクを持って立ちあがったのだ。

 

「一人が嫌なら私と一緒に歌う? それなら恥ずかしくないでしょ?」

「………俺たちが一緒に歌える曲なんてありましたっけ? 俺は一般の曲は殆ど知りませんよ」

「大丈夫、大丈夫。八幡くんが確実に知ってる曲にするから」

 

 そう言うと陽乃が空間ウィンドウの操作を始めた。慣れた手つきで操作をし、そして曲の入力が終わった。

 

 ―――そしてイントロが流れ始めた。

 

「―――え?」

「っ!?」

 

 イントロが流れた途端に驚く八幡とシルヴィ。その曲は二人にとって最も聞き覚えのある曲だった。思わず八幡は陽乃を睨んだ。

 

「―――何でこの曲を? 俺がこの曲を歌えるとはかぎりませんよ」

「え? 歌えると思ったからこの曲を選んだんだよ―――それとも歌えない?」

「…………はぁ、歌えますよ。一応」

 

 歌えるに決まっている。それこそこの曲は、プリキュアよりも詳しく知っている。昔から何度も歌い、すべての歌詞を完全に覚えているのだ。

 

 だがそれは問題ではない。本当の問題は別にあるのだ。シルヴィの方をチラリと見る。

 

「えーと、うん、頑張ってね」

 

 どうやら、シルヴィにとっても予想外の選曲だったようだ。しかし先程までは驚いていたが、今はこちらを興味深く見ている。どう歌うのか楽しみにしているようだ。

 

 そしてシルヴィが興味を持つのは明白だ。何故なら―――

 

「……本人の曲を本人の目の前で歌うとか。どんな罰ゲームだよ」

 

 選曲されたのは、シルヴィア・リューネハイムのファーストソング。現代において最も有名な曲の一つだった。

 諦めて心の準備を進めていると―――陽乃がそっと耳打ちをしてきた。

 

「好きなんでしょ、この曲が一番。頑張って歌いましょう」

「…………本人には内緒にしてください。滅茶苦茶恥ずかしいので」

「ええ、分かったわ」

 

 内緒話を終えて陽乃が離れる。どうやらこちらの趣味が知られているようだ。人前で彼女の曲を聞いた覚えはないのだが、何故かバレていたようだ。溜息を付きながらマイクを構える。

 

 そして両者が口を開き―――シルヴィア・リューネハイムの曲を歌いだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー楽しかった! こんなに楽しいのは久しぶり!」

「………それはよかったな」

「八幡くんは元気ないね。どうしたの?」

「…………俺は疲れた」

 

 あの後もカラオケでの時間は続いた。あの時、八幡はシルヴィア・リューネハイムの曲を完璧に歌った。最初は手を抜くつもりだったが、気付けば完璧に歌いきっていたのだ。

 

 しかもその歌自体もかなり上手かった。そんな八幡の予想以上の歌いっぷりに興味を持ったのが、シルヴィア・リューネハイム当の本人だった。陽乃と共に自身の曲を予約していき、八幡と一緒に歌いまくったのだ。

 

 世紀の歌姫と共に彼女の曲を一緒に歌う。そんな天国のような地獄を味わった八幡は疲れ切ってしまった。殆どグロッキー状態だ。

 

「さて、八幡くんもお疲れみたいね。じゃあ、最後にちょっと寄りたい所があるんだけどいいかしら?」

「………もう好きにしてください」

「私も大丈夫ですよ。でも陽乃さん。何処に行くんですか?」

「うん、行けばすぐに分かるわ」

 

 店を後にした三人は、陽乃が希望する目的地へと向かった。いったい何処へ向かうのか? そう思った二人だが、道中で目的地の予想が付いた。程なくしてそこに到着する。

 

 そこは今の三人にとっては、最も関係がある場所だ。付いた場所は―――シリウスドームだった。そのドーム前で陽乃が振り返り、二人に話しかける。

 

「さて、お二人さん。知っての通り、二週間後に王竜星武祭が始まるわ。わたし達三人は本選前に当たることはない。当たるとしたら本選前の組み合わせ次第になるわね」

「そうですね。本選前に二人と当たらないのは正直助かります」

「二週間後、か」

 

 多くの生徒がそれぞれの願いを持って戦いへと挑む。世界の強豪が集まるお祭り、星武祭。その最後の舞台である王竜星武祭が開幕するのだ。

 

「優勝候補筆頭の孤毒の魔女を始めとして、出場選手は猛者が多いわ。だけどわたし達には、それぞれが星武祭に挑む目的がある」

 

 片や、強者を求めるもの。片や、前回の屈辱を晴らそうとするもの。そして片や、己の欲望を叶えようとするもの。

 

「まあ、何が言いたいかと言うと―――もし対戦したとしても全力で戦うのでよろしくね」

 

 陽乃は己の右腕を前へと突き出す。すると他の二人も同じ動作を取り、そして三人の拳が軽くぶつかり合った。

 

「―――絶対に負けないわよ」

「―――こちらこそ、全力でお相手しますよ」

「―――俺は二人と当たらないことを祈ってますよ」

 

 それが、王竜星武祭前に三人が揃って交わした最後の言葉であった。




大会前、最後の休暇のお話でした。
次回から王竜星武祭が始まります。漸く此処まで来ました。

誤字、脱字、感想等あれば、よろしくお願いします。

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