OVER or LORD   作:イノ丸

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1-0 プロローグ

 剣戟が空気を切り裂く。

 

 

 互いの武器。剣と戦斧がまるで生き物であるかの様に動き、相手の命を刈り取らんと刃が唸る。

 数回ではなく、数十回もの武器の交錯――

 

 ――だが、結果は高重低音の余韻が響くだけ。得物同士が口惜しく挙げる呻き声の様な振動が、互いの武器にだけ微かに残った。

 

 相対する者は、漆黒と青銀。

 漆黒の存在は、角の生えた面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を被った悪魔のような鎧姿。それは、邪悪な存在の暗黒騎士を体現していて。

 一方の青銀は、真逆。青銀の外套(マント)を翻し、溝付甲冑(フリューテッドアーマー)を身に纏うその鎧姿は、清廉潔白の聖騎士そのものだった。

 

 ユラリ……ユラリと、漆黒が揺れ。鎧から立ち上る熱気が空気を歪ませる。

 武器を握る手から力みすぎてか、軋む音が響き、徐々に音が大きくなる。数秒の膠着。

 不意に音が止む、その直後。漆黒は相対者へと突撃を開始する。

 

「下等生物風情がぁぁ! 至高の御身の御前で私に恥を上塗りさせ続けるつもりかぁぁぁ!! 潔く死ねっ!!!」

 

 声を上げ、戦斧(バルディッシュ)が振るわれ。綺麗であろう女性の声が、場違いな言葉を上げる。

 怒りが混じった咆哮にも似たソレはおどろおどろしく、その身の鎧の邪悪さも相まってより迫力が増していった。

 一撃、二撃、三撃――撃ち降ろされる戦斧に乗せて、ドス黒い感情までもが武器に付加し。鋭く、深く、命を絶たんと迫り征く。

 首に、胸に、下腹部に。悪意を乗せ込められた刃の戦斧は、合計三撃。一つでも受ければただでは済まない。

 しかし、それも先ほどの交錯と同じく相対者に弾かれる。首を狙った斬撃は左切り上げで逸らし、胸に突き攻める刺突は袈裟切りで払い、下腹部に嫌らしく来る切り上げは逆風で弾き飛ばす。

 

 衝撃で両者は後方へと飛び、漆黒は打ち取れなかった悔しさからか怒号を再び上げる。

 決定打には程遠く、眼前の敵の命を奪うには足りなかった。

 

 再びの僅かな膠着。

 決して容易くはない攻防の最中で、互いの視線だけが絶えず火花を弾かせていた。

 

「笑止! その程度で我が堅城打ち破れる訳が無いだろうがっ!! お前はそのまま恥に埋もれ、羞恥に溺れ死ねっ!!!」

 

 青銀が吠え、瞳孔が開ききった眼光が漆黒を射さんと睨みつける。

 彫が深く、端整で精悍な顔立ちが眉間に皺を痛いほど寄せ、血管を浮かばせていた。口は、ギリギリと歯を食いしばりながら。その顔は、明確な殺意を含んでおり。漆黒の暗黒騎士を打ち取らんと今もなお向けられている。

 

「それにキサマは、我が王に狼藉を働いたばかりか……その手に傷を……傷……てめぇェ……キズゥぅ……をォオぉ……よくも付けやがっなぁぁぁ!!! オレ自ら断手にしてやるぞぉぉぉぉ!!! このクソ(アマ)がぁぁあぁぁぁ!!!」

 

 張り上げた声が空気を打ち震わせ、踏み込んだ足が大地を軋ませる。最早止まらない、相対する者を打ち取るまで。

 清廉潔白な騎士には似合わぬ、感情の爆発。青銀の彼を止めることは今は、叶わないだろう。

 

 それは、漆黒も同じこと。青銀の身体をそぎ落とし、尊厳も何もかも奪い去った後に、御身の前にその首を献上するまで止まれない。そもそも下等生物が眼前に立ち、自分と相対していることそのものが間違いであり。自ら進んで懺悔し、自死する事が何よりも正しいこと。そう、互いに相対できている事(・・・・・・・・・・・)こそが間違いの他ない。不可解な思考が御方を害したという事の憎悪でそれらを塗りつぶし、対象を抹殺するための動作が止まらない。

 

 

 繰り返される激情の撃鉄が再び弾かれ、残響だけが後に残していった――。

 

 

 少女は、その光景を眺めることしかできなかった。

 

 傍らには幼い妹が恐怖からか目を伏せ、自分に縋りつき震えている。自身も同じく目を伏せ、蹲ってしまいたい。だが、姉としてか、妹のおかげか、辛うじて光景を眺めているだけは、留めておけた。

 漆黒と青銀。けたたましい金属音の音だけが耳に届き、攻防の剣線は目では追えるはずもない。

 常人では踏み込めぬ領域の世界、それが眼前に繰り広げられている。

 

 なぜこうなったのだろう?

 村が襲われ、父と母が逃がしてくれ、村の外れまで来たのはいいが追手に追いつかれ背中を切られてしまった。背中の傷が熱く、眩暈を起こさせる。

 絶体絶命、妹を庇う中せめてこの子だけは思う最中。

 

 

 ソレは訪れた。

 

 

 闇が開き、終焉が形を成して現れる。死の塊、白骨化した骨。眼窩には濁った明かりが自分たちを見据えていた。

 漆黒のローブが揺れ。その手に持つ神々しくも禍々しい美しい杖が連動し、煌めくかのような錯覚も生じさせる。

 次の瞬間には、追手を死に至らしめた。その存在に似つかわしい絶対的な死。だが、終わりではない。死体は巨躯のアンデットの騎士に変り果て、村の方角へ駆け出して行く、微かに殺せとソレは言った、村に更なる惨劇を招くつもりなのだ。

 次は、自分達の番だと言わんばかりに此方を向いた時。

 

 

 彼が現れた。

 

 

 青銀の騎士ではない、自分たちの傍らで静かに、その人物は、眉を顰め佇んでいる。白の肩掛け外套を羽織り、同じく白の精巧な装飾が施された優美さを表すダブレット。その装いに引けを取らない、いや、優り中性的で整った美しい少年の顔がそこにはあった。

 少女が、白の彼を(おとこ)と一目で認識できたのは彼がズボンを履いていたから。仮にスカートを履いていたならば彼ではなく、彼女(おんな)と認識してしまうほどその顔は美しく整いすぎていた。

 

 その彼の右手の平には、薄っすらと血が滴っている。

 あの禍々しい漆黒の騎士に切り付けられ、傷を負わされしまい。後で現れた青銀の騎士が傷を見るや否や激高し、このような惨状になってしまった。

 初めはその騎士を見た瞬間救いの救世主が来訪したと思ったものだが、激怒の表情を剥き出しにし、漆黒の騎士に斬り掛る様を見てしまった後では、その想像も胡散してしまった。

 

 現状は、変わらない。いや、もしろ悪化していく一方だ。騎士同士の殺し合いは激化していく一方、目で追おうとすることすら放棄させる剣戟の嵐。舞い落ちる木の葉が細切れになり、地面が両者の対峙する中心から亀裂が入り、悲鳴を上げている。

 

 ガタガタと身体が震える。背中からの傷のせいもあるが、目の前の光景は齢十六の少女には荷が重すぎた。

 失血による緩やかで確実な死への歩刻(カウントダウン)。頭が重くなり、眼が微かにぼやける……。

 妹と逃げ出せればいいが、脚は当に動き出すのを放棄していた。最早足指の一本も動かせない。

 あぁ……、自分はここで死ぬのか……。妹を残して……。

 

 瞼がゆっくりと降りていき、同時に意識を手放して――

 

「大丈夫?」

 

 ――声が聞こえ、意識を取り戻す。

 

 声は、白の彼が発したものだった。スッと身体に染み込む心地良い声で、自分に微かに微笑んでいる。

 自分と年端も変わらぬと思うのに、その微笑を受けてからか何故か身体が熱くなり、手に力が入り、血が巡り、活力が湧いてくる。背中の疼く痛さもなくなっていき、驚きからか左手を背中に回し慌てて確認してしまった。

 斬り付けられた傷がどこにもない。

 

「ふふっ、良かった。大丈夫みたいだね」

 

 膝をつき、目線を合わせてくれた。やや赤みを帯びた黒い瞳が美しい――。

 見惚れてしまい、慌ててしまう。確実に彼が自分の傷を治してくれたのだ。この確信がどこから来るのかが少々不可解だが、今はそんな事を考えてる場合ではない。

 

「あっ、ありがとうございます! あなたが傷を治してくれたんですよね!?」

「大した事はしてないよ。僕は、少々手助けをしただけ。うまくいくかは確証がなかったからね」

 

 優しく微笑み、顔を少し上げた妹にも優しく微笑んでくれた。妹の顔色も随分良い、彼が居るからだ。そうに違いない、この確信は湧き上がる活力が証明している様に思えた。

 

「さて、どうしようかな……。話し合いをしたいけど、あの出来上がってる両者を止めるのは少々大変そうだ」

 

 立ち上がり、腕を組み。白の彼は、悩ましく呟く。

 

「ハラートもハラートだな……、ちょっと右手を斬られたぐらいで怒って。まぁ、その忠臣さが良いのだけど……」

 

 眉の潜めを解き、眩い笑顔が現れる。

 

「ごめんね? 怖かったよね? あぁ、まだ怖いに決まってるか。直ぐにあの戦いを収めるから君達は……」

 

 何かを思い出したかのように、ハッとした顔を浮かべ。照れくさそうに彼は、笑った。

 

「そういえば名前を聞いていなかった! 君達の名前を教えてくれないかな?」

「わ、私達の名前ですか?」

「そそ、君達の名前。ずっと君って言うのは、失礼だと思ってね」

 

 何を言ってるんだ、この人は。

 通常なら、眼前に行われてる凄まじい惨状の最中で、日常会話の様に問うような事柄ではない。

 そのような事を問うてくる人は、蛮勇か愚か者か、はたまた異常者のソレしかいない。

 

 だが、今の少女は彼に対して言いようもない信頼感を持っている。

 自身から湧き上がるものが後押しをしていて、可笑しい現状の問いかけも、正しいものだと飲み込んでしまう。

 

「そ、そうですよね! 私の名前は、エンリ。エンリ・エモットです! この子はネムと言います!」

「エンリ……、ネム……。エンリちゃんとネムちゃんか、可愛い名前だね! ありがとう! 待っててね、戦いを止めてくるから」

 

 立ち上がり、戦いへと向かい合う彼。

 少し待ってほしい。エンリはまだ、彼の名前を聞いてないのだ。

 

「待って下さい! あなたのお名前はなんというんですか?」

「あ、そっか。僕の名前を言ってなかったや……。こっちだけ聞いて、教えないなんて失礼にも程がある……またもや、ごめんね?」

 

 戦いに背を向け、こちらに振り返った。

 胸に手を置き、顔は微笑を浮かべている。エンリはそれだけの事なのに彼に目を奪われた。余りにも現実離れが過ぎ、おとぎ話の人物のような気がしてならなかったからだ。

 

「僕の名前は……」

 

 罵声と怒号と剣戟の音が響く中、彼の声だけがエンリへと場違いに届く――。

 

 

 

 


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