「なるほど、小高い山脈の先に都市があるわけだね。案外近い……」
「……はい、斥候達の周辺地理の調査と盗賊の情報を元に簡易的にまとめましたが、間違いなでやん……かと」
現在位置、拠点から北東の方角にエ・ランテルという城塞都市があり、人間種が多く暮らしている所があるらしい。
その都市はリ・エスティーゼ王国という国が管理している一つ。他にも都市や村々があるが交易が盛んで、近くで大きな都市というとここが一番現在位置と近い。
他にも国家が存在しており、周辺ではバハルス帝国とスレイン法国。先ほどのリ・エスティーゼ王国と合わせて三つの国家が国土を隔てている。
西側にリ・エスティーゼ王国、東にバハルス帝国、南にスレイン法国。どれらもユグドラシルでは葉の先ほども聞いたことのない地名。
ユグドラシルの魔法がある以上、魔法の存在に合わせてユグドラシルをもじった何かしらの名前があるのでは? と想像したが、杞憂だったようだ。
でも、だ。杞憂ゆえに、尚更引っかかる。現状では断定できないが、魔法というユグドラシルの事象だけがこの世界に在ったのだろうか? それこそ不可解極まりない。
だったら、この世界特有の魔法的な現象を引き起こさせる何かが在ってもいいはずなのだ。それが、ない。いや、まだ発見できないだけかもしれない。
この世界独自の戦士が使う武技という
「ふぅ、多少情報が得られてマシになったけど。まだまだ、万全とは程遠いね。そうでしょう? ねぇ?」
パシンッ、と。手元で遊ばせている
「ひんっ! そうでやん……そうでございますね! 最もでございます! 更なる情報を得るため身を粉にして収集する所存です!」
ビクッと身震いをし、床に頭を付ける勢いで土下座を実行する悪魔。それには、先ほどの態度など微塵もない。
「ふふふ、そこまで平伏しなくていいんだよ? ほら、顔を上げて? 眼を見て話そ?」
「……はい、です」
悪魔は、頭を上げる。その顔は右側だけが執拗に滅多打ちにされており、見るも無残な状態にはれ上がっていた。雄々しいはずの獅子の顔はそこにはなく、あるのは誅伐を受け罰せられた者の顔があるだけ。瞳は怯えを帯び、耳は垂れ下がり、少年をまっすぐと捉えていない。若干だが、視線を少し外していた。
「……うん、やっぱり話し合うのは顔と顔を向き合わせるのが良いよね。それにその顔、とっても素敵だよ?」
「ありがとうございます! 至極恐悦の極みでございます!」
少年は、これ以上ないぐらいに笑顔を形作っていた。だが、眼は少しも笑っていないままだ。悪魔も少年の眼を見てからか、笑っているが形だけしか笑っておらず、涙目が悲壮感さえ感じさせるほどに。
(まさか、こんな状況で新事実が判明しようとは夢にも思わなかったな……)
少年は、悪魔のはれ上がった顔を見る。そのはれ上がったオウトツを視線でなぞり眉を寄せる。
本来ならば味方の――この悪魔と味方というのは少々難だが――
椅子から立ち上がった少年は、悪魔に近づくと目線を合わせ、はれ上がった部分に手を合わせる。
悪魔が、あふん、と声を上げ、顔を上気してるが無視をした。その顔には、間違いなくダメージが通ってる事が確認できる。
本来ならば鈍器の攻撃も
まぁ、少々ムカついてたのでそのまま追加の殴打をしてしまったのは、さすがにほんのちょっぴり申し訳ない念を感じる。本当に少しだけ、だが。
この件も検証しなければいけない、解らないことが多すぎるのだ。ユグドラシルの法則が変に作用しているこの世界では何が有用か判ったものではない。最早ゲームではないが、大型のアップデートによる弊害の様に感じる。
この世界へ
斥候達がもたらした情報は確かに有用だったが、それもごく一部。まだまだ足りない、もっと情報が必要だ。そうするためには何が良いが、結論は直ぐに出た。
「……やっぱ、外に出るしかないか」
「あふ~~~ん、あふっ!? 外に赴くでやんす……ですか!?」
至福の表情を形どっていた悪魔は、我に返ったかのように驚きの表情になる。
少年の表情は真剣そのもの、先ほどの眼とは比べられないほどの意志の力を感じさせた。
「そうだよ、他の皆に任せてばっかりじゃ申し訳ないし、自分自身でもこの世界の情報を得たいからね」
「御身が出ることはないと思いますが……。どうしてもご自身が出る事は変わらないので?」
「様々な視点で見ることが大事、自分で見て感じる事と得られる情報は全然違うしね。……ていうか、口調戻していいよ。なんか、調子狂うし」
手を離すと悪魔から離れ、相対するように椅子へと座り直した。
「あふ……、御手々が……、おぬくもりが……残念無念。では、戻させていただきやす」
至極残念そうに。だが、少年の手のぬくもりを名残惜しくするように、その痕を自身の手でニコニコと悪魔は擦っていた。その様子を半目で見ている少年は、やっぱり左側もぶっ叩いたほうが良かったのではないかと後悔してしまう。この悪魔、たぶん懲りてない。
立ち上がり、咳を一つ。悪魔は身なりを整えると左手を胸に置く。
「……まず、間違いなく臣下全員に大反対されやすね。御身は王、ギルド<キングダム・オブ・キングス>の絶対たる王。その御一人、統一王であるギルドマスター フォロウ なのですから」
風が頬を撫でる。優しく通るその感触に今度は、微かな笑みも
<キングダム・オブ・キングス>、13人の
ギルドマスターたる少年、フォロウ。
13人の内の一人、一つに統べるギルドマスターとして統一王たる二つ名を持つ者。
王の二つ名を持つ全員が上位プレイヤーで構成されており、その全員が廃人など生温い狂人レベルのプレイヤーと言われている。
ユグドラシルでこのギルドが一番に知られている一つが、
その拠点、王域大都市アウルゲルミル。広大な都市そのままがギルド<キングダム・オブ・キングス>が管理するギルド拠点で、中心に大きく聳え立つ王城ウォーデンが13人の王達が鎮座する絶対たる領域。
バルコニー、空高い城の縁側場。二人が現在いる場所こそ王城ウォーデンの一角であり、王城から彼方に見える都市防壁までがギルドが所有する王域大都市アウルゲルミルである。
フォロウは、バルコニーから観える景色を瞳に映す。
城下町には
市場では商人の活発な声が響きあい、それを一般市民が見て回り、鎧を装備した警備騎士が治安を守り、噴水広場では子供が水遊びに夢中になっている。
一部分だけでも伝わる命の福音、大切で掛け外のない
「都市で住まう民も悲しむ事は間違いないでやんす。其の王の御身は、あっし達の命を代わりに差し出しても欠片ほどにもなりえませんでしょう」
返事は、ない。統一王たるフォロウは城下町を見ているまま動かない。
「王よ、王列13を統一されたるギルドマスター統一王フォロウ殿下。全てを持ってのお仕えを許して頂いた御方。今一度、お考えを改めることはできないでしょうか?」
「……このまま城で縮こまり。臣下の報告をただ聞けと?」
「そうではございません。王に比べたら矮小でしかない身ではありますが、出来るならば臣下の願いを聞き得れて頂けないかとの王への愚見でございます」
悪魔は微笑んでいる。けれどそれは、心からの笑みではない。取り繕った仮面の笑みであり、感情を表にしないための蓋であった。
誰が好き好んで尊き御方を危険な可能性がある場所へ行かせるだろうか。しかも、誰も把握してない未開の地へだ。
冗談ではない。
獅子は自らの子を試練のために谷へ落とすと言うが、それは自身が谷へと落とされた経験があり、這い上った経験があるからできる事。もし、把握してない谷の落とした先に底が無かったとしたら、その子は這い上がる機会さえ与えられずに死の底へと消えるだけ。
ゆえに、獅子は必ず谷への経験を子よりも持たなければいけないのだ。それを怠る愚盲な獅子は、死すら生温い。自身が攻略してないものを子に挑ませようなどもっての外だ。
害する要因は全て取り除く。舞い来る火の粉は、全て叩き落す。荒れた道ではなく、整えられた正道こそが御方には何より相応しい。
「使い潰して下さい、その為に存在し「却下、嫌」……王よ……なにゆえに……」
悪魔を一瞥すらしない、拒絶の意。放たれた言葉を受けた当人の衝撃は、計り知れない。
「斥候に選ばれた
「王が御心を痛める必要なんてないのです。何故なら都市で創造された者は、そうあれと造られたのですから」
「それは、
突然振り返ったその顔は眼に怒りを表しながら、口元は泣き出しそうに崩していた。
「ここは、
目を伏せながら。それに、と付け加える。
「使い捨ての物の様に、元よりしてないよ……」
「……存じております、王が何より優しい方かは。ですが、ご理解いただきたい。我々にとって
苦々しく、粛々に、言葉を重ねながら身を捻り、口から吹き出す言葉。それはあまりにも重々しく、受け取る者には苦しいものだった。
「
「……殉教……者?」
「そうです、王の愛を感じ逝くのです。最上の幸福です。御方の駒として、盾として、剣として役になれればそれが良いのです。彼らが頑なに恐れ、忌避することがあるとすれば、
「……そんなの……まるで……」
狂ってるとしか言いようがない。いや、
普通の人間だったら理性が邪魔する事柄であろうとも、嬉々として彼らは率先すらして実行する。自我を獲得したといっても根本には
いや、違う。王に対して尽くすという自身の存在理由、それを生まれた意味と捉えているのか。あの子達は――。
「……忠義故にか。……この世界に来て日が浅いし、いきなりは無理……か」
「ご理解いただけましたか? では、引き続き臣下の者たちにお任せをくだ「それは、ヤダ」……王よ、ご理解されたと思われましたが……」
先ほどまでの伏せがちな顔ではない、微笑を表した少年の顔がそこにはあった。
「臣下の凝り固まった気持ちは、よーくっ分かった。でも、最初に言ったよね? 自分が外に出て情報を得たいと」
「その様な些細な事は、臣下にお任せいただけたらいいのです。情報の精査は、王城で拝見いただけたら十分では?」
「わかってないな~。よっとっ! っとっと……」
跳躍の様に椅子から立ち上がると、勢い余ってたたらを踏む。落ち着くと、ゆっくり悪魔の前まで歩を進めていく。
「
ユグドラシルでは、分かってる事の方が少なかった。それこそプレイヤー自身で手探りで調べていき、解明をしていく。
逆に判明してるクエストなどの方がつまらないほどだった。
個人で、もしくは仲間と共に驚き、共感し、分かち合う経験がなによりの宝。どんな報酬よりも得難いもの。
あの日が懐かしい、13人が揃ってたあの時。ダンジョンや強敵に皆で挑み、攻略できなかったものなどなかった。他人任せなんてとんでもない。自分自らも動き、冒険をするべき。いや、冒険をしたい。別世界に転移したとしても、残ってる残景が未だに胸を燻っている。
「ですが、ここは既に
「それは、
激言の一撃。悪魔は、その身全てを穿たれたかのような衝撃を受けた。
蟻と像の大きさは、同じでは決してない。いや、在ってはならない。
そんな遥か高みに存在する御方から、都市で創造された者と御方は同じと言ったのだ。これが驚愕以外の感情をもたらすなど考えられない。しかし――
眼前に立たれる
「僕の身体はもはやユグドラシルと同じものとなった。元の現実の身体と繋がりが無くなった以上、皆と変わらぬと同義。この
軽く上向きに振りかぶった拳が悪魔の胸を打つ。本来ならば顔に向かって放たれた拳、身長差から胸にそれは当たった。
「……王の為とか言って、喜んで死ぬとか言うんじゃない……!」
「……申し訳ございません。御心を察することもできず、出過ぎた真似をしました」
「……いいよ。皆の気持ちは痛いほど、重いほど分かってるから」
フォロウはふぅ、と。気持ちを切り替えるべく息を吐くと、伸ばした腕を戻す。
「……皆が王を望んでるなら、王でいよう。今いる自身が皆にできる事はそれだというなら受け止める。だけど、殉教者は決して許さない。命は個人自身のものだ。他者が好き勝手にしていいものじゃない。それが例え、創造主であっても……」
「……はい、厳命受けたまわりました。臣下全てのものに伝え渡らせましょう、容易く命を投げ出してはならないと」
「……命令じゃないけどね。いや、まだそれでいい」
意識改革をしなければいけない。
創造主、ギルド拠点持ちの
聞いてるだけで彼らの気持ちのありようは見て取れる。
それ故に歯がゆい。世界が現実となったならば、
もはやそれも今となっては叶わない。
既に
元より、現実の世界にそんな未練があったわけでもない自分が何を戻りたいと思ったのだろうか?
義務感か、責務か、それこそ残された家族故にか――自分が居なくてもどうにもなるような場所にどんな価値を、戻ろうという意味を持てばいいだろうか。
今は、現実となった
だって、自分の為に死んでもいいなんて言ってくれる
戻る事ができないのならば、戻ろうと思えないのであれば、ここにいる方がずっと良い。良いに決まってる。
だからこそ、彼らの気持ちに応えたくない。
本当は、王なんかで居たくない。
でも、彼らが望んでいるならば堪えなくてはいけない、そう居なければいけない。
ユグドラシル時代、ギルド創設からずっと居てくれた子達に返せないなんて何がギルドマスターか、何が統一王か、笑ってしまう。
今はまだ、それでいい。
いつか命令じゃなく、一個人同士で分け隔てなく通じ合える日が来るまで。少しずつで良い、分かり合っていけばいい。
そう思えるだけ、今いるこの別世界は広大で見上げる空は元居た世界とは比べようもないほど、澄み渡るほど青く美しかった。
「……とにかく、お願いね。あと、ごめん。臣下の総意を伝えてくれただけなのにぶつかってしまって」
「……何気にしてるんでやんすか~。王の御心を受け止めないで何が忠臣って感じでやんすよ! ド、ドドンッて感じでこれからもぶつかって来ていいでやんすよ? むしろ望むところでやんす!」
「ふふっ! さすが僕自ら命名しただけはあるね。……忠臣たる黒い獅子、
獅子の悪魔、
「さてさて、王が外に出立されるのでやんしたら、せめて近衛は付けてくださいね? さすがに御一人で出られるのは容認できないでやんす」
「……むぅ、仕方ないか。でも、良かった」
「あふふ、そんなに外に出れるのが嬉しいんでやんすか? ドキドキワクワク?」
「それもあるけど……やっぱりさ」
照れくさそうに、頬に紅をほんのりとさしたかのように上気して。自身の両の指を交差させる。
言うか言うまいか、少し迷っていたが決心して目の前の黒獅臣に心の内を話し出す。
「都市の子達は、創造したってことは自分の子供も同じじゃない? ほら、本来だったら子供が出張ってやるんじゃなくて。まず、先に親がやるもんだと思うし。 ……って、先は越されちゃってるけどね。ふふっ」
「……親と子でやすか」
「そ、親と子。あの子達がどう思ってるかは分からないけどね」
黒獅臣は、虚をつかれたように眼を開くと、途端に笑いだす。似た者同士だったのだと。
何も変わらなかったのだ、王も臣下の思うところも唯のたった一つ。
不敬だと思うが、王と臣下の気持ちが通じていたのだと、好ましくも思うほどに。
「笑うことないじゃん! そりゃあ、僕の創造した子は一人しかいないけど。他のメンバーが創造した子も自分の子と同じじゃない!」
「あふふふっ。いや、失敬。嬉し笑いでやんすよ。臣下が聞いたら喜びまくって咽び泣くだろうと、想像したら可笑しくなって笑ってしまったでやんす」
「ほんとかな? 喜ぶかな? ふふふっ」
王が笑う、忠臣が笑う。そこには隔たりなどない、笑い声が唯響いていた。
「よーしっ! これから忙しくなるでやんすよ! 近衛もそうでやんすが、出立にあたり諸々のめんどくさーいあれやこれやもやってしまわないといけないでやんすし~」
「ん~……、近衛は黒獅臣だけじゃだめなの?」
「ぬぬっ! あっしをご指名とは分かってらっしゃる! ま、指名が無くても無理くりでも付いていきますがね」
黒獅臣はバチンと音が鳴りそうなぐらいに見事なウインクをし、人差し指を立てた。
「だと思った。じゃあ、近衛は黒獅臣でって事で良いかな?」
「あぁ~……、それをしたいのは山々なんでやすが。他の臣下が小うるさいんで、あっしプラス一人か二人ぐらいは多めに見ていただけると幸いかと」
「ん~、合計で3、4人ってとこか。二人で出ることはできないんだね……」
それでも、外に出れるだけマシだと思うしかない。王という立場で外に出れるのだ、贅沢は言ってられない。
史実通りの王なら城外に出るだけで大事で、下手したら兵総出で出立なんてざらな事。王――国の頭とも言うべき存在が外に出るという事はそれだけ国を揺るがす事態なのだ。
まぁ、元々王族でもない一プレイヤーであって、そんなことされたらたまったもんじゃないが。
黒獅臣は若干呻るように漏らしながら、苦々しく声を出す。
「……ちなみにコレ、諸々のめんどくさいことやっとかないと最低で小隊。下手したら大隊規模の人数で出立でやすからね? 秘匿性もクソもないでやんすよ……」
「えっ……、なにそれ。そんな目立つことしたらまわりに影響も与えまくりだし……何なの……」
「そうでやんすよ……。王にはそれが当たり前! って言って聞かない連中が多いでやんすからね。……特に一部分が大きくでやすが」
小隊で数十人、大隊で千は軽く超える。そんな人数を供に引き連れて出立すればそれこそ我ココニアリだ、お忍びなんて微塵もない。それこそ侵略行為と見受けられ、まわりの全ての国から袋叩きに遭うのがオチだ。とてもじゃないが容認できない。
黒獅臣は、こめかみを軽くつかむと重い息を吐いた。
「良し! 諸々のめんどくさい事は頼んだ! それでも無理な場合は自分がガツンッて言うから任せてね!」
「そもそも王が出向かなければしなくていいんでやんすが……。ま、しょーがないでやんすね~~!」
牙を大きく見せるように笑う黒獅臣、それにつられてかフォロウもついつい笑ってしまった。堅苦しくなく丁度いい距離間。黒獅臣は自身の立場もあるが配慮をし、くみ取ってくれている。なんだかんだあるが、感謝はしてもしきれない。……これで、珍妙な行動と言動さえなければ申し分ないのだが――。
「あ、そうだ。ほんの些細な事だけど良いかな?」
「あふ? 何でやんすか? 王の事なら全てバッチ恋でやんすよ! プリーズ・アスク・ミー!」
「んと、その王についてなんだけど……」
「王が何でやんすか?」
照れ顔で黒獅臣を見上げるフォロウ。それを見る黒獅臣は鼻の下を伸ばしまくりのデレデレ顔で、床に届きそうな程だらしなくなっていた。
「名前で呼んでほしいな~って……。まぁ、他の臣下が居る場では無理かと思うけど。二人とかの時は、王じゃなくてフォロウって言ってほしくて……」
「……王ではなく、御尊名でお呼びしても良いという事でショウカ?」
「そうそう! 実は王って呼ばれるの凄い恥ずかしいんだよ! だから、せめて黒獅臣には尊名ってほど立派な名前じゃないんだけど……呼んでほしいなって。……ダメかな?」
はい、死んだ! あっし今死にました即死です!
これもうアレよ? 学校一のマドンナが幼馴染だけには他の皆と同じように呼んでもらいたくなくてでも特別扱いしちゃったら他の皆に袋叩きにあっちゃうからせめて二人きりの時だけは姓じゃなくて名で呼んでって言うんだけどその幼馴染の関係もそんな急に迫っていってるみたいだから自分のバカバカ! って感じなんだけどでもそんな気持ちのランデブー差には勝てなくて言った手前自分の魅力を度忘れして普通にやれば了承なんて必要ないのに緊張からか了承を求めちゃうドジっ子可愛いヤッター! 状態に突入しちゃって見てるこっちも心中ど真ん中矢ならぬ砲弾で風穴空けられちゃう天に召される五秒前なんて生温い召されて気づく自分の亡骸ドットコム! 必死こいて自分の身体に戻るんだけど目の前のマドンナで即昇天するもんだから憑依と脱魂の無限ループのオルガニズムを体験させられちゃうセンチメンタルグラフティ! 早い話どういうことかと言うと――
「いただきやすっ!!!」
「何をっ!?」
顔を上げ咆哮にも似た宣言にフォロウは訳もわからず狼狽えたが、黒獅臣はお構いなしだ。吐き出した後もぶつぶつと何を言ってるか聞き取りにくい声音で、発しし続けている。
やや長めの所要時間を有した後、黒獅臣は落ち着いたのか見上げた顔を元の位置へと戻していく。
「あっ、ふぅ……。失礼しやした。少々感極まって桜の木の下に行ってました……失敬失敬」
「良かった。でも、何言ってるか全く分からないけど。良かった」
「大丈夫でやす。ご本人から了承いただけましたから、ハッピーエンドでやんすよ。……はてさて」
黒獅臣は、優雅にお辞儀をする。淀みなくスマートに行われた動作は見惚れてしまうほど見事だ。
「承知しました、フォロウ様。これより他の臣下が居ないときに限り、王より名を優先させていただきやす」
「……ありがと。本当は、様もいらないけどね」
「さすがにそれは……敬称もなしにお呼びするのはお仕えする身として些か過ぎると思いやす……フォロウもそう思うでやんしょ?」
「!! ……ふ、ふふふっ! そうだね! 黒獅臣にはそっちの方が良いかもね!」
「そーでやんす、そーでやんすよ~。畏れ多くてとてもとても……打ち首獄門は怖いでやんすしね~」
「……うん、そう思う。嫌と言うほど本当に……」
無理を言ってる、その自覚はあった。
可笑しくて、奇妙で、そっと寄り添ってくれるこの頼もしい悪魔に甘えてる自分自身が恥ずかしい。
でも、その恥ずかしい自分をさらけ出してもいいと思えるほど、目の前の悪魔は不思議とフォロウは頼もしいと実感を得ている。
「しかーし、フォロウ様は王と呼ばれるのが何で恥ずかしいでやんでしょうね~? 王って響きは、すっごく偉大で尊敬される御方に相応しい呼び方でしょうに……統一王フォロウ殿下! かっこいいでやんすよ~」
「もうっ! それが恥ずかしいのっ! 王様って威厳がある人物が成ってるイメージがあるから、自分みたいなチンチクリンが王って、傍から見る人には滑稽みたいにうつるじゃん! だからヤッ!」
「むむむっ! そんな不敬千万な輩は、統一王フォロウ殿下の良さを脳の隅々まで理解できるまで語りまくりやすよ! ギルドをまとめ上げる王! ギルドメンバー頂点の王! 臣下の羨望を一身に受ける王! 王ったら王、お王でやんす!」
「も、もうっ! や、やめてったら~! 恥ずかしいって!」
羞恥の顔に染まる尊顔が愛おしすぎて黒獅臣は、だらしないほどに目尻を下げまくり、王を称える言葉を次々と出していく。
最早止まることを知らない悪魔は、一二三拍子のリズミカルな音頭で王を交えた歌を口ずさむ。
それは、称えるフォロウを中心にし黒獅臣が周りをまわる、所謂月が地球の周りを回る天体のような様子だ。本人にとって悪気なく行われているそれは、良かれと思って行っている事。
だが、何事も限度というものが存在する。
度が過ぎた称賛賛美は本来の役割を通り過ぎ、受けた本人に違った結果をもたらしてしまう。やんわりと御断りをしてるうちは良い。終わりのない褒め言葉はいつしか相手を赤面ではなく、噴火の火を灯してしまう。
「王、お王、お、おおう王! 偉大な殿下! 王たる王! 殿下ったら殿下で、フォロウ殿下! 毅然と佇み、王の風格を宿す御身! 王、お王、お、おおう王! 偉大な殿下! 王たる王! 臣下に慕われる、フォロウ殿下! はにかみ笑顔で臣下の疲労を吹っ飛ばす、空前絶後の御風嵐王! 王、お王、お、おおう王! 偉大な殿下! 王たる王! よっ! 照れてる笑顔でご飯三杯ならぬ十合ぐらいペロリと平らげる事必死な大天使も真っ青王! フォロウ殿下、殿下、でん、かっか! 殿下!」
「……もう……もう、やめってったら……やめて……」
黒獅臣は、止まらない。さらには、手拍子も加わりその様は舞踏の様に舞っていた。
ノリに乗っている、フルスロットルで走っているランナーが急に止まれないように、彼も既に止まれる状態になかった。
中心に居るフォロウは赤面した顔を下げ、プルプルと身体を震わせている。
「王様、王様、王サマサマー! 殿下デン、カッ、カカカッ! 殿下殿! ズボンと
周回走法を繰り返すランナーを止めたのは、非情なる鈍器の一撃だった。
斯くして黒獅子の左側面もはれ上がり、顔面双方のつり合いも取れたところで王こと殿下こと、フォロウはこれといって気持ちは晴れなかったが
それは、黒獅子とのおかげかもしれない。
もしくは、かつての仲間たちが残した
鈍器との挟んだ先には、泣き叫ぶ悪魔が優しく殴って! 優しく叩いて! っと更なる殴打を求めていたが、それに応じるべきか否かを微妙な心境に陥らせてくる。
ふと、苦笑しつつも空を見上げると、先ほどと変わらない澄み渡る青。
例え、