───私の総ての力と引き換えに───この世界の均衡を取り戻します。
───〈カリダ・ルークス・プーラン・ルーチェンム〉
───さようなら。
知らない記憶だ。おそらくは、先日夢の世界で出会ったアイリスが体験した記憶なのだろう。あれから何度か呼びかけたが、返答がなかったのでおそらくあの一瞬だけの奇跡だったのだろう。前までは溢れ出していた力が、今ではそれを感じられない。本当にあの場面を乗り切るだけの力だったのだろう。あの力があれば、これから先の攻略も楽だったのに───と小さく息を吐くアイリス。
そして、カリダ・ルークス・プーラン・ルーチェンム。この詠唱が何を意味する言葉のかすらアイリスには知る術がなかった。
「アイリスー!高いわよー!!」
思考をやめて現実に戻る。今、アイリスたちは雲の上にいた。
アキトが遅れてやって来たと思ったら急に地面が揺れだして空高く飛行島が飛び上がったのだ。
アキトくんは「おんぼろ宿屋があったから立て直してくる」と言い、どこからともなく現れた青たぬき数匹の羽を隣に、宿舎の修復をしている。
しばらくして満足したのか、アキトはアイリスたちの元へ戻ってきた。
「カイルさんは?」
「……やり残したことがある。そう言ってあの場所に残った」
「そう……」
やはりと言うべきか、カイルは《闇》の依代になってしまったのだろう。カイルがここで抜けるのは、運命だったのかもしれない。
「宿舎はもういいの?」
「ああ、たぬきに任せてきた。他にやることがあったのを思い出したんでな」
宿舎にいる星たぬきたちを見やるアキト。表情はさして変わらないものの、心なしか鬼気迫る表情で建物の再建に励んでいる。その背中からは哀愁も漂っており、原作で見られたあの可愛らしさは見えない。
「さて、アイリス」
アキトは星たぬきを見つめていたアイリスの肩に手を置くと今までにない見たことのない笑みを浮かべた。ギギギ、と壊れたロボットのような音を出しながらアキトの方へと視線を戻すアイリス。
「あの腑抜けた剣術はなんだ」
「……え?」
「魔術師だからと思って大目に見ていたが、なんだあの隙だらけの剣は。速度もない、技もない。そしてなによりも力がない」
「……え?」
「仕方ないな、アイリスは」
なんだろう、途轍もなく嫌な予感がする。今すぐ逃げなければならない、そう思考が命令していると言うのに、蛇に睨まれた蛙の如く、足がすくんで動けない。
「今から鍛錬だ。俺がみっちり鍛え上げてやる」
「……わ、私ご飯作ってこないと」
「それはヘレナに任せる」
アキトはアイリスの襟首を掴むと、ずるずると何処かへと運ぶ。運び場所は───飛行場が打ち上がってからすぐに作らせた剣術場。なぜだろう、すごく嫌な予感がする。
「ア、アアアアアキト?」
「なんだ」
「は、離して?あの時は気を抜いていただけで───」
「敵の前で気を抜くとはな。小根を叩き直す必要がありそうだ」
「あぅあぅあぅあぅー!!」
もう何を言ってもアキトはアイリスの言葉に耳を貸そうとはしなかった。
そのまま剣術場でアイリスは丸一日しっかりと扱かれ、出てきた時にはボロ雑巾のようになっていた。