円依は割と優秀な料理家である。片足に体重を預け、危なげなく調理を行うさまは、全く障害の様子を見られない危なげのなさだ。
味の方も円依という何がしからぬ補正があった泉はともかく、怜も純粋に美味しいと思ったほどである。
というわけで円依は泉と怜たっての希望で、複数の班で用意するはずの夕食を単騎で用意することになった。
言うまでもなくそれは絶品であったのだが、夕食ということもあってか多数のリタイアを出すことになった。
丁度円依が手がけたのが、おかわり自由のカレーだったことも理由の一つにあげられる。
満腹で動けない、もしくは戦争に巻き込まれた。レギュラーの江口セーラもそんな中の一人だった。
先ほどまでは夕食を囲むテーブルに倒れこみ、一歩も動くことすら出来ない状況だったのだが、どうやら回復してきたらしい。
非常につらそうな様子ではあるものの、ここまで戻ってくることが出来たようだ。
「お疲れ様です」
それを見て取ったのか、浩子が割りと清々しい笑顔でセーラの元へやってきた。軽快ではないが、どこか楽しそうな足取りだ。
「あー、もう食べれへん。満腹やー!」
セーラはそれを気にした様子はなく、手近にあった椅子に勢い良く座り込んだ。ほとんど倒れるようなそれに、椅子のスプリングが軽い音と共にと軋む。
意識をそらすためか、そのままセーラはひとつ伸びをした。それが終わってもぼうっとしたままの様子で椅子にもたれかかっている状況だ。
「なんやセーラ、食べてすぐ寝ると豚になるで」
反対側、丁度雀卓を挟んで対面にあたる位置に怜が腰を掛け、卓にもたれかかりながらセーラの顔を覗き込む。
これで浩子が左手側、正面に怜という構図で、セーラの周りに人が集まってきた。
「えぇよもー、豚になってでも食べたいねん」
ひらひらと片手を振って、セーラはそんなことを言った。円依としてもその言葉自体はありがたいのだが、健康を害されても正直困る。
「というか、豚でもいいんだね……」
「江口先輩の場合、どちらかと言うと豚というより猪ですけどね」
円依と泉は、遠巻きながらにそんな言葉を交わす。今のセーラはどこか気だるげ、危うい風船か、爆弾か何かのようであった。
それを態々触れて壊してしまいたいというような、そんな馬鹿は二人しかおらず、泉も円依も、触らぬ神に祟りなし、だ。
まぁ他の一軍はすでに空気を察して退出済み、怖いもの見たさで残っているのも案外大概な方である。
「っていうか、それなら豚じゃなくてヒモですけどね」
プークスクスとあえてわざとらしく笑みを堪えずに浩子が見せる。
「なんでや! ヒモは関係ないやろ!」
その言葉は聞き捨てならない、と思わずセーラが一瞬にして背に添えていたバネを使って飛び上がる。
「えー、でも何もせずゴロゴロして豚になって、しかも養ってもらうなら、ヒモ以外のなんでもないですやん」
浩子は更に追撃を加える。
思わずの気恥ずかしさか、セーラの顔に赤みがかかり、セーラは思い切りよく声を吐き出した。
「うっさいわ! どうでもええやろそんなの!」
あまり語彙がないのだろう、単調な否定は、むしろ対面の時すらも煽ってしまった。
「ふーん、セーラは事実を認識できへんのか、お先真っ暗やなぁ」
「~~~ッッッッ!!」
遂に沸点に限界が訪れたのか、セーラは勢い良く顔を赤らめさせて隣の浩子へと飛びかかった。
どひゃあ、と浩子はそれを、割りと出してはいけない類の悲鳴を上げながら回避する。
「お、これはさすがに耐え切れないか」
「江口先輩の場合、想像できちゃったんでしょうね、それで、プライドがそれを許さなかったと」
「私は別にいいけどねー、ヒモでも。楽じゃん」
「……ヒモっていうのは女性に寄生してお金だけもらって何もしないほとのことを言うんやけど? 働かなくていいとしか思ってないんとちゃう?」
「え? そうなの?」
泉が呆れた顔を浮かべる。円依がてへへと頬を書くと、それが嘆息に変わって言葉になった。
「円依の思うヒモって、つまり“専業主婦”っていうんよ」
「おー、それっぽい言葉だ」
感心したように円依が言葉を述べる最中、セーラと浩子は追いかけっこを始めていた。両者の運動神経は言うまでもなくセーラの方が高い。しかし浩子はセーラに追いつかれること無く、ギリギリの追いかけっこを演じていた。
距離を取るように麻雀卓の周りを旋回しながら、セーラに二の足を踏ませている。
「なかなか追いつけないねぇ」
「これだけ障害物がありますからね、こういうのは安直に行動するよりも、考えて行動するほうが上手なんでしょう」
円依と泉はなんとも言えないほどに肩の力を抜いて脱力しながら、静観の構えにはいっていた。
何故か実況と解説のようなことをしているのも、基本的には手を出さないというスタンスなのだろう。楽しんでいる、とも言えるが。
「うひー、喰われてまいますわ、助けてーな!」
浩子の体が、反発するようにその場で跳ねる。フェイントだ、移動を開始した直後、すぐさま自身の体を引き戻すと、その勢いのまま反転し、一気に麻雀卓を旋回する。
翻弄されながらも、セーラの瞳はせわしなく動いていた。体は弧を描くように反発的に跳ねていく。身を捩りながら向きを変え、浩子を反対側から迎え撃つように跳びかかる。
刹那、真正面から両者の視線が衝突した。
互いの感情が、弾け合うようにして広がって、そして収束した。幻想のようなそれが流れと言うなの力の群れとかし、行動として開花する。
浩子が跳ねた。体を一気に別の麻雀卓へとすべらせる。
しかし、そこには。
「どわぉ! なにしとんねん!」
怜がいた。先程からずっとセーラに「いてもうたれ」だの浩子に「もっと腰ふれやー」だの変な茶々を入れ続けていたのだが、ここに来て自分のもとに矛先が向いたことに驚いたのだ。
浩子はどうやら避けるつもりはないらしい、麻雀卓にそって怜へ狙いを定めていた。
勢いは落ちているが、どうやら怜を盾に使おうとしているらしい。さすがにセーラも、怜をおいたて回す訳にはいかないだろう。
「うわ、めたんこ卑怯!」
「……ニュアンスは伝わるけど、その表現はどうなん?」
円依達の外野じみた会話を背に、浩子が怜へ接近する。
「なんの!」
しかし、それは予想外の行動を怜がしてみせた。ひらりと、最小限の動きで蝶のように――それこそ踊り子のように浩子を回避してみせたのだ。
コレに焦ったのは当の浩子本人だ。
ほとんど足の勢いを止めていたとはいえ、その重心は怜へと任せるつもりだった。その予定がズレ、本来であれば怜によって停止するはずだった体はバランスを崩し倒れこんでしまう。
それはあわや麻雀卓へ突っ込むかといったところで、なんとか手を前につきだして、麻雀卓を支えにし。、やもすれば、下手をして体をしたたかに卓へ打ち付けて、痛みに悶えていたかもしれない。
「んー、十点!」
「9.8点、若干着地時にふらつきが見えましたね」
円依たちの寸評、合計は19.8点、文句なしの総合トップ、金メダルである。
そんな外野をよそに、セーラはその足に力を込める。狙うは既に卓を離れた浩子――ではなく、未だその場にとどまっている怜である。
このタイミングであれば討ち取っても可笑しくはない――どさくさに紛れ、自分を煽ったもう一人をここで成敗しようというのだ。
怜も、セーラが卓を曲がった段階でそれに気づいた。怒気混じりの視線が、自分へなみなみと注がれているのだ。
「えひゃい! 第二波やないか!」
迫り来る怒涛のセーラ。まさしく疾風迅雷、イナズマである――
時間が、明白なまでに力をなくし、急速にその勢いを納めていく。そこはまるで百万分の一とでも呼ぶべき世界だった。
セーラが迫る。怜は一気に覚悟を決める。
写真がコマ送りされていうかのように、怜が、セーラが、動き出す。
両腕を広げ、怜を絡め込もうと迫るセーラに、怜は体を落として対処する。両腕を交わし、そのまま一気にセーラの懐に潜り込む。
そこからが見事なものだった。
流れるような動作で体が反転される。怜はすれすれでセーラを回避した。背中合わせに、両者はその場をすり抜けたのだ。
互いの視線が、後方へ変える。
しかしその表情は対照的だった。笑みと無念、まるでそれは騎乗の騎士が、剣を交わし離れた直後のような。
そして、怜は笑みを安堵のため息に変えた。円依たちの拍手が響く。
「10点、今度は文句なしだね」
「同じく10点、完璧な演技でした!」
その間にも浩子とセーラの追いかけっこは続いていた。というか、
「……あれ?」
「…………なんかこっち、来てません?」
円依と泉が、ふと気づいたように顔を歪める。気がつけば、浩子がセーラを携え自分たちへと向かっていたのだ。思わず表情が、ひくついた笑みへと入れ替わる。
「ふぅははー、立ってるものは卓でも使え、逃げなさい逃げなさい、でないとセーラゴンがやってきますよぉー」
「誰がセーラゴンやねん! ええかげんにせいよ!」
ノンストップ船久保浩子、あーんど江口セーラゴン。勢いそのまま着の身着のまま、浩子がこちらへと迫ってくる。
「なんか理不尽!」
「見てて止めなかったのがいかんかったんでしょうねぇ」
止めるつもりはなかったろうに、泉は最後までそんな解説口調の敬語であった。――当然泉は離脱する。しかし円依は見ての通りの松葉杖、動こうにも、まず初動が遅すぎた。
「裏切り者!」
泉を呪う言葉が続き、そして――
「みゃあああああああああああああああああああああああッッッッ!」
大絶叫が、部屋中に木霊した。
結局、そんな馬鹿騒ぎは、竜華が部屋に返ってくるまで続いた。
書き溜め分と大格闘してました、いやマジあいつ大変だったんだって。
その分自分でも相当納得の行くものになったと思いますが。
途中別のことで一日潰したとか、ソンナコトハナイヨ。