大将戦、泣いても笑っても最後の勝負、コレまでバトンをつないできた者たちの、汗と涙と、興奮と後悔と、相反するそれらを滲ませ伝わってきた、各校だけのバトンを背負い、大将達は最後の勝負に挑む。
越谷女子は、もはや敗戦は覚悟の上、それでも大将の顔に陰りはないのは、単純にその少女の性分ゆえか。
最後に残ったのはたったひとつの小さな希望、意味すら見いだせないちっぽけであやふやな、不確かであるもの。
それでも越谷の大将、八木原景子は出陣する。
「私は、自分の納得できる麻雀を打ってきます」
劔谷高校は、中堅、副将の大きな頑張りにより、遂には二位に浮上した、特に副将の大健闘は、大将、安福莉子が飛びついて出迎えるほどだった。
あの対局室で、圧倒的な暴威として、究極的な覇者として、君臨し続けた一年生の少女は、緊張からか、はたまた莉子にそうして迎えられたからか、とてもとても、優しく可愛い笑顔の花を咲かせた。
大将の責任は重大、泣きそうになりながらも笑みを咲かせる親友のため、劔谷の大将、安福莉子が戦場へ向かう。
「……行ってきます」
阿知賀高校は、これまでのアドバンテージから、二万点の失点を伴ってなお、圧倒的なトップとして君臨していた。
しかし、ただその点数にあぐらをかいて居られる時期は終わった、悔しげに涙をこらえる灼を背にして、阿知賀最後の少女が立つ。
その目には、極々単純な闘志があった。――阿知賀の大将、高鴨穏乃の登場である。
「――大丈夫、絶対、勝ってくるから!」
激しい対局の中で、きっちり自分を通した泉は、控え室へ向かう途中、自身が背中を任せる千里山の大将、瀬野円依とすれ違う。
「あ、お、おつかれ、い、泉」
自動走行が可能な車椅子を操作して、よたよたと前に進む円依が、片手をぎこちなくあげて声をかける。
泉は立ち止まって沈黙し、沈黙し、沈黙してから嘆息する。
「まだ、緊張取れてなかったんかいな」
恐らくは考えすぎが原因だろう、円依は先鋒戦から、自チームの様々なことに気を回していた。次鋒戦の中盤からは兆候があったが、見てて笑いものにすら出来ない硬石っぷりだった。
もはやまともに応答できるのが不思議な状態だ。
「……なぁ円依」
声をかけるも、反応はない。円依はそのとろとろとした車椅子の歩みを操作もせず、一定のまま泉の元から離れようとしている。
すれ違う間際、泉がその前に立ちはだかった。
円依が止まりはしなかったが、それでも構わず泉は、移動する円依に併せて自身もゆっくり後退していく。
「えぇか? 円依はウチの大将や、大事な勝敗のすべてを託す相手なんや」
一つ一つ、当然の事実を泉はあげる。でなければ意味が無い、円依に効かせる、意味は無い。
「なんのために私がこんな打ち方しとるんや。――円依に全部任せるためや」
それは完全に、はた迷惑な話かもしれない。たしかに大将は、チームの進退すべてを握る、特に重要なポジションだ。
だからこそ、チームの皆は大将にすべてを託すし、大将の負担を軽減するために点数を稼ごうとする。
「……それって、なんか無茶なことやったかな? 円依が全部、背負うためのもんやったかな?」
そのための、円依だ。
すべてを背負って、すべてを賄うための円依だ。
けれども、泉は反論するように言葉を続ける。
「違う、そんなん絶対違う、私達が円依に大将を任せたのは、円依に安心して戦ってもらうためや、円依に全力を出してもらうためや」
だから、と円依に向けて、泉は声をかけ続ける。円依の反応はない、もはや彫刻とも言うべき無表情で、ほとんど泉と出会ってからの姿勢を変えてはいない。
「……なぁ、円依、もっと私らに頼らせて? ウチらをもっと、頼ってや?」
泉は、それでも聞かない円依の姿に、大きく大きく深呼吸をした。決してそれは、呆れからくるものではなく、泉の心底を、そっとさらけ出すものだった。
――泉が手を、勢い良く振り上げる。
此のままではダメだ、このままでは円依は変われない、だから、
「――ふにゅ!?」
泉は、振り上げた“両手”を、勢い良く円依の頬に押し付けた。
端正な顔立ちに、驚くほどやわらかな頬が、勢い良く押し上がる。ハリセンボンのような、まるまるとしたものへと変化した。
「なふぃふんふぁふぉ!」
円依の表情が変化したからだろうか、ようやく円依に反応が戻った。いきなりのことに驚きながらも、少しばかり睨みつけるように恨めしげな目を返す。
それを確認したことで、ほっとしたのだろう、一息とともに、泉が両手を円依から放した。
「いきなりひどいよ!」
「そうせんと円依が元に戻らなかったんよ」
ぷんすかと頬をふくらませる、円依の柔肌を再び突っつきながら、漸く戻ってきたいつもの円依に、泉は笑みでそれを返した。
「なんやな、ちょっと気を回し過ぎや、円依、そんな惑らうのもいいけどな、たまには私達を信じてほしいねん。人って案外、強いもんやで?」
「そう、かな」
「せやせや」
頷く泉、それでも円依の顔は晴れていない。
いつもの円依でも、これはナイーブな円依だ、かつて一度だけみた、“あの時”の円依だ。
多分、考えすぎというのは、円依をどうしても弱くするのだろう。
「……でも、私は――」
「…………だったら、一つだけ覚えといてや」
泉は、円依の事情を何も知らない。だから、諦めることにした。諦めて、円依を信じてみる事にした。
「私は、ずっと円依の味方やからな?」
それだけ、言って泉は去った。
円依の言葉を待つわけでもなく、自分の言葉を伝えるわけでもない。ただ、円依を信じて、見送ったのだ――
♪
いの一番に対局室へたどり着いた穏乃は、心を踊らせ対局を待ち望んでいた。全国の舞台、初めての対局、最高の仲間達とたどり着いた、最高の場所。これで興奮しないほうがどうかしている。
対戦相手は千里山と劔谷、どちらも強豪として流しれていて、相手として不足はない。
――一応越谷のことも忘れてはいないのだが、よほど活躍しない限り、穏乃の印象に残ることはないだろう。
その対局者四人のウチ、二人は既に対局室へとやってきている。二番手が越谷、三番手が劔谷、それぞれ場決めを終えると、早速席へ腰掛けた。
――最後の一人は、それから一分ほど遅れて現れた。
不思議と、意識を向けられる少女だった。
「え……?」
――この時、穏乃は千里山のメンバーを、ある機会があって肉眼で確認している。怜と竜華とは交流があったのだが、他のメンバーは軽く目をやる程度だった。
そこには五人の生徒がいて、これが千里山のレギュラーなのかと、穏乃はモニター越しに怜を見てから思っていたのだ。
しかし違った。そこにいたのは、あの五人のだれでもない、少し癖のある綺麗な黒髪と、モデルのような体型は、竜華のような美少女だ。
目を惹かれるのは、加えて、彼女が車椅子に乗っているということか。
包帯などは見えない、恐らく障害的なものなのだろう。穏乃は席を立ち、思わずそちらへ近寄っていた。
車椅子の速度にまかせて、麻雀卓とその下への段差にやってきた彼女は、一度そこで停止する。
「あ、あの……!」
穏乃が気合を込めると、はっきり少女へ声をかけた。
「……? なにかな」
透き通るような声は、竜華や怜のような関西弁ではない。むしろ、関東――東側――に近いように思える。
「大丈夫ですか? えっと……」
「あぁ、私? 円依っていうの、ちょっと緊張しちゃったけど、特に問題はないよ?」
「あ、私は穏乃って言って、っていやそうじゃなくて」
何とも間の抜けた会話だ。穏乃としては、聞きにくいことではあるのだが。
円依と名乗った少女は、解っているのか、クスリと笑うと、立ち上がる。
ストッパーをかけて動かないようにした車椅子に重心をあずけ、松葉杖を取り出すと、そのまま段差を登り始める。
あくまで慣れた様子で段差を登り切ると、隅に控えているスタッフに、
「あ、この車椅子どうしましょう」
と問いかけた。スタッフ曰く、カメラの外に出しておくので、終わったら声をかけて欲しいとのこと、円依は了解すると、場決めのための最後の一枚、南をめくって席につく、松葉杖は足元に投げ出された。
(――不思議な人だなぁ)
そんな穏乃の印象は、他の二人とさして変わるものではなかっただろう。残り時間がないことをスタッフに告げられると、穏乃は慌ててもとの席につくのだった。
♪
遂に大将戦前半が開始される、起親は景子、南家は円依、西家に穏乃、そして北家は莉子と決まった。
――東一局、親景子、ドラ表示牌「八」――
(――さて、漸くここに戻ってきたって感じがするなー)
――円依手牌――
一二三四四五①⑨⑨東北北白 六(ツモ)
(全国の舞台、誰かの為に戦う場所、私が麻雀をしてる場所! やばい、やばいよやばいよ、泉にほぐしてもらったばっかりなのに、緊張で思考がやばいよー!)
円依/打二
(私が決める、最初の一打、さぁまずは――)
穏乃/打南
莉子/打東
(二人、まくろうか!)
円依の打牌は異様に染まる。何も不可思議なことではない、円依自身がそうしているのだから当然だ。
――円依捨て牌――
二三四五六白
白
(とりあえずは、ここまで来たか)
――円依手牌
一一四四①②④⑨⑨東東北北 西(ツモ)
(私の感覚は、北を残せと言っている。多分その内暗刻になるんだろうけど、でもそうしたら私の河は完成しない。劔谷と越谷は、明らかにこちらへ臆している。この状況が、私の居場所だ!)
円依/打北
続く巡目、北を自摸った円依は、再び手出しで北を切り出す。
そして、再び卓は周り――
「リーチ!」
円依/打④
勝負を決める第一打、先制リーチを円依が決める。
ここまで円依の捨て牌は異様にそまり、そして止めどなく形を変化させている。
――円依捨て牌――
二三四五六白
白北北北③④(リーチ)
(――確かに、牌譜では千里山の大将は、聴牌が遠いって言われるのもわかるけど)
対面、劔谷の安福莉子は考える。
――第二回戦が始まる前、作戦会議を兼ねたメンバー会議の際、安福莉子は、同じ対象の中で、“異様”と呼ばれる三人の牌譜を見せられた。
一つは、風越の大将。これは知名度も高いし、莉子だって知っている。
もう一つは、白糸台の大将。白糸台の大将は昨年まではエースポジションだったのだが、今年のインターハイにおいて、突然エースポジションが変更、そしてそのエース、宮永照を推しやって突然大将に居座った、その大将だ。
そして最後に――千里山の大将。
ここ最近の千里山は、思いの外不思議な登用が行われることがある。前年度の秋季大会で、いきなり無名の選手をエースに据えて、今年は二名もの一年生レギュラーをインターハイへ送り出している。
その内一人は副将戦での存在感から分かる通り、純粋な実力者。しかし残り二人は、牌譜からみれば、明らかにおかしな存在なのだ。
その一人が、この千里山の大将。
他の異様な大将は、その和了りに異様さが見られた。風越の大将など言うまでもないだろう。しかし、この大将は違う。
(――瀬野、円依。この人を相手にすると……こんなにも対局が遅く感じる! 麻雀って、こんな神経使うものだったっけ?)
円依の異様さは、その捨て牌、あまりにも効率が悪いどころか、自分からてを遅くして、ほとんど配牌からは別の手を作ってしまう。
その分手は遅くなるが、周りが円依へ集中すれば、その分円依の手には仕掛けがかかる。
そう、臆してしまうのだ。
阿知賀は円依から見て下家、円依が牌を切れば、次は阿知賀の、高鴨穏乃だ。その穏乃は、自分の自摸をみて、思わず唸った。
――穏乃手牌――
七七八③③③⑧⑨23789 ①(ツモ)
(どうしよう、どうしようどうしよう、これ一筒切りたいけどきれないよ! 最悪振り込んでもいいから、ここは……)
穏乃/打③
一筒が切れない。
穏乃はそう考えた。しかし果たしてそうだろうか、穏乃の目線からは、三筒が既に四枚見えていて、一筒はノーチャンス(※1)、単騎待ちか、シャンポン待ちでない限り、この一筒は安牌なのだ。
だが、穏乃はそれを止めてみせた。それを行う正体は直感、単純な野生の勘で、穏乃は牌を止めたのだ!
(……んー)
莉子/ツモ①
安牌はない、上家は現物の処理で、オリるような打ち方なのだろう、越谷は、自分が切らないと解らないが。
(行けるよね……)
何の問題もない打牌だ。四筒の筋で、三筒も切っている。筒子での待ちは恐らくない、順子手ならば、使う筒子は一盃口当たりだろうか。
でなければあれは恐らく刻子手。自摸り三暗だろうか、であれば、ドラが絡まなければ、あたっても、リーチ一発、問題はない。
何の迷いもない打牌で、莉子はそれを切り出した。
莉子/打①
「あっ」
そして、ほとんど誰にも聞こえないような声で、穏乃がぽつりと漏らしてしまったのと、
「ロン! 6400!」
円依が、和了り宣言をするのは、ほとんど同時のことだった。
「ひっ!」
思わず、悲鳴を上げて莉子が慄く、なんだ、なんだこれは、よりにもよってあの打牌からチートイツ? しかも狙いすましたように自分が自摸切りして振込?
(ありえない、ありえない、ありえない!)
そんな莉子の絶叫は、いつまでも心の隅で、響き続けているのだった。
――円依手牌――
一一四四①④④⑨⑨東東西西 ①(和了り牌)
(まぁまぁ上出来じゃないかな。リーチして直接打ち取るなんて、久々な気もするけど、いい完成度だ)
いつもなら、ダマで待って見るような手牌だ。自摸れば十分、出れば二十分。そこに態々リーチ一発をつけることなど、いつもの円依なら考えられない位だ。
(この場所、全国に“戻ってきた”反動か、ちょっと前向きになってるのかな。もしくは団体戦であることが、私をこうも動かしているのか。……どっちにしろ)
二位千里山:115700
三位劔谷:111300
(一人、まくった)
にかりと、ほくそ笑むように円依は口元をゆるめた。
東二局、親円依、ドラ表示牌「9」
(さて、親番かぁ、……阿知賀の子は、実力的にはこの中で一番巧い。どちらかというと江口先輩タイプだから、私のデジタルとはやってることが違うけど)
本来、円依が狙う相手は阿知賀劔谷の二校、特に阿知賀の方だったのだ。流れ的に、この一発で和了ることを想定していたが、劔谷の当たり牌はあくまで保険だったのだ。
自分にとって有利な流れがある、保険もある、その状態で円依はリーチをかけた。
(もし、リーチをかけなかったら……いや、必要のない考えだな、最終的な収支では、リーチをかけなかった時よりも上回ってるんだから)
――円依手牌――
一二三①①①②③④88東北 ⑤(ツモ)
(配牌一向聴、ついて平和のみっていうのがなかなか素敵じゃないか)
果たしてリーチを駆けるところまで行くかどうか、別に心配することでもないだろうが……円依はすぐさま牌に手を掛ける。
円依/打①
(ひっどい配牌だけど、やってやりましょ―か!)
それから、穏乃は少しだけ考える素振りを見せる。
(はった! ……けど千里山の人が怖いな、リーチはかけずに様子見で)
考えるのも無理は無い、タンピンドラ1の手、リーチをかければチッチーだが、リーチを掛けずとも3900だ。
――円依捨て牌――
①①①一二三
東東北北北
相変わらずのぶっ飛んだ捨て牌だ、ここまで手を捨て去っているのに、上がってくるのだから脅威以外の何物でもない。
牌譜によれば、それは穏乃達、対局者が最もありえないと思うような和了りだというのだが……
(それでも、一度わかってしまえば恐ろしいものじゃない、捨て牌から手牌読み取れないだけだ)
幻惑、玄がよくやる手法だ。そうだと思わせてそうではない、そうではないと思わせて実はそう、更には安心しきっていたところに突然不意打ちを浴びせる。
麻雀に対する、人の心理を巧みに操る戦法だ。玄の場合そこに火力が加わるのだが、
(それでもこの打ち方にこだわるのは、単に戦術として優秀なだけじゃない、これをやると、普段より和了れる気がするからだ!)
穏乃も、特に下位からトップをまくるという状況は得意分野である。ただトップを守るよりも、まくってトップにたつ方が、穏乃は燃えるし、何よりその方がデータ上の勝率もいい。
――こういったジンクスは、いわばアナログ的な打ち方に当たるのだろうが、円依のそれはとても特殊だ。オカルトでありながらも、そのオカルトに頼らない、むしろ自分自身の手足のように扱う。
成長を果たした玄もそうだった、オカルトは、頼るものではなく使うもの、多分、それが彼女たちの強さなのだろう。
(……たしか、和了率はそこそこだけど、平均火力が高いんだっけ、確かに、幻惑するならしてない時としてる時は半々位になるはずだよね、その上で和了るなら、やっぱり火力か)
今は円依の親番、安い満貫でも跳満レベルの火力がある。ここは止めたいところだが、果たしてこのタンピン手に刺さる牌が出るかどうか。
既に十二巡卓が周っていることを考えると、誰かが使っているか、警戒して出していないか。
(来い、待ちの二、五索!)
ならば、自分が自摸るしかない、できるだけ、可能な限り速く。
莉子/打二
景子/打⑧
その時だった。
「ツモ! 4000オール!」
円依の声が、高らかにこだました。
――円依手牌――
四四四②②②③④⑤6688 6(ツモ)
(……まぁ、四暗刻まで行ったら和了れる気がしないよね、向かえば和了ってるんだけどさ)
見れば、劔谷と越谷は、またもありえないという表情をしている。あまりこういった異質な相手との対戦経験がないのだろう。
牌譜でこの大将が、異常だとわかっていてもなお、それを受け入れられないのだ。対処法は、慣れるしかない。前例を知っていれば、戦えないまでも、平静は保てるのだが。
――東二局一本場、親円依、ドラ表示牌「③」――
マズイ流れだ。
千里山の連続和了、下降していく自分以外の対戦相手のモチベーション、平静でいられなくなる状況は、加えてこの点差にもあるだろう。
(劔谷と越谷は、ここからこの人を相手に逆転しなくちゃいけない。そうとうプレッシャーだろうな、勝てる気がしないって感じかな。私はそんな相手と戦ったことないから、解んないけど)
穏乃/打西
穏乃の瞳には、赤々と燃え続ける闘志があって、それは今の今まで、一度も揺らいだことのないものだった。
生まれてからこのかたずっと、麻雀をしていて燻ったことは一度もない。
ままならないこと、いつの間にか手遅れになっていく事、和や憧との別れによって、少しずつ溜まり続けていた鬱憤が、ついに爆発した時、穏乃の瞳は絶対となった。
どれほどの強敵と戦おうとも、どれほどの魔物に重任されようとも、穏乃は絶対にあきらめなかった。屈しなかった。
中には、オカルトと戦術を巧みに駆使し、巧い麻雀をしてくるハイテイ使いがいた。中には、全国個人戦第二位を誇る、関西最強の雀士がいた。
それでも、憧は戦ってきた、この舞台でまた、和と遊ぶために。
「ポン!」 東東「東」
それに今でこそ杞憂だとわかったことだが、和が全国へコレなかった時、優勝すると決めた目標も、決して消えてはいない。
玄はとことん強くなった、宥はとことんやりにくくなった。だったら、自分は?
(私には、玄さん達のようなチカラもないし、憧みたいに麻雀もうまくない。でも――)
穏乃/ツモ東
「――カン!」 「東」東東東
(“コレ”がある!)
瞳を大きく鋭く尖らせ、一気に嶺上牌へと手を掛ける。穏乃の右手に、稲妻が奔った。
――穏乃手牌――
三四六七八②④778 ③(ツモ) 東東東東
(……はった! 有効牌だ)
穏乃/打8
(しかも――)
――新ドラ表示牌「五」
(これで、5200確定!)
後は赤が来るか、ドラが来るか。何にせよ、八巡目にして大きく穏乃の手が進む。
そして円依のツモ番だ。
円依は自摸った牌を確かめて、しばらく考えると、その牌を手に加え打牌をする。
それは四萬、先ほど出された三萬の隣、横一列にならぶ穏乃の役牌、四枚の南と同時に並んでいた。
(確か、こういう打牌をする時、この大将は面子を落として手を作ってる。だとすれば――)
しかし、穏乃の読みは当たらず。
円依/打二
(見切られた? だったら)
穏乃/ツモ四
(よし)
穏乃/打四
これで狙う、千里山を、その大将を。
「ロン! 5200は5500」
そして、次巡、穏乃の読みは当たり、円依から一発で出た四萬を撃ちぬいたのだった。
――東三局、親穏乃、ドラ表示牌「北」――
――阿知賀控え室。
『決まったー! 親番は流れたものの、再び千里山、瀬野円依が和了、一位の阿知賀に詰め寄っています』
穏乃を除く、全員が集まる控え室では、アナウンサー、針生えりの実況が響きわたっていた。
そしてモニターには、丁度円依の和了りが見えている。
――円依手牌――
三四五六七⑧⑧ 五(赤)(ツモ) ⑤⑥⑦(赤) 222
『これは、随分と普通な打牌ですが、どういうことでしょう』
『デジタル的にはこれが正解なんじゃね? しらんけど』
少しばかり的外れだが、言っている事自体は、解説の言うとおりだ。憧は何度か捨て牌を見て頷く。
今の円依が行った和了りは、憧自身、そして他のメンバーにも覚えがあった。
「……なんだか、憧みたいな和了りだ」
灼が、それを代表するようにしてつぶやく、少しばかり青白い顔をしているが、単純にまだ副将戦の敗北を引きずっているだけだ。
「みたい、じゃない……あたしが選んだ打牌と全く同じ牌捨ててるよ、この人」
憧が、ほとんど絶叫するように、声を喉から絞り出した。先ほどまでの円依は不可思議の塊だったのに、今の円依は、どこにでもいるデジタル雀士だ。それも一流クラスの。
「……一応、牌譜にはこういう事が何度かあった」
腕組みをし、モニターを見やっていた監督、赤土晴絵が口を開く、既に作戦は個々に伝えられているため、対局中に口を挟むことはなかったのだが、ここに来て、円依の打ち筋に言及してきた。
「最初から千里山の配牌を見ればわかるけど、ヤオチュー牌が殆ど無い、タンヤオがとても狙いやすい好配牌だった。千里山の大将は、こういう面前で手作りできる安手の場合は、そのまま和了ることも多いんだ」
円依は玄のような特徴ある雀士なのだが、実のところデジタル的に見ても憧と同クラス、千里山でもレギュラーを狙えるほどなのだとか。
「でも……それだけじゃないみたい」
否定する、というよりは付け加えるような形で玄が口火を切った。少しだけ心配そうに穏乃を眺め、そしてその手牌を指摘する。
「今回、千里山の人はとっても安かったけど、反比例みたいに穏乃ちゃんは染めててとっても高かった。……多分、最初から見抜いてたんじゃないかな? 今はそういう流れだって」
「……流れ、か」
憧は、繰り返すように呟いた。彼女は生粋のデジタル雀士である。故に自分と同じ事ができるオカルト雀士という存在に、思わず脅威を覚えるのだ。
「――シズ」
そして呼ばれた幼馴染の名前は、悲壮と憂慮を帯びていた。
――東四局親莉子、ドラ表示牌「1」――
そしてこの前半戦の折り返しでは、再び円依の手牌が異様に染まった。
「リーチ!」
八巡目でのリーチ、速くはあるが意識を向けるほどのものではない、とはいえ円依のリーチはとてもではないが、意識しないと言うことはできなくて――
――円依捨て牌――
999988
88(リーチ)
円依の捨て牌には“訳がわからない”という根本的な特徴以外にも、もう一つわかりやすい特徴がある。
それは異様に染まりやすい捨て牌は、暗刻ができやすいということだ。そうするとどうなるか、単純に言って、現物が少なくなるのだ。
それでも、順子を捨てることもあるので、オリるには技術こそ必要な物の、不可能なことではないのだが――
(これは……むり)
穏乃ですら気が滅入りそうになる。外の二校は言うに及ばず。現在円依の捨て牌に現物はない、ここで何かシズがきって、それを合わせ打ちすることで初めて現物になる。
ノーチャンスもないわけだから、間違いなく現状は最悪に近い。精々が筋にあたる五索六索だ。
それも、穏乃の手牌にはないのだが。
(……迷ってなんか、いられないか!)
穏乃/打1
それは無筋もいいところで、ほとんどヤオチュー牌だから切った、としか言いようがない切り方なのだが――
円依は和了らなかった。
通るのだ、この牌は。
そして順調に莉子と景子も手を進め、
「ツモ!」
安堵した彼女たちを、再び震撼させる宣告が、円依から響いた。
裏をめくり、ドラを確認する。
――裏ドラ表示牌「⑤(赤)」
「2000、4000」
――円依手牌――
一二三四六七八九②②③④⑤(裏) 五(ツモ)
穏乃はそれでも、この程度で済んだことに安堵した。ここからいつ当たるかも解らない事故に怯える必要は、ないのだ。
そして、南一局と、南二局、穏乃の和了りが続く。
それぞれ、1300の出和了りと、4000のツモ和了りだ。
――南三局、親穏乃、ドラ表示牌「東」――
「リーチ」
そしてここに来て、劔谷が動いた。ほとんど今まで存在感すら薄れていた劔谷だが、なんとか手を作れたらしい。
――今回も円依の手は異様なそれだ、よくもまぁ聴牌出来たものである。
越谷はオリ、親でもないのに攻められないのが彼女の現状だろう。
千里山は押し、明らかな危険牌を。ほぼノータイムで手出ししてきた。
(……私は)
どうすべきなのだろう。
親だが、攻められる手ではない、未だ十巡目にして三向聴、とりあえずは現物を切ってここをやり過ごす。
そして巡目が一つ周り、
(千里山がドラを切った。普通に考えれば聴牌だけど、まぁふつうじゃないならテンパイしてないかな。まぁ、オリよう)
しかしそうなると劔谷はネックだ、このまま和了れず千里山に直撃、などということにはしたくない。
(……ん?)
考えながら穏乃は、自分と劔谷の捨て牌を見比べ、そしてその視線を自分の手牌へ持ってくる。
――穏乃手牌――
一一一七九⑤⑥⑦5899 9(ツモ)
根拠は単純ながら、自身の直感、ほとんど誰かに説明できるものではない。それでも穏乃はそれを選んだ。
穏乃/打5
「あ、それロン、です」
思った通りだった。それが莉子の当たり牌。――その時の穏乃と莉子の捨て牌は、形こそ違うものの、切った牌の種類はよく似ていた。
ならば――このどうしようもない手牌から、和了ろうとするなら――
――リーチのみしか、手が出来ないのではないか。
――莉子手牌――
①①①⑥⑦⑧⑨⑨46東東東 5(和了り牌)
これならば、ダメージは少ない、この差し込みならば……
――裏ドラ表示牌「北」
「えっと、裏三つで、8000」
「――え?」
……打点は、低い…………はずだった。
――オーラス、親莉子、ドラ表示牌「5」――
『いやー、なんというか阿知賀の子、ちょっと焦ってるね、確かに千里山の役満聴牌は流せたから結果オーライだけど、でも裏ドラで満貫振込は考えなかったかな』
そもそも南二局と南三局の穏乃は、和了ろうと思えばもっと高い手も和了れたのだ。それを意味のない打牌と、大量の裏目で潰してしまった。
『まぁでも、それが今の最善だったのも確かだし、事故でしかないかもねー』
「リーチ」
『阿知賀、高鴨穏乃、リーチ!』
『わお、ドラ沢山だ!』
現在、穏乃には五つのドラがある。他に役がないためこのままリーチをかけるが、和了れば跳満、トップでこの半荘を、文句なく終えることができる。
『…………とはいえまぁ、この子、割とこういう時の和了りを、逃すことって多いんだよねぇ』
――それは、次巡の事だった。
一発ならずと牌を切ったその時だった。
「ロン」
この半荘戦、最後の和了りは、円依が決めた。
「7700」
そして――
『前半戦、終了ー!』
長い長い戦いも、遂に終わりを迎えようとしている。
ここまで、阿知賀は圧倒的な点差を保ってバトンを繋いだ、逆に千里山は、二度の役満親被りに苦しみ、それでもなんとか点を殆ど失わずにつないできた。
劔谷が、中堅と副将で爆発し、そんな中、両者の差はそれでもなお歴然としていた。
圧倒的強者、阿知賀女子。
しかし、不敗神話など、単なる幻にすぎない。
それが、一人の少女によって証明された。
四位越谷:24200
三位劔谷:108000
――二位阿知賀:127900
――一位千里山:138900
♪
(さぁ、前半戦はこれで終わった。後は後半戦だ。――阿知賀の穏乃は、きっと後半戦では脅威になるだろう。一位を取れるかは、最期までやってみないとわからない、でも――)
すべてが終りを迎えるその時に、
円依はただ天井を、それを照らす光を見上げ、
ぐっと拳を、突き上げた。
(――今は、勝ってる)
それが円依の――勝利宣言だった。
まずは一勝、というわけで1話かけて前半戦の様子をお届けしました。
穏乃の特徴は逆転力というか、一位よりも二位、三位でチカラを発揮するタイプだと思います。
さて、ここからは後半への折り返し、起承転結における、転の導入部といったところでしょうか、書き溜めが進んでいないので、少し遅れるかも知れません、しばしお待ちを。