『夜、少し話したいことがあるんだ』
そんな円依の言葉を、泉はずっときにかけていた。あのあと――全員で止まっていたホテルに戻ってからの話だ。
円依は二人きりになった部屋で、そんな風に声をかけてきた。
戸惑ったものの、円依の真剣な表情は嘘ではないだろうと、すぐに泉は了解した。
第二回戦を終えた千里山の面々は、至って平生にそれを対処した。例の南三局もあってか、若干安堵が多かったのか、軽い乾杯こそ済ませたものの、第二回戦は千里山にとって、通過点にすぎないのだ。
問題はむしろ準決勝、二連覇覇者、白糸台が襲い掛かってくる。そこには阿知賀も加えられ、混戦は必至だ。
とはいえ、勝ち目がないわけでもない、今回阿知賀は大量得点で千里山を上回っていたが、そにほとんどは玄が先鋒戦で稼いだものだ。
しかし準決勝はそこに白糸台のエース、宮永照が加わる。つまり、玄が最強である状況とは、話が異なるのだ。
それでも怜が玄に敵うかといえば難しい話だろうし、明日は怜の調整へ追われることとなる。
そんな事をミーティングで決めているうちに、外はすっかり暗くなっていた。夕食を終え、各々が思い思いに過ごす時間は、さして長くはない。
気がつけば、あっという間に消灯時間を迎えていた。
――レギュラーメンバーは近場の二人部屋を三つ借り入れている。セーラと浩子、怜と竜華が同室で、泉と円依も、二人組で部屋を貸しきっていた。
「――円依、もう寝たかぁ?」
ひっそりと沈み返った夜の隙間に、ふと泉が声を漏らす。両者、ともに布団の中へ潜り込んでいたのだが、もそもそと泉が起き上がった。
声をかけられた等の円依は、少しだけ沈黙してから、
「うん」
と弱々しく声を上げた。
「そっちのベット、行ってもえぇ?」
泉が断るようにそういって、返事を待たずに円依の布団へと乗り込む。慌てて飛び上がった円依が、部屋の隅、窓際まで飛び退いた。
急に泉の顔が目に入ったことで、昼の“アレ”を思い出したのだろう。月明かりに照らされた円依の顔は、それはもう蛸のように茹で上がっていた。
少しだけ楽しそうに泉が笑って、円依はなんとかひとつ深呼吸で心を落ち着かせる。
色々と緊張はあっただろう、しかしそれを塗りつぶされるほどの衝撃でもって、結局円依は、強制的に心の焦燥を鎮圧させられた。
「まぁ、まずは改めまして……んん!」
一拍、泉が喉を鳴らして呼吸をおいた。
「第二回戦突破おめでとさん、それにおつかれさまや」
そう行って、円依を抱きしめるように労った。布団をかぶった円依が、小さく泉の胸元へうずくまる。
そしてすぐに意識を切り替えると、ぽつり、ぽつりと語りだす。
「……あんなぁ、ウチって麻雀始めたの、小6んときやったんよ」
「そうなの? じゃあ私のほうが長いね」
自分は小4のころから、円依はそういって泉へ返す。ぽっと飛び出た円依の言葉に、泉は少し可笑しそうなほころびを見せた。
「いやいや、これがなかなか衝撃的でな? 当時小6だった私は、東京のおじじんところに預けられとったんや。丁度夏の頃で、おじじが麻雀好きやったんよ」
夏の頃に麻雀は人を賑わせる。
インターハイや、インターミドル、学生たちの夏は、麻雀にも存在するのだ。今、泉たちがここにいるように。
「それで、たまたまやってたインターミドルの試合に連れてってくれたん」
「……小6で、インターミドルかぁ」
少しだけ、円依が感慨深そうに頷いた。何かの思い出にふけるかのような、そんな顔だった。
「そん時に見た麻雀がわすれられんようになってもてな? おじじに麻雀教えてせがんだのが、ウチの始まり」
「……いい、おじいちゃんだね」
「今も元気やで? もう80にもなるんのに」
それで、それでと円依は泉に顔を寄せ、泉は破顔したその顔で、そんな円依を受け止めた。
「――そん時は、大阪とも東京とも関係ない高校の、中堅戦やったんや」
「……え?」
円依は、思わず問い返した。
聞き取れなかったわけではない、あまりにも、泉の言い方がもったいぶったものだったのだ。
「すごいな、思った。あんな人と一緒に、麻雀を打ちたい。それがウチの原点……ウチのあこがれやったんや」
それから、泉はメキメキと頭角を現し、インターミドルで活躍した後、この千里山女子へと入学してきた。
同学年なら、全国でも限られた天才とされる、若き雀士の原点は、そんなありきたりのものだったのだ。
「――だから、この千里山に来て、驚いた。思わず目ェ開いてまうくらい」
「そ、それって……!」
円依の声が、詰まるように問を促す。
きっと、彼女の頭は混乱の極みだろう。――話がある、そもそもそう行って声をかけてきたのは、円依のはずだったのだから。
「名前を聞いて、それからな? 全く同じ打ち方してくれたんよ、あの時と、――偶然、ウチがレギュラーになれるかなれないかっていう、大事な試合で」
「……っ!」
ほとんど、息が詰まるかのようだった。
泉の言葉が、円依の胸に、次から次へと突き刺さっていった。
「――瀬野円依。あのインターミドルで、その名前を知った時から。入学式の挨拶で、その名前を聞いた時から、ずっと円依は、私の憧れやったんだ」
♪
泉は、円依のことを、円依が思ったよりも知っていた。だからきっと、待っていたのだ。円依がなぜ、自分と同学年なのか、それを話してくれるのを。
円依は本来、泉より一つ年上で、泉にとって、円依は憧れるべき上級生だったのに。
何故共に、いまこうしていられるのかを、円依が話してくれるまで、ずっとずっと、待っていたのだ。
言葉にすることはない。
求めることは決してない。ただ、円依を信じ続けた。“それ”を知っていてなお、円依の味方であり続けたのだ。
円依は、少しだけ嘆息してから、泉はすごいとしみじみ語った。憂いのある表情は、しかしそれでも、泉への感謝でいっぱいだ。
「……私が、割りとお金持ちの家に生まれたっていうのは知ってると思う」
そんな出だしで、円依はぽつりぽつりと語り出した。
――円依は小さい頃から、“他人と違うこと”にコンプレックスを抱いてきた。それは例えば自分の家が、周りよりも随分と金持ちであること、自分がお嬢様であることだ。
もともと引っ込み思案な性格で、あまり人付き合いの得意でなかった円依が、周囲から孤立することになるのは、容易に想像のつく事だった。
「そんな風には見えんけど、四年前も堂々としとったやん」
「麻雀はね、……その頃はまだだったけど、私の最後の砦だったから、気を張ってなくちゃいけなかったんだ」
父親の影響で麻雀を初めて、すぐに頭角を現した、小さな麻雀大会で、小学生ながらに優勝してしまうほどだった。
ただ、その時から自覚はあった。自分の打ち方が他人とは違うということ、まだ考えの足らない小学生が、感性だけで打った手が、他人と違うのだからよく分かる。
だから、そんな麻雀にも円依はコンプレックスを抱いた。他人と違うこと、誰かと違うことが、どうしようもなく怖かったのだ。
「……そんな時に、ちょっと事件が起こってね」
クラスメイトの筆箱が紛失する事件が起きた。この時、円依は遅刻して誰もいない教室へやってきており、それを盗める絶好のタイミングがあったのだ。
故に、円依はその事件に容疑者とされることになった。当然円依はそんな事をしていないし、結局後に筆箱は本人の自宅で見つかることになるのだが。
――クラスメイトの追究は苛烈だった。もとよりあまり人付き合いをせず、疎まれる存在で在った円依は、格好の標的だったのだ。嬉々とした様子でクラスメイトは円依を槍玉に挙げ、いじめとすら呼べるまでに発展した。
とはいえ、子供たちの感性とは残酷なもので、本人たちはあくまでも正義の為にそれを行なっていたのだ。
「……本当に私が盗んでいたのなら、決定的な証拠があったのなら、まだ良かったのかもね」
もちろん円依は悪くないのだから、円依とて正当性はある。しかし円依はそれを高らかに掲げられるほど、前向きな性格ではなかった。
――結局事件は、麻雀大会で知り合ったマナーの悪い上級生の手によって解決したものの。その後も、その後の罪悪感から来るであろう、腫れ物を扱うような対応も併せて、円依の心には鬱蒼としたものが溜まっていった。
「……それを、発散することも出来へんかったんか」
「そ。だって自分は他人と違うから、こうして他人と違う扱いをされても仕方ない、って考えちゃったんだよ」
他人と違う自分が、他人と同じようになる資格はない。
そんな事を、考えていた。
「……今は、どうなん?」
「ちょっとね、どうでも良くなっちゃった」
それから、中学は逃げるように少し遠くの学校へ通った。
「昔からね? こういう誰も悪くないことで、理不尽な目に遭うことが多かったの。誰も悪くないから、私はそれを耐えるしかなかったんだ」
「……なるほどなぁ」
中学では姉妹喧嘩の仲裁をしたこともあったし、偶然だが、人の命を救ったこともあった。
けれどもそれは理不尽の結果であったし、感謝されることはあっても、その理不尽に対する感情のはけ口は、決して存在しなかったのだ。
「ねぇ泉、私って不幸かな。不幸だから、こんな目に遭うのかな?」
少しだけ、寂しそうに円依は泉へ問いかける。答えなど、最初から解っているのに、それでも円依は答えを求めるのだ。
他でもない泉から、自分の言葉ではない何かから、それを信じたかったのだ。
「んー、不幸だとか、不幸じゃないとか、そういうのはどーでもえぇよ、ただ円依が頑張ってきて、でもそれが報われなかったんやったら、少しウチも寂しいな思うわ」
「……だよね」
不幸自慢など、泉は端から聞いていないだろう。それでも言葉に耳を貸してくれたのは、それが他でもない、円依が初めて語る真実だからだ。
「中学になると、もっと孤立するようになった。同級生に、友人なんていなかったんじゃないかな」
――その分、麻雀へと注力し、円依にとっての麻雀は、最後の砦だった。
「その頃は、麻雀は勝たないと意味が無いって思ってた。二位や三位なんて意味が無い、トップを取るか、取れないか、それだけを考えてるうちに、あの打ち方を覚えた」
「勝ちへの執着、か。なんか、その頃の円依を知るんが、少し怖いわ」
「あはは……でも…………私がこうなったのは、その後」
円依はそういって、布団の中から抜けだした。月明かりに体を照らし、未だに片方だけ履いているニーソックスを、示してみせた。
それを、少しだけちらりとめくる。
見えたのは、白く柔らかい素肌――ではない、無機質な鉄の固まりだった。
――三年になった時のことだった。
最後のインターミドル県予選へ向かうため、円依は雨の中を急いでいた。準備に手間取り少し出遅れたため、急ぐ必要があったのだ。
外は前も見えないほどの大雨だった。傘を指しても、強風に耐えるのが精々、そんな中を走る円依は、ほとんど周りを見てもいなかった。
必然的に、道中人とぶつかることになる。
これが、円依の人生にとっての最大の転換点だった。――当時は雨で地面がとても滑りやすくなっていた。加えて前も見えず、ふとした拍子にスリップすれば、車はどこともわからない場所へ突っ込んでしまう。そしてその音は、膨大な雨の音でかき消され、意識のそれたものには、気付かれないのだ。
そんな場所に、人がいればどうなるか。――そんな場所に車が近づくことに気づかず、“そんな場所”にいた人間にぶつかる少女がいたらどうなるか。
急いでいた円依の勢いは、突然、迫り来る車に呆然としていた男性を、ほとんど一メートル吹き飛ばした。加えて自身も、前のめりにつんのめった。
――これが、円依の命を救ったのだ。
気がついた時には、円依の片足は、車のボディにたたきつけられ、円依はそれに巻き込まれ吹き飛ばされた。
結果的に命は助かったけれども、その片足は使い物にならなくなって、結果円依は片足を失った。
「それが円依がウチと同じ学年だった理由……か」
泉は、少しだけ吐き出すように、呟いた。――想像はつくことなのだ、中学で留年するなどということは、それだけの一大事、よほど授業についていけなくなるような、理由が必要になってくる。
例えば、年単位で闘病が必要な大病か、円依のような、事故に巻き込まれてもしない限り。
(でも、なんで松葉杖……いや、そうか。円依にとって足がないってことは、それだけ人と違うってことなんや、だからせめても、脚が“ある”人間、と同一視されたかったんやな、“ない”人間じゃだめなんや)
松葉杖で歩くところを見ていれば、自然と足に障害があることはよく分かる。そうなれば、誰が“片足が義足である”可能性に行き着くだろう。
それが円依にとって、最低限の精神安定剤だったのだ。
「……その事故で、私は麻雀を失った、県予選には出れなかったし、麻雀部も引退、残されたものがなかったの」
だから、円依はそうやって言葉をつまらせた。
泉の眼からは、円依が鳴くのをこらえているように見えた。少しだけ、抱きしめるように体を寄せながら、泉はそれを受け止めて、
「だから、壊れちゃった」
そんな言葉も、当然のように受け止めた。
全く動じた様子もなく、泉はそうか、と頷いた。
円依はずっと深い底にいて、それが闇かどうかすらわからない、何もない底にいて、ずっとずっと一人で膝を抱え続けてきたのだ。
言葉なんて、届くはずもない、救いの手なんて、差し伸べられるはずもない。
だって円依は、生まれてずっと、そうだったのだから、それが普通だったのだから。
その後の話しも少しだけ聞いた。療養を兼ねて千里山の方へ越してきて、円依は怜に出会ったそうだ。そして少しだけ気の許せる友人ができ、その友人が円依に人付き合いを教えてくれた。
(多分、園城寺先輩が、円依の心に蓋をしてくれたんだ。見て見ぬふりで生きる方法を、その人達が教えたんだ)
だったら自分は、何が出来たのだろうか。
きっと何もできてはいないのだろうな、と考えた。待ち続けている中で、答えを見出したのは円依なのだ。
泉は、救うことも、守ることもせず、ただ待っていたに過ぎない。
円依からしてみれば、それがどれほどの幸運かは、計り知れないほどのことだろうけれど。
「……それで、なんとか持ち直して、今は自分自身のリハビリ中ってわけ」
円依は、持ち直したといった。
けれども、あの理不尽の中で、果たしてどれだけ今の円依が、耐えられたのだろう、リハビリ中と、今の円依を円依自身が表現していた。それはまさしくそのとおりなのだ。
泉は、在ることを思い出す。
『――千里山第一中出身、瀬野(せの)円依(まどい)、得意なことは麻雀、苦手なことは“リハビリ”です』
あれは、言葉通りのリハビリでも在っただろうが、いまこの場における、円依の言葉にもつながるのではないか?
――円依が、今の自分を振る舞うために、どれだけ自分を殺してきたのかはわからない。少なくとも今の円依は、本当の円依ではないのだろう。
泉は、一つ嘆息をした。そこまで考えをまとめた時に、在ることを思い出したのだ。
(――得意なこと、麻雀、か。なんや、答え在るやん)
「……なぁ、円依、麻雀は…………好き?」
突拍子もない問だったからだろう、円依の顔が、ぽかんと呆けたものになる。どうやら、思ったよりもそれが意表をつくものだったらしい。
……いや、恐らくは、どんな言葉をかけられるか、円依は想像もつかなかったのだ。全部泉へ委ねていたのだ。
(おっもいなぁ、でも、そんなんやから、円依は救われなくちゃあかんのや)
それでも、そんな泉の問いかけに、円依は花のような笑みを浮かべて、
「うん!」
大きく一つ、頷いた。
(勝つことが麻雀のすべて、なんて言う奴が、こんな顔できるはずあらへん。変わっとるんや、少しずつ、昔の円依が、今の“円依”に)
それで、話は終了した。
泉がそっと、円依の側から離れたのだ。円依の言葉を受け入れて、大丈夫だからと、繰り返すように言い聞かせながら。
(せやったら、救うこともできるかもしれへん、麻雀で、うちが円依を、救ってやるんや!)
眠りゆく意識の中、泉はそっと決意した。
♪
『さぁ、遂に全国高校生麻雀選手権大会も、残すところ準決勝と、決勝のみとなりました!』
全国の高校生雀士、その到達点、インターハイ。そのインハイが行われる会場で、モニター越しに、張りのある威勢のいい声が響き渡った。
『今日はAブロック準決勝の模様を、実況、福与恒子と』
『こ、小鍛治健夜で、お送りします』
そんな二人の言葉に、歓声が湧いた。彼女たちの登場は、インターハイ準決勝開始を、告げているからだ。
『さぁ、準決勝の会場では、続々と選手たちが姿を表しています。準決勝はそのあまりにも小さな頂きに、手をかけることを許された数少ない面々たち、当然その面子は猛者と呼んで余りにも相応しい!』
恒子の言葉を合図に、各校の様子がモニターに移される。まずは誰もが知る最強の代名詞、インターハイ二連覇を誇る最強校だ。
『遂に姿を表した最強の高校! 二回戦では他校へ圧倒的なチカラを見せつけていた、その強さはやはり本物、白糸台高校!』
続けざまに移されるのは、その白糸台高校と戦い、最後まで二位の座を守りきった強豪校だ。
『その白糸台高校に食らいつき、見事準決勝へと駒を進めたのは、新道寺女子! 今日はその力を振るうべく、準決勝の舞台へと赴きます』
残る二校も、続けて紹介が成される。
片方は新鋭、もう片方は、最強に手を伸ばすモノ。
『更に、第二回戦ではあの千里山女子を圧倒、大将戦での猛烈なトップ争いをくぐり抜け、一位でこの準決勝卓にツキます、阿知賀女子!』
そして――
『第二回戦では阿知賀に苦戦するものの、あまりにも安定した打牌で、大将戦では一時トップを取り合う展開を見せた。あのオーラスでの劇的な上がりは、誰もが知るところでしょう! ――千里山、女子っ!』
どの高校も、決勝へ進む素質を有していた。
だれもが、そのカードを迎え入れた。
『……今年は白糸台以外の高校も、非常に大きな力をつけています。おそらくどこが勝っても、おかしなことはないでしょう』
健夜がそう一言付け加えて、そして恒子が声を大きく張り上げる。
『さぁ、Aブロック準決勝、先鋒戦、まもなくスタートです!』
円依初めての過去語り。
泉に話したかったんでしょうね。
さて、今回で第二回戦も一区切り、千里山伝説も折り返しです。次回は水曜日以降を予定してるので、頑張って書き溜め作りたいところです。