それは、後半戦が始まる直前のこと。
『ワンチャンス?』
怜は耳元に寄せられた円依の口から、そんな事を聞いていた。いきなり飛び出した麻雀用語に、思わず眼を白黒させる。
『あぁ、いえ別に、壁になってるなってないの話じゃないですよ、園城寺さんのチカラの話です』
『えっと、どういうことや?』
突然、竜華から隔絶させられ、いきなり飛び出してくるには、わけのわからない話だ。
『……ダブル、二巡先のことですよ。――一度だけなら問題はない、だそうです』
その言葉は怜にとって、ほとんど寝耳に水と言って良いものだった。なにせ今までそんな単語、忘れてすらいたのだ。
昨日の調整が長引いて、しかもそれが“ダブル”すらも越えた話で、そんな事、殆どどうでも良くなっていたのだ。
『あのあと、一応監督には相談したんです、一巡先のことは知ってるみたいでしたし、無茶をするなら、止めなくちゃいけないので』
『あの人に……でも、なんにも言われなかったで?』
『……見れば解る、とのことでした』
もともと知っていれば、報告があっても止めはしない、――止めない理由が、あるのなら。
……なんでも、監督曰く、時期的に、今倒れてもインハイには間に合うから、無茶をするなら死なない程度にしておけばいい、だそうだ。
『生徒の無茶を止めるのは、教師ではなく生徒の役目だ、だそうで』
生徒はまだ子供だ、何かのために無茶をすることは決して悪いことではない。そしてそんな無茶は、大人がムリヤリ差し止めるのではなく、子供が、仲間がそれを受け止めるべきなのだ。
『……それで、公式大会、園城寺さんの体調なんかを鑑みて、先生とも話し合って、一度だけなら、ワンチャンスなら問題無いだろう、と』
先生、というのは円依が怜の主治医を呼ぶ呼称だ。そんなところまで話が回っていたのかと、怜は思わず絶句した。
『私は、園城寺さんには無茶をしてもらいたくない、でも、ずっと側にいたわけじゃないから、園城寺さんには、憧れる気持ちもあるんですよ』
複雑なものだと円依はそっと笑ってみせた。これがもし、もっと無責任な立場だったら、もっと怜に近しい立場だったら、自分の考えも、はっきりしていただろうに。
袋小路のようなものだ。出口のない、考えの渦に呑み込まれてしまうのだ。
『――安心せいよ、円依。私は負けへん、心配なんか、させへんから……だから見とってや、ウチの全力、円依が信じる、私の姿を――!』
それが、後半戦直前に、円依と怜が交わした言葉だ
そして、時刻は東四局へと戻る。
絶対的な照の連荘、しかしそれは玄の圧倒的な闘牌によって、一度目のストップがかかった。
しかしその次がこの親番、ここで稼がれれば、そんなストップも無意味なものになってしまう。
前局、前々局と一歩も手が出なかった怜だったが、ここに来て好配牌を得る。配牌二向聴、そしてその配牌も、三巡目にして一向聴となった。
(――ここや!)
怜は直感的に感じ取っていた。
南四局のラス親は、照も稼いでくるだろう。しかし、そうそう大きな点数を稼ぐこともないだろう。
そう考えていた。
と、いうのもこの卓には玄の存在がある。どれだけ点を稼ごうとも、玄がチャンスを活かすなら、照が二度満貫を和了るよりも大量の点数を奪っていく。
可能性として、十分有り得ることだというのは、玄の和了りで証明された。
故に、怜はこの東四局をチャンスと見た。
現状前半に一度和了ったきりで、ほとんど焼き鳥が続く怜は、ここで何としてでも点を稼ぎたい。
目標として、怜はトップで円依へバトンを繋ぎたいのだ。故に、ここで引いて逃げる訳にはいかない。
泉は点を稼がないだろう、失うことは絶対にないが、逆に増えることも殆ど無い。格上の相手に、防御のみへ専念しているからこそ、あの泉は強いのだ。
――自分たちが、稼がなくてはならない、こと準決勝にいたって、怜達の思いは強かった。
――そして怜はダブルを展開、次巡のツモを切り替え、更に聴牌している。そして、
「ツモ!」
ここに至る。
怜の顔に、疲労と喜びが混じって跳ねた。
――オーラス、親照、ドラ表示牌「北」――
その後は、照の連続和了が続き、遂には3900オールを他家に叩きつけることとなった。ここまで来た照の成すべきことは、次の跳満手で松実玄と勝負することだ。
恐らくこれが最後の一局となるだろう、少なくとも、照が上がれるとしたら、この一局だけだ。
千里山はどうやら一時的に一巡先を覗けなかったようだが、前局の鳴きを見るに、感覚を取り戻してきたようだ。様子を見る限り、一巡先はよほど体力を使うようで、千里山自身の体が心配だが、ここまで手がオボついた様子はない。
阿知賀にとっても、自分にとっても、この一局が勝負だろう。千里山と新道寺はこの局では置物にしかならないだろうが、次に照が上がれば、和了るのはこのどちらかだ。
自身の手牌は、さして悪いものではない、ここで和了り切ることができれば、決勝戦での大きな目安となるだろう。
ここまで、冷静な思考を続けて、照は牌を切ったところで人心地する。神経を使う対局だ、安手を和了っているうちはいいが、満貫クラスの手になると、他家の妨害も厳しくなる。
オーラス――半荘二回で、12000以上の和了りが一度しかないなど、一体いつぶりの話だろうか。
それだけ、今年の敵は強い。――自分たちが相応に強くなった分、その相応は、周囲にも恩恵を与えているのだ。
(……風越)
思うのは、長野から飛び出してきた強豪校、風越女子の事だ。今年の優勝候補と呼ばれ、白糸台第一の敵と目される、目下全国“最強の敵”。決して全国最強ではないだろうが、敵としては、間違いなくこれほど手強い相手はいない。
しかし、その風越を前にして、この準決勝は、大きな壁となるようだ。
そして自分はそれを見極め無くてはならない。阿知賀と千里山、このどちらかが決勝に白糸台とともに来たとして、果たして照はどこまで手を打つべきか、それを見極めるための、準決勝だ。
誰もがただやられていくわけではない、これは麻雀だ、そんな事は当たり前。だれがどんな麻雀をしようと構わない、ただ自分は和了るだけ。
(……さて、まずは一つ、和了っておこうか)
ここでどれだけ点を稼げるか、アタリマエのことではあるが、それが白糸台の明暗を分ける、阿知賀女子と、千里山女子、ただ敵としてあるだけではない、闘うだけでも危険が及ぶ、文字通りの強敵で、間違いはないのだ。
――理性は勝利を告げる、本能は闘牌を求める。何よりも直線的で、あらゆるものに暴力的で、照はそれを渇望と知った。
何もかもが形を持たない牙でしかない、すべてを喰らわんと欲する、貌すらも持たない無面のモノだ。
なんと呼べばいいだろう、なんと叫べばいいだろう、この渇望を、この熱望を、この感情を、
その問に答えはない、ただ解っていることがある、言うまでもなく、すれば良いと、知っていることがある。
それを己は今から覇道とともに征く、全てをなぎ払い、すべてを手にし、そして勝利の美酒に酔うのだ。
さて、始めよう。
さて、確かめよう、そこにあるもの、そのすべてを。
さぁ――麻雀を打とうか。
玄/打7
照/打一
牌が踊る。
玄/打2
照/打中
湖面に照らされた月影のごとく、ゆらりゆらりと、浮かんで消える。
玄/打2
照/打西
水面の月を、掬い上げるかのように、二人の手のひらが、卓上を踊る。ひらひりらりと、舞っては跳ねる。
「――カン」 東「東東」東(ドラ)
――新ドラ表示牌「4」
玄の目が、スパークとともにチカラを弾けさせる。
広がるように辺りへ舞ったそれは、風となって照を叩いた。
照/打④
自摸切り、ここに来て、照の手が、一度止まった。
巡目はまわる、卓は深く深くへと潜っていく、その卓は、信じられないほどに水面のそこへと近づいていた。
照/打⑧
再び、手出し、照のてが再び動き始める。
右手に、不可思議なチカラが宿る、回転する風となって、手を覆うコテとなって、爆煙漂う戦場を、照の右手が駆け抜ける――!
玄/打南
迎え撃つのが、松実玄、真正面から、照の闘牌を受け止める。
照の暴風まとう右手から、跳ねた牌がそのまま河へと捨て置かれてゆく、そして消え、玄は再び手をかざす。
「――カン」 5「55」5(ドラ)
そして、
時間は徒には過ぎて行かない、あらゆる意味を取り持って、去っていく。すべてをすべてが受け入れる。
その時は、やってきた。
(――出来た)
その思考は、ほぼ同じようなものだった。
(――メンチン平和、ツモって倍満の手、ここまで出来るなら、僥倖)
鉄面皮のまま、一瞬だけ玄を見る。そして、
(――ツモり四暗刻、ここまで来たなら、確実に上がる)
睨みつけるような玄の視線が、丁度それにぶつかった。両者はただ、手牌へと向く。
(――さぁ)
(この手で、白糸台を――)
(この手で、阿知賀を――)
――迎え撃つ。
♪
――ずっと、待ち続けてきた。
誰かが遠くへ行ってしまう時、自分はただ待つことを選んだ。待っていれば、いつか戻ってきてくれると信じていたから。
故に、松実玄は、ただ待つことだけを望んだ。
(そして皆は、戻ってきてくれた。和ちゃんは、ちょっと遠くにいるけれど、でも、今この場所で、この麻雀卓でつながっている)
だから、きっとそれは間違って居なかったのだ。別れていった人を、自分は待った。そんな自分は、正しかったのだ。
(……でも、皆が目指す目標は、とってもとっても高かった)
“優勝しよう”。心がひとつになったのは、多分それを決めた時からだった。阿知賀女子麻雀部は、その時から生まれたのだ。
(初めは、この場所が、とてもとても遠くに感じた。どこか知らない場所へ行ってしまうことよりも、自分が、そんな場所へ向かう皆を追いかけるのは、無理だと思った)
けれども、自分は今そこに居る。全国の舞台――皆で決めた、最高の目標が手に届く場所へ。
ただ待っているだけだった。
ただ呆けているだけだった。
そんな自分が今、気が付けば昔からみれば信じられないくらい前へ進んでいた。
(ただ、待つだけじゃダメなんだ。ただ、そこに在るだけじゃダメなんだ。前へ進むこと、どんな事でもいい、私は前へ進むべきなんだ)
だれだってそうだ。
成長し、大人になって、その時ただ待ちぼうけていたのでは、それは単なるマヌケにすぎない。
前へ進んだものこそが、望みを叶える資格があるのだ。
(私は、麻雀がしたい。私を前へ進ませてくれたこの麻雀で、阿知賀女子の麻雀で、優勝したい!)
それは、何よりも尊いことで。
それは、何よりも簡単なことで。
(私は……前へ進む、私の、私だけの――)
「……ツモ! 四暗刻の一本場は」
穏乃がいて、憧がいて、灼がいて、晴絵がいて、宥が居る。
自分は、そんな中で麻雀を打っている。
きっとそれは、
「8100! 16100です!」
誰よりも、自分らしいことだから。
玄は、万感の思いを込めて、その宣言を終えた。――対局が、終了したのだ。
♪
『や、く、ま、ん! 和ぅ了ぁぁぁ! 阿知賀の松実玄選手、ここにきて、特大の一発を、白糸台へ、千里山へ、新道寺へとぶちかました!』
『いぃ!? ……一度目のカンで赤五を含む箇所にドラが乗ったことが、今回の勝因でしょう』
対局者達の顔は、それぞれだった。
疲れ気味に怜が立ち上がり、入り口までやってきていた竜華の肩を借りてその場を退出する。
次は負けない、少なくとも彼女の目は、そう語っているようだった。
――三位:千里山女子。
三年:園城寺怜。
75700――
新道寺の煌ももう用事はないとそこを立ち上がり、ひとつ深々とお辞儀をして、すばらとこぼしながらその場を去った。
出来るだけのことをした。悔いのない麻雀をした、それは恐らく間違いないことだろう。
――四位:新道寺女子。
二年:花田煌。
51900――
「――お疲れ様でした」
酷く落ち着いた声で、照が他校へ向け言葉を発した。
最後の役満和了は、彼女としても一歩届かない部分があったのだろうか、その顔は、いつもより少しだけ陰りが見える。それでも、その風格はそのままだった。
――一位:白糸台高校。
三年:宮永照。
143300――
「……おつかれ、さまでした!」
松実玄は、この宮永照が同席する対局で、唯一のプラス収支を守った。その顔に一片の曇もない、オーラスの役満は、偶然に助けられてた点、照が“見”に回った点など、様々な要素があっただろうが、そこに至るまでの道筋、特に倍満ツモなど、玄の実力と言って差し支えないだろう。
――この全国で、今現在、誰よりもチャンピオンに喰らいついたもの、松実玄の、準決勝先鋒戦は、コレで終わった。
――二位:阿知賀女子。
二年:松実玄。
129100――
さて、忙しい時間に予約をし、そのまま忘れて放置してましたが、準決勝先鋒戦決着です!
照と玄の激闘は、第二回戦副将のような勝者二人の形で決着、怜とすばら先輩は(次があれば)頑張ってほしいものです。
今書いてる副将戦がえらく長くなりそうなので、次回の投下目標は日曜とします。