“それ”を最初に円依が使用したのは、準決勝に向けた千里山調整の場であった。現状準決勝では阿知賀の玄に白糸台の照、全国最強クラスのバケモノに対抗しうる手段はなく、怜は耐えるしかないという結論に至っていた。
故に怜の調整が今回の主題であったが、どちらかと言えばその場はレギュラー全員の打ち方に対する調整というのが近く、円依もその輪に加わっていたのだ。
そしてその時、“それ”が起こった。
最初に振り込んだのは怜だった。改変の隙をついた円依のリーチに、一発で振り込んだ。まるで怜の打牌を知っていたかのように、円依は手を作っていたのだ。
その後、千里山の全メンバーが円依の“直撃”に挑んだ。しかし、円依に狙われてなお和了ってみせたのは、円依の思考を完全に読みきった、二条泉ただ一人であった。
泉いわく、“円依は狙いが単純だから、そこを突けば和了れる”そうであるが、その狙いを看破する、しない以前の問題に、和了られてしまうのだ、何を持ってしても。
コレに対して、円依はある説明を行った。
『心情の変化があって、打ち方を変えた』
いわく、これまでの打ち方と現在の打ち方はある一点が別向きになっただけで決して何かおかしなチカラに目覚めたわけではない。
あくまで、円依の実力の内、別に隠していたわけではなく、打ち方の違いなど、目新しい部分に惑わされているだけ、だそうだ。
『多分、準決勝は大将まで回していただければ確実に勝てると思います』
円依がそういったのもその時だった。
どれだけ点差が開こうと、大将戦まで縺れ込めば確実にトップで帰ってくる、それが円依の宣言であった。
また、余談ではあるが。
『決勝は無理ですけどね。これを突破するには、私のことよく知っているか、私の全雀力に匹敵する“チカラ”を持った相手でないといけないんですけど、その両方を持つ相手が対局者の中にいますから』
だそうだ、――故に、準決勝での勝算である。もちろんそれは言うまでもなく誰もが理解していたが。
そもそも、決勝戦の大将戦で予想される状況で、勝てる、と断言できるものなど、千里山にはいないのだが。
結果的にそれは三年生レギュラーのやる気に火をつける結果となった。絶対に負けられない、と考え、そして中堅までにトップを取る、という方針をたてたのだ。
しかし結果は奮わず、円依との対局によって植え付けられた精神的不調により順位は下落、副将戦に至るまで、第二位の地位すらも、得ることはかなわなかった。
要するに、現在の状況は、円依の自業自得であるのだ。――尻拭い、とも言えるかもしれない。
そんな中で、円依はトップを守るべく、戦っていた。
――実況室。
対局者、観客、その他会場に居るすべての人間で、円依の和了を正確に理解できるものは、果たしてどれだけいただろう。
『――ツモ、4400オール』
「きまったぁー! 六連続、和了ァーー! 再び千里山の圧倒的な打牌がサクレツゥ!」
小さな個室である実況室に、実況、福与恒子の絶叫が響き渡った。思わず隣に座る解説、小鍛治健夜が耳をふさぐほどである。
しかしその分、マイク越しの観客は、その迫力に歓声を上げているのだが。
「――ですが、少し瀬野選手の和了りに焦りが見られますね」
小鍛治健夜。日本最強クラスのトッププロは、円依の“仕組み”を理解したものの一人である。
「あ、焦り……ですか?」
「はい、本来であればこの和了り、新道寺からの直撃を狙うためのものです」
信じられないという声で、恒子が健夜の言葉に問いかける。少なくとも恒子の視点からは、今の円依は圧倒的な卓の支配者にしか写らないのだ。そういった支配される側の感情は、まったくの無縁に思える。
しかし、それは違うと健夜は真っ向から否定する、そこに躊躇いの色はない。
「今回の場合、既に阿知賀が一向聴まで手を進めていました。そうなると個々で和了らずに進めた場合、阿知賀に和了される可能性があったわけです」
「……そうすると、どうなるんです?」
「瀬野選手が作った幻が消滅します。……端的に言ってしまえば、この圧倒的な状況も、すべては瀬野選手が作った幻なのです」
え? と、恒子の疑問符は、その説明を聞くほぼすべてのものの総意であった。わけがわからない、と。
「現在瀬野選手が行なっているのは、他家からの出和了りで、他家の意思を封じることと言えます」
「ふう、じ……? えっと」
恒子の混乱は最もだ、現状の円依は、周りから見て異様といえる。しかしそれが円依自身が望んで作り上げた“幻惑”だとすれば。どうか。
『――ロン、37500』
「おぉぉーーっとぃ! 千里山の瀬野円依、またまた和了ぁ! しかも今度は親の三倍満、子の役満よりきつい一撃が、阿知賀の点棒を一閃だ!」
そんな最中に卓が動いた。穏乃が三倍満に振り込んだ。待ち受けていたかのように、円依がそれを成したのだ。
「聴牌までの速度が今までの瀬野選手とは段違いですね」
健夜はかるくそうコメントを残すと、一拍と恒子の実況が終了するのをまって切り替える。
そこに恒子の質問がすぐさま飛んだ。
「あの、さすがに幻だったとして、こんな高火力連発できるとは思えないんですけど」
「もともと瀬野選手は超高火力雀士です。龍門渕の天江衣ほどではありませんが、こうした爆発力の高さは、他家にない特徴と言えます」
「……そうですか?」
「高く感じなくとも、彼女自身は高くしないといけない、そう考えているはずです。ただ連荘するだけであれば、宮永照の方が圧倒的ですからね」
別に円依のそれは、速度で優っているわけではない。他家が和了れないタイミングで、直撃させるから強いのだ。
「実際、聴牌することは不可能というわけではありません。たとえば――」
『リーチ!』
それは阿知賀の宣言だった。
前局、三倍満の直撃を受けたにもかかわらず、阿知賀は再び飛翔する。なんどでも、なんどでも、躊躇うこと無く和了へ向かう。手を止めることなどできない。諦めることはできない。
悔いのない麻雀を、自分の討てる最高の麻雀を、阿知賀の高鴨穏乃は、そう決めて麻雀を打っているのだ。
「――このように、リーチをかける事も可能です。和了できるかどうかは運ではありますが……」
『ロン、19800』
「なるほどー、つまり瀬野選手のバケモノっぽいのは、“気のせい”なんですね?」
「身も蓋もない言い方をすれば、まさしくそのとおりですね。むしろこの和了も、これまでの和了も、すべて円依選手が全力で和了へ向かった実力だといえます」
他者の尻込みという面を除けば、円依のしていることはすべて円依の実力の内。故に円依は無理な和了はできないし、満貫以上の手には、若干のブレがある。
強さは変化していないのだ。あくまで、ある“方向”が転換されただけであって。
「たとえば、数局前、白糸台の大星選手が跳満に振り込んだ状況を鑑みてみましょう」
その時の状況はこうだ。
四巡目、早々に淡が聴牌。しかしこの聴牌は数巡後、円依の聴牌迷彩により淡いのオリによって終息する。
ここで穏乃が北を切り、淡は精神的に追い詰められながらも、自身は狙われていない、と誤解し現物を全て使い切った後、北を切り出し単騎待ちの北によって撃ち落されている。
「この状況でのポイントは、阿知賀の北切り出しにより、白糸台が北を出す、と千里山が確信したことです」
「……いやえっと、そもそも北はあの状況では安牌なので、自摸ればでるとは思いますが、出るって確信なんかできないんじゃないですか?」
「できますよ、白糸台は必ず北を持っている訳ですから」
――これが、これこそが淡の弱点とも言うべき部分、もしも、低確率ではあるが淡がオリを選択したとき、最初に切り出す牌は何か、――当然字牌である。淡は必ず字牌を対子にできる。故に安牌を確保しやすい。
本来それは鳴きで晒さない限り、他家が垣間見ることはないし、鳴いた場合も、対策を打つ前に和了られるのだが、淡がオリを選択すれば、状況は違ってくる。
手牌が透けるのだ。
「大星選手はそれぞれ対応した字牌を対子にできます。この場合は東に対する北、というように。そしてオリを選択した場合のみ、十三の牌の内、二つが完全に透けるんです」
そこを、狙い撃つ。
本来であればその牌を単騎で待つ状況を、作れるはずもないのだが、今回は淡に聴牌以降の流れがなく、他家に字牌が流れたがために、それが可能となったのだ。
そこを円依が完全に読み切り、和了した。
「つまり、そういった字牌は基本的に完全な安牌、一枚切れていれば、ほとんど心置きなく切ることができます。大星選手が振り込んだ時のように」
「……なるほど」
阿知賀が北を切った時、円依は確信した。北が出る、白糸台が北を切る。
それを利用し、現物である東が完全に消失した段階でリーチをかけ、想定通りに白糸台を直撃した。
そしてそれを利用したのだ。
幻として、円依自身を強敵と見せる“ギミック”として。
――それが、円依のトリック、この卓の絶対的支配者、瀬野円依のカラクリなのだ。
言ってしまえば、円依のそれは闘牌の転換、打ち筋の変質といっても良かった。今までの円依は、異様に染めた捨て牌から、相手に“捨てさせる”ことを主目的としていた。
それを、今この場において、円依のそれは、他家から牌を“引き出す”ものへと、変質したのだ。
受から動、百八十度の転換だった。
「ですが、それはあくまでカラクリ、故にその支配が通用するうちに、瀬野選手は新道寺を飛ばそうとしているんです」
「とば……え? 新道寺、まだ六万点ありますよ? これを削り切るって、役満直撃させないと難しいんじゃ――」
「……すればいいんですよ、直撃を」
「……は?」
健夜の言葉は酷く単純だった。――しかし恒子はわけがわからない、という切り返しをした。理解しがたかったのだ。役満は決して狙って上がれるようなものではない、役満を和了することの多い実力者というのは数名いるが、円依は決してそうではないのだ。
「――必要であれば、役満すらも聴牌しうる。それが本物の、実力者なんです」
そんな健夜の言葉を、恒子はけっして否定はしなかった。自分の真横に、その実例が存在するからだ。
しかし、その実例と瀬野円依は別だと考えていた。関係ない、関係ないのだ。役満をしようと思えば和了できるものがいたとして、瀬野円依がそうであるなど――
それは、誰もが考えていることだった。故に健夜の解説を、信じたものは、円依のチームメイトである千里山においてすら、たった一人しかいなかった。
だれもがありえないと考えた。
しかし、それでもなお――その局は、始まっているのだ。
――対局室。
――東四局八本場、親円依、ドラ表示牌「6」――
(――ようやっと、ここまできたばい)
ずっと、待っていたのだ。
新道寺大将、鶴田姫子は時を待っていた。唐突にはじまった千里山の無双劇、しかし新道寺はその眼中にはなかったのだ。ここまで一度も振り込むこともなく、他家が墜ちてくるのを待っているだけでよかった。
無様な形かもしれない、ここを勝ち抜いたとして、決勝戦で勝てるとも限らない。けれども、
(諦めるなんてことだけは、したくなか!)
それは姫子が決めた最後のライン、諦めることだけは絶対にしない、心が折れない限り、どれだけ無様だろうと、どれだけ惨めだろうと、それだけは守ると決めたのだ。
手牌は配牌一向聴、決して悪いものではない、まずはどんな形であれ和了する、この悪夢じみた東四局を終わらせて、仕切り直しの形に持っていく。
もしかしたら、自分の和了など意味は無いのかもしれない。千里山の蹂躙は続き、為す術もなく自分たちはやられていくのかもしれない。
それでも、やらない訳にはいかない。
負けるわけには、いかないのだ。
姫子/打東
牌をつかんだ姫子の手が、ゆっくりと牌を卓上へ叩く。小気味の良い第一打。迷いのない真っ直ぐな一打。
それは、対局の開始に相応しいものであり、姫子にとっての始まりだった。
しかし――
――新道寺、控え室。
「姫子――!」
「姫子さん!」
静まり返る控え室、姫子の対局を見守っていた哩と煌の二人が思わず立ち上がり言葉を上げる。
そこにある感情は一言で形容しがたいものだった。――どうしようもないのだ、こんなもの。
避けようもないし、逃げようもない。姫子がまず第一打で切って当然の牌。それを姫子は切っただけだ。
思わず言葉とともに立ち上がった二人は、それぞれ違う反応を見せた。哩はあまりのことにモニターから目を離し、煌は力なく再びソファに持たれこんだ。
煌の目線は未だモニターを向いてはいたが、それは些細な事だった。
もはや感情とすら言い切れない思いの群れが、新道寺の中をかけめぐって消えてゆく。
後には何も残らない。
それは焦土だった、勝者が敗者を越えていった後、どうしようもないモノ。
――千里山、控え室。
「――本当にやりおった……!」
ポツリと漏らしたセーラの一言、それは千里山全体の総意だった。信じられない。ありえない。そう言葉にするしか、彼女たちにはできなかった。
「円依……」
竜華の膝に体を預ける、怜が思わず言葉を漏らす。その表情にあるのは、若干の驚愕と膨大な喜び。
知っているのだ、この円依が、どれだけ前へ進んでいるかを。
離れて座る泉のように。そして、泉は――
「第二回戦ときみたいやなぁ……」
そんな風に、なんというでもない言葉で感情を表していた。
泉は知っていた。モニター越しに映る円依が、ようやく前へ歩をすすめたのだということを。
円依はようやく歩き始めたのだ。今まで抱え続けてきた感情も、理不尽によって抱えてきた違和感も、すべて呑み込み取り込んで。
「……でも、今の円依は、もっと特別にみえるわ」
ポツリと漏らす。今まで泉は、円依に憧れを抱き続けていた。追いかける存在として、円依を見てきた。
目標があるということはそれだけ前へ進めるということで、泉にとっての円依が――中学の時にみた中堅戦が――それだった。
けれども、泉は少しだけプライドが高かった。自分が強い、強くなったという自負があった。千里山女子で、初めて円依を“憧れ”だと認識した時。泉が望んだ感情は、共にあるということだった。
認めることをしなかった。眼の前に在る親友が、自分の一歩前を進む人間であることを。
共にある、それ故に対等である。泉は円依に、それを望んだ。
(追いついた、なんてちょっと失礼やな。ようやく――“交わった”んや。私と円依が、前へ進む私達が)
この対局は、その証。
圧倒的な闘牌で、他家を圧倒する円依の姿は、何の臆面もなく戦い続けるその姿は、昔憧れた円依そのもので、泉が共にありたいと誓った、円依の面影を、少しだけ残していた。
モニター越しに、円依が動く。
新道寺の第一打。それに呼応する和了宣言。
ゆっくりと牌が倒されて、それは姿を現した。
『――ロン』
泉は、そんな円依を、ただただひたすらに、見つめ続けているのだった。
――対局室。
激闘が続いた準決勝。その最後を飾るのは、円依のバケモノ染みた闘牌だった。そしてそれは、大きな結果となって、卓上に姿を現す。
「――国士無双。48000は、50100」
避けようのないそれは、明白な刃となって、姫子を貫いた。
宣言する円依の目線、向かう姫子のその瞳には、光という存在が欠けていた。
――実況室。
「決まったぁ! 千里山女子、ここに来ての役満和了! 本日二度目の役満が飛び出したのは、千里山女子! 不調のまま大将戦を迎えた千里山でしたが、ついに爆発、新道寺に引導をわたしました!」
次局、新道寺を飛ばし、準決勝を終えようとする千里山女子に、阿知賀の高鴨穏乃が肉薄。聴牌まで手を進め、しかし聴牌した次巡の打牌を千里山に討ち取られるととなった。
「――次が、この大将戦、最大のヤマ場となりますね」
和了の打点を、積み棒による打点が上回るというとんでもない事態を迎え、それをまるごと穏乃が円依に手渡した時点で、健夜がそう呟いた。
それから、問いかけるような恒子の視線に答えて、続ける。
「この対局で、千里山はこの大将戦を終わらせるつもりだったはずです。しかし結果的にはそれを諦め、手をかなり妥協しています。それも阿知賀が瀬野選手の“幻惑”にまったく屈していないためです」
新道寺は、心を折られた。
白糸台は、諦めた。
それぞれ自分の描く最高の麻雀を、圧倒的な強者によって押しつぶされて、消えていった。
この対局中、両者はほとんど手なりで手を進めてはいるものの、新道寺にも、白糸台にも聴牌気配はない。
円依の術中にとらわれて闘う牙を見失った対局者。――それがこの準決勝本来の姿であった。
けれども、その中に一人だけ、あきらめないものが居るとするなら。
どれだけ敗北しようとも、前へ進むものが居るのなら、円依の幻は、自然と消えてしまうものなのだ。
この円依の闘牌によって、もっとも点数を大きく削られたのは、他でもない阿知賀女子だ。倍満放銃、三倍満放銃と、他家と比べてかなりの点棒を、一度に消失させている。
一度の役満におられた新道寺よりも、よほど精神的な苦境にあるはずなのだ。戦ったが故に、失ったのだから。
ただ失うだけならば、ただ理不尽に見舞われるだけならば、どれほど良かったことだろう。
戦って負けたのであれば、言い訳はできない。自分の感情に答えを持ち出すこともできない。
負けたのだ、その時は純粋に。力不足、役立たずでしかないのだ。
――それでも穏乃は、敗北を物ともしない。知っているのだ、自分が誰よりも弱いということを、誰よりも、前へ進まなければならないということを。
「少しずつ、流れのようなものが阿知賀へと向き始めています。ここで対局を終わらせなければ、阿知賀によって、ようやく築いた点差も千里山は失ってしまうかもしれない」
故に闘う。
故に、ここですべてを終わらせる。
もしこの一局で、円依が新道寺を飛ばせれば、文句なしの完全勝利、しかし阿知賀がここで和了るのならば、阿知賀は千里山に肉薄するだろう。
十万点以上の点差も、たちまち無に帰していくこととなる。
それ故の、決着。
それがための、闘い。この東四局九本場、勝利者を決める、最後の対局が始まる。
泣いても笑っても、これが最後。阿知賀が決勝へと進むか、それともこの場で涙をのんで敗退するか。
それが、いまこの瞬間に、決まるのだ。
――東四局九本場、親円依、ドラ表示牌「五」――
(この一局で、終わらせる。ここで阿知賀を討たないと、風越も来るっていうのに、阿知賀も同時には、相手にしていられない)
対面。真っ向から向かい合う、一人の少女の姿を円依は捉えた。不思議と円依を覆う風が、彼女の周囲を吹きすさび、ある種の形を持って顕現する。
それは絶対的なチカラを、円依自身が創りだしたものであり、円依が、円依である所以。
(さぁ――始めようか。わたしの麻雀は、何よりも、前に進むためにある!)
最後の闘牌。
それを覚悟の内と秘め、円依は牌に、手をかけた。
阿知賀の少女、高鴨穏乃は、たしかな実感とともに牌を切り出す。ようやく届こうというのだ。圧倒的な千里山の闘牌に。
――瀬野円依は無敵ではない。どれだけ圧倒的に見えようとも、どれだけ強く思えようとも、それが絶対であることはない。
穏乃はそれを断言した。してみせた。
知っているのだ、円依から、出和了りすらも可能であると、穏乃は知っているのだ。目の前の強敵は、あくまで越えることのできる壁であると。
勢い任せに叩いた牌が小気味のいい音を聞かせてくる。自分の意志だと、穏乃は思った。
牌を切り出した先、牌を手放した後の右手を少しだけ、振るうように円依へ向ける。
宣戦布告だ。最後の勝負を、己自身へと告げるための。
静まり返った対局室。テンポを得るためか、響き続ける卓の音。究極的な穏乃のそれは、直線的な自分の証へとつながった。
穏乃のそれと、円依のそれ、両者の想いがぶつかって、千里山と、阿知賀女子、二つのすべてをかけた闘いが、始まったのだ。
「――立直!」
穏乃は、六巡目に立直をかけた。高め三翻の手を、これで四翻に変えたのだ、満貫手である。
親を流すことだけを目的とするならば、リーチを掛ける必要はない、和了るための役は既に用意されている。後はそれを上がればいいのだ。
――それでも、穏乃は面前で牌を曲げた。
それは、円依に自分の存在をアピールするためのものだった。テンパイすれば円依は穏乃に意識を向けざるを得ない。前局のように、焦って手を安くする可能性は十分にある。
その上で、穏乃はそれを逆手に取った。ただ和了を目指すなら、一直線にそこへ向かえばいい。けれども、誰かに振り込む可能性があるのなら、円依はそれを考慮せざるを得ない。
ダマテンでもそれは可能だろうが、その場合、円依は穏乃のそれを“見なかったことに”することだってできる。
ただ、この状況で、立直をかけるのであれば、その逆で、円依は穏乃に、意識を囚われる事となるのだ――
ただ、それだけではない。穏乃は感じ取ったのだ。ここで立直をかけなければ、絶対に後悔することになる、と。立直をかけなかったことにより、絶対的に自分の中で、自分を許せなくなるのだと。
故に牌を曲げて心を尖らせた。
真っ直ぐ前だけを見て、手を進めた。
それは、果たして――
(――聴牌じゃない!)
――円依手牌――
三四五(赤)③④⑤⑤(赤)⑤(赤)⑥3457 六(ツモ)
(ってことはー、掴まされたか。……うんそうだね、切ると振り込む。それだけは勘弁だ)
円依は恨めしげに牌を眺めながら、流れる手つきでそれを選ぶ。
当たり牌の一枚は、ここにある。果たしてそれで間に合うかどうか。穏乃が自摸ればそれでおしまい。状況は一変してしまう。
(なんとか、なんとか自摸らないと ――っ!)
再び牌が一周する。穏乃はそれを自摸らなかった、流れが傾いてるためだろう、円依への直撃という形でそれが現出したのだ。
続くツモ、五筒を自摸り、ようやく聴牌。
(――よし、聴牌。勝負だよ、阿知賀のマケンキ! 強大な敵として、決勝戦の壁となるか、それとも……!)
阿知賀の当たり牌が、円依の感覚通りであるならば、この対局、勝負を決めるのは穏乃の立直。
自分の和了は、単なる結果でしかない。
――そう、これが最後だ。
――今年のインターハイは、競技麻雀としては非常に特殊なルールである。赤四の採用と、責任払いの採用は、その最もたるものといっていい。
そしてもう一つ、今年のインターハイを特徴付ける、通常の大会であれば特殊なルールが、存在している。
――姫子/打六
それは――ダブロン。同時和了の場合、ダブロンであれば精算、トリロンであれば流局、がこのインハイルールである。
通常であればダブロンが採用されることはないのだが、今年のインハイはそうではない。
まるで、何かを選定するかのように、こういった“特殊な状況”に特化したルールが、多く存在しているのだ。
「――ロン!」
「ロン」
阿知賀と、千里山、両者が同時に牌を倒して、そしてそれを宣言する。円依の手は倍満手、穏乃は満貫以上が確定している。
そして、
『な、な、な、なんということだー! このダブロンにより、新道寺は飛び終了、そしてトップは千里山が確定、しかし――!』
『この和了により、白糸台と阿知賀の点差はほとんどありません。裏が乗れば阿知賀の決勝進出が、裏が乗らなければ、白糸台の決勝進出がキマリます』
すべての決着は、高鴨穏乃へと、委ねられた。
(――これで、決まるんだ)
ドラを含めた牌を掴んで手元に寄せて、穏乃は裏ドラに手をかけ思わず唾を飲み込む。
手に熱がこもるのを感じた。緊張による汗が、否が応にも穏乃の体温を上昇させる。
(この、ひとつの牌が、私達の全部を決めるんだ。私達の思いが、全部ここに集まってるんだ!)
穏乃の手牌には、対子がひとつ、刻子が三つ。この四つの打ち、どれか一つに裏が乗れば、跳満となり、阿知賀が白糸台を、まくることとなる。
(私が無茶をしたから、この裏ドラに頼ることになった。もし、負けたらそれはきっと私のせいだ)
なんとなく、なんとなくではあるが考えていた。ダブロンのルールが採用されている以上、それによって新道寺が飛ぶかもしれないということを。
故に、立直をかけて、それは結果的に正解だった。
そして、ここで最後に裏を載せれば、阿知賀は準決勝に勝利する。
千里山には負けたけれども、決して同等出なかったわけじゃない、次で勝てばそれでいい。
けれども、それが不可能である可能性も十分ある。
(もし、負けたら多分私は後悔する。すっごくすっごく悔しく思う。それはきっとアタリマエのことで、勝負に負けるって、そういうことなんだ)
穏乃の目線から、裏ドラが霞んで消えてゆく、涙が出そうだ。耐えられないくらい、感情があふれているのだ。
(――でも、私は私のしたことに、後悔だけはしたくない! こうして最後のチャンスを掴んだ、それ自体が、私の打ってきた――麻雀のすべてだ!)
後悔はない、といったら嘘になる。
皆がつないできた点数を失って、そして負けてしまったのなら、きっと自分を責めたくなる。
それでも、それでもだ、もう一度穏乃は立ち上がるだろう。
この牌で、すべてが決まる。もう一度そう考えた時、自然と穏乃の目線に、最後の希望だけが移った。
(そう、そんな自分の選択こそが、麻雀だ。ありえないほど膨大な感情の中で、自分という存在をつかみとる、それこそが麻雀だ! ――ねぇ、和)
穏乃が思い浮かべたのは、共にある仲間ではなかった。――必要なかったのだ、今この瞬間にも、仲間たちは共にいるのだから。
そして穏乃は、そっと目前へと、手を差し伸べる。
手を伸ばした先に在る影。
夢見た先にある舞台。
ここで、そのすべてを決める。
(――和、私は……今、最高の麻雀を、打っているんだ!)
そして、反転する最後の牌。
高鴨穏乃は、そして――――――――
大将戦は最後のクライマックスです。
とはいえ対局自体は終了したので、準決勝はこれにて終了となります。
次回以降は時間をかけて、今週中にゆっくりやっていこうと思います。