咲 -Saki- 千里山伝説   作:暁刀魚

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『永遠の思い出』

 自分にとって――麻雀とは何だっただろう。

 穏乃は何気ないある時に、そんな事を考えたことがある。思春期特有の、ナーバスかつ答えの見つからない悩みだった。

 趣味、特技、好きなこと、なんでもいい、とにかく答えを出してみようと、その時は考えた。

 結局言葉にはならなかったものの、なんとなくわかったことがある。

 

 別に麻雀は、自分にとって、さほど比重のおけるものではなかった、ということだ。

 

 考えてみれば当然のことだ。

 自分はただの子供で、麻雀で全国を目指すようなわけでもない。それに全国を目指したところで、勝てるわけではないだろう。

 穏乃という少女はごくごく平凡な凡人で、どれだけやったところで、諦めがつきまとってしまう。

 

 つまりあくまで麻雀は、仲の良い友人とした、ごくごく単純な、趣味の一つだったのだ。

 

 けれども、そんな穏乃の意識に、電撃に近い衝撃が奔る出来事が起こった。かつての友人、原村和が全中の舞台で二位という成績を残した。

 準優勝である。覇者ではない、けれどもそこに手を伸ばしたものの成績。

 

 そんな場所にかつての友人がいるのだ。それはもう、あまりにもあまりある衝撃だった。

 

 きっとその時だった。麻雀が、単なる“趣味”から逸脱したのは。目的として、目標として、明確な位置を持てるようなものになったのは。

 

(赤土さんがいなくなってしまう時も、きっと私は、赤土さんという人を見ていたんだろうなぁ、麻雀を、じゃなくて、それをする人達を見てたんだ)

 

 穏乃にとっては、誰かとともに居る時間こそが、すべてだったから。

 

(じゃあ、この瞬間は? この一瞬は、私にとってどうなんだろう)

 

 そして今――自分は対局室に居る。

 誰かと闘い、頂点を目指す、そんな場所に。

 

(分からない。わかるわけないそんな事。だって私は……麻雀を、打ち始めたばかりなんだ)

 

 どれだけこの場に想いがあったか。穏乃にはそれがわからない。

 頑張って、頑張って、頑張って、そうしてたどり着いたこの場にも、穏乃は答えを見つけられなかった。

 

(それでも、私は前に進むことを選んだ。悩んで迷って苦しんで、きっとそれが次に繋がると思うから……だから私は…………)

 

 手を伸ばした先に、わかることがある。

 目の前のそれは単純明快な答えだ。

 ただ、それを自分の中で答えにできるか、それはきっと教えてくれない。考えるしかない、わからないなら。

 

(私は……前に進みたい!)

 

 ――そして受け取った感情が、後悔なのだとしても、きっとそれを悲しいとは思わない、はずだから。

 

 

 ♪

 

 

 こうして、Aブロック準決勝、すべての対局が終了した。誰も予想だにしなかった決着で、そのすべてを終えたのだ。

 対局者たちはそれぞれの足取りで控え室へと帰還していた。

 待ち構える仲間たち、その表情は、誰もがねぎらいの色を浮かべていた。

 

 新道寺では、泣きじゃくって変えてきた姫子を、哩がそっと抱きしめた。涙を必死に堪える三年生と、少しでも前を向こうと必至に笑みを振りまく煌。そんな新道寺の様子を見ながら、哩はぽつりと、ひとつ漏らした。

 ――負けるということは、こんなにも“のこらない”ものなのか。

 

 そして、阿知賀は――

 

 

 ♪

 

 

 穏乃は、自分の気持をどう処理したものか、未だにつかめないでいた。今自分が何を感じて、何を思っているのか、それすらも解らなかったのだ。

 

 無理もない話だった。

 

 

 ――阿知賀女子、準決勝敗退。

 

 

 それは変わり用のない事実、絶対的な敗北だったのだから。

 

 大将戦が終わって、最初に穏乃を出迎えたのは、憧だった。裏ドラが捲られ、敗退が決定した瞬間、憧は控え室を飛び出していた。

 全部が終わった大将戦、そこに最初にたどり着いたのは、息を切り肩を揺らす新子憧だったのだ。

 

 憧に連れられて控え室にたどり着いた穏乃の心境を、最初に襲ったのが空虚であった。

 これで終わりなのだろうかという実感も、確信もなく、ただ虚空を眺めるように、何度か嘆息を繰り返した。

 

「……お疲れ様、シズ」

 

 そういって憧は穏乃の体を、ゆっくりと抱きしめた。

 入ってすぐで、皆の様子は、少ししか確認できなかったけれども、灼は顔を伏せていて、玄はなんとか笑おうとしながらも、顔面をくちゃくちゃにして、涙をこらえ切れないようだった。

 

 感情を表すことのできなかった穏乃は、自分を抱きしめている憧を、大きな体だと、そんなふうに思った。

 誰かを抱きとめられる抱擁は、自分にはないものだ。

 無邪気な子供のように、思わず穏乃は憧を見上げて――

 

 ――堪えようとしているのに流れてしまう、一筋の雫を、悔しいのだと思った。

 涙を表せるほどの、確かな感情を見つけられなかった穏乃は、そんな憧の思いを、正しいのだとそっと確かめた。

 

 

 ――それから、すこしして。

 誰の声掛けもなく、静まり返った控え室に、最初に木霊したのは、ほかでもない阿知賀のコーチ、赤土晴絵の声だった。

 

「――ご苦労様」

 

 それは、凛とした通りの良い声に、一抹の寂しさを隠そうとしてなお滲ませた、そんな晴絵の声だった。

 全員が、一斉に晴絵の方へ体を向ける。

 

 穏乃、憧、玄、灼、そして――宥。阿知賀女子麻雀部として、全国の舞台で戦った仲間たちは、それを導いた“先生”に、向き直る。

 

 晴絵は、必死に涙をこらえながら、少しだけ潤ませた瞳でもって、数多の感情を込めて声をかける。

 ただ、ひとつの思いを確かめるために。

 

「皆、疲れたでしょ、いっぱいいっぱい頑張って、すっごくすっごく努力して……疲れたでしょ。だから、ご苦労様」

 

 晴絵は、最初に近くに座る灼を、次に入り口に立つ穏乃を見た。

 共に灼は部長として、穏乃は麻雀部の発案者として、麻雀部の中心に立ち、皆を支えて引っ張ってきた存在だ。

 灼は誰よりもしっかり者で、個性的な阿知賀の少女たちを、ひとつの部としてまとめあげた。

 穏乃は誰よりも前向きで、皆が後ろ向きなっていようとも、それを乗り越えさせた。

 

 共に阿知賀の結束を守り固めて導いた、欠かすことのできない者たちだった。

 

「灼、穏乃! 二人共今までほんっとうに頑張ってくれた。正直、私だけじゃ……ううん、――誰かが欠けてたら、きっと阿知賀女子麻雀部は、“ダメ”だったと思う」

 

 穏乃は静かにそれを聞き入っていた。灼は、思わず立ち上がり、その表紙にこらえていた涙を大粒のものとしてこぼした、晴絵に笑みを向けられ、思わずそれに赤面して再び座り込む、声は出さなかった、けれども今度は確り、灼は泣いていた。

 

 それに、少しだけ満足して、晴絵は二人の少女に目をやる。

 

「皆は強くなった。私が知ってる時よりも、私が初めて顧問になった時よりも、ずっとずっと強くなった」

 

 そうやって見たのは、玄と憧、晴絵が麻雀教室の頃からよく知る少女だ。

 そして、この二人は阿知賀女子の中で、最も強くなった二人でもある。憧は三年間麻雀に打ち込み、玄はドラの支配をより強固な形に昇華させた。

 憧は誰よりも麻雀に真摯で、どこまでも麻雀で強くなろうとしながらも、仲間たちと麻雀をするために、阿知賀へ駆けつけた少女である。

 玄は誰よりも阿知賀女子の麻雀を愛していて、いつかきっと、仲間たちで麻雀ができると信じて待ち続けた、今は、前に進むために麻雀を打っている。

 

 共に阿知賀を実力の面で押し上げてきた、欠かすことのできない者たちだった。

 

「憧は本当に強くなったね、久しぶりに打ってみて、驚いたよ。玄も頑張った。憧はこれからもっともっと強くなるだろうし、玄はチャンピオンとだって戦えたんだ」

 

 憧は恥ずかしそうにしながらも、笑みを浮かべて晴絵のそれを聞いていた。少しだけ、頬を伝った己の涙を、憧は拭おうとしなかった。玄は泣きじゃくりながらも浮かべた笑みを、ようやく確かなものへと変えた。今もなお溢れ出る涙を、何度も何度も拭いながら、自然な笑みは絶やすことをしなかった。

 

「皆のお陰で、この皆だったからこそ、私達はここまでこれた。それは決して負けたことを悔しく思うんじゃない、ここまでこれたことを、誇りに思うべきなんだ。――そして」

 

 それぞれの顔を、晴絵はもう一度だけ見て、それからその視点をある箇所へと持っていく。

 そこには、一人の少女が居る。――今まで、晴絵が話しの中で一度も言葉にしなかった少女だ。

 

 そう、そこには――

 

 

「宥。宥はもう、泣いてもいいんだよ?」

 

 

 松実宥、阿知賀女子唯一の三年生が、そこにいた。

 

 誰もが、それは知っているはずのことだった。

 宥は一度も言葉にな出さなかったけれども、誰もがそれを感じ取っているはずだった。玄は実際にそれを聞いているし、他の皆も共に麻雀部として戦った仲間たちである、気付かないはずもない。

 

 そうだ。宥こそが、この少女こそが、誰よりも確かな勝利への目標を持っていたのだから。

 

 ――宥は阿知賀女子の中でも唯一の三年生である。それはつまり、宥にだけは次がない、ということだ。

 他のメンバーは、来年の、スプリング、もしくはインハイを視野に入れることだってできる。

 だが、宥だけはそうは行かない。

 これが宥にとって、最初で最後のインハイなのだ。

 

「……宥さん」

 

 穏乃は、声を求めるように、宥へと問いかける。

 宥には目標があった。誰よりもまっすぐな、優勝という目標が。――そして同時に、それ以外の目標を、彼女は持っていなかったのだ。

 

 麻雀教室を晴絵が始めた時、既に中学生であった宥はその輪に加わることができず、和という友人はいない。加えて灼のように、晴絵という存在への、憧れも薄い。

 だからこそ、宥には他の皆と並び立てるような“理由”がなかった。もしかしたら、宥自身はそれでも良かったのかもしれない。

 けれども、優勝という目標に思い立った時、宥はどうしてもそれを目指したくなったのだ。

 

 雀士として、高校生として、最高の舞台に立つという、その目標を、願わずにはいられなかったのだ。

 

「え、えっと……私、は」

 

 穏乃を始めとした皆の視線に気圧されるように言葉を漏らす。宥は普段と違い、深々と顔をマフラーに埋め、うつむいている。恥ずかしげな頬が、チラリとその隙間からかいま見えた。

 けれどもその本質を、穏乃達は感じ取ることができない。

 顔を隠したまま宥はぽつりぽつりと、心を言葉に、吐露し始めた。

 

「私は、ね? 玄ちゃんたちに誘われて、一年間麻雀をして、すごく楽しかった」

 

 ――楽しい思い出とは、きっと過ぎさったものを指していうのだ。

 

「私達が麻雀をしてきて、その中にはいろんな思い出がたくさんあって、どれも大切な思い出で、どれも最高の思い出で」

 

 ――人には必ず過去があり、それは幾つもの思い出となって、人の心にとどまり続ける。

 

 ――その中でも、ひときわ心にとどまり続けるのは、きっと後悔という思い出なのだ。

 

「すべてが、私の思い出に、……なんて言えばいいのかな、私の……青春、そう、青春に、欠かせないものになったから」

 

 ――人の記憶というものは、すぐに感情を失ってしまう。どれだけ楽しかったとしても、どれだけ充実したものであったとしても、結局は色あせ消えていく。

 その中で最も人の記憶にとどまり続けるのは、プラスの感情よりも、マイナスの感情なのだ。

 

「負けっちゃったのは悔しいけど、とっても、とってもとっても悔しいけど、でも――」

 

 後悔は、故に過去を思い出にする。それは至極アタリマエのことであり、だれもが送ってきた日常そのものなのだ。

 故に――

 

 

「――それが、私の思い出を……永遠に! して、くれるから」

 

 

 宥は、泣きはらした顔を、笑顔にして皆へと向ける。すべてを映した、顔だった。

 

 ――故に、宥は顔を上げて笑顔を見せる。耐えてきた感情を一つの形として創りだす。

 それはきっと、誰もが持ちうる正しいもので、だれもが浮かべうる、確かなもので。

 

 

 穏乃は、それを聞き入っていた。

 

(――あ。そっか)

 

 言葉にして、思いにしてかみきって、確かなものへと姿を変えて、やっとの思いで両手で抱えて、ようやく一つの思いへ至った。

 

 ――穏乃の心はくすぶっていたのだ。晴絵が去って、麻雀部の仲間たちが少しずつ散り散りになっていく中で、穏乃はその感情を持て余していたのだ。

 

(私……あの時からずっと――ううん、あの時でさえ、涙をながすことは、なかったんだなぁ)

 

 穏乃の感情は、きっと後悔だった。

 永遠になった最高の思い出だった。

 それなのに、穏乃は心を涙に変えられなくて、すこしずつ薄れていく感情に答えを出すことができなくて、

 

 ――今もこうして、涙をながすことができないでいた。

 

 けれども、それは今日でおしまいだ。

 

(やっと……やっと“終わった”んだ、あの時の思い出も、麻雀部での青春も)

 

 終わってしまえば、それはきっと思い出だから、穏乃はそれを初めて認識した。理解した。

 だから、

 

 

「――シズ? 泣いてるの?」

 

 

 憧にそう問いかけられた時、穏乃は素直に、頷いていた。

 気がつけば、晴絵を送り出した時でさえ浮かべることのなかった涙を、穏乃は静かに流していた。

 晴絵や宥の言葉を聞き入る、真摯で直線的な顔のまま、ただ静かに、泣いていた。

 

 

(……泣いてる。か、あの子がなくの、初めて見たな)

 

 晴絵は、阿知賀女子のメンバーを、少しだけ遠巻きに眺めていた。

 

(悔しさが永遠を思い出にする……か。きっとそれは宥なりの、自分への答えなんだろうな)

 

 それは確かに正しいのかもしれない。

 悔しければそれだけ後悔として心に残る、その時のことを思い出し、悔しさに浸ることだってできるだろう。

 

(でも……悔しいものは悔しいよ)

 

 晴絵は、見られていない今ならば、と顔を伏せて涙を流した。――今この瞬間だけのものではない、十年前、自分自身が戦ったインターハイも、彼女の心のなかにはあった。

 

(あの時私は、逃げていたんだな。この悔しさを、振り払うことから)

 

 負けたことが心に楔を残したのではない。たしかにあの対局は地獄であった。けれどもそれが、晴絵の心をえぐったのではない。

 晴絵は、負けることを恐れていたのだ、その時の、悔しさから逃げてしまっていたから。

 

(だったら、私はマダ、逃げられない。逃げたままもっと上になんて――進めない)

 

 晴絵は、プロ入りの打針をされていた。実業団で活躍した名選手である、ある意味当たり前とすら言えた。

 けれどもそれを晴絵は保留にしていた。

 断らなかったのは、きっと自分が必要ない、と考えていたからだろう。――阿知賀女子は、晴絵がいなくとも全国優勝が狙えると思えるほどに、強かったのだ。

 

 それでも、答えは見つかった。

 ――宥を除いた四人には、まだ来年がある。だから、自分はまだ――逃げられない。

 晴絵の心は、確りとした一つ者へと変わっていた。

 

 

 ――こうして、阿知賀女子麻雀部のインターハイは終了した。彼女たちの青春は、思い出となったのだ。

 

 

 最終結果。

 

 ――四位:新道寺女子。

 -26500――

 

 ――三位:阿知賀女子。

 75500――

 

 ――二位:白糸台高校。

 75900――

 

 ――一位:千里山女子。

 275100――




阿知賀女子との決着、といことで準決勝を終了とさせていただきました。
白糸台は決勝以降での回想がメインとなります。

次回からはBブロックの話も交えて、今週中には。
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