準決勝も既に後半、風越女子はトップで中堅戦までを折り返し、盤石の体制で副将戦へ臨もうとしていた。
「おっつかれー」
上埜久は、軽く笑みながら自信が所属する高校の、控え室に姿を見せた。中は狭いながらも数人がくつろぐには十分な場所で、現に大将を務める一年の少女が、今も中央のソファを陣取って眠りこけていた。
「お疲れ様です」
「おっつかれー、ですし!」
遠目から、風越女子を支える先鋒、福路美穂子が久に反応する、軽くお辞儀をして、そのまま用意していた紅茶に口を付けた。
釣られるように反応したのは、その後ろに立つ池田華菜だ、レギュラー唯一の二年生であり、次鋒を務めている。
「ま、勝ってきたわよ、宣言通り、華菜より点を取って」
「次は負けませんし! 華菜ちゃんは常に成長するんです」
三年生で、風越女子を支えるのは上埜久と福路美穂子の両名であるが、華菜はどちらかと言うと美穂子になついているようで、久のことをライバル視している節があった。
久としては、こうして後輩が強くなろうと奮起してくれるのは非常にありがたいし、久自信、来年のエース候補である華菜に、負けられないという心境もあった。
「次は決勝戦よ、それこそこっちが負けられないわ」
余裕をもたせた笑みで、久が備え付けのソファにどかりと座る。挑発的なそれは、華菜へ向けたものであり、自分に向けたものでもあった。
「……先輩」
「あら、数絵……次は副将戦よ、頑張ってね?」
「いえ……その」
「あぁ、円依のこと? よろしく言っておくつもりよ、副将戦までなんとか引き止めておくつもりだけど……期待しないでね」
わかっています、と副将を任せられたレギュラー――南浦数絵は頷いて、立ち上がる。
これから副将戦がある、第二回戦では失態を犯したのだ、次は負けられない。
「この子も起きてれば連れてけたんだけどね、昨日もそうだったけど、後から呼ぶと迷子になりそうだし」
大将戦から帰ってくる際、風越の大将である少女は、トイレに行こうと道を逸れ、結果的に道に迷っている。
既に今日はこの会場も二日目であるが、それでも無理だろう、というのはレギュラー全員の見解であった。
「ですね。まったく……もう」
しょうがない人だ。とてもやさし気な笑みで、数絵は眠りこける少女を眺めると、出入口へ向けて力強い一歩を踏んだ。
途中、久とすれ違い、軽く会釈をしてその場を離れようとする。――その時だった。
「……ねぇ」
突然後ろから書けられた声、数絵は軽く振り向いて、それから体を反転させた。久の声だ、少しだけいつもより、後ろに向いた声のような気がした。
「何でしょう」
「……私は、数絵にとってこのインターハイは経験の舞台だと思っているわ、数絵にはまだ先があるとおもう」
「…………そう、ですね」
頷くには、少しだけ顔を逸らさなくてはならなかった。既にソファへ腰掛けた、久の顔は覗けない、しかしそれでも、そこから向いてくる彼女の声は、数絵にとって感情を揺さぶって余りあるものだった。
「だから、いっぱい負けてきなさい、それくらい、決勝でもなければ許されるんだから」
「――全身全霊をもって、当たろうと思います」
精一杯、数絵にとって気合を入れた言葉であった。――若干ながら、意識が引き締まるのを感じる。このインハイ中、どこかで考えていたことがあるのだ。たとえどれだけ自分たちが負けようと、最後は大将が何とかする、そんな事を。
それこそ昨日の千里山のように、圧倒的な勝負をつけて、勝ってしまうだろう、と。
――控え室を出て、少し立ち止まりながら、考える。
だが、そう考えていたのは、恐らく数絵だけだった。千里山でも、そんな風に信じられるのは――信じられる理由は大きく違うが――同じ一年で副将の、二条泉だけだろう。
三年生、ひいては勝ちたいと思うものは、違うのだ。どれだけ勝ちを信じられる状況であっても、負けたくないという思いが先に来る。
今はインハイの団体戦なのだ、チームの勝利は重要であるが、その勝利がたった一人の手によってもたらされるなど、考えたくもない。
故の不調、昨日の千里山が起こした失態は、そんなところにも原因があるはずだ。
結局のところ、そんな風に大将にすべてを任せてしまえるのは、よほどの大馬鹿者か、その大将を、心のそこから信じきっているものだけだ。
この場合、自分が前者で、泉が後者、――同じ立場だというのに、敵わない――ふと、そう思った。
(でも――負けない。二条泉……少しだけ、羨ましく在るんだ、あの人の隣にいる……あなたが)
南浦数絵という少女の、人生の道行を決めたといっても過言ではない出来事――それは瀬野円依という一人の少女に対する大恩だった。
(今は、負けるかもしれない。負けてもいいと私は言われた。そして私が負けても、あの子は必ず風越を決勝へ連れて行く。――だから)
決めたのだ。
第二回戦、あの時のような失態を、繰り返さないためにも。――考えよう、自分の強みを、自分が何を持って風越のレギュラーに選ばれたのかを。
(……答えを、きっと決勝卓の、副将戦で――)
既に数絵は一人であった。
思考の末、行きついたコタエを胸に、既に開かれた扉へと――踏み入れた。
♪
円依はそわそわとした様子で自前の携帯とにらみ合いを続けていた。一昔前の折りたたみ式携帯を、力いっぱい握り締める。
「む、むむむ、むむむむむッー!」
顔にめいいっぱいの力を込めて、そのため真っ赤にしながらも、今かいまかとそれを待っていた。
「円依……そんな携帯にかじりついても、返事は速くこーへんおもうなぁ、ウチ」
「むむむー! むむむむっむむー! むむむむむー!」
「普通に喋らんかい」
恐らく反論しようとしているのだろうとはわかるのだが、頬を最大まで膨らませ、音だけで返事をするそれは、泉に到底理解し難いものだった。
さすがにどれだけ親しかろうと、人語外の言葉を人間は理解できないのだ。
そんな最中、唐突に携帯が音を鳴らす、どこかで聞いたことのある入店音に、円依は俊足のごとく対応した。
「もう、来てる……来てるーっ!」
「テンションたっかいなぁ」
果たして円依のキャラだっただろうか、麻雀にかかわらないことであれば、たとえ麻雀部への移動出会ったとしても。面倒だとぼやくダウナーだったはずなのだが、これも心境の変化だろうか、
やもすれば、こちらのほうが優先度が高いというだけなのかもしれないが。
「あ、いた!」
周囲をばっと見渡して、すぐ近くであたりを見渡す少女を見つけた。――現在泉達が居るのはインターハイ会場の入り口だ。複数あるフォーラムの内の一つ、ではあるが。
人探しをしているらしい円依が見つけたその少女は、泉も画面越しに見知った人物だった。
話には聞いていたものの、上埜久と知り合いだったのだな、と少しばかり感心するほかない。
去年の県予選で最後まであの天江衣を苦しめ、個人戦では福路美穂子とともに全国へ行き活躍した選手。全国での龍門渕の闘いを鑑みればわかるが、去年、衣と渡り合ったのは、上埜久、唯一人。
個人戦での成績も相まって、長野を代表する名選手である。
「上埜さん! こっちですよー!」
言いながら車椅子を操って久の元へと向かっていく。
久はその声に気づいた様子ではあるのだが、慌てて周囲を見渡して、近づく円依に気づく様子はない。
恐らくは実際に気付いてもいないのだろう、泉にしても、あの対局で円依が過去と同じオカルト頼りの打ち方をしなければ、気づくことはなかったのだから。
苦笑いしながら、車椅子を快走させる円依の後を追う。気づかないのも無理は無い、四年前に見た円依は髪を短く切りそろえ、クセのある髪をムリヤリウェーブにまで持って行っていた。その上伏し目がちで性格も底まで前向きではなかったことは、数日前の過去語りから明らかだ。
車椅子に座っているというのも、上埜久からしてみれば新鮮だろうし、今の円依は昔の円依から随分とかけ離れている。
劇的ベフォーアフテアー、というやつである。
「なんつーこったなぁ……まぁ、一応身バレ防がなあかんし、当然やろーけど」
遠くで、既に久の元へたどり着いた円依が久へ向けて声をかけている。突然の声掛けに、久は戸惑いながらも、ファンか何かかと受け取ったらしい、見事な営業スマイルで応対していた。
とはいえ、若干感づいているらしく、信じられない変わり用に、そのスマイルも頬を引く釣らせてのものだった。
遠くにいるため、会話は断片的なものではあるが、相当に愉快なものとなっているらしい。
「ぞんなぁぁぁあ゛、私のごど、わずれじゃったんでずがぁぁあ゛あ゛!」
わざとらしい声で、久に寄りかかりながら泣きついている。事件か事故か何事か、周囲の視線は絶え間なく久を襲う。
ちょうどそこはインターハイの会場入口、視線の中には、久の存在を知るものは数多い、見物人の数は湯水のごとく増えていくことだろう。
(このためか、このために円依は態々私服でここまでやってきたんか、円依ィ!)
円依は現在有名人である。準決勝での大逆転、及び他校をトバしての決勝進出は、小鍛治健夜のわかりやすい解説を以ってしても、化け物的な認識をされたらしく、気づかれれば割りととんでもないことになる。
そのため態々円依は私服を用意していた。大会中は制服オンリーが基本であるため、態々私服を持ってくる意味は薄い。それでもなお入っていたのは、久との再開を想定してのことだったのだろう。
ムダに露出が多いのは、恐らく荷物としてかさばらないからだろう、決して円依の趣味ではないはずだ。
(私、制服やし、輪に入れないんやけど、どうすればええんかな……)
まぁ、円依が楽しそうならばそれでいい、なんだかんだ言って、こんな円依今までなかったことなのだから、泉個人にしてみれば、それはとても良い兆候といえた。
(ま……感動の再開くらいさせなくちゃ、私が恨みがましくてしゃあないわ、……うん、先に行ってましょー)
楽しそうな円依の様子をそうやって感慨深げに眺めながら、泉は笑みをこぼして、昼食に使うつもりで目をつけていた飲食店に、一人足を向けるのだった。
♪
「――なんか、ほんとに変わったわね、円依」
光宿る店内、コジャレたテーブルに肘を預けて、なんとも言えない声とともに、小さく泉の目前に座る少女――上埜久は声を上げた。
店内は物静かな場所であり、熱気にまみれたあの会場とは、さながらセカイの表裏であるかのような静寂だ。
「私のファンか何かかとおもって、ちょっとうれしくなっちゃったわ」
それこそ実際にファンだったのなら浮かべたであろう、無邪気な笑みを、久は惜しげも無く見せてくれた。
円依は顔をぱぁっと明るくさせて、頬を子供のようにほころばせる。
「昔から、私は上埜さんのファンですよ、すっごく憧れてます」
「ふふ、そう言ってもらえると、頑張ったかいがあったってものだわ」
恐らく例の誤解でいじめを受けた時のことなのだろうな、となんとなく泉は思った。マナーの悪い上級生、なるほど彼女は言い得て妙だ。
「昨日はお疲れ様、すごかったじゃない」
「たまたまですよ……魔物級に、叩くと縦に伸びてくる人が相手で、あそこまでできたのは僥倖なんですから」
「そうですよ、ところどころ危うかったですし、あのくらいならなんとでもなりますって」
泉にしてみれば、という横槍に、久は笑みを苦笑いに変え、円依はなんとも言えない様子でそんなふたりを見比べた。
「それで、そっちの暮らしはどう? 随分変わったみたいだけど」
そうやってひとしきり久と円依に泉の三人は、懐かしみと、楽しみを交えて会話をした。
昔のことを楽しそうに混ぜ返す久に、泉が食いつき、円依が慌てて近況の事で話題を変える。
久と円依が親しくしていたのは、もう四年以上前のことだ。数年の間に、二人は大分その姿を変えていた。
三年前の一件を、円依の偶然による助力で助けられた久は無事風越に入学して過去のライバルと共に全国へその力を示している。
去年も個人戦に同学年の福路美穂子とともに出場し、見事な成績を残して存在を示していた。
話もとどまる暇を知らずに進み、そのたびに少女の笑みが零れていった。入店当初に頼んだ円依のコーヒーも、ゆっくりとその熱を、水面として浮かぶ黒の厚みとともにどことも知れぬ場所へ消えてゆく。
そんな時だった。
「ねぇ、円依。……何が、あったの?」
そんな事を久が円依に問いかけた。それは円依が、敢えて避けてきた場所だった。
瀬野円依の変化についてだ。
「昔の円依……私が知ってる円依は、なんていうのかしら。――うちの大将を、もっと無口にした感じだったわ」
少なくとも、数年ぶりに再開し、その変貌ぶりに正体を見とめられない程度には、今の円依と、昔の円依は違ったのだ。
「高校に進学する時、もしくは大阪の方の中学でやっていく時、私が一つ年上であるってことがバレないように、っていうのがまずひとつ」
円依は中学一年の頃ではあるが、インターミドルの全国大会に出場している。団体戦で、チームメイトの宮永照と比べれば、目立たない部類ではあったが。
そのためそこから正体を知られぬよう、こうしてイメージをガラリと変えようとしたのだ。
結果は、かつての旧交をもってしても見抜けないほどの大変動だった。
泉とて実際に気がついたのはレギュラー決定のオリに行われた対局だ。今の円依と、昔の円依は、それくらい“変わって”いたのだ。
「それに……えっと、私が人と違うのは苦手だっていうのは、覚えてますか?」
加えるように、円依は昔のコンプレックスを、言葉を手繰り寄せながら、ぽつりぽつりと告げてゆく。
まるで何かの着地点を作るかのように。
「えぇ、別れ際に手紙をもらって、愕然としたこと、よく覚えてるわ」
「ごめんなさい、相談できなくて……それで、上埜さんは知らないかもしれないけど、その時私、壊れちゃったんです」
「……え?」
ぽかんとした顔を、久は思わず浮かべていた。
それもそうだろう。泉とて円依のいう“壊れた”ということに、実感は一切浮かんでいない。心が壊れるなど、そもそもまったく遠いものに思えるからだ。
「なんていうのかな、全部どうでもよくなっちゃって、最初はそれを周りにあたってちらしてたんですけど、それもだんだん疲れちゃって、気がついた時には――」
そっと、円依の口元から息が漏れる。泉はそんな円依の姿を、美しい彫刻を眺めるかのように、見守っていた。
「どうでも――よくなっちゃったんです」
振り返ってみれば、そんな事、顧みてしまえば、そんな物。悩むことも戸惑うことも、すべては過去の、一つに過ぎない。
そうやって、円依は自分なりの自分を見つけていったのだ。
「それでもやっぱり、ただ過去にするのは逃げのような気がしたから、ちょっとだけリハビリをするんです。今の私と昔の私、引きずってるのか、履き捨ててるのか、それを少しだけ考えてみたんです」
「じゃあ、結果は?」
「今のほうが楽しいなって、思うようになりました」
とてもとても自然な笑みで、円依はそう結論づけた。
ゆっくりと流れてゆく時に隙間に、数年ぶりの邂逅を果たした二人の会話も、やがて、暑さを忘れない夏の日差しによって、溶かされてゆくのだった。
副将南浦数絵、ここで登場した理由は、副将戦のオカルト不足が故。
フラグは円依過去ry
次回も頑張ってあげたい。
・軽く解説。
・南浦さんは片親のおじいちゃん子で、高校では訳あって祖父の元で暮らしてる。
・で、その片親が云々、というのが原作における南浦さんの過去だと思います。