咲 -Saki- 千里山伝説   作:暁刀魚

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『蒼穹の瞳』決勝先鋒戦Ⅳ

「――美穂子は、どうしても越えられない壁って、感じたことある?」

 

 それは、少しだけ昔の記憶。

 二年ぶりの全国優勝を決めた風越女子、強敵龍門渕の存在は、常勝とされる風越を持ってしても、小さなお祭り騒ぎといった様相だった。

 天江衣と、宮永咲。長野を代表する両名の闘牌が、人々の心を揺さぶったのも大きい。

 今、風越は少しだけ浮ついていた。

 

「壁……ですか?」

 

 そんな喧騒から少し離れた、生徒たちが憩いの場として使用している、肯定に面した自動販売機の前で、二人の少女が会話をしていた。

 少しだけ不思議そうに、福路美穂子は問いかけた。

 

「そ、壁。例えば家庭の事情とか、不慮の事故とか、そんな一人の力じゃどうしようもできない、そんな壁」

 

 もう一人の少女、上埜久は無糖のコーヒーを揺らしながら問いかける。美穂子は少しだけ考える。

 

「正直、よくわかりません。そういうのは」

 

 自販機の隣に並ぶベンチに腰掛け、壁に寄りかかる久を見上げた後、手に持つ缶ジュースへと目線を移す。

 

「去年、龍門渕と戦ったときは、勝つという事は思い浮かぶことさえ出来なかった。……でも、今は龍門渕に勝って、こうしているから。きっとこれは乗り越えられる壁だったんです」

 

 じゃあ、いよいよ美穂子はわからなくなる。自分の固めも、仲間も、乗り越えてしまえば、それは単なる壁にすぎない。

 よく、わからない。

 きっと誰もがそうだろう、久だって、きっと。

 

「……そうね、私も、もし自分にそんな壁が襲いかかったとしても、何時かは乗り越えてしまうでしょうね。…………違うのよ、本当の越えられない壁っていうのは」

 

 久の視線が上向いたものとなる。どこか宇めいた空白に感情を綯い交ぜさせて、不確かな心象を、ぐちゃぐちゃの絵の具に変えていく。

 

 釣られて美穂子は空を見た。

 なんという事のない、キャンパスに映しだされていたのは、そう。なんという事のない――青だった。

 

「本当の壁ってね、私の前には出来ないのよ。できてもそれはただの壁、何時かはきっと乗り越えて、意味のないものへとなっていく」

 

 そんな青に、少しだけ塗りたくられた雲の白。掴みどころのない幾つもの綿毛は、やがて遠くへ消えてゆく。

 きっとそれは、どこにもない存在なのだと、手を伸ばしようの無いものなのだと、美穂子は一人、思いに浮かべた。

 

 久は続ける。美穂子と共に向けられた空へと想いを馳せながら。

 

「私が初めてであったそれは、私じゃない誰かの壁だった。――気がつけば、そこに壁が、あったのよ」

 

 その時だった。

 風が二人の体を薙いだ。熱い夏の始まりを、切り裂くようなものだった。

 

 美穂子は、久の言わんとする事を理解する。ムリもないことだ。それならば少しだけ想像できる。手を伸ばして届かない壁、誰かの壁は、その誰かでなければ越えられないのだ。

 

「私の小学校の頃の下級生がね、事故で片足が使えなくなっちゃったのよ、それでこっちが何かする暇もなく、気が付けばあの子はどっか言っちゃったわ、一枚だけ、手紙を残してね」

 

 久が体を預けていた壁から体を起こす。だんだんと壁が遠ざかり、久はそれに目を向けることもなく次に移った。

 ベンチに座る美穂子に近づき、同じように腰掛ける。そっと寄り添うように、確かめるように肩を並べた。

 

 座ったまま眺める空は、雨よけの天井に遮られ、たったままの場所よりも、ずっと視界が狭い。

 しかし美穂子からみた久は、そんな情景に、どこかホッとしたようだった。

 

「――ねぇ、美穂子。どうすればいいのかしらね、私は、あの子に、何をしてあげればよかったのかしらね」

 

「多分、何もできないと思います、どれだけ考えても、きっと」

 

 ぼんやりと問いかけられた久の言葉を、美穂子はすぐさま切り返した。久は安心したように笑みをこぼして、美穂子へそっと顔を向けた。

 

「…………そうよね、やっぱり、そうよね」

 

「えっと……上埜さん、上埜さんはどういう答えを出したんですか? こうやって話せるように、答えは、きっと出したんですよね」

 

「当たり前よ、でなきゃ、美穂子にこんな話できないものね」

 

 上埜久という少女は強がりだ。他人の本質を突き、それを伸ばすことに長けている。

 年長として前にいる人。そしてそれを、意識だって行なっている人。

 故に誰かに弱みを見せようとしない、たとえ少しでも見せたって、それは彼女なりの強がりなのだ。

 

 美穂子はその反対に、守られる少女である。誰かを支えることはできても引っ張ることはできないタイプ。

 だからこそ、そんな久のつよがりを看破して、見守っているのだ。

 

 久が安心してそこにいられるのは、きっと美穂子が、そこにいるからなのだ。

 

「私は――待つことにしたわ、ずっとずっと、あの子が自分を取り戻してくれるって信じて、待つことにした」

 

 そっと浮かび出た久の言葉は、とてもまっすぐな、彼女らしい言葉だった。

 

「意味なんてないかもしれない、もしかしたらそれは間違っているのかもしれない。でも私ってさ――」

 

 立ち上がりざま、ニカリと笑って振り返る。空を見渡す美穂子の視界は、“上埜久”で覆われた。

 壁を背にする彼女の顔は、どこまでも迷いのない、透き通った顔をして――

 

 

「やっぱり私って、分の悪い賭けが…………嫌いになれないのよ」

 

 

 ♪

 

(上埜さんは、きっと私とは違う選択をする。今この場この瞬間、超えられないと感じた壁にぶち当たったとしても、あの人はきっと、待つことを選ぶ)

 

 少しだけ思い出していた昔の自分を、そっと心の奥へと押し込める。

 

 

 ――南三局三本場、親照、ドラ表示牌「{北}」――

 

 

 今は、この瞬間が美穂子の居場所だ。あの時あの場所久の側、あそこで彼女が語った事を、少しだけ反芻して、

 

(だけど私は、前に進みたい! 後悔したくないから。手を伸ばすことを――忘れたくないから!)

 

 前をゆく、誰かを導く久が待ち、ならば後ろで立って、誰かを支える自分が進む。それが、それこそがひとつの答え。

 目の前にあるのはひとつの壁。

 ひとつの姿、宮永照――最強の“頂”。

 

(――行きます。上埜さん――――ッッ!)

 

 ――少し思い出に時間をかけすぎてしまった。手は迷うことなんて無いのに、まったく――――

 

 ――宮守控え室。

 

『こ、こ、でぇ! 風越が追いついたァー! チャンピオンの満貫手を押さえるべく、風越女子エース、福路美穂子が待ったをかける――ッ!』

 

 八巡目、既に前々巡に聴牌を果たした宮永照に、追いつかんとする福路美穂子が、中程の手を聴牌。

 

「これはなかなか難しいねー……」

 

 ぼんやりと、豊音が画面に声を発する。

 卓上は三本場にて、これを防がなければ宮永照の四翻――満貫手が確定しているという状況だ。

 

「コレ以上の失点は避けたい、かといってコレ以上攻め込めばその失点を一人で被る可能性が出てくる」

 

 塞が自分の中の情報を確かめるように、淡々と言葉にしていく。

 

「とすると、この風越聴牌は絶好なんだけど……前々局のことがあって、押せるかな? あの先鋒」

 

 胡桃の言うように、現状は風越にとって少し厳しい。宮永照は風越の聴牌を見越していたのだろう、手牌にはその様子が見られる。

 そう、風越を討ち取ったときと全く同じ、オタ風による安牌としての待ち。風越を打ち取るための、一撃だ。

 

「色々考えてこれを選択したんだと思うけど、なかなかすごいよねー」

 

「理牌が必要な競技麻雀で、一番間違いないのがこれだったんだよ、加えて幾つか可能性として、この対局ではこれが正解だね」

 

 豊音が呟いたことを、そのままそれまでの会話をまとめるように、トシが付け加える。豊音はそれに合わせて腕組みをすると、なにごとやら考え始める。

 

「風越の人は、切るかな」

 

「切るんじゃないかな、ここまで来たんだから押さないと」

 

「切らないと思うなぁ、千里山が動いてくれるならまだしも」

 

 胡桃と、塞。両者の意見は真っ向から割れた。千里山が手牌の悪さ故に動けない、加えてたとえ聴牌にとったとしても、待ちの広い聴牌はそのまま直撃につながる。

 それこそが照の狙いなのだろうが、故に難しい、それを知ることができるほどの彼女ならば、更に迷うに違いない。

 

 事実時間は経っている。美穂子は手を止めたまま、じっくり牌の壁を眺めているのだ。

 

 ――しかし、

 

 タンッと、勢いのある打牌の音が、卓上からモニターの向こうにまで、響き渡った。

 

「――行った」

 

 照の手牌にあることものを含めれば、地獄単騎。そんな状況で風越は攻めを選んだ。

 

「これは……どうなるかな」

 

 胡桃が思考に気取られた表情で問いかける。見つからない答えを、他者に求めた。

 

「多分、無理だね。宮永照は自分のペースを乱されなければ、誰よりも強い……でも」

 

 トシがもったいぶったように言う。

 

「千里山は、ギリギリまで勝利をあきらめないだろうね」

 

 風越の聴牌から一巡して、加えてさらに打牌がすすみ、南が手牌からこぼれ落ちる。――そして。

 

『ポン!』 {横南南南}

 

 千里山が動いた。

 

「――ずらし、か。でもこれでそのツモは風越に行く」

 

 決まったようだ、とトシは軽くお茶を飲んで一息をついた。――他のものも同様に、どこか安心した様子で、吐息を漏らした。

 風越と白糸台、両者の待ちは共に同じオタ風の単騎待ち。つまりそれがずれたということは――

 

 

「――ツモ! 1600、2900!」

 

 

 そして、それが決着となった。

 

 

 ♪

 

 

 圧倒的な勝利が予想された宮永照。全国最強の維持を見せるかと思われた先鋒戦。しかし蓋を開けてみれば、宮永照と同じAブロックからの勝ちあがりであり、準決勝ではあまりいい所のなかった園城寺怜が、この決勝先鋒戦のキーとなっていた。

 インターハイ、高校生たちの頂上決戦は、まずひとつ、その半荘を終えた。

 

 象徴的だったのはオーラス、最後の和了。

 これまでの不調をひっくり返すような好配牌を、即鳴きを含めて三順で聴牌、他家に追いつかれるまもなく、怜が和了した。

 これを象徴するのは二つの点、怜の好調と、照の不調だ。

 

『先鋒戦前半、決着――ッ!』

 

 実況アナウンサー、福与恒子の絶叫が、会場中に響き渡った。

 

『なんという、なんという熱戦! 最後はなんとチャンピオンが放銃! 千里山の和了により前半戦終了です!』

 

 宮永照が、振り込んだ。

 それは怜が宮永照の調子を崩し、それだけの隙を生む原因となったということだ。

 かくして、波乱の幕開けであった先鋒戦前半は終了した。各人はそれぞれの思いを胸に秘め、ゆっくりと己が戦った決勝卓の席を立ったのだった。

 

『ここまでの結果、トップはチャンピオン率いる白糸台、抑えこまれたもののその実力は健在です!』

 

 ――一位:白糸台高校。

 三年:宮永照。

 102100――

 

『追いすがるのは風越女子、チャンピオンの満貫手をストップさせる大活躍! 東一局の和了りも大きく、この位置につけています!』

 

 ――二位:風越女子

 三年:福路美穂子。

 101300――

 

『最下位から三校を追い上げる宮守女子、チャンピオンとの見事な死闘で存在感を示します!』

 

 ――四位:宮守女子。

 三年:小瀬川白望。

 98000――

 

『その活躍はまさしく台風の目、チャンピオンからの直撃という、インターハイの歴史に残る快挙をやってのけました。千里山女子!』

 

 ――三位:千里山女子。

 三年:園城寺怜。

 98600――

 

『続く後半戦、チャンピオンが再びそのチカラを振るうのか、はたまた他校がそれに追いすがるのか、注目の決勝戦、先鋒、後半戦、まもなくスタートです――――ッッッ!』

 

 熱気あふれるインターハイ会場は、あらん限りの大声援を伴って、更に熱を加速させてゆく――




前半戦決着、あとがきでの点数表記は省略します。
怜が頑張る先鋒戦、マイナスとはいえ、てるてるが2000しか稼げてない時点で、先鋒としてはコレ以上のない仕事をしてるんです。

半荘の象徴として省略されたけど、オーラスのザンク直撃は大金星だと思う。
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