宮永照の絶対的な一人舞台は、儚くも砂上の楼閣として崩れ落ちた。
アレほどまでに対局室へ満ち満ちていた気配も、今は終息し霧散している。気がつけば、そこにはもはや、チャンピオンの爪あとなど、無に等しくなっていたのだ。
チャンピオン、宮永照。絶対的な強者としてインターハイに君臨し、全国の渦に食われる程度の強豪であったはずの白糸台を、日本最強の高校にまで押し上げた立役者。
だれよりも真摯に麻雀へ取り組み、勝者として、上を、更に上を目指し続けた、その少女の闘牌は、まさしく見事というべきにほかならない。
誰もが挑んだ。
誰もが望んだ。
負けたくない、勝ちたい、と。
そして、いまこの決勝戦――三連覇をかけた最後の戦いで、照は敗れたのだ。三者に、形はどうアレ照を打倒するため、最善の策をとった三者に。
相性という糧はあっただろう。それでも怜という狂言回しは、照という舞台を圧倒的なまでに粉々にした。
その結果がこの東三局、一本場だ。
照は一人思考する。舞台廻しが崩れた今、照の和了率はがくんと崩れる。此のまま和了りを目指すのもいいだろう、しかし万が一その隙を疲れ、挽回の難しい一撃を食らってしまえば加えて、更に――思考はめぐる。
闘牌にまでもつれ込んだ結論を、照はひとつの答えを持って示す。
(――耐えよう、幸い和了のみを目指すのなら、南三局にはすべての準備が完了する。今は耐え、そして最後の和了で返り咲く、……決定)
舞台廻し崩れようと、照の連続和了は半荘をまたがず復帰する。となればこの半荘、その最後を持って自身の勝利を飾ろう。
(今は闇に沈むのみ。……きっと、私は勝利をつかめる筈だから)
そうやって、どうとも知れない未来へ向けて、照はそっと手を伸ばす。暗い暗い闇の中から、勝利へ向けて、ひっそりと――
――東三局一本場、親怜、ドラ表示牌「{西}」――
白望は聴牌まで進んだ手牌を眺め、一人感慨にふけっていた。
(……ここまで来た、かな?)
まるで誰かに答えを求めるように、白望はそうやって思考を回す。ここまで来た、と少女は言う。言うまでもなく手牌のことだ。
しかし少女の感情はそれだけで済まされない。
(なんだかんだ言って、ここまで来た……か)
インターハイに出場し、活躍する。麻雀という趣味を持ち、その上でこんな大舞台に立つなど、去年の自分は果たして想像しただろうか。
名ばかりの麻雀部で、幼馴染というつながりの親友たちと、部室を温めるだけだったあの頃と、今の自分は果たしてどれだけ違うだろう。
(……なんだか、ダルいこと考えてるなぁ)
我ながららしくない。まったくもって、今の自分は、平時からしてみればまったく自分らしい振る舞いをしてない。
ダルい、ダルいと考えるような自分が、それを放棄するように思考している。
とても、とても不思議な話だ。
(ダルい。すごくダルい。……けど、それを悪くないと思ってる自分がいる)
打牌を終えると、そっと体を卓上から離して、背もたれに体を預けながら、手を見つめ、何度か握る。
そこにあるのは自分の手、いつもと変わらない、少女の手。
(……まぁ、悪くない。ダルいけど悪くない。――けど、終わらせる)
勝利でもって、それを終わらせる。
(色々と思いがないわけじゃない。でも、私は、なんだかんだ言って、勝つためにここにいる)
エイスリンが、胡桃が、塞が、豊音が後ろにいるのだから、勝って帰ってすべてを終えよう。
この場において、それが最上の――白望の闘牌だ。
ツモ、指して考えるまでもなく、自摸切りの牌。しかし白望はそこで手を止める。前巡での怜のこと、半荘のこと、これまでのこと、これからのこと、あらゆる思考が、白望の中から渦巻いてくる。
それらがひとつに集約し、集束し、集結する。
そっと白望が、口を開いた。
「――ちょい、タンマ」
すこしだけ、足を止め、しかしまた踏み出すためのその言葉を、白望はそっと口にする。
そして牌を選んで、卓に叩いた。
――白望の手は両面待ちのタンピン手、引いたのは対子が両面に変化する形。白望は少しだけ考えて、両面二つの一向聴へと手を戻した。
白望の迷いによってその牌は差し止められた。――無論その牌は怜の当たり牌、出せば和了し、親満の直撃を受けていた。
しかし白望はそれを防ぐと、すぐさま次のツモで両面を順子へと変化させ――
「リーチ……ッ」
すかさずリーチ。ここしかない――怜のチカラの特性を鑑みて、この瞬間ならば、まだ一巡先は戻っていないはずなのだと、結論づけたのだ。
そして――
「ロン。メンタン一発、5200は――5500」
怜の打牌を、真正面から貫いた――
――東四局、親白望、ドラ表示牌「{2}」――
既に宮守女子――小瀬川白望との対決は、三度目になる。
一度目は、永水を止めるための共闘という形で、若干こちらが遅れを取った。しかし準決勝は、個人戦で活躍した辻垣内や有珠山の先鋒を交えての叩き合い、ギリギリの形で勝利した。
宮永照の支配が消えた今、成すべきは決着、そして勝利。決勝において初めて対決する、園城寺怜という強敵も居る。
美穂子にとって、それは厳しい戦いであったが、同時に戦いそのものが楽しくてしょうがない。そんな激闘の固まりでもあった。
静かな清流とかした卓上の場面。
美穂子は冷静に、その状況を確かめていた。
(小瀬川さんは、まだ張っていない、宮永さんはとにかく気配が薄すぎる――テンパイしていても、打点制限があるのなら高くない、問題は――)
園城寺、怜。
(理牌の形から考えて、千里山の人の手牌は索子の染め手、和了られれば倍満、ツモであれば三翻ついて三倍満確定の手。和了らせる訳にはいかない)
時の視線と、美穂子のツモが交錯する。気配は感じているのだろうか、美穂子は軽く微笑みながら、自摸った牌を高々と上げ、そしてそのまま切り出した。
対面の側、怜が一気に手牌へ牌を引き寄せる。
緑陽の光がそっと、美穂子の視界を踊る。
拡げられた美穂子の視界、そしてそこに灯る翡翠の宝玉。一瞬ではあるが、美穂子は自分に襲いかかる、感覚の群れを感じ取った。
それは情報という美穂子の武器へ、怜という魔物の一撃が、直接真正面から打ち付けられた感触だった。
薄く、口の端を釣り上げた少女は、手牌から初めての索子を切り出した。――表情から鑑みるまでもない、聴牌である。
(――来た!)
白望の現物を挟んだ後、牌をつかむ美穂子の手に力がこもる。
目前には、敵がいる。自摸った牌は、――危険牌。
(さて……ここから、かしら。相手は決勝にまですすんだ高校の先鋒、それもエース。――こうして認識すると、とんでもない人と私は戦ってるのね……同じ、先鋒として)
逡巡は、それだけだった。
手を動かすその挙動の中でのみ、それを済ませてしまった。つかむ牌は手出しの筒子、順子となっていた手を、崩すのだ。
次巡、更に筒子をツモ、嵌張の形にて両面対子を落とす。
連続して警戒に踊る美穂子の打牌。
流れ出る蒼の気配が、卓上に凍てつく結晶となって弾け散る。
――そして生牌のオタ風をつかむ、それを手元に抱え順子を完全に崩した。しかし怜は清一色手である。よってこのオタ風は、怜という視点に向いたものではない、別のモノを交えたが故の視界だ。
――美穂子には、それが見えている。
やがてそれはひとつの塊となり――集束する。
そして――
(…………張り替え完了、後は――)
未だ沈んだ、宮永照へと視線を回す。
これまで照は一度も動きという動きを見せていない。それもそのはず、彼女を突き動かしていた絶対性は、今崩れ去って修復中だ。
しかし、だからといって照のもう一つの力、照魔鏡によって他家の深淵を覗くその力は、未だ健在だ。
むしろ舞台すらも照らしてしまう鏡の特性により、使えなくなっていたそれが常時発動できるがゆえに、照は鉄壁の防御を得ているのだ。
――確か、照の東一局での放銃率は零割だったはずだ。それほどまでに、今の照は――堅い。
そして、ある程度の妥協もしてくれるはずだと、照の妹、咲は美穂子に語っていた。
『お姉ちゃんが守りに回る場合、他家が高い手を和了らないことを主眼に置いているみたいです。つまり結果的に安くなるのであれば、ある程度は他家の和了りを支援してくれるんです』
そんな言葉は、今がその時だということを暗に告げていた。
怜の倍満手――いや、この場合は完全に三倍満と断じるべきだろう、和了を照がよしとしないのならば、この状況で――これに反応しないはずもない。
美穂子/打{西}
それは照の役牌。美穂子が見通し、判じた結論。――とかく、これを打牌し再び聴牌である。
――その時だった。
「――ポン」 {西西横西}
照が、ずらした。
まるで空間をヒビすら無く真っ二つに裁断するかのように照の手が空を真横に閃いた。
鋭い閃光を放ち、照の手から曝された明刻が恥へと滑り切る。
(宮永さんが見通した上で、鳴いた。手を進める鳴きで、なんの、違和感もなく)
――それは、事前情報がなければ気づかないほどの、当たり前の状況で、照の選択は、そんな当たり前の中で流される程度のものだった。
怜の自摸切り、怜の捨て牌的には、あまり安くもない筒子。捨て牌は、字牌と萬子に寄っていた。
そんな、些細な変化の後、白望が自摸切り。それは筒子であったが、当たり牌でないことは容易に知れた。
当たり前の状況、何気ない変化。
美穂子はそれを知っていた、美穂子はそれを確信していた。
(――――なら)
一瞬のタメを残して、美穂子の手が牌と共に浮遊する。それは刹那のようにも永久のようにも思えて――そして。
「ツモ。2000、4000」
(――なら、これで和了れる)
そうして、美穂子の両目は、紅と蒼が融け合って、氷すらも凍らせて、炎すらも凍らせて、美穂子のセカイが、広がっていた。
――南一局、親美穂子、ドラ表示牌「{南}」――
(――次巡、六筒切りで振り込んだ。三―六―九の三面張!)
怜の思考が激しく自身の中で駆け巡る。
(……浮いた牌を直撃。切り替えてとりあえず様子を見る!)
風越からの直撃だ。満貫手、これを振り込むのは絶対に避けたい。それだけ考えて――牌をきろうとして、ふとその手を止める。
自摸切りのように、自摸った六筒を手にしながら。
(ちょっとマテ、風越はウチの手牌を透かしてくる。私の内側を、覗きこんでくる――)
それこそ、さも親しい友人同士であるかのように。
ならば、
(それなら、できるかも知れへん)
それは単なる直感だ。怜は少し手牌から浮かせていた自摸をもとに戻して、少しだけ考える。
まるで、ひとつの巡目で、二度の思考をするように。
(……これ!)
手出しの五筒、聴牌を崩して放銃を避ける。に変える。
それを見た風越の福路美穂子が、少しだけ微笑んだような気がした。開かれた両目から、そっと色の違う二つの瞳が、怜の目線と向き合った。
風越の自摸、手出しの八筒、張り替えたのだ。
(――知っとるで)
自摸、当たり牌、張り替えていなければ――の話ではあるが。
『――アカンで、怜』
(アンタの待ちは、変わってへん、私を撃ち落とすために、敢えて変えたようにみせたんや)
そう、美穂子は手牌を透かしてくる“さも親しい友人同士であるかのように”。そう、まさしく竜華のように――!
『今回のコレは偶然やけど、こんな偶然を与当たり前のようにやる奴が居る……それだけは、覚えといてや』
(あんたよりも、ウチはもっと厄介な相手、知っとるよ)
迷わず怜は聴牌を崩す。
一瞬の迷いもなく、真っ直ぐな形で――
そして、
「ロン! 2000」
風越の手牌から浮いた、一枚の牌、すかさず怜が、それを掠め取るのだった。
♪
続く南二局、速攻を狙い、鳴きを仕掛ける怜の副露を美穂子と白望、二人の熟達者が、二人がかりで封殺。
怜を完全に沈黙させた上、両者が真っ向から激突しあう読み合いとなった。
直撃すら狙っていた二人の打牌は、やがてひとつの結果となって、現れる。
「――ツモ! 1300、2600」
美穂子が和了。白望が少しだけ眉をひそめて、卓上を眺める。
流し目の二人が、そっとその視線を外し、戦場へと舞い戻る。
(――今回は、私の勝ちね)
それは二人の舞姫が、舞台から盛大な拍手の元、袖へと消えて行くようで。見るものすべてを惹きこませる二人の舞踊は、そして終りを迎える。
後にあるのは、舞台挨拶。
舞台を作り上げた創設者、その最期の一仕事だった。
南三局、卓は一気に卓が動き出す。
風をまとって唸る牌、宮永照の復活だ。
「ツモ――1600、3200」
打点制限を多少ながらも振り切って見せた四翻の和了り。目にも留まらぬ早業で、速さを持ち得ないはずのチートイツを和了った。
「――最後の…………一局」
ポツリと漏れた照の声。
そう、時はまさしく終着間際。
(ここでかって、点棒を持って帰る……)
一位白糸台:105700
静かにそっと目を伏せる。照は自分に与えられた点棒を、数字という形で覗き見る。それからそっと、焔を伴い顔を上げた。
(すごくダルい、ダルくてどうにかなりそうだ。でも、今だけは――ダルくない)
二位宮守:103900
これまで気づいてきた点棒は、決して多いものじゃない。しかし白望には最後の半荘が残されている。だからこそ、白望は自身の瞳を強さに変えた。
(不思議な気持ち、終わらせたくない、でも勝ってすべてを終わらせたい、二つの混ざり合わない二つの気持ち。けれどもそれは、きっと私の背中を押している)
三位風越:100100
美穂子はそっと、目を閉じる。自分の瞳と、それとは異なる自分の瞳。上埜久が与えてくれたもう一つの蒼のセカイは、きっと自分が勝って彼女のもとへと帰るためのもの。最後に一度、目を、開く。
(最後、最後なんやな、円依もきっとそうやって、ウチを見てる。皆がウチを思って見てる)
四位千里山:90300
(準決勝の惨状を考慮すれば、これでもウチは大金星や、せやけど、負けたくない。もう一度だけ、私は勝ちたい!)
たった一人沈んだ状況、照との闘いでの無茶と、純粋な地力不足。言うまでもなく怜の雀力は、この四人の中で最も劣る。
しかし、それでも怜の一巡先は誰も持ち得ない怜だけのもの、無限に近い未来の中から、一人その手中を得る力。
(勝つ、勝って皆のもとに帰る。そうや、私は――“強く”、“在る”んや!)
そして――
最後の対局、それぞれの思いを込めた先鋒戦後半、そのオーラスが、始まろうとしていた。
照のいぬ間に、それぞれの攻防でした。
伏線回収やらなんやら、次回オーラス、そして決着です。しばらくお茶でものんでゆっくりしていってください、前回の事故で更新はだいぶ先になるので。
点数表は上記の通り、最下位怜、果たして追いつけるか、といったところです。