インターハイ決勝戦会場。観客席はその一瞬、あまりの出来事に会場中がシン……と静まり返ってしまった。無理もない、劇的なまでの倍満和了は彼らの心をあまりにもわかりやすい形で、釘付けにしてしまったのだから。
凍りついた時は、何かを待ちわびるように沈黙を続ける。それを破るのは、ひとつの絶叫だった。
『り、り、り、嶺上開花――ッッ! この決勝戦で、そんな特上級のレア役を見ることになるとは! 風越女子上埜久、鮮やかな倍満和了! 一気にトップへ踊り出ました!』
実況を務める福与恒子の声だ。勢い任せなそれに、置き去りにされていた熱狂が、ようやく形を帯びて木霊する。
――気がつけば、会場中は歓声の渦に包まれていた。
『鮮烈! 激烈! 超熱烈! 聞こえるでしょうかこの歓声を! 感じられるでしょうかこの熱狂を! 御覧ください。風越女子上埜久、その挑戦的な眼差しを! 全国トップクラスの強豪、千里山に一歩も引くこと無く真っ向から対峙しています!』
そして――
――風越控え室。
「う、上埜さん……!」
久の和了に、美穂子が感極まった様子で両手で口を抑える。風越の控え室はその怒涛のごとく押し寄せる展開に、控え室中が呆然としていた。
最初に再起動を遂げたのは、風越の空っ風、華菜だった。
「す、すっご! すっごい! 先輩すっごい! 何アレ、何アレ、初めて見た!」
興奮を隠し切れないという様子で、思い切りよく立ち上がって声を張り上げる。ヒーローを間近で見た子供のように、華菜は勢いそのままに腰掛けの前で飛び跳ねる。
無理もない、あの江口セーラを相手に、ほとんど直撃と同じような形で、点をもぎ取ったのだから。
「……綺麗、すっごく綺麗だな…………」
ぽつりと宮永咲は言葉を漏らす。峰に咲く花、嶺上開花を最も得意とする風越の大将は、中堅戦という山の頂に咲いた一輪の花を、感情に任せたままそう評した。隣に座る、南浦数絵がちらりとその様子を覗き見る。
「咲さん?」
「……何、かな」
淀みながらも、数絵は友人が反応を示したことにほっと胸を撫で下ろす。咲はどことなく掴みどころのない性格をしている。それは、どことなく咲き乱れ今にも花びらを失おうとしている華のように覚えてならないのだ。
故に、そうやって咲の姿が幻想にブレる時、数絵はこうやって声をかけるようにしている。
嫌なのだ、友人を失うのは、――どこかに言ってしまいそうな咲を黙ってみているというのは。
「私は今まで、雀卓に咲く華は、咲き乱れるものだと思っていました」
言うまでもなく、それは咲が得意とする嶺上開花そのものだ。咲き乱れるように輝きを見せる花畑。それこそが咲の嶺上開花そのものなのだ。
けれども、それは今の久が見せたものとは違う。
久のそれは幻想的な一輪の花。手折られることを知らない気高き華だ。
「野原に咲いた花に、己を散らすチカラはない。一度枯れてしまえば、花はもう二度と咲き誇らない。でも、枯れることを知らない花もある」
額縁に閉じ込められたようだと、咲は言う。
「先輩の花は、それほどまでに可憐で綺麗なんだとおもう。私や、数絵さんの手には届く気すらしないほどに」
「そう、ですね……」
ぼんやりと、数絵はそれを肯定する。――気がつけば、既に東三局の一本場が始まろうとしていた。
少女たちの意識が、己からモニターの先へと戻り始める。
中堅戦は始まったばかりだ。たとえ一度トップを取ったからといって、過信することは決して出来ない。
故に、その意識を極限まで集中し、卓上に映された、牌の下へと向けるのだった。
――東二局一本場、親久、ドラ表示牌「北」――
配牌を終え、久は少しだけ深呼吸をする。それは先程から、何度も繰り返された事だ。何度も繰り返す必要があったものだ。
(あ、あ、あ――)
嶺上開花を和了ってから、久の顔は笑みに歪んでいた。それはとても華やかなものであり、下方へ沈み澱み切ったセーラのそれとは、真反対のものだった。
そう、久は――
(和了っちゃったぁー!)
とても小さな子供のような、満面の笑みを浮かべていたのだ。
(公式戦で嶺上開花なんていつ以来かしら。そもそも、咲以外が嶺上開花なんて初めて見たわよ!)
その興奮も無理は無い、今まで誰もやって来なかったようなことを、自分がやってしまったのだ。感慨もひとしおというものである。
そうして何度も楽しげに頷きながら、久は少しずつ埋没した意識を引き上げてゆく、――既に対局は始まっている。久の手に淀みはなく、後はそこに意思を追いつかせてゆくだけだ。
一時のあいだ、ぼやけ切っていた視界がようやくクリアに開けてゆく。ただ己の手牌と自身の思考、それはもとより並列されていたものだ。
考えの中に自分の中のイメージが浮かぶ。計算は早いほうだ、手牌を見ればどのような打牌が良いか、わからないほど複雑な手ではない。
故に、浮かび上がった思考は、少しだけ昔のことを思い出す。回顧するように、久の視線が宙へと浮かんだ。
(嶺上開花、か……)
それはマダ、桜が狂おしく咲いていた頃のこと、入学式を終え通常の授業が始まり、風越女子が、少しずつ本来の姿を取り戻しつつあった頃。
(咲は今頃、どんなふうに私を見てるのかしら。……喜んでくれると、いいんだけど)
麻雀部の仮入部の折だった。まるでそれは春風が、桜の花びらを教室へと降り注がせるかのような、一時の出来事だ。
春一番の風が吹き、風越にいつもより強い風が吹く日のこと。
――風越女子麻雀部に、宮永咲が現れた。
♪
宮永咲はインターミドル三連覇を成し遂げた最強の中学生である。そして高校に進学し、チカラを振るうことを期待された、人智を超えた雀士の一人だ。
時には『牌に愛された子』とも称される、一人の少女が風越に入学したことは、既に噂になるほどの事実であった。
そんな少女が、麻雀部が正式に一年生を受け入れ始めた初日に、その門を叩いたのである。
その時から、久と咲、二人の関係は始まっている。
二年前――インターミドルの際は、とある事情から県予選を失格となっていた久は結果的に、当時彗星のごとく現れた、宮永咲とはついぞ卓を交えることはなかった。
しかしこの時は、逆に当時卓を交えた、福路美穂子が出払っていたため、久が咲の応対をすることとなったのだ。
『――折角だし、私と麻雀を打たない?』
入部希望者の一年生たちに投げかけた言葉に、まっさきに反応したのが咲だった。とても楽しそうに、笑顔で手をあげていた事を今でも久は思い出すことができる。
咲を含めた一年生三人を相手に、久は半荘を打つこととなった。結果は久の圧勝――とまでは行かないものの、久がきっちり勝利を決めた。
この半荘時、咲はプラス4800点で二位につけていた。――この時はその真意に久は気が付かなかったのだが……
それから何度も半荘を終え、ふと成績を眺めた時、久は在ることに気がついた。それは言うまでもなく、咲の結果によるものだ。
――五半荘連続プラスマイナス0
それは言うまでもなく常人では不可能な離れ業だった。しかし勝利を意図的に捨てる打ち筋は久に疑問を抱かせることとなった。
恐らく、それを咲へ向けて問いかけた、その時が咲と久が、初めて心を交わした瞬間だっただろう。
『まず、ごめんなさい。試すようなことをしてしまいました』
前置きのように、咲はそうやって頭を下げた。
『えっと、私と麻雀を打ってると……皆もう麻雀はいやだ……って言うんです。冗談みたいなものだから、また打ってくれるんですけど……でも……あんまり楽しくは、無いんです』
それから、咲は口下手なのだろう、ポツリ、ポツリと真相を明かしてくれた。――言うまでもなく、咲は人智を超えたプレイヤー、一年生ということを加味しても、敵うものは風越にはいないだろう。
故に咲は別の方法を取ることにしたのだ。
『それで、プラマイゼロを狙うようにすれば、むしろそのほうが練習になるって中学の先輩に言われて……それからずっとこうやって大会以外は、プラマイゼロで打ってるんです』
訳を聞けば、なんだそんな事かと久は思わず安堵していた。これが麻雀が嫌いであるから、なんてことになれば、久は頭を抱えざるをえないのだ。
むしろ、プラマイゼロを練習だと称するその“先輩”の方へ、思わず意識が行く程度には、久も納得していたようだ。
――事実、プラマイゼロを練習することでの利点は大きい。まず初心者であれば絶対的な強者――宮永咲に勝利したという喜びから、モチベーションを上げることができるだろう。
初心者でなくとも、プラマイゼロを狙っていると理解し、それを阻止しようとすれば、細かい点数移動を覚える必要が出る。そうすれば麻雀はぐっと駆け引きの要素がましてくる。そういった練習をすることで、集中力の向上や基礎雀力の向上が望めるだろう。
よく考えたものだ。その“先輩”も。
『最初は、癖みたいなものだったんですけど……気付いてくれてよかったです。さすがに気づかずプラマイゼロを続行して、レギュラー落ちなんて笑えませんから』
そう言って笑う咲は、どことなく挑発的な笑みがかいま見えた。こんな事をこの無害な小動物のような少女が言うのだろうか、と久は思わずつばを飲み込むほどに。
それほどまでに、そこにいる咲は、いいも知れぬ闘気を纏っていたのだ。
ただ勝利だけを貪欲に欲する、雀士として最高峰とも言うべき精神を、纏っていたのだ。
『――レギュラー、か。確かに風越は強豪よ、長野も他県に比べれば幾らかレベルが高い。それでも三連覇を狙う白糸台や、悲願を狙う臨海、千里山みたいな強豪に、果たして私達は敵うかしら』
気がつけば、久はそんな事を問いかけていた。本当に、いつの間にか、咲を試すかのように。
そして――咲もまた、それに応えるように笑うのだ。
『――勝ちます。全国の舞台で、どうしても戦いたい人がいるんです。そのためなら全国優勝だって、当たり前のようにしてみせる……』
きっと、勝てる。
それは久の中に浮かんだイメージ。勝てるのだ。少なくとも咲は、インターミドル三連覇の覇者という、肩書き以上の物を持っている。
間違いない、この少女は本物だ。その言葉に嘘偽りがないように――少女は花のように笑うのだ。
それをきっと、人は“高嶺の花”と呼ぶのだろう。
『だから、宣言します。レギュラーを取ります。――大将として。きっとあの人もその席に座るはずだから』
間違いなく、宣戦布告と呼ぶべきものを、久はこの時初めて知った。そして、それを面白いと取るべきものだとも、同時に知った。
それが、咲と久の――始まりだった。
♪
(――昔は、その大将が羨ましいな、なんて思ってたんだけど……)
既に一本場は終わりを迎えた。
東四局も、終わろうとしている。ここからは、南場、そしてみれば、先程まで沈んでいたセーラの視点が、久の袂まで浮上している。
次の親番は荒れるだろう。そしてこの東四局で、久は和了れそうにもない。
(まさかそれが、円依だったなんてねぇ……)
――それでも久は笑う。あくまでも、楽しそうに。どこまでも、純粋に。
この対局は、きっと久の集大成になるだろう。決勝戦という頂に、可憐と咲いた一輪花。それが、久。勝利を求める少女。
(――さぁ、思い出はポケットにしまって、私は前へ進みましょう。この対局を悔いのないものにするために――――!)
それがきっと、咲という少女を仲間に迎えた、風越がするべき最大限のサポートなのだ――
プラマイゼロの話。
咲は他の仲間とかが闘牌してると主人公が目立たないけど、ウチもその例には違いません、そのためか物語の象徴として、各所で名前が出ることもあったりしますね、バランスってやつでしょうか。
点数はおやすみ。次回で前半戦は終了です。