江口セーラと、愛宕洋恵、上埜久に福路美穂子、清水谷竜華や末原恭子などもそうではあるが、一般的なデジタル、もしくはそれに類する“チカラ”を有さない強者はよくその強さを比較されることがある。
特に大阪最強の愛宕洋恵と江口セーラ。同校である上埜久と福路美穂子は比較され、その強弱が議論の大将となる。
そして、この二人、上埜久と江口セーラもまた、そんな議論の対象であった。
――無論、一度の対決ですべてを顕には出来ないのが麻雀という競技であり、彼女たちは人間という輪の中での強者、それは一際当然と呼べるものではあるのだが。
少女たちの闘牌が、それだけ盛り上がりを見せるものだというい事は語るまでもない。
そしてそんな二人が今、この決勝という舞台で、最後の花を咲かせようとしている。三年間という長い高校生雀士生活の中で培ってきたもの、経験、判断力、そして勝負強さ。
どれをとっても、全国に並び称されるものはない絶対的なもの。
福路美穂子がそうであったように。
愛宕洋恵がそうであったように。
彼女たちもまた、己の対局をすべてと捉え、最後の対局へと臨むのだ。
――南二局、親胡桃、ドラ表示牌「8」――
連荘三本場、脱したのは鹿倉胡桃の和了であった。絶好の聴牌をそのまま満貫ツモへと昇華。闇に隠れた上埜久、そして表立ってリーチを仕掛けた江口セーラをかわしての一撃。
そして、その親番、南二局である。
セーラは一人、目を伏せて少しだけ意識を整える。その間にも理牌を進める手は動き、伏せる直前にイメージした状態へと、見ずともそれを持っていく。
そうしてから、ふと嘆息が漏れた。
(のこり局数がもう残り少ない。上埜の奴に随分と点差を開けられた。宮守も死んでないし白糸台はこれからが本番や)
結局、なにも変わってはいない。
鹿倉胡桃の満貫ツモで十三万点台という大台は切り崩したものの、リーチ棒を持っていかれたことも含めて、いささか今は旗色が悪い。
点差はほぼ二万点、これを切り崩すには、直撃を狙うほか無いだろう。
(最後の最後に、らしない麻雀はしたくない。せやけど――ここで負けるのはもっとごめんや。多分、そこがウチと上埜の違いになるはず――!)
俄然トップを征く風越女子、上埜久はトップを守りぬくために、自分の打ち方を貫くだろう。勝負は次の親番だろうが、それでもできることはやっておくべきだ。
(配牌二向聴、赤二つで高い手も見えるいい配牌。これを上埜にぶつける。方法は――今から考える!)
少しだけ、悩ましげに眉をひそめながらも、セーラの顔には笑みが浮かんでいる。誰にも気取られないような、小さな小さなものとはいっても、結局少女はそれを隠し切れない。
江口セーラは、自分の挑発を隠せるような生き方はしていない。
故に、牌を握る手は強く。
そして、その音は高らかに対局室へと響くのだ。
――それから、七巡目、だれも鳴きを入れることはなく、場は未だ平場に近い。そんな中で既にヤオチュー牌の整理を終えていたのは、久とセーラの二人であった。
(上埜の打ち筋を利用する。リーチ後を狙い打つのが最善やけど、そんなんそうそうできることやない。せやからここは、別の手を打つ――)
そして、その思考のすぐ直後、八巡目のツモでセーラが動く。
――セーラ手牌――
一二二②③⑤(赤)⑤(赤)123789(ドラ) 二(ツモ)
(上埜が自分の打ち方を貫くのなら、こっちは上埜に一番されたくない事をしてやればええ。例えば……)
セーラ/打一
この時、セーラが自摸った二萬は一枚切れ、――直前に、セーラ自身が切り捨てた牌だ。
(ついさっき自摸って止めた三枚目の一萬、最後の一枚が出てみれば……どうや? 上埜、アンタが一番されたくないことは――自分のツモを利用されることに、他ならない――!)
――感覚や、経験、もしくはそこからくる判断力故に、圧倒的な場を読むチカラを持つ雀士が居る。当たり前のように当たり牌を止め、隙あらば直撃を狙う。そんな根っからのいわば“歴戦の戦士”のような雀士。
江口セーラは、そんな人間を知っている。
そして、上埜久もまた、そういった感覚を頼りにするタイプ。アナログと呼ぶべき独自の麻雀観を構築している。
それ故に、狙えることもごくたまにあるのだ。
(オレは、アンタみたいな雀士をぎょーさんしっとる。上埜、アンタはどうや? オレみたいな雀士は、一体どれだけ卓を共にしてきた――?)
セーラの打牌は、それだけで終わらない。
「――リーチ!」
打牌、一萬、それを躊躇いもなく――“曲げた”。
(アンタとオレの差は、そんな経験の違いだけ。せやったら、この場で上埜にたどり着くために、ウチは無茶のような打牌をする)
リーチ宣言牌を横にスライドさせて、完全な自己主張のまま、リー棒を卓へと放り出す。
勝負の火が、灯るのだ。
(打点は、このリーチで補う!)
それは、自分を曲げてでも行う選択だった。火力のみを重視する、セーラ枯らしてみれば、青天の霹靂。それでもセーラは自分自身でそれを選んだ。
――久の顔に動揺が奔る。狙ってやったのかと、尋ねるようにセーラの元へと視線を向ける。セーラはただ笑うだけ、それ以上は答えない。
そして――久の打牌。
久/打④
ありえないと、よんだのだろう、故に、その打牌。七筒が現物で筋になっている。――リーチから、二巡目の事だった。
「ロン! リーチにドラは――」
――裏ドラ表示牌「④」
「五! 12000!」
その一瞬が、刹那に瞬く、両者の攻防の一瞬だった。
――オーラス、親尭深、ドラ表示牌「④」――
南三局、セーラの和了を食い止めたのは、渋谷尭深であった。既にスロットは十分と判断したのだろう、満貫和了という形で、彼女もそれを和了した。
そして、これがオーラス。
最後の――一局。
セーラも、久も、その瞬間は、思うよりも冷静なまま迎えていた。これですべてが決まる。少なくとも、この二人にとっては、このオーラスで、自分が和了って終了する、そんなイメージ以外は抱いていない。
泣いても笑ってもこれが最後の一局なのだ。
(これが最後、――やっちゅうのに、体が思いの外軽い)
セーラがそれを思考し、
(――背負っていたものが、どこかへ行っちゃったからかしら)
久もまた、呼応するように意識を向ける。
配牌を終え、自身の手牌を顧みる。配牌二向聴、遠くはないが、赤二枚、高く仕上げようとすれば、満貫はたやすく見えるだろう。
(さぁ、まずは何よりも……楽しまなくちゃ。この、楽しくて、楽しくて仕方のない半荘を――終わらせるために!)
手牌には、異様なほど字牌が無い。ヤオチュー牌も、一枚二枚で切ればすぐに消えてなくなる。
無論わけがわからない、など語るつもりはない。――オーラスの支配者、渋谷尭深のチカラにほかならない。
(――たしか、大三元確定に場風南が対子になっていたわね、配牌で一向聴はいっているかしら)
何にせよ、高さを見るならば、手なりのままで行かなくてはならないだろう。
(もちろん――それで終わらせる、つもりはないけど!)
ツモ――打牌。
一向聴へと、手を進める。
(私が進み続けてきた麻雀そのものが、この一局に集束するのなら、あらゆる意味が、私のすべてにあるのなら――私はここで勝って半荘を終わらせる。最後は笑って私のすべてを終えたい――!)
そして――
(――配牌から、少し進んで、一向聴……か)
自然と浮かぶ笑みを、セーラは少しだけ抑えた。
今この瞬間は、まだ早い、それはすべてが終わった時に、勝利とともに微笑むのだ。
(スタートは上埜に遅れを取ったが、これでそれは取り戻した。――白糸台のは、多分そろそろ聴牌やろ)
手は配牌から満貫程度のツモが見られる状況だ。当然、尭深も久も、気にせずに麻雀は打てない手だ。
(まぁ、最後に和了るのは、オレなんやけどな)
打牌から、己のツモへ。
手を、少しだけ組み替える。
(オレががむしゃらに進んできた道の、終着点としてここがあるのなら、抜き去ったあらゆる奴らが、この瞬間を作り出しているとするのなら――オレは勝つ、勝って、そして笑って帰る! もう一度、歩き出すために――!)
――――そして。
(聴牌――!)
(張った――!)
両者の思考が、瞬数遅れに合致する。
(このツモの意味、ここでこの牌が来るのなら――選択するべきは、これ)
久が、ツモに感触を感じ、選択を取る。それは奇しくも、自身のスタンスとも合致していた。
(――高め三色……? いや、それじゃあ打点が足りへんし、この牌は…………!)
セーラが己の信念にもとづいて、そして経験に法って、牌を選択する。結果は当然、最良とも言うべき状態。
――久手牌――
二三四五五五(赤)③④④⑤(赤)⑥⑦⑧
――セーラ手牌
六七八④⑥⑦⑧555(赤)678
互いに、待ちは同一。四筒単騎。そしてそれにより残りの四筒は山の中、誰一人としてツモはなく――
両者は、そのひとつを争う者として、それぞれのスタート地点へと降り立った。既に賽は投げられた。退くモノも、退く理由も彼女たちにはない。
ただ一瞬の刹那へ向けて、すべてを執着へと、変えるのだ。
そして、鹿倉胡桃も――また。
(張った…………けど、ツモのみ……か)
――胡桃手牌――
一三六七八②②778東東東北北北 9(ツモ)
(微妙な引き、かな。でもまぁこんなものとも言えるか)
チャンタ系に向かうにも、二筒二枚は足かせとなりすぎる、狙うに狙えない手牌だろう、加えてこの九索は切ることが出来ない。――渋谷尭深の、危険牌なのだ。
(多分、私以外は全部張ってる。もしかしたら白糸台は張ってないかもしれないけど、でもほか二人はほぼ確実。――多分同じ単騎待ち、何がどうなったらそうなるのやら)
少しだけ、呆れ染みた嘆息をもらして、しかし――すぐに胡桃はそれを別の物へと切り替える。
(――多分、速度じゃあの二人にはかなわない。このまま押したら、多分負ける。それはだめ、振り込むのは、絶対にダメ…………だったら)
胡桃は一瞬だけ牌を撫でるように横から横へ手を動かして、自摸る牌を品定めする。無論、その行き着く先を、胡桃は確信的に知っている。
そして、選んだ。
胡桃/打一
(バイバイ、今度はもっと、大きくなってから出なおしてきてね)
それは胡桃の、すべてを含んだ一手。
――守り、尭深とセーラの安牌、そして久が筋としている牌。
――隠匿、聴牌気配を極限まで崩し、この手を“臭わせない”状況。――そして
この場における、誰もが目指す、勝利へ向けた、次を残す手。
(多分、この半荘は千里山か風越のどっちかが和了して終わる。だとすれば、これはもしかしたら意味がないのかもしれない。――でも)
胡桃は勝負を諦めない。その形として、誰にも冒すことの出来ない“証”として――――
最初は、風が強いという程度だった。
尭深はそんな中、手を進め、一向聴まで進めていた。絶好の状況、絶好の手牌、しかし――
(感触が、――つかめない。風が強すぎる……)
聴牌にまでこぎつけて、しかしそれ以上が進まない。無論、そんな事は今までもあったし、こんな大事な場であっても、それは変わらない。
張った手は絶好とはいえないまでも、目の大きい待ちだ。
無論、それが押し負けるとも思えない。
それ、故に。
(吹き飛ばされる。これは、私の、私の……)
思考がまとまらない。
手を退くことは恐らくない。それ故に、風によって押し流される、圧迫感にもにたそれは、尭深の体を狂暴に叩く。
そして、
目を覆うほどの風、瞬く間に尭深のすべてをかき消して、それはひとつのチカラと成した。
すべてが消えるのに、幾重かの時を要した。そんな数多に満ちた風の群れはいつしか遠方の佳奈多へと消えさって、
気がつけば、尭深は目の前にある、風の正体に気がついた。そこには、上埜久、江口セーラ二人の修羅が立っていた。
セーラのツモが、尭深の前を行く。
ギリギリまで、掴んだ牌を、引き寄せる。引き寄せる――。引き寄せる――――そのまま、チカラに満ちた牌が直線上に降り注ぐ。
打牌。
久のツモが、軽快に舞って通り過ぎてゆく。
尭深の辿りつけぬ場所に居る、文字通り“上を行く”打牌、一瞬と、かかるほどのものでもない。
打牌。
セーラが、久が、向かう。
全てを賭けて、勝利へ向けて。
ただとどまるところのない、無限に満ちた“己”の先へ、目指し、進んだ、自身の信念がある場所へ――
何もかもが、かき消されていた。
音も、光も、存在も、衝突も――
そこにあるのは、単なる意地だ。
久が、勝ちたいと。
セーラが、負けたくないと。
久が、楽しみたいと。
セーラが、前へ進みたいと。
そう、思って、想って、想い続けて、そして手を伸ばすその場所へ。ただゴールとしてある、その先へ――
久も、セーラも、この対局に、勝利を求める自分を持ち込んだ。背負うものは、少しだけ大きくて、少女の背には余りあるほどで、
それでもそんな大きな物を、意地と、知識と、経験で、背追い抜いてきた少女が、その終着点として、荷を下ろす場所。
それが、そうなのだと、等しく、セーラも久も、それを下ろして、今はただ速さだけを競っているのだと、尭深はしった。
それから、少しだけ思う。
ずっと、見ていたい光景だ、と。
それでもそれはかなわない、勝者と敗者、二人の命運が、そこで別れる。
オーラス、最後の瞬間。
トップを行くセーラと、それをほぼ真横から追いかける久。
セーラが112600。対する久が112200。点差にして、たったの400という、小さな差、まるで図られたかのように、その場に同時に並んだ二人の少女。
そして、その結末が、すぐ近くにある。
尭深はそれを、特等席から眺めているのだ。見逃さないため、一つでも、心に留めておくため。
――そうしてその時は、一瞬にして訪れた。
ツモを手にしたのは――上埜久。
そう、手にしたその瞬間に、大きく、大きく笑みを浮かべた。これまで、何度となく久が浮かべ続けた、勝利に近い笑み。
そして、それを――
――煌めくように、牌が宙を舞う。一瞬の浮遊は、永遠に近い対空を感じ取り、そして。
「ツモ! 2000、4000!」
終わりを告げる、一つとなった。
♪
『中堅戦、終了――ッ!』
マイク越しに聞こえる声。実況、福与恒子のものだ。気がつけば、闇の中光を浴びていた少女たちに、昼の照り付きが戻ってきていた。
――四位:白糸台高校。
二年:渋谷尭深。
79800――
尭深と、胡桃は、いつの間にか一例だけを残して、その場から掻き消えていた。――ようなものだ。
残されていた。久と、セーラ、二人だけが。
――三位:宮守女子。
三年:鹿倉胡桃。
89400――
「――終わっちゃったわねー」
「せやな……」
真向かいに、少女たちは椅子に背を預けながら、言葉を交わす。何もない場所、なんでもない壁に寄り添うようにして。
向かい合うように。背中合わせになるように。
「……最後のツモ、オレは全然負けるつもりなんて無かった。今も、負けた理由が、全くわからへん」
――なんでだと思う?
答え合わせをするように、苦難を賭けて、ようやく終えた休暇の課題。その答えを照らしあわせて、確かめるかのような。
そんな声で、セーラは問いかけた。
万感込めて、問いかけた。
「簡単よ」
それを、久は何でもない風に言う。
「ねぇ、貴方……スポーツ漫画って、よく読む方?」
「まぁそれなりに」
そりゃそうだ、と久は意味深に笑う。そして――
「だったら簡単よ、あーいうスポーツ漫画で、強い奴って、強いだけ? 普通だったらどうなる?」
――あ、とセーラは声を漏らす。
スプリング、決勝での、セーラの勝利。
久とセーラ両者の実力を拮抗と評するならば、きっと、これはその埋め合わせなのだろう。
「――一勝、一敗。次は勝って、私が勝ち越そうかしら」
「……なんやて? 山中の田舎もんが、一回勝った位でえらくでかい口聞くやないか」
「ふふ、それだけ強くなった自負、あるのよ」
――ぽつり。
――ぽつり、と漏れる声。
やがて、そんな会話も、少しずつ小さくなってゆく。どちらが言い出すわけでもなく、口数は、少なく。
心は、己が内へと、溶けてゆく。
――二位:千里山女子。
三年:江口セーラ。
110600――
終わったのだ。
夏が。仲間たちと、共に闘う全てが。始まった時、共に久とセーラが登った階段。卓の置かれたその場所からは、地上がとても遠くに見えた。
――一位:風越女子。
三年:上埜久。
120200――
思えば、遠くに来たものだ。
――前半戦、山の頂で花開いたその時から、わかっていたつもりでも、気が付けば太陽はとても近い場所にある。
あれだけまたたいていた星々は何処かへと消え、今は暖かな光が注ぐばかり。
久も、セーラも、そんな光を浴びて、とてもやさしい笑みを浮かべるのだった。
原作で、怜が手を伸ばしたのは、回想で出てきたセーラの話で、人の生活の光云々を、対局室のスポットライトに見立てたという話らしいです。アニメで三巡先を見ようとしている時なんかに、光が指してたのはこの光が自己主張してたからですね。
千里山伝説では、そのスポットライトが星のような扱いになってます。暗いのが開けて、夜が昼にかわる、といった具合に。
次回はいちど幕間を入れます。副将戦の中に入れたかった回想が、尺の関係なんかで漏れだしました。あと、対局する四人とは親交のないキャラの話である関係で、幕間にという形になります。