咲 -Saki- 千里山伝説   作:暁刀魚

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『宮永咲』最終決戦Ⅵ

 ぼんやりと煤けた視界。

 人の存在も、世界の形も輪郭も、あらゆるすべてもおぼつかなくなった視線の先は、大げさな点滅をとどめた人口の光によって彩られていた。

 

 ――呼吸が荒くなっているのを感じる。

 気がつけば、というような意識の浮上に、しかしどうして、さほど時間は立っていなかったようだ。他方に複数の息遣いを感じる。

 どうやら音一つ殺された室内に、自身と同様の存在が居るらしい。

 

 しかしそれも、やがて席を立ち足音を響かせて、対局室から去っていった。そこにはそれを見送った最後の対局者――瀬野円依のみが残されていた。

 

 彼女は対局の合間、他方へ出ていくことはない。

 当然のことだ、片足を不自由し、移動が困難である彼女は、必要がなければ移動の面倒は侵さない。

 結果として、現在はつかれた体を休めるために、椅子にもたれかかって息を整えているのだ。

 

 どれほどそうしていただろう、インターハイにおいて、対局の合間にある休憩時間はランチタイムを兼ねる次鋒戦から中堅戦への移行を除いてさほど隙間はない。

 故にこの大将戦前半後半の合間であっても、円依がそこから動くということはない、これは第二回戦でも同じ事――準決勝に限っては、そもそも後半戦へのインターバル自体が存在しなかったが。

 

 この時間、円依を邪魔するものは何もない。大抵の場合、対局者は一度席を立ち、空気や何やらの入れ替えをする。故に、円依はこの休憩時間目一杯を使って、対局室にてリラックスを行うのであるが――

 

 

「――円依? 円依ー」

 

 

 今日ばかりは、彼女を遮る者が居るらしい。

 ――薄く開いたまぶたは、目のかすみも伴って、どうにもチカラを持っていない。それを億劫になりながらも、なんとか大きく見開いて、円依はその少女の姿を確かめる。

 

 もとより、確かめる必要などないことくらい、わかっているのだが。

 

「……どうしたのさ、泉」

 

 二条泉、円依の親友にして同学年の千里山レギュラー、大将を任せる円依を、前半戦の開始において、見送ってきたばかりの人物だ。

 その顔が、円依を心配そうに見つめているのだ。丁度、倒れこんだ円依の顔を、真後ろに回って上から覗き込むようにして。

 

「なんかごっつう疲れてるみたいやし、“アレ”の後やから、ちょっと気になって見に来たん。だいじょぶ?」

 

「おー、だいじょぶだいじょぶ。今だったら陸上競技のインターハイにも出れそうだ」

 

「いやいや、無理やって」

 

 眼に焦点が合っていない、どこか濁ったような瞳に、疲れ以外の様子は見られない。加えて円依の足はそもそももう運動には適さない。

 ぺし、と音にもならない衝撃を伴って、泉は円依の額を手のひらで小突く。あぅ、とどこか少女らしい声が漏れた。

 

「まー、そこまできにするものでもないよ、ジョギングしたようなものだから」

 

「……その心は?」

 

「慣れないことはするもんじゃないね」

 

 ――下を出して笑う円依は、疲れも少しずつ癒えてきたのか、先程までのような憔悴した様子はあまり見られない。

 簡単に言えば、円依のチカラを使うということは、それ相応の集中を要する。本来であればそれは呼吸をするように当然のごとくできるはずなのだが、二年間、三年間と意図的に止め続けてきたそれは、意識して行う場合、逆に当然のように集中が必要とする用になったのだ。

 

 運動能力の低下による体力不足と評する円依の物言いは、そういった点では非常に的を得ているものであった。

 泉もそれを感じ取ったのだろう、嘆息混じりに覗き込んでいた顔を話すと、椅子を回転させて振り返る円依を上から下まで一瞥し、大丈夫だろうとひとつ頷く。

 

「ま、このくらいなら園城寺先輩みたいな心配は必要なさそうやね」

 

「そーだねー、後半戦は咲が暴れるから、支配も更に弱くしてくし、もう散歩と同じくらいしか体力使わないだろうね」

 

 それから、円依と泉はいくつか言葉を交わした。船久保浩子のたどり着いた六曜のチカラと大星淡のこと。そして――

 

「――問題は宮永、か」

 

「だねぇ」

 

 ――目下最大の的、風越女子。その大将である宮永咲は、前半戦最後の一局で三倍役満という化け物じみた和了を見せた。

 各校それなりの対策はしてくるだろう。そも、あそこまでの手を、何度も作れるはずもない。少なくとも牌譜を見る限り、準決勝での円依のように、咲が役満を和了るのは本当に必要な時、最終局面のみのようだ。

 

「正直、見ててばかみたいに強いっていうのはなんとなくわかった。手の施しようがないのも、なんとなくわかった」

 

「当たり牌がなんとなく見えてるみたいで、しかもあの子が行う打牌は、全部運命に好かれているかのように正確なんだ」

 

「――チカラにも隙はない、か」

 

「無茶すれば何とかできなくはないかもしれない、けど、難しいだろうね……出来て精々ってところだよ」

 

 咲の闘牌は完成されている。そこに隙の喰らいつく余地はない。無論それは追いすがる円依たちにとっても同じ事。

 

「それでも、私は咲に勝つ、絶対にね」

 

「……おう、がんばりや」

 

 そうだ――と、円依は一度目を伏せて、それから問いかける。

 一拍の間が開いた、空白は、ひとつの情景を切り取った写真のように、彼女たちを受け入れて――

 

 

「泉は、咲の弱点が何か、わかるかな?」

 

 

 その問いは、泉の眼を、大きく開かせるにたるものだった。

 

 

 ♪

 

 

 それから、休憩時間は終わりを告げた。長い会話の末、円依の元を離れ控え室へ戻る泉、入れ替わるように、豊音と淡、二名の対局者が対局室に入室する。

 再び咲は最後の入場――無言のまま、沈着にして他ならない、彼女の表情がそこにあった。

 

 場決め、起親は豊音ときまる。南家に円依、西家に淡、そしてラス親は咲、宮永咲が、この半荘を占める最後の一人として結論付けられた。

 各者はそれぞれの思いと、咲に対する思惑を胸にして、席へと座る。

 

 やがて、サイコロは否が応にも回り始める。スポットライトはまったなく消え、残されたの、対局を間際とした少女たちのみ。

 

 後半戦――開始を告げるこだまの音は、そうして誰しも、ありとあらゆる全ての人の手からすり抜けてゆく。それが半荘戦、二度目の対局の合図となるのだった。

 

 

 ――東一局、親豊音、ドラ表示牌「{1}」――

 

 

(――さて、はじまった)

 

 咲からの気配は前半戦と変わらない。彼女の持つチカラは、見た目としては一定の視覚効果を持ちつつも、実際の場としてはこの上なく頼りない。

 故に、それが正しく正常であるかは誰にも分からない。

 少なくとも、豊音は無視した。この親番、ただ稼ぎがないという訳にはいかない。特にこの手は、そういった速攻に長けている。

 

(鳴いてテンパイせずとも、直ぐに絶好系がテンパイできる――三巡目、勝負をかけるなら今しかない!)

 

 打牌――リーチは書けずとも、この待ちであるならば、いつしか卓にこぼれ出るだろう、テンパイが大いに知れ渡る数巡以内に、少なくともひとつは出てしかるべきだ。

 

 だから――

 

 

「カン」 {横東東東東}

 

 

 そこから咲にさらわれていく打牌を、豊音は見ていることしか出来ないのだ。

 

 爆発が、豊音の心臓をえぐったかのように――射抜かれたかのように、風を伴って咲が嶺上牌に手を掛ける。

 豊音の顔が悔しげに曲がる。

 

 わかるのだ。わかってしまうのだ。――咲のチカラは単純明快、絶対的且つ超常的な強さを持っている。それはあまりにも結果として残りやすく、人々の記憶に植え付けられやすい。

 それ故に、豊音はこの咲の映像を、容易に思い描くことができるのだ。

 

(――私の手は、平和三向聴の絶好テンパイ。それが負けた――? いやそもそも、宮永さんは一体何時、テンパイしていたの? 手出しは――した。でも)

 

 ――咲捨て牌(「」手出し)――

 {「八」「二」}

 

 

「――ツモ、混一色、東、發、赤一、嶺上開花。12000」

 

 

 ――咲手牌――

 {三四赤五五六七發發發白} {白}(ツモ) {横東東東東}

 

(――これって、)

 

・風越 『143100』(+12000)

 ↑

・宮守 『66300』(-12000)

 

(全部、単なる手牌の入れ替えだよ――ッ!)

 

 だとするならば、咲は最初から狙っていたのではないか? もし最初からこの手をテンパイしていたとするのなら、咲がダブル立直を仕掛けない理由は、豊音が東を持っているという事情以外には考えられない。

 “宮永咲”は、そんな事すら可能であるのか。

 

 豊音だけではない、淡も、円依も――誰もが戦慄し、恐怖する。

 

 同時に、

 

 

 ――東二局、親円依、ドラ表示牌「{東}」――

 

 

(すっごい。やっぱ咲はすっごい。私の――いや、誰もの予想を越えてくる。そこに、人の介在する余地は、果たしてあるの?)

 

 同時に――大きく意欲をそそられるのだ。強敵、絶対的な相手、それに対して、真っ向から挑まんとする意欲。

 闘志と呼ぶべき闘いの感情。それが人々の心に宿ってしまって仕方がない。

 

 円依はその代表格だ。咲の事を最もよく知り、咲のことを最も越えたいと思い、この半荘に望んでいる。

 そして、で、あるがために円依は手探りで前へと進む。

 

(とりあえず、私が今、できることは……)

 

 牌を持つ手に、大きく力を込めていく。ぴくりと揺れる手のひらは、筋力の不足からくるものだろうが――円依はそれを、武者震いであるとも見て取った。

 決意、もしくは覚悟に似ているだろうか。

 

 ――円依手牌――

 {一三五②②③⑥⑦⑧289西} {二}(ツモ)

 

 そこから、円依はよどみなくツモを選んだ。

 

 円依/打{③}

 

(咲に槓材という隙を与えちゃいけない。何としてでも、咲に槓材を与える流れは作らせない!)

 

 続くツモ、これにまた、打牌。

 

 咲/ツモ{六}・打{五}

 

 その捨て牌は、自身の手を国士と見せるかのような異様さを増していく。円依の捨て牌は、どこか威嚇のような力強い違和感が残ることが多いが、これにはそれがない。

 国士気配の捨て牌というものは円依でなくとも、誰にだって作ることができる。当然それは円依のような捨て牌にはならず、河には不気味さだけがのこる。

 

 つまり、そう、思わせればいい。

 

 さすればそこには――二人の悪魔が、鏡合わせに移るのだから。

 

「――ポン」 {横中中中}

 

 円依の捨て牌が、いよいよ他家の心を縛り始めること、咲がおもむろに動きはじめた。役牌、中を鳴き、即効のようにして打牌をはじめる。

 しかし、その捨て牌は――

 

 ――咲捨て牌――

 {一8二北9赤5}

 {2}

 

 またもや、染め手。結果これが、豊音の焦りを生むことになる。

 

「チ、チー!」 {横五四六}

 

 恐らくは、赤口。中張牌に手を寄せることで、早上がりを見ているのだろう、既に一向聴まで進んでいたのか、これがもしかしたらテンパイなのかもしれない。

 

(――鳴きが多くなれば、当然槓材は少なくなってくる。しかも咲の槓材も流れることがあるわけだから、一石二鳥の手になるわけだ)

 

 とはいえそれは、咲に対抗する上で、初歩の初歩とも言うべき戦術にすぎない。実際、準決勝や県予選決勝――咲が目立たなかったインハイ第二回戦を除いて――ほぼすべての対局で見られた対応方法だ。

 故に、それだけでは止まらない。

 咲は――その程度の対策では、収まらない……!

 

「カン」 {横中(横中)中中}

 

 ――加槓、拾い上げた中の鳴きから、更にもう一つ中を加える。そしてそれは、当然それだけでは、収まらない。

 

「もいっこ、カン!」 {白裏裏白}

 

(大三元――!?)

 

 そのカンは、他家に大きな衝撃を与える。――浮かび上がる役満の可能性。それは前半戦、オーラスで植え付けられた四槓子の幻想が、三者の脳裏を襲う。

 あるわけがない、そんなはずはない。それは誰もが感じている。

 

 それでも、嶺上牌を自摸る咲の姿は――あまりにも、彼女たちに襲いかかって来てしまう。

 

 山を、河を、卓上のあらゆる障害を踏み潰し(・・・・)、咲の打牌は咲自身の手牌を叩く。緊張、巻き上げられたバネが、そのシナリを極限にまで押さえつけ――はじき出される瞬間。

 

 ――やってきた。更に咲が、手牌の四カ所へ手を掛ける。

 

 

(まさか――)(――それも――)(――晒すのか?)

 

 

 豊音、淡、そして円依。三人の思考が完全にシンクロを見せ、咲の牌が開かれる。――その刹那、彼女たちの胸に込められた圧迫感は、尋常とすら呼べなかっただろう。

 しかもその上、彼女たちが感じる時間は、彼女たちを食らう得物の動作のように、緩慢だ。

 

 いっそ早く終わってくれ――滞る時間の中で、何度思考したか、結局それはしれなかった。

 

 

「カン!」

 

 

 三槓子、それによって示されるのは――数牌。

 

 ――{3裏裏3}

 

 だが、結局それは、単なる延命措置に過ぎない。無論これで、大三元の確率は更に少なくなった。もしここで發までも暗刻にしているのだとしたら、そもそも大三元所の話ではない。とはいえそれも、決してありえない話ではない。――大三元含みの大物手、そんな物も、十分有り得る。

 それでも――

 

 安堵してしまう。

 彼女たちは、――咲に囚われた時間を経験した彼女たちは、やはり安堵を見せてしまう。

 

(……だめ、全然ダメ――咲には、こんな事じゃ追いつけない。じゃあ、どうすればいい? ……いや、そもそも、このままじゃあ――)

 

 

(――このままじゃ、誰かの飛び終了で、この大会が終わっちゃう!)

 

 ――淡の顔が、恐怖にもにた歪みを見せた。

 見れば、豊音も感情をないまぜにした、怯える子どものような眼をして、咲を見ている。そうして、円依は――――

 ――終わらせたくない、負けたくない、しかし、勝てないのだ。

 

 その少女には、嶺上牌を携えて――それを掲げる。

 

 

「――ツモ」

 

 

 ――咲手牌――

 {③④赤⑤發} {發}(ツモ) {3裏裏3} {白裏裏白} {横中(横中)中中}

 

「――4000、8000」

 

 かくして、円依は親被り、他家もけっして安くはない消費により、咲との点差は大きく開かれることとなる。

 誰にしても止められない、誰を持っても、それを留めることは、出来ないのだ。

 

・風越 『159100』(+16000)

 ↑

・宮守 『62300』(-4000)

・千里山『104000』(-8000)

・白糸台『74600』(-4000)

 

 

 ――東三局、親淡、ドラ表示牌「{1}」――

 

 

(――負けられない)

 

 淡の眼に闘志が灯る。

 残る親番んは後二回。現状、その中で咲をまくるのは難しいだろう。しかし、それを理由にここで牌を投げ捨てることは、淡の心が絶対に許さなかった。

 

 それは、恐らく誰もがそうだろう。

 ここに来るまで、淡は一度大きな敗北を喫している。――偶然でなければ踏み潰されてしまう敗北、しかし、それでも淡はここにいる。偶然に頼って、ここにいる。

 次はもう、そんな偶然は許されない。

 

 そしてそれは、姉帯豊音とて同じのはずだ。――他校が飛び終了の憂き目に合う中、ただひとりだけ自身の点棒を守りきった少女。

 諦めるなど、もってのほかだと、心の奥底から語りうる少女。

 

 それに、瀬野円依とて、全く諦めるつもりはないだろう――なにせ、

 

(……っといけないいけない、あんまり他の人に気をやってちゃいけないよね、……今は私の親番なんだから)

 

 改めて、手牌を鑑みる。配牌からして一向聴、絶好の手だ。これであれば、和了も全く難しくはない。

 とはいえ――

 

(千里山の“チカラ”が強くなっている? ってことだよね、この感触は――それにこのヤオチュー牌も……)

 

 幸い、手は非常に警戒だ、字牌は自摸れなくとも、七対子のテンパイは十分に可能だろう。

 

(高ければ、混老頭まで見えるけど、そういう時は大概ツモが悪い、だったら私は、私の思い描くままに行く!)

 

 淡/打{九}

 

 勢い勇んでの力強い打牌。警戒な音は、卓を跳ねる牌にまで伝わった。咲は居る、しかし恐れない、知っているのだ、淡は咲のような強者を。

 魔物とすら呼ぶべき――否、それ以上の存在である“なにがしか”を。

 

 

 ――だが、歩を進める淡の足元を、まるで掬い取るかのように、這いよる影が、一つだけあった。

 

 

 無論、それに気がつくはずもない。

 そして、たとえ気がついたとしても、それに対応するすべはない、精々手元に集まったと何時を切り払いながら、国士に向かう程度、のみ。

 

 そうそれだけ、それだけなのだ。

 

 

「――カン」

 

 

 東一局と、同じ事。大明槓は責任払い。

 そしてそれは、止まらず、大星淡へ――襲いかかる。

 

「ツモ、チャンタ、三色同刻、嶺上開花。――8000」

 

・風越 『167100』(+8000)

 ↑

・白糸台『66600』(-8000)

 

 かくして、誰一人として、宮永咲を止めるものはなく、半荘は東四局となる。――咲の親番が始まろうとしていた。




後半戦前半部分その1。
3まであります。次回は年明け!
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