漠然と広がりつつあった円依の支配。それは誰も止めようの無いものであったし、止める必要もないものであった。
対応がさして難しくはないといえ、そのチカラはある種とがった言い方をするのであれば、絶対的としか言い様がない物だった。
とはいえ、あくまでそれは対応に関して、というものであり、そもそも円依のチカラは、個人の恩恵としてならともかく。万人への強制としては、いささか力不足が否めない。
故に円依は対局の中でそれを使うことは今まで無かった。たとえ今回のように使用しても、有用であるのは一局のみというあまりにも情けない結果であった。
それ、単体でみるのなら。
しかし、実際には円依のチカラはこの対局を前半戦の半ばから、ずっと支配し続けてきた。 その揺るぎない絶対性を示し続けて、円依のゲームメイクを全面から助けた。このチカラの真の意義とも呼ぶにふさわしい、トリックスターそのものの振る舞いを、発揮し続けたのだ。
ならばそれに、人知を越える絶対性が伴えば、どうか。
只そこにあるだけのチカラではなく、事実として対局者を侵しうる、唯一無二のものに変貌するならば、はたして、どうか。
今更声高に宣言が必要なわけではないだろう。それは、かの天江衣に匹敵しうる支配力と。
宮永咲の絶対性を越えてせしめた円依の知謀が、あらゆるものを食らうのだ。
それこそが、円依の持つ最後の切り札。たった一つのワイルドカード。
咲の放つ
もしそこに、名を冠するのならば、それはまさし
かくして語ろう。それは英雄にのみ許された、伝説のごとき所行。
瀬野円依は伝説を作る。たった一夜にのみ許された、人が人を越えるということ、人が人間を越えるということ。
後半戦、南三局、親は円依、ドラ表示牌は「{①}」、命を賭して、一人の少女が牌を握った。――あらゆる物を圧倒しうる、少女の一局限りの闘牌が、始まる。
♪
(――なに、これ、手がビリビリしてる。電気でももらったかな……)
淡の感触に、最初に浮かんだのは手のしびれだった。何とも言いがたい、何かに震えている感触。小さな小さな振動とも言うそれが、淡の手を縛り付けているのだ。
無論それは気のせいに近い、常時健体たる淡の体に、突如として襲いかかった不調ではない、動かそうと思えば手は如何様にも動きうるし、如何様にも奮われうる。
しかし、その中にも、彼女の感覚を襲う何かがあるのだ。
――山が浮かび上がってくる。ことはインハイ決勝戦、最終決戦の舞台である。気のせいと呼ぶにはあまりにも重しとなりうる代物であるが、無視する他に解決策はない。
覚悟を決め、自身の配牌に手を掛ける。――その時だった。
爆発的なまでに、なにかが、あった。
――それを、その瞬間に淡は、認識することはかなわなかった。牌に手をかけた瞬間、怒涛のごとくそれは押し寄せたのだ。
風、と呼ぶべきではない。それは、あまりにも“感触”を伴わない。
重圧、と呼ぶべきでもない。それは、あまりにも“チカラ”を伴わない。
そう、それは気配。人が持つ、生きるという命の証明。
命――それだ。淡はようやく合点が行った。今、淡は命の灯火を浴びている。何というまでもない、確かなそれを浴びている。
幾つものという時を刻しただろうか。否、それは数秒にも満たない微粒の事。――それでも牌を自摸る、テンポはずれた。既に迫っていた咲の手に気づき、慌てて自身のそれを、牌の山ごと引っ込める。
嘆息混じりに、それを除いた。
――バラバラ、何の一致もないと、言ってよかった。
無論、それはただの一欠片。淡の得られるすべてには満たない。――しかし、そこに淡は否が応もない気持ち悪さを感じていた。
なにせ、その手牌はどうにも気味が悪い。何かが伴っていないのだ。
果てしない違和感。しかしそれはどうとなるものではない、“あの”気配を捉えた瞬間、体を覆う程に激しくなった手の痺れとともに、振り切って次に移る。
――その違和感の正体は、程なくしてしれた。
知っている。
淡はその手を、知っている。
(――――
――淡手牌――
{一四八③⑥⑨158東西白發}
それを、最も最近眼にした時は何時だっただろう――そう思考をめぐらして、ようやく理解に至った。この手は“作為”されたものだ。
そしてそれは、この圧倒的な気配の持ち主がなしたこと。
淡はそれに、縛られたのだ。
――数日前、これによく似た手を淡は見た。十三不塔という状況は、さほど昔の記憶ではない。――その時は、唯一人がこの手を担う状況にいた。
そして、その一人は、今、自分と同じ卓に座っている。
(――瀬野、円依! これは……これはあんたの仕業――!?)
愕然とする思考。
その中で、淡は円依をにらみつけた。――それ以上のことは、不可能だった。
(何――これ)
宮永咲、嶺上使いたる風越の少女は、思わずの光景に息を呑んだ。――筆舌しがたい感覚だ。それを認識することも、咲には困難に思えた。
そこには、何もなかった。
――“見えない”のだ。本来見えるはずのものがない。咲であれば、咲だからこそ、感じ取れるはずの感覚を感じられずに居るのだ。
(何にも、ない。――槓材すら、見えないなんて――!)
円依の支配はどこまでも
しかも、その支配はそれだけにとどまらないのだ。
(――何も見えない卓上、か。こんなの、本当に麻雀を始めた頃いらいだよ……)
咲のチカラはすべてを食らうほどの気配によってかき消された。咲自身が奪われたかのようなそれを、咲は思いの外平然と受け入れていた。
嶺上開花を奪われた、はずだというのに、自分自身ですら意外に思わないほど、咲は平静を保っていた、
それを不気味と思うことはない。
咲は“自分自身のことを意識できないほどに”思考を別種のものへ向けているのだ。
(……円依ちゃん――今、何をしているのか、わかっているの?)
目の前にいるのは、間違いなく咲がこれまで戦ってきたはずの瀬野円依だ。しかし、それ以上に、そこにあるのは全く別のものに見えて他ならない。
(こんなの、円依ちゃんらしくない。うぅん、“人らしくない”)
――咲の思考はどこまでも超越的である。咲にとっては、上埜久であれ、天江衣であれ、“強い人”は単なる“強い人”というククリでしかない。
唯一の例外は、咲の姉たる、宮永照だけだ。“とても強い姉”という区分であるだけだが。
その咲が、今の円依を“人ではない”と捉えた。――円依はどこまでも人間的だ。化け物じみた闘牌をしようと、その結果には、策を弄するという、どこまでも人間らしい結果が伴っていた。
だが、今の円依にはそれがない。
あるのは、気配。人ですらない何かとかした、何かですらない“気配”に成り果てた、そんな気配だ。
(――こんなことをして、一体どれほどの無茶をしているの……!?)
円依のそれは、命すら削りかねないものだ。
無茶、などと呼ぶべきではないかもしれない。無謀と、それが単なる命削りの暴走であるならば、総評するべきだろう。
しかし、そうではない。そのチカラは、そうではない。
(でも、いいよ。――その無茶、真っ向から相手にする。私の全部をかけて、今度は私が、あなたに挑む――!)
これは、円依の無茶は、最大限のものなのだ。
彼女が持つ、勝利という存在を、最大限に求めたものなのだ。
(私のチカラは消されちゃったけど――)
――咲手牌――
{一四九②⑤⑧39東西北白中} {9}(ツモ)
(私のすべてが、失われたわけじゃない!)
――千里山控え室。
モニター越しに、咲と円依の闘牌は繰り広げられていた。――千里山の控え室に言葉はない、だれもが、その闘牌を食い入るように見入っていた。
――内容は、語るにしてもあまりにたやすい。咲は――その他の同卓者も――よく頑張っている。しかし円依はその上を行く。ただ一人、好配牌のままスタートした彼女のツモは、そのまま真っすぐ高純度の手へ変化しつつある。
それに最も食い入っていたのは、ほかでもない、二条泉だ。円依を最も近くから見てきた少女が、今、円依のことを最も近くから眺めている。
――それに、声をかける者がいた。
「――大丈夫?」
清水谷竜華である。泉が誘われるように見上げた先には、そんな竜華のしょうがないというような、諦め顔が浮かんでいた。
「あ、……えっと」
「あんま気ィつめたらアカンで? 無茶してるのが心配なんはわかるけど、無茶する人っていうのは、こっちが言っても聞かないんやから」
うっという声が竜華の後方から漏れる。――それで合点が行った。竜華は泉よりもずっと、そんな無茶に対する心配をしてきているのだ。
そう考えると、竜華の言葉はすんなり泉の胸へと入っていった。
「そう、ですね……」
「信じるんやで、円依は必ず勝って帰ってくる。その時に、泉が泣いてちゃ台無しやから、ね?」
「――――そう、ですね!」
――咲が打牌を鋭く切り出す。
――円依の手が、卓をゆらりと行き来する。
そう、そのとおり。
今、円依はあの決勝卓で戦っているのだ。姉帯豊音と、大星淡と、――宮永咲と。
――最後の勝利を掴み取るために。
『――リーチ!』
――少しだけ陰りを持っていた泉の顔から、その陰りが振り払われていた。
そこには、一人の少女の帰りを待って、勝利を信じる、泉がいた。
「行け――!」
――声は自然と張り上げられていた。
「――そこで、決めてまぇ――――ッッ!」
そうして、そこに居る少女――瀬野円依は、高らかに牌を振り上げる。
『――ツモ!』
――対局室。
――円依手牌――
{一二三九九①①
「リーチ、一発ツモ、純チャン三色一盃口、ドラドラ――12000オール!」
・千里山『130300』(+36000)
↑
・白糸台『55800』(-12000)
・風越 『157700』(-12000)
・宮守 『56200』(-12000)
この瞬間、すべての気配は払われた。――円依の双眸に、揺らめいた瞳の黒が浮かんでいた。
――南二局一本場、親円依、ドラ表示牌「{8}」――
――実況室。
「千里山肉薄ゥ――――! トップを独走状態にあった風越に一気に詰め寄る大和了! 流れるような素晴らしい一閃が、決勝卓を駆け抜けたぁ――!」
会場にある、観客たち、対局をテレビ越しに見守るものたち、あらゆる鑑賞者の興奮を背負って立つように、鋭い実況の声が、駆け抜ける。
――健夜の顔が少しだけ、曇りげにしていた。
「見事な和了でした、ここでこの和了、つまりそれが彼女の選択、ということなのでしょう」
それを押しのけて、対局は続く。
――何よりも、彼女自身がそれを望んだのだから。
すべてを振り払った円依は明らかに憔悴しきっていた。息を大きく荒げ、瞳には光といえるものがない。さらには体をうつ伏せ気味に折り曲げ、卓に何とかてをつけて、そこから瞳を卓上へのぞかせていた。
左右から心配そうに見つめる淡、豊音の瞳へ大丈夫だと避けながら、理牌を終えない手牌から、第一打を円家は切り出した。
それは他方から見ていても、あまりにも弱々しい打牌だった。なにせ一度牌を取り落とし、それを一拍保ってから、緩慢に河へ押し付けたのだから。
打牌を終えて、大きく円依は嘆息を漏らす。体中の疲労と呼ぶべきものすべてを吐き出すように、何度も、深く。――理牌をしながらも、少しでも平常へと戻るべく、呼吸を乱し続けるのだ。
その瞳に、光を灯すため。
――そして、咲は少しばかりの焦りを感じていた。
円依の和了、それは文句の付けられないほど鮮やかな、そして正確なものだった。
その代償として、円依はこうして疲労にやられてしまっている。今であれば、彼女の支配は咲の元まで届かない。打牌には、感覚が戻ってきていた。
円依の支配は消え失せ、平生通りの槓材が咲の手元にはやってくるし、正確にその行く先も探知することができる。この瞬間、円依はこの卓にいないとすら言えた。
(円依ちゃんは、自分の無茶を、この瞬間、親番という形で使うことを選んだ。オーラスという場所ではなく、この、親番で。それは――つまり、円依ちゃんは、ここでまだ“終わらせる”つもりはないってことだ)
円依の気配に、少しずつではあるが、復帰の調教が見られる。
それはつまり、再び円依が暴れだす時が来る、ということだ。それすなわち、その瞬間が、最後の勝負であるということ。
(あの人は、この瞬間までも考慮に入れて無茶をした。だからこそ、ここで私が誰よりも早く和了る。最後の勝負に、備えるために――!)
――円依はおそらく、オーラス――咲の親番に勝負の要を据えたはずだ。
その瞬間に、自身が勝利を手にするために。
そして、それだけではない。咲は、円依だけを気にしてはいられない。――未だ、宮守も白糸台も健在だ。あと南場の局数が、これを入れて三回。
その間に、“二度も役満を直撃されれば”咲はあっという間にトップから転落、今の状況も、すぐに反転してしまう。
そして、宮守の姉帯豊音にも、白糸台の大星淡にも、それを成すだけのチカラと、執念がある。彼女たちは、負けているからこそ、怖いのだ。
――だからこそ、
「――カン!」
(まずはここで、円依ちゃんから、和了る!)
「ツモ! ――嶺上開花、7700は、8000!」
咲自身が、その勝利に最も近いからこそ、
・風越 『165700』(+8000)
↑
・千里山『122300』(-8000)
咲は、それに最も思いをもやし、手を伸ばす。
――かくして、円依の親番は終わりを告げる。
インターハイ決勝もいよいよ大詰め。勝利はダレの手にもある。そこに最も近づく風越、それをおう千里山、下位にあり、だからこそ執念を燃やす白糸台に、宮守の二校。
誰もが勝利へ手を伸ばし、その先にある何かを望む。
そこにあるのは、ここそれぞれの答えだ。
形ではない、全てではない。
――ただ、思うがゆえの、答えがあるのだ。
――そして、その刹那。
――円依の瞳に、再び光が戻ろうとしていた。
円依全力全開の巻。
いろいろ言いたいことはありますが、略。