――きっと、こうしてここに要られることこそが、自分にとっての幸運なのだ。
――瀬野円依という少女は、不幸な生き方をしてきたけれど、それもこれで一つ、終わりだ。
――別に何もかもが終わってしまうわけじゃない。でも、きっと何かが、一つ終わる。
――でも、それを怖いと思いことはない。逃げたいと思うことはない。
――やっと、前に進もうと、突き抜けてしまおうと思えるようになったのだ。
――ただ逃避して、ただ後ろを省み続ける生き方から、少しだけ変わったのだ。
――それが、正しいことなのかはわからない。
――でも、終わらせたいと、そうすっと思えるようになったから。
――終わらせるのだ、自分の一つを、
――自分に一つの、終止符を打つために。
――勝つ。
――勝って全てを――――終わらせるのだ。
――オーラス、親咲、ドラ表示牌「{北}」――
残された対局は後一つ。そしてその壇上に上がることを許されたのは、二人だけ。四人という複数で行う麻雀においては、余りに特異な状況だった。
白糸台、そして宮守、二校はすでに敗退が確定している。インターハイ団体戦、その頂点に手をかけるのは、二人の少女。
瀬野円依と、宮永咲。
千里山女子と風越女子。両校を代表する、特異点のごとき選手、大将として、もっとも勝利を臨むが故に、もっとも勝利に近い場所へ据え置かれたもの達。
改めて語ろう、瀬野円依と、宮永咲を。
――瀬野円依は鋭い刃のごとき少女である。それも、隙あらば敵を穿たんとするアサシンの刃だ。
彼女の捨て牌は課程が排除され、ともすれば配牌すべてを切り捨てるほどの異様な結果を作り出す。それは彼女が沼という存在を望んだが故。一度その異様さにおののいて、歩を誤れば最後、ただ沼の底へ引きずり込まれ――刃の不意打ちを受け、その屍をさらす。
彼女の表情は、挑むという感覚に支配されていた。咲という少女、円依が個体と望んだ存在がそこにいる。
――円依手牌――
{①②③③④④⑤⑤⑥⑦⑦⑨西}
それに真っ正面から立ち向かう、この瞬間は、刃も沼もかなぐり捨てて、少女は只、勝利という形を望むのだ。
(――さぁ、手を伸ばしても届かなかったあの場所に)
円依/ツモ{⑧}
(もう一度だけ、手を伸ばすんだッッ!)
手に収まった牌を何度も握って感触を確かめる。――広がり続ける輪のように、それはある。無限のように回り続ける歯車を、円依は一人、作るのだ。
只一度、此度に許された、自身の頂点への切符を、優勝の証を持ち帰るために。
宮永咲は嶺に咲く、華を携えた少女である。その華のなんと美しいこと、手を伸ばすことすらためらわれるほどだ。故に絶対、故に最強と呼ばれるのが、咲という少女である。
彼女が駆使する嶺上開花は、見るものを引き寄せるチカラがある。まるでミツバチをその花の蜜でおびき寄せるかのように。
そしてそれは、絶対を解き放つ少女のもっともたる餌食となるのだ。
宮永咲には隙がない。その聴牌速度、ツモるとなれば鋭い暗槓で根こそぎ敵をねじ伏せて、直撃を取るとなれば、強引な大明槓が彼女の手から放たれる。
それを止められるものは、それ以上の速度を持つ化け物か、彼女以上のチカラを持つ化け物しかいない。
少女の存在は、気配としか言いようがない莫大なチカラの塊に終始していた。どこまでも直線を見据え、どこまでも敵を射止めて、勝利を求めて牌を握る。
――咲手牌――
{一二三①①⑦56699發}
あるのは、目前の敵、恋焦がれ続けたかつての先輩――現行の最大ライバル。この大将戦にまで上がってきて、咲との最後の勝負を許された少女。
咲/ツモ7
それが最後であることを確かめながら、咲は打つ、自分自身が最も信じる勝利へ向けて、ただそれだけを目に見据え、頂点と呼ぶべき絶頂の場に、――己が華を、咲き乱れさせるために。
牌を――打つ。
――両者、ここにて勝利をつかむには、円依は役満ツモ和了のみを見据える。咲がここまできて、円依の策にハマりに、直接突っ込んでくることはありえない。
咲は前を見ている。
しかし、それは円依と同等の視点だ。同一のまま、咲を目指すものの視点だ。
故に、円依は、その手にそれを宿す。
何のことはない、単なる一打として、それを託すのだ。
円依/打{①}
第二打を放ち、咲へと勢い良く迫る。
止まるまい、抜かれまい。それぞれの感情を、むき出しにしながら。
咲の手が、確かめるように伸ばされる、少しでもそこにあるものを、勝利と呼ぶために。
円依の手が、鋭く前へ伸ばされる。咲はまだ前にいる。だからそこに、ひとつ、追いつくのだと。
咲/打{二}
卓に響く音は、驚くほど甲高い。
円依/打{6}
それが少女の袂に浮かぶ、炎に似た何かを映し出しているかのように。
♪
勝ちたいと、思ってきた。
負けたくないと、思い続けてきた。
強い人はいくらでもいた。彼女よりも上をいくだろうという雀士は星の数ほども居る。
宮永咲の姉、宮永照がそのひとり。咲にとっても、彼女は取るに足らない雀士といってしまっても良かった。
それでも、咲にとって、彼女はとても大きくあった。
二年間。それが咲と彼女が、ともに卓を囲み続けた時間だ。最も共に競い合った相手、最も共に強くなりたいと想った相手。
だからこそ、少しだけ寂しいと想った。
彼女が長野からさった時、自分が何も出来なかったということを、そして、ともに背を並べて
でも、これはこれで良かったのかもしれない。
今、咲はこうして、円依ともっとも輝かしい舞台で戦っている。それが、咲にはどうしようもなくうれしく感じる。
強い人、――だれよりも強くなるために、ただ強さを得るために、もっともっと強い人と戦いたい。その結果が、ここなのだ。
咲が円依と戦うということなのだ。
(――楽しい、楽しいよ、円依ちゃん。麻雀って、とっても楽しい。勝ち負けという結果以上に、こうして戦うことそのものが――楽しいと思う)
だから、そのすべてを、咲が歩み続けてきた思いを込めて、
(だから――もっと、もっと麻雀を、楽しもう!)
そうだ。
それで、そうして、おしまいだ。
――咲手牌――
{一二三①①⑦⑨56699} {9}(ツモ)
風が、生まれる。
あらゆる物を切り払い、咲を目前へ推し進める風が。
咲/打{5}
――だが、同巡、闘いが、それだけでは終わらないと、咲に告げた。
「――リーチ」
円依の、リーチ。勝負を決める最後のリーチ。
わかっている。これで終わりだ。
――これが全てを、決めるのだ。
冷静に、考える。
円依の逆転条件は役満ツモ和了か、三倍満の直撃出和了り。この内三倍満は咲が振込を避ければいい以上、ありえないといっていい。くわえて――
――淡/打{⑧}
咲のアシストを兼ねた打牌、なのだろう。決して彼女たちも、今の位置に満足しているわけではない。狙っているのだ、今目指せる最上の位置を、そしてそのために、円依に和了らせないことも、近道であるのだ。
(――恐らく、だれしも予想している通り、この状況から円依ちゃんの待ちは限られてくる。――筒子染めの一色手、それも、かなり特殊な形になる)
――円依手牌――
{②②③③④④⑤⑤⑥⑥⑦⑦⑧}
(この形であれば、一発でなくとも高めツモ和了で役満ツモになる。安目でも、裏がひとつでも乗れば逆転――円依ちゃんは、あくまで高めを狙ってくるだろうけど)
そのために、自摸るべき八筒は残り二枚、その内一枚の居所を、咲は一人だけ、知っている。
(――残る八筒、一枚はどこともしれない闇の中、されども、一枚は私の手中にある――そう)
それこそが、三枚目の八筒。
(――私が自摸る、嶺上牌に、ある)
咲の勝利の手、それがこの八筒だ。九索は図らずとも数巡以内に自摸ることができる。十巡目、そこまでに円依が八筒をツモ和了しなければ、咲の勝ちが、確定する。
少しだけ、遠くはある。
けれども、咲の手元へやってくることは、絶対にわかっている。
――これが訪れれば、そこで全ては終了だ。
それで、咲が勝つ。それで、咲が全てを終えてしまう。
だが、
瀬野円依が、最後に打った手は――そんなまくりあいではなかった。
勝利の確信を持って、彼女は手を、打ったのだ。
――七巡目、咲は自摸切りの赤五筒。そして円依も自摸切り、ここまでは、動かない。続く咲が自摸切りし、――そこで、動いた。
――円依/自摸切り{①}
――咲の目が、これでもかというほどの驚愕を指し示す。
直列に並んだ二つの一筒。気がついたのだ。この形、この状況、――咲はこの一局、在る見逃しをしていたのだ。そうしてそれが、自身を穿つ、槍になるということにも、たった今、気がついた。
(――二巡目、あの時の一筒! あれは間違いなく、円依ちゃんのツモだった、それがこうして、二度目の打牌を――行おうとしているッッッ!)
そう、円依は決して、賭けを行うためにこのイッテを打ったわけではない、この策略を持って、すべてを制するために。
(――あの、一筒をッッ! 喰い取っていればッッ! いやそも、前局、あの八筒切りを、鳴かれていなければ、役満ツモの逆転条件は――満たされなかった――――ッッッ!)
それは、たんなる点棒数百点の差。
――あそこでもし、咲が北をツモって嶺上開花をしていれば、咲の手は五十符二翻ではなく、六十符二翻――つまり、ここでの役満ツモ逆転条件を満たすには、数百点の点棒が足りなかった。
――まさしく、紙一重にして、勝負を決める鳴き。
奪い取ったのだ。
円依は、その手で、あの八筒を。
――この、勝利を。
――咲の手が、虚空を空振る。牌をつかもうとした手が、目測を誤った。――しかし、感じ取るまでもない、九巡目、ツモは――咲の和了り牌ではない。
なんとか切り出した牌は、何の関係もない、単なる役立たずの牌だった。
――もし、咲がこの手を、{⑤}―{⑧}筒待ちの両面に取ることができていれば――あの七筒ではなく、六筒を引き寄せていれば、勝負は既に決まっていた。
――だが、そうはならなかった。
咲は――勝負に――――
その時だった。円依の手に、仄かな青い焔が宿る。つかむ気だと、咲は思った。
円依が手を伸ばす。
急速に、その手が牌の元と向かう。咲の胸元、そちらに近い側へ手を伸ばし、そしてそれを奪っていく。――それは、咲が手のひらに合わせたはずのもの、
手にしていたはずの、勝利と呼ばれる何がしか。
――奪われてゆく、咲の持つアドバンテージ、勝利に手を伸ばしたその先が、
消え失せていく。
その手は、あらゆるものを消し去る手だ。
すべてを終わらせる焔。
終焉にして、再生の灼熱。
――伝説の終焉は、果たしてそこに、横たわっている。
円依の手が、大きく、高く、星の下へ、誰もが居る、その場所へ、手を伸ばそうとしている。
それを、咲は見た。
――宮永咲が、大星淡が、姉帯豊音が。
円依の右手の行く先を、ただ一心に、見上げているのだ。
――それだけではない。
――観客席に座るあらゆる者たちが。
――実況室の、福与恒子が、小鍛治健夜が。
驚愕をたたえて、固唾を飲んで、
――モニター越しに、
阿知賀女子、松実玄が、松実宥が。
新子憧が、鷺森灼が、高鴨穏乃が、赤土晴絵が。
――千里山と、戦ってきた、あらゆる敗退者たちが。
――白糸台控え室。
宮永照が、弘世菫が。
渋谷尭深が、原村和が。
ほんの少しの苦渋を乗せて。
――宮守控え室。
小瀬川白望が、エイスリン=ウィッシュアートが。
鹿倉胡桃が、臼沢塞が、熊倉トシが。
涙をこらえて、それを、
――風越控え室。
福路美穂子が、池田華菜が、
上埜久が、南浦数絵が。
――振り下ろした手を、見守っている。
――そして、千里山の仲間たちが。
爆発する、劇的な爆発音が、卓上に響く。
「――ツモ」
――園城寺怜が。
「――メンタンピンツモ」
――清水谷竜華が。
「清一色」
――江口セーラが。
「二盃口――――」
船久保浩子が。
「――――――――大車輪」
――二条、泉が。
「――8000、16000です!」
その瞬間を、見守っていた。
♪
全国高校生麻雀選手権大会。
長い長い夏の激闘が、幾万の少女たちが目指した一夏の夢が幕を閉じた。
――新鋭と呼ばれる高校が生まれた。
――強豪と呼ばれる高校が、今年もまた姿を見せた。
――化け物じみた者たちが、その頂点を競い合った。
その結果が、そこにある。
誰もが目指した戦いの果てには、ただ一つだけ、許される勝者という席がある。
千里山の少女たちは、一人の少女を抱えて笑う。
そこに居る少女は、笑みを浮かべていた。――どこか、今までとは違う顔立ちで。何の気負いも、何の過去もない、くったくのない笑みを、浮かべていた。
――戦いの果て、誰もが望む場所にたどり着いた者たち。
戦いの果ては、そんな新しい始まりによって、彩られるのだった。
――最終結果――
一位:千里山女子『153500』
二位:風越女子 『152900』
三位:宮守女子 『47400』
四位:白糸台高校『46200』
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