夢。
夢を見ている。
久々に思い出す異性の友人。
中学校に上がったばかりの頃、日ノ宮一樹は猫上姉妹の家に居候生活にようやく慣れ始めたが、学校という空間に馴染めないでいた。
それは、虐めを行っていた叔母の件に関することが中学でも尾を引いていたことである。
両親がいないことや叔母にされていた仕打ちは中学内でもそれなりに広まっていたし、一樹自身社交性に富んだ性格でもなく、当時は成績も良くなかった。
それが周りから遠ざけられる理由としては十分なものだった。
また、一樹自身、誰かに歩み寄ろうともしなかった。
そんな日々の中で彼女と話したのはただ単に、席替えの際に隣同士になったという理由だった。
小学校五年の時に日本に越してきたというその女生徒は日本人と同じ黒い髪だったが、褐色の肌と微妙に聞き取りづらい発音の日本語で話していた。
それらがその女生徒が周りから孤立する理由だった。
だが日ノ宮一樹はその女生徒に話しかけられた時に感じたのはどうしようもない懐かしさ。
一目惚れ。なんてありきたりなものではなく、郷愁にも似た懐かしさをどういうわけか彼女から感じていた。
「よろシクデス……」
そう握手を求められたとき、自然と握り返した。
それから何かと気が合ったのか、一緒に行動することが増えた。そんな中で桐生藍華もその輪に入り、3人でつるむことが多くなったわけで。
そうして1年の三学期の半ばだろうか?その女生徒のイジメが活発になったのは。
今までにも小さな嫌がらせくらいはあったが、その時期は段々と度が過ぎて来た。
無視されたり、持ち物を隠されたりダメにされたりという感じにエスカレートしていったが、本人が事を荒らげたくないと言っていたため、一樹もイライラしながらもその件に関しては何も言わなかった。
その現場を見るまでは。
その日は校内清掃で、生徒が決められた場所を清掃していた。
自分の分担個所を終わらせて階段を上っていた時に、上の方で話声が聞こえた。
見て見ると、そこには友人の女生徒を3人の別の女子が絡んでいるのが見えた。
それを見て、いい気分な訳もなく、どうにか引き離そうと階段を上がろうとしたとき、3人のリーダー格らしき女生徒が友人を突き落としたのは。
焦って手にしていた掃除用具を投げ捨てて友人を受け止めた。
向こうはいきなり一樹が現れたことに驚いているようだが、本人はそれを気にしている余裕は無かった。
「おい!どういうつもりだ!危ないだろ!?」
口調を荒くして問い質す一樹にそのリーダー格の女生徒が鼻で笑った。
「別に。そんなのが階段から落ちるくらいどうだっていいじゃない」
「あ?」
こいつなに言ってんだと言わんばかりに眉間に皺を寄せる一樹。
「だってその子、周りとろくに話さないし、言葉もおかしくて気持ち悪いし、いなくなっても誰も困らないでしょ?」
暴言を吐く女生徒に一樹はなんとか怒りを抑えてそんなわけないだろと反論し、口論に発展した。
そしてこちらを見下した、馬鹿にする表情で言われたことに一樹は人生で初めて本気で【キレる】ことになった。
「うるさいわね!アンタには関係ないでしょ!それともそんなのに気があるの?アンタとそれはお似合いでしょうね。アンタみたいな親もいない能無しとそんな気持ち悪い肌した奴!」
そう言って3人で嗤ってくる。
一樹はその時に握っていた拳をリーダー格の女生徒に振るうのを意識してはいなかった。
気がつけば振るった拳が相手の口のところに当たって歯が折れていたのを見て殴ったと気付いた。
他2人の悲鳴が他人事のようにすら聞こえる。
しかもそれで怒りが収まらずに馬乗りになってさらに殴っていた。
相手がやめて!などと叫んでいたが構わず殴りつづけた。
気付けばそれなりに見栄えの良かった顔は折れた歯やところどころ殴った個所が腫れており、よく見なければ同一人物かわからない程に変わっていた。
悲鳴を聞きつけてきた教師数名に取り押さえられ、後に保護者である黒歌も当然呼び出されて相手の親御さんに責められることになり、終始頭を下げていたことだけが日ノ宮一樹の中で後悔している部分であり、暴力を振るったことに関しては特に何とも思ってないのが自分でも救いようがないと思う。
結局その事件は一樹が急に暴れ出して女生徒に暴力を振るったということで話が着き、慰謝料を請求通り払い、当然一樹は肩身の狭い中学時代を過ごすことになるのだが。
強いて良かったことと言えば、そのリーダー格の女生徒が転校したのを機に、友人の女生徒に対する嫌がらせがパタンと止んだことと、事情を理解した彼女の父親(その女生徒は父子家庭だった)に感謝されたこと。そして猫上姉妹の家から追い出されなかったことくらいか。
黒歌には呆れられながらも大分叱られ、白音から向けられる哀しそうな表情が強く胸に突き刺さった。
そんな、中学時代の思い出を何故か夢に見た。
どうせ部室から転送魔法かなにかで冥界に行くことを予想していたのに反して集められたのは駒王町にある駅だった。
そこでエレベーターにリアスと朱乃が乗る。
「初めにイッセーとアーシア。それからゼノヴィアとイリナは私について来てくれる?エレベーターに全員一度には入れないから朱乃と裕斗、残りはお願いね?」
「はい。任せてください!」
任された祐斗の返事にリアスは満足そうにしてエレベーターの扉を閉めた。
「しかし、こんな道があるなんて今まで知らなかったぞ、俺」
「ここは悪魔専用のルートだからね。一般の人はまず辿り着けないよ。こういう秘密の領域がこの町にはいくつか存在するんだ」
「ちなみに堕天使用の施設やら何やらも存在するわね。この町に限った話じゃなくて世界各地に」
「なんだかんだでオカルト世界ってこっちに浸透してんだな。知られてるかそうでないかはともかく」
感心したように呟く一樹。
「当然だわな。
ぼやくように呟くアザゼル。
そして祐斗の案内で地下へと降りると、そこには大きな空間が存在していた。
後から来た一樹たちを確認してついて来て、と指示を出すリアス。
ついて行くとその先には列車と思われる独特の形をした乗り物があった。
そしてそこにはグレモリー家などの紋様が刻まれている。
「この列車はグレモリー家専用なの」
とのことらしい。
それに一樹や一誠など庶民の感覚が強い二人は腰を引かせることになる。
車両に乗るとそこは新幹線に近い構造だった。
一応細かな決まりがあるらしく、一番前にはリアス。
その後ろに眷属であるイッセーたちが座り、客人である一樹たちはさらにその後ろに座っていた。
席に座ると早々に寝入ってしまったアザゼル。
アーシアと朱乃は一誠を間に挟んで火花を散らせている。
そんな中で一樹は隣に座る白音に話しかけた。
「そういえば、白音は今回の旅行、反対じゃないのか?ほらお前ってさ……」
今更な話題だが聞いておきたかった。
それに白音は前に聞こえないよう小声で話す。
「うん。正直に言えば、冥界自体はあんまり行きたくは、ね。でも、それ以上に今回の旅行が私にも利点が多いから。それに―――――」
そこで言葉を切る。これ以上は話したくないということだろう。
特に話すこともないし、一樹もいっそのこと寝てしまおうかと考えていた時に前に座る黒歌からポツリと声が聞こえた。
「冥界に行くのも2年ぶりかしらね」
「姉さんは冥界に行ったことがあるのか?」
「うん。と言ってもその時は堕天使のルートだったけどね。仕事の都合で」
本当に何ともなしに呟く黒歌。その淡白な姉妹の対応が一樹に僅かばかりの壁を感じさせたが、すぐに頭を振る。
話せるときに話せばいいと言ったのは自分だ。なら、それまで待てばいい。必要になればきっと話してくれるだろうと考えて。
そんな風にしているとレイナルドという見た目初老の車掌と顔を合わせることになる。
レイナルドは子供の時からリアスを知っているらしく、彼女の成長を喜んでいた。
今は、色々と手続きがいるらしく、リアスたちを呼びに来たようだ。
取り出された登録用の機械で順次登録を済ませる。アザゼルは寝ていたため勝手に済ませた。その際によくついこの間まで敵対していた勢力の列車で安眠できるなと呆れたが。
それからまた少しして次元の壁を越えたとアナウンスが知らせる。
そして窓の外に広がっていたのは紫色の空と山。今まで決して見ることのできなかった景色が広がっていた。
「もう窓を開けていいわよ」
リアスの許可が得て窓を開けるとそこには人間界とは違うどこか独特の空気を感じた。
過ぎ去った道を見るとそこには黒い穴が見え、おそらくそこからこちらへ通って来たのだろう。
窓の外からは川や森、そして町も見えた。
「ここは既にグレモリー領なのよ」
リアスから説明を受けると、グレモリー領は日本の本州と同じだけの広さがあるらしい。だが、ほとんどが手付かずで、放置状態らしいが。
そこで思い出したかのように魔力で立体映像の地図を出現させる。
「イッセー、アーシアにゼノヴィア。後で領土をあげるから、この赤い場所以外を指さしてくれる?」
「へ?領土が貰えるんですか?」
「もちろん。あなたたちはグレモリーの次期当主である私の眷属だもの。グレモリーの領土に住むことが許されるわ。朱乃たちにも与えてあるしね。協力者である一樹たちにもあげたいのだけれど、流石に無理ね。残念だけど」
「勘弁してください」
今後行くことになるかもわからない冥界の領土なんて貰っても困る。正直、気風が良すぎて怖いくらいだ。
「あら残念。もし神の子を見張る者をクビになったらグレモリー家に保護してもらおうと思ってるのに。その時、土地が有ったら楽そうなのにね」
「ふふ。えぇ。その時が来たらぜひ歓迎するわ」
お互いに冗談とも本気ともつかない会話に一樹と白音は胃が痛くなるのを感じた。
一樹自身、人間界の生活圏を離れるつもりはないのだ。普通に就職したい。
そんな感じで話し込んでいると目的のグレモリー邸に着いたらしく、降車の準備に入る。そんな中でアザゼルはまだ降りないらしい。
「アザゼル先生は降りないんですか?」
「あぁ。俺はサーゼクスにお呼ばれだ。黒歌、お前もだぞ。つーかお前は俺の護衛も兼ねてんだろうが」
「え~。白音たちと一緒に降りた~い。それにアザゼル私より強いじゃない。めんどくさ~」
「ハハハッ!職務怠慢で今月の給料減らすぞ?」
「わ~い。行けばいいんでしょ、こんちくしょうが……」
仕方ないと言わんばかりに降車の準備を止めて座席に座る黒歌。
またね~と手を振られながら列車を降りる。
広がっていた世界は先程までとは違う意味で別世界に感じた。
『リアスお嬢さま、おかえりなさいませっ!』
花火やら楽団の奏でる音楽が耳に届く。
見たことのない生き物に跨る兵士たちが旗を振っていたりしていた。
その光景を始めてみたオカルト研究部の面々はどうしたらいいのかわからず戸惑う。
「さ、さすが冥界ね。これは予想外だったわ」
「教会では考えられない豪華さだな」
只々圧巻される中でイリナとゼノヴィアはポカンとしている。
ギャスパーは大勢の人に委縮して一誠の後ろに隠れてしまった。
正直に言えば一樹もこの豪華さは理解できなかった。一般庶民には本来、永久に縁のない光景だったろうから。
立ち止まっている部員の面々を手招きしながら先へと促す。
グレイフィアという見知った顔が現れて若干緊張を緩めると一樹たちは何台にも用意された馬車に乗せられてグレモリー邸に案内された。
そして着いたのは家というより城と呼ぶべき豪邸だった。
「私のお家のひとつで本邸なの」
と、当たり前のように言われて一樹はいい加減感覚が麻痺してきた。考えるのを止めたとも言えるが。
映画でも見ないような華々しい豪華な景色を堪能しながらグレモリー邸に着く。
リアスについて行くと途中で紅い髪の少年が姿を見せる。
「リアスお姉さま!」
「ミリキャス!久しぶりね!大きくなったわね」
抱きついた少年をリアスが抱きしめる。
「部長、その子は?」
「この子はミリキャス・グレモリー。お兄さまの……サーゼクス・ルシファーさまのご子息なの。魔王姓を名乗れるのは名を継いだ本人だけだから、この子は私の次のグレモリーの跡取りなのよ。挨拶して、ミリキャス」
リアスに言われて挨拶するミリキャスに挨拶を返してから一樹は疑問をぶつけた。
「そういえば、サーゼクスさんの奥さんってどんな人なんですか?以前の公開授業の時は見なかった筈ですけど」
一樹の質問にリアスは少しだけ目を泳がせてそのうちにね、と誤魔化す。
何か言い辛い事情でもあるのだろうか?
それからリアスがグレイフィアにアレコレ指示を出していると、ひとりの女性がこの場に現れた。
「あら、リアス。帰って来ていたのですね」
その女性はリアスによく似ていた。
髪はリアスの後ろ髪を切って亜麻色に変えたくらいで他のパーツはリアスに共通している。
若干目つきが鋭く見える所為かリアスよりも年上に見える。
部長って姉もいたんだなぁと考えているとリアスの口から驚くべき事実が口にされる。
「お母さま。只今戻りましたわ!」
リアスの発言に悪魔に対する知識が乏しい面々は目を丸くした。
「うぇえええ!お母さま!?ど、どう見ても部長と同い年くらいの女の子じゃないですか!?」
「あら。女の子だなんて嬉しいことをおっしゃいますのね」
「悪魔は歳を取ると魔力で見た目を自由に変えられるのですわ。女性は大体二十代前後。男性は個人の趣向で好きな年齢で見せるのが一般的ですわ」
「人間の女性が聞いたら羨ましがられそうな話ですね」
「そうね。ちょっと一瞬悪魔になるのもいいかなって考えてしまったわ。罪深い私をお許しください」
そう言って祈りを捧げるイリナ。
一緒になってゼノヴィアやアーシアも祈るが2人は頭痛ですぐに顔を顰めた。
ついでに兵藤はリアスの母に熱い視線を送っていた。主に胸の辺りとか。
それを見て一樹が一誠の耳元で囁く。
「部長の母親相手に卑猥な妄想を膨らませるのは止めろな。顔に出てるぞ」
「そそそそそそんなカオしてねぇよ!?」
「……最低ですね」
「違うんだよ白音ちゃん!俺はただ部長のおっぱいが大きいのってお母さん譲りなんだなって感動してただけで……ハッ!?」
自分が口にしていたことが大変マズイ発言だったと気付いて慌てて口を押える。顔からは冷や汗がだらだらと流れていた。
そんな一誠をリアスの母は口元に手を当ててクスクスと笑う。
「随分と個性的な方を眷属にした様ね、リアス」
「イッセー……」
恥ずかしそうに額に手を当てるリアスを見て一誠はただすみませんと頭を下げた。
ヴェネラナ・グレモリーと紹介されたリアスの母に続いてこれまた豪華なダイニングルームへと案内された。
そこには絶対に食べきれないであろう量の食事が置かれている。どれも一目見て高級料理だとわかるのだが。
そして現れたリアスの父を見て一樹が初めに思ったのは。
(どう見ても親子にしか見えねぇ……)
見た目リアスと同じくらいのヴェネラナと40代程の夫。アレが夫婦ですと言われたらまず間違いなく白い目を向けられるだろう。人間界では。もちろんそれを表情に出す愚は犯さないが。
先程案内された部屋は豪華すぎて逆に使い辛い。
キングサイズのベッドとかシャンデリア付きの天幕とか一般人には縁のないものが凝縮されていて委縮してしまう。
それからアーシアが一誠の部屋に移ったり、ゼノヴィアがイリナの部屋に行ったこともあり、白音も一樹の部屋に移った。
流石にこの部屋の大きさは白音も馴染まないらしい。
それはともかくとして夕食である。
グレモリー家に招待されるということで一樹は今日までアザゼルにテーブルマナー云々を叩き込まれた。ついでに社交ダンスもやらされそうになったが、時間がなく、見送られた。どうせ覚えても踊る機会なんてないだろうが。
慣れない動作ながらもどうにかナイフとフォークを使って夕食を摂っている。
白音も慣れた様子で行儀よく、しかしテレビの四倍速くらいの速さで食事をしている。その神経の太さに感心しながらできるだけ粗相のないように過ごす。
向こうは自分の家のようにくつろいでくれて構わないとか言ってるが、正直この豪邸で自分の家みたいに過ごすなど無理である。なるべく目立たないようにして当たり障りなく過ごすのが精一杯である。
そうしているうちに話があらぬ方向に向いて行った。
リアスの父であるジオティクスが一誠にお義父さんと呼ばせようとしたり、母であるヴェネラナが一誠に何やら作法を仕込むなどと話している。
それにリアスが静かに反論した。
「お父さま!お母さま!私を置いて話を進めるなんてどういうおつもりですか?」
「お黙りなさいリアス。貴女はライザーとの婚約を破棄しているのですよ。周りにそれを納得させるのにどれだけの根回しを夫やサーゼクスがしたと思うのです。我が儘も大概にしなさい!」
「あの件に於いて私は提示された条件をクリアしてのことの筈です!後ろ指をさされる謂れはありません!」
「それも貴女がグレモリー家の後継ぎや魔王の妹という立場があってこそ譲歩だったのですよ。それに、これからは三勢力が協力体制に入った以上、これまで以上に貴女を注目する目も増えるでしょう。もう以前のような振る舞いはできないのです。自分の立ち位置をいい加減知りなさい!」
声を上げているわけでもないのに威圧するような重さのある声。それがリアスを僅かに委縮させた。
そして話を戻す。
「聞けば一誠さんは上級悪魔としての独立を目指しているのだとか。ならそれ相応の振る舞いは必ず必要とされます。無作法な者をグレモリー家の眷属から出されたとあっては家名に泥を塗ることにもなりますし、学ぶならば早い方がいいでしょう。明日から厳しくいきますが、よろしいですね?」
「は、はい!」
睨まれているわけでもないのに背筋を伸ばして答える一誠。
それを見ながら一樹はあぁ、俺客人で良かった、と心から安堵した。
「つっかれた~」
普段なら出さないような声を出しながら一樹は無駄にデカいベッドに腰を下ろす。
何もかもが高級すぎて落ち着かない部屋だが、あの夕食の後で人の目を多少気にしなくていい今の状況は有難かった。
「やっぱりこういうのは馴染まないね……」
「その割には夕食、遠慮なかったよな、白音は」
「……食べるモノに罪はないから」
「なに言ってんだ?」
軽いやり取りをしながら同じベッドに入る。
「こういうの、久しぶり……」
「あ?あぁ、そだな。俺が2人の家に来たばかりの頃くらいはこうして一緒に寝ることが多かったよな」
猫上家に居候し始めたばかりの頃に一樹は軽い、不眠症を患っていた。
あの叔母に苛められていた記憶が夢でフラッシュバックしたり、ちょっとした物音や風で窓から音が出るだけで眠れなくなることが続いていた。しかも本人がそれを隠していたため、体調を訊かれても大丈夫ですとしか答えなかった。
それも限界が来て登校中にバタンと倒れて救急車の世話になり、不眠症が発覚したわけなのだが。
治ったのは病院で貰った睡眠薬の効果もあるが、白音と偶に黒歌が添い寝などをしてくれたことも大きかった。
人肌や安心していいという優しい声。それらが一樹の不眠症を治す薬となってこうして今も元気でいるわけだ。
「あの頃から今も2人には世話になりっぱなしだよな、俺。それに中坊の時は問題も起こしちまったし……」
いつか、少しはその恩が返せるときが来るだろうか?
そんなことを考えていると、白音が首を横に振るう。
「気にしないで。私たちは、その……家族だから。迷惑をかけあえるのが当然だよ?」
「そうかも、しんねぇけどな。だからこそ、貰いっぱなしじゃなくて、ちゃんと……」
よほど疲れていたのか、そのまま一樹の瞼は落ちていき、眠りに入るのに、時間はかからなかった。
一樹が眠りに入った後、白音は一樹の髪に触れていた。
「……貰って、ばかりなんかじゃないよ」
覚えている。
誰にも見向きもされずに辛い日々を過ごしていた時に抱きあげてくれた手の感触を。
例えそれが気まぐれだったとしても、最初に救われたのはこちらの方だった。
そして―――――。
「いっくんはいっくんの望むままに。私たちは、その道を必ず守るから……」
一筋だけ流れた涙に気付かず、白音は寝ている一樹の頭を撫で続けた。